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  3. 浦辺 登さんのレビュー一覧

浦辺 登さんのレビュー一覧

投稿者:浦辺 登

307 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本検証シベリア抑留

2010/04/06 07:24

風化させてはならないシベリア抑留という事実。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 今からおよそ65年前、日本が世界を相手にした戦争にも一応の終止符は打たれたが、戦後処理が円滑に済んでいないものとしてシベリア抑留者問題がある。
 かつてのソ連、現在のロシアという国がドラえもんのジャイアンと同じく、力で周囲を屈服させる存在であるところは世界周知の事実だが、さらには、誠実のカケラすら有していない事は日本人のだれもが知っている。それは日ソ中立条約を一方的に破棄して満洲を侵略し、婦女への暴行強姦、満洲の投資資産の略奪というこの世の悪行の限りを尽くし、さらには日本軍将兵を64万人も拉致して強制労働に従事させ、推定5万人余を殺戮したことにある。重大な国際法違反を犯しているにも関わらず、ソ連からは戦争犯罪人として処刑された者は誰もいない。連合国が開廷した極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判は侵略国家として日本を裁いた裁判であるが、侵略国集団が不当に日本を処断した裁判であることは本書でも十分に証明できる。
 その侵略国家のひとつであるソ連が満洲に駐留する日本軍とその関係者を拉致した国際法違反の事実を検証する内容が本書だが、東京裁判でソ連側証人として出廷した陸軍参謀の瀬島龍三についても詳細に述べている。瀬島龍三は復員後に伊藤忠商事に入社し、経営トップとしてその名を経済界に残したが、その瀬島龍三が日本人抑留者をソ連に売ったのではという疑惑についての物的証拠として瀬島龍三自筆の供述書コピーというものが掲示されている。しかしながら、203ページと209ページの瀬島龍三自筆の供述書といわれるものを詳細に見てみると、他者が書いたものであることは一目瞭然である。サインの「竜」と「龍」の文字を始めとして、カタカナの字体も異なっている。検証というタイトルながら、残念なことにこれは再検証の必要があるのではと思われる。
 また、本書は年月日が西暦に統一されているが、文中に挿入されている瀬島龍三の参考文は著者の補注はあるものの和暦である。供述書は西暦となっていることからも、果たして瀬島龍三の自筆なのか疑わしい。
 文中、ソ連はシベリア抑留者の中に朝鮮人が含まれていたことなど全く知らなかったとあるが、これは著者の調査不足としか言いようがない。かつてのソ連が朝鮮国内から朝鮮人を拉致して赤軍として軍事、スパイ訓練を施して反日ゲリラ部隊を編成し、朝鮮に設けられたソ連大使館員がスパイ行為を朝鮮人にさせていたことは有名な話である。
 ただ、いえるのは、このシベリア抑留という非人道的な行為が行われた事実を語り継がなければならないこと、米ソの超大国の狭間にあっても一国の独立を維持するだけの気概を日本という国が維持していかなければならないことである。
 様様な問題提起が含まれているが、その詳細な内容は別にしても、歴史の彼方に追いやられつつあるシベリア抑留というソ連の横暴を風化させてはいけないということに尽きる。

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紙の本巴里の侍

2010/12/25 07:27

フィクションと知りつつも。

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 実在の人物である前田正名が巴里に留学した際の体験をフィクションにしたものである。冒頭、坂本竜馬の下で活躍する姿が描かれているが、すんなりとストーリーに入っていけない。
 竜馬から預かった文書を長州側に届ける件がある。
《そんな彼が見据えているのは、穏やかな大海原だ。》この文章を読んだ時、この前田正名は、どこにいるのだろうか、どこの海を眺めたのだろうかと疑問がおきる。ストーリーの流れとしては馬関海峡、現在の関門海峡を目の前にしているはずだが、この海峡は対岸が目視できるほどに近く、それだけ潮流が早いことでも知られる。穏やかな大海原が眼前に広がっている、という表現に作者が現地を踏んでいない事がわかる。
 さらに、前田正名が長崎から長州に向かうにあたり、《嬉野・佐賀・肥後・筑前博多と順調に旅してきたのだが》とある。長崎から長州に向かうルートとして長崎街道を辿ったようだが、そこに筑前博多、肥後という街道から外れた地名が入るのが不思議でしかたがない。急がなければならない旅でありながら、なぜ、わざわざ南下して肥後の国に向かったのか。
 誠に申し訳ないと思いながら、読み始めから興ざめし、飛ばし読みだった。
 著者の略歴を見ると、北海道出身の方である。前田正名は薩摩出身でありながら、北海道に定住した人物である。そこから北海道の人として前田正名を知ったのだろうが、前田正名が行動した鹿児島、長崎、山口など、地の気、風を感じてから書いても良かったのではないかと思った。
 フィクションと知りつつも、司馬遼太郎、吉村昭という歴史小説作家の作品を読みこんできた身には、楽しむことができなかった。もう一度、再構成して書きなおしてみてはどうだろうか。

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日本型社会主義の定着を願う

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

表題に含まれる「社会主義」という言葉から、多くの方は左派系の本と思うだろう。しかし、7ページの後ろ6行目に権藤成卿の名前を見ることから、社会主義は社会主義でも日本型の社会主義についての論考ということがわかる。その社会主義の一形態としての国家社会主義である。13章からなる本書の随所にも、「日本型」という言葉が意図的に使用されている。極めつけは82ページの「マルクス主義的社会主義のことではむろんなく」という一行だ。社会主義、共産主義、イコール危険思想と字面だけで判断するのではなく、日本型として物事を見なければならない。同時に、資本主義においても、日本型を研究する方が増えてきた。原理原則、日本は折衷型として思想は理解した方が良いと考える。
 さて、本書は昭和9年(1934)、奈良県において設立された「大日本国家社会党」掖上支部の活動報告であり、その活動報告手段が「街頭新聞」だ。明治以降、欧米列強のアジア侵略は止まるところを知らず、その毒牙に食い荒らされないため、日本は懸命に西洋近代化を急いだ。同時に、金融を含む欧米の資本主義も導入したが、あまりの急展開に各地で摩擦が起き、取りこぼされる人が出てきた。その摩擦の大きなものが士族の反乱であり、民は娘を海外に「からゆきさん」として「輸出」しなければ生きていけなかった。しかし、一向に社会格差は解消されず、血盟団事件、515事件、226事件を引き起こした。
 これらの社会問題の根本に何があるか。それは公平な富の分配がなされなかったからだ。明治維新の目標であった「一君万民、四民平等」という天皇親政が果たされなかったことにある。
国の本は農業である。まず、何といっても、民の食を確保することが為政者の責任だが、それがないがしろにされたことを、「街頭新聞」で世間に訴えたのである。本書はその軌跡であるが、読み進みながら、現今日本の姿に重なる。根本的に、何ら変わりがない。愕然とするばかり。
なぜ、著者はこの「街頭新聞」を世に問うたか。「今だけ、カネだけ、自分だけ」の為政者、官僚、財界人に覚醒を求める為である。本書の内容を、ごく一部の日本国民の意見として流されてはいけない。日々、生きるため、考える時間も無い民の声を代弁し、くみ上げなければならない。皇国の理想は、万民が安心安寧に暮らせること。民主主義を越えた日本型社会主義を地上に実現しなければならないとして、誕生したのが本書である。日本型社会主義の定着を願うばかりだ。

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ようやくアジア主義の評価が始まる

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

中島岳志氏の「いまアジア主義を見直す」を読む。
 戦後、GHQによって封印され続けた玄洋社への再評価が始まったか・・・。
 占領軍は善、日本軍は悪。
 2者が対立する構図から、アジア的評価が始まる。流れが変わりつつある。
 表現は悪いが、中島氏は風を見るのが上手。
 敏感に、その風向きの変化を受け取った。
 そう見ている。
 たぶん、この論調であれば次月号にもアジア主義の系譜が掲載されると思う。
 どのような論になるのか、楽しみ。

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紙の本頭山満と近代日本

2010/07/30 21:24

頭脳明晰な大川周明の精神疲労が窺える。

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書は大川周明の未発表原稿に基づいて中島氏が編集を加えたものとなっている。大川周明といえば様様な政治思想を広めた人物であるが、やはり、東京裁判(極東国際軍事裁判)でパジャマに下駄ばき、東條英機の頭をぴしゃりと叩いた人と言った方が話の通りが早い。
 その大川は、日本の敗戦間際、朝日新聞社からの注文に応じて右翼の源流とも言われる頭山満についての評伝及び興亜思想を書き始めた。しかしながら、日本の敗戦によって中断し、原稿は出版されずに放置されていたが、中央公論社の社屋移転にともない当時の生原稿が発見されるに至った。
 本書を一読して、すでに頭山満や所属組織である玄洋社について他の資料を読了されている方には、さほど、特筆する事実は無い。大川周明が頭山満の評伝を引用しているからだが、この時代、頭山満に関するものを新聞に連載するか、出版するかで収益が見込めたのではないかと推察するが、朝日新聞はマーケティングが上手だという証拠になる。
 編者の中島氏は自著『中村屋のボース』において、「玄洋社には思想が無い」と切って捨てた。中島氏が切実な「問題」とする大川周明が書いた頭山満と玄洋社を読んでどのように感じられたのか、知りたかった。「解説」「あとがき」においても、極めて一般的な表現のみで、いったい、何が言いたいのか、解説なのか理解に苦しんだ。
 編者の選択を間違えたとしか言いようがないが、それは、中島氏が頭山満、玄洋社に関しての資料を読みこんでいないのではという、疑問を抱いたからだ。
 ただ、この内容を一読していて感じたのは、後半になるにつれ、誤字表記などが増加していることである。すでに、これだけの大家であれば日本の敗戦を予感していただろうから、精神の疲労に襲われていたのかもしれない。裁判所での奇怪な格好や行動の予兆がすでに現れていたということになる。

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孫文に翻弄されすぎる日本人。

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書48ページ、12行目に頭山満は孫文と出会って、最大の支援者となったと記されている。
 この一説で、著者が中国革命の全体像を理解せずに論考を進めていったことが理解できる。
 なぜ、清国の主権侵害である「長崎事件」に玄洋社が憤慨し、その後、孫文の革命派に玄洋社が加担したのか、それは、時代をさらに遡らなければわからないだろう。
 そして、玄洋社は西郷精神の後継者というステレオ・タイプの定説から抜け出せないことが、真新しさを感じない内容になっている。新資料を分析し、縦軸、横軸を構成して、中国革命を俯瞰すれば、別の切り口が発見できたのではと残念に思えて仕方ない。
 これは、著者の責任ではなく、戦後日本の世論がGHQによって弾圧を受けた結果によるものである。今一度、封印された史実を表に出さなければ、行動的アジア主義者の思想は理解できないだろう。

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紙の本日本のナショナリズム

2010/05/26 10:01

将来に危険性を孕む内容。

12人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 閣僚を含む民主党議員に行なった歴史の講義録を基に書かれた内容である。政権与党の面々を前にして、著者の得意満面の雰囲気がその筆致から伝わってくるが、そのためか民主党ウケするものとなっている。同時に、読み進みながら国会議員の歴史に対する知識、認識レベルは「中高生程度なのか」と疑問を抱く。平常、著者の論考に賛意を表していたが、なぜか、突っ込みどころ満載である。
 まず、大隈重信が「対支二十一カ条の要求」を中華民国の袁世凱に突き付けたことで、日米間の紛争の種になったとあるが、袁世凱が日本にとって不倶戴天の敵であったことを知っておかなければならない。袁世凱は清朝の重臣として日清戦争開始以前から日本に政治的圧力をかけてきていた政敵であり、日本の官僚暗殺を謀り、孫文の仲間を暗殺し、軍事力を背景に中華民国政府から孫文を放逐した人物である。二十一カ条は無用な要求というよりも、袁世凱政権を打倒するものであったと考えたならば、日米紛争につながるものとは考えにくい。
 学生であった毛沢東や周恩来がこの対支二十一カ条を国辱として立ち上がったとあるが、彼らはソ連からの指示に基づいて行動しており、ソ連の意向で日本に圧力をかけていただけである。このことは、後の国民党政府に対して中国共産党が謀略の数々を繰り広げていったことを見ればわかると思う。この大隈重信の政治的行動を早稲田の人々はどのように受け止めているのか、知りたい気もする。
 また、2.26事件で処刑された北一輝について述べられているが、松本清張の『昭和史発掘』を引き合いに出して、北一輝が三井から裏金を収受していたこと、日蓮宗にのめり込んで予言を叫んで青年将校をアジテートしていたことと対立させるべきではなかったかと思う。陸軍の皇道派と統制派との対立にも触れなければ、北一輝と2.26事件の真相は見えてこないと考える。
 加えて、韓国併合は朝鮮侵略だと氏は述べておられるが、これは簡単に解説してしまって良いものだろうかと懸念する。日韓関係は侵略者と被侵略者という図式で語られるが、たかだか100年前後の事で現代の認識を決めつけてよいものなのかと思う。長い、長い歴史を見て行けば、新羅からの侵略に怯え、蒙古や高句麗の軍隊に婦女子までもが抹殺された日本の歴史を振り返らなければ、他国のナショナリズムを助長するためだけに終わるのではないだろうか。
 本書の危険性は、この講義内容をコピーペーストして民主党の議員が公言することにある。あくまでも、アジアにおける歴史の概略であって自分の目で詳細に見て行かなければならないと認識している議員がどれほどいるか心配になる。

 尚、松本氏は日米間の紛争の始まりは「対支二十一カ条」要求からと述べられているが、個人的には孫文や玄洋社が一体となって支援したフィリッピン独立運動の「布引丸事件」からと考えている。

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紙の本論語と算盤

2010/05/25 09:25

今も昔も、人間のやること考えることの根本は変わっていない。

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 実業界の父といわれる渋沢栄一の談話をまとめたものであるが、なかなか現代にあてはめても、チクリともドキリともする苦言が並んでいる。
 明治維新後、欧米の先進科学を競って導入し、東洋の美点を忘れ去っているところを指摘しているが、それは現代ニッポンにおいても変わりない。技術の伝承が必要と言いながらリストラ名目で技術者を国外に追い出し、世界に技術を求める日本。西洋功利主義の弊害について早くから渋沢栄一が警鐘を鳴らしていたことに驚く。
 民間の人間が功績を残しても顕彰はなく、官においては些少の実績が顕彰されるという不公平を渋沢栄一は指摘するが、同時に官の犯罪に対しては甘く、民間の犯罪に対しては異常に厳しいことに疑問を呈している。この箇所を読んだ時、政府与党の代表、内閣の責任者が法の裁きの対象になっているにも関わらず、のらりくらりと言葉を翻して逃げまくる様を思い出した。
 また、渋沢栄一の指摘は実業、政治、官僚のモラルだけにとどまらず、日本人全体の国民性にも及んでいる。「日本人は細事にもたちまち激する。しかしてまた、ただちに忘れる」が、これは世界に対して誇れる国民の姿ではないとも。
 
 歴史は繰り返すというが、明治維新という革命の後、国家国民がどのように動いて行ったかを振り返る参考になる。
 ただ、残念なのは渋沢栄一が語る論語に対しての解釈は付せられているが、贈収賄事件や日米間の問題についての注釈が無いために、渋沢栄一が具体的に何に対して意見を述べたかが判断しづらい。せめて、巻末に渋沢栄一の生きた時代の年表がついていれば内容が濃くなったのではと思う。

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紙の本対談昭和史発掘

2009/07/13 09:45

昭和という時代がだんだんに遠くなっていることを実感させられる内容でした。

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 表題にもあるように、松本清張が城山三郎、五味川純平、鶴見俊輔と対談したものと、「昭和史発掘」シリーズに収められなかった二作品との二部構成になった一冊である。松本清張生誕100年を記念して発行されたものだが、この中でおもしろかったのは鶴見俊輔氏との対談だった。城山三郎、五味川純平の各氏と松本清張の対談は互いに牽制し合っておもしろ味を感じなかったが、鶴見俊輔氏の場合には完全に対談というよりも鶴見氏の独壇場でさすがの松本清張も聞き役に回っているのがおかしかった。同じ昭和でも戦中史と戦後史の違いがあるとはいえ、鶴見氏の広い視野に立った意見は傾聴に値すると思う。
 また、第二部においては「昭和史発掘」シリーズに収められなかった二作品が掲載されているが、松本清張自身がシリーズから除外したという。これは松本清張が正しい選択をしたと思えるほど「昭和史発掘」シリーズの中では浮いてしまうか、もしくは流れの障害になる昭和史のゴシップ的内容と思う。特に「お鯉」事件は松本清張自身も迷いながら話を進めているという印象を受けた。
 しかしながら、この目論見すらあやふやな一冊において、きりりと締めてくれたのが有馬学氏の解説である。読まれた方の個々の意見はあると思うが、氏の解説があったことで、この一冊ほど救われたものはないのではないだろうか。

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紙の本海戦からみた日清戦争

2011/05/19 08:45

海戦を比較対照できるデータが欲しい。

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 前作、『海戦からみた日露戦争』の姉妹編とも言うべき内容。日露戦争での日本海海戦での完全勝利の印象があるために日清戦争は軽視されがちだが、近代的な海軍創設過程として日清戦争を見てみると興味は尽きない。
 しかし、「海戦からみた」と題してあるように、海戦に限って解説がなされていればよかったのだろうが、日清間の対立構造の歴史にも踏み込んだために焦点がずれてしまった感がある。日清間の対立は単純に朝鮮問題だけではなく、諸外国と締結した条約には無いアヘン貿易を容認する項目が日清修好条規だけに存在しており、これが大きな外交問題として横たわっていた。本書では長崎事件に少し触れているが、治外法権を盾に長崎において清国兵がアヘンを吸引したことによる事件も起きている。さらに、日清戦争に至る経緯にはイギリス、ロシアを始めとする欧米列強の権益問題を抜きにしては語れず、日清間だけで外交交渉の経緯を辿ると、日本の帝国主義、侵略主義、軍国主義になってしまう。
 読み手の立場としては、海戦だけにとどめておけば良かったのにと思ってしまう。そのことは、東郷平八郎が責任者として処分したイギリス船籍の「高陞号」事件においてもそうである。著者は外交文書や「アジア歴史資料センター」のインターネット資料を駆使したというが、この事件についての見解は多岐に渡っている。清国側は再三再四の投降勧告に応じるどころかイギリス人船長を人質にして投降を拒否し、さらに清国兵が日本側に射撃をしてきたとの報告もあり、東郷艦長の対応は「武士道」にも劣るとの批判は再検証の必要があると考える。さらに、「高陞号」事件以前から、清国は天津条約違反を犯して兵員を商人や官吏に変装させて駐留を継続していたともいわれ、日本側の対応を批判する記述には調査不足の感を抱いてしまう。
 海戦からみた日清戦争と題しているが、清国の海軍士官はイギリス人、ドイツ人であり、自然、兵器も各国の兵器が混在していたことなど、もうひとつ踏み込んで比較対照しても良かったのではと思える。日清の事情に詳しいアームストロング社の代理人も日本と清国の人的、物的相違について明言しているので、そこも紹介すれば具体的な比較事例として面白かったのではないかと思う。

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紙の本山県有朋 愚直な権力者の生涯

2010/06/30 08:59

政治史の参考資料を得るためのガイドブック。

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 初めに、これほど膨大な資料を読みこんだ結果が新書であるということに驚いてしまう。500ページ弱の新書とは、恐れ入りましたと評価したい。
 山県有朋は明治の元勲たちの中では、極めて不人気である。何をしたという印象は無く、逆に妨害工作事件しか記憶にない。融通無碍なこちこちの陸軍軍人である。
 そのブラックに近いグレーの山県有朋を再評価しようと試みたのが本書になる。慎重、優しい、愚直と誉め言葉が並んでいるので、仮に山県が生きているならば著者は金鵄勲章でもいただけるのではと思えるほど。とりわけ、一次資料に拘って著者は執筆をされており、それは評価しなければならない。しかしながら、一次資料とはいいながら、山県有朋の評伝や取り巻きとの往復書簡だけでは、果たして全体像はつかみきれるのだろうかと懸念する。
 山県有朋は椿山荘に代表されるように、邸宅、別荘に拘りをみせている。軍人でありながら文人趣味の発露といえばそれまでだが、その建設資金はどこから捻出したのか、はなはだ疑問である。本書では先輩、同輩、後輩に気を遣う人物として描かれているが、かつての奇兵隊時代の先輩が山県邸に土足で乗り込んできたことがある。豪華な邸を設け、先輩の高杉、久坂を呼び捨てにしていることに我慢ならず、「これが、お前の維新か」と罵られ、山県の妻女などは下駄で顔を蹴られるほどだったという。
 憲政の神様と称される人物に犬養毅がいるが、山県は「俺のところに挨拶に来ないのは犬養と頭山(満)だけだ」と公言して憚らなかった。ということは、山県は全ての軍人、官僚、在野の勢力をも支配におかなければ気が済まない権力亡者であったことがこれで知れる。
 一次資料に拘ってとあるが、在野勢力の杉山茂丸(作家夢野久作の父)とはどのような関係であったのか、それらが欠如しているために面白味に欠ける内容となっている。
 ただ、これほどの作品が残ったので、今一度、明治、大正、昭和に至る政治史の振り返りとしては参考になる。

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閉塞感を打破するには、自身の国の歴史を知る事。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

経済アナリストの藤原直哉氏が説く、権藤成卿の『自治民生理』だが、現今日本において、この藤原氏が説く内容を即座に理解できる人はどれほどいるだろうか。
 まず、日本人が日本の歴史を知らない。それも、よく耳にする「近現代史は、受験前に終わってしまうから・・・」という日本の歴史ではない。古代からの日本の国の成り立ちからの歴史を知らないのだ。ゆえに、この藤原氏の説く日本史がすんなりと頭に入ってくる人の方が少ないと思える。そんな状況で、皇室の女性天皇に反対、賛成という意見の対立が、うわべだけで、根本に達しないのも致し方ない。
 さらに、藤原氏が取り上げた権藤成卿という人物についても、「知っています」と胸を張って答えられる日本人は皆無に等しい。第一、この権藤成卿の出身地である福岡県久留米市においてすら、権藤成卿への関心が薄い。ゆえに、藤原氏が権藤成卿について日本再生運動の基軸にと唱えても、容易に受け入れられないのは確実だ。
日本の歴史を現代の日本人に広めたくない理由としては、日本人が日本人として覚醒し、その行動を起こすことを嫌悪する勢力が存在することを知らなければならない。権藤成卿という人物が、何を成したのかを知れば、現今日本の為政者にとって都合の悪いことが起きることが分かっているからに他ならない。翻って、それは、現在の為政者が「今だけ、金だけ、自分だけ」の政治を行っていることの証明である。
大東亜戦争後、日本は民主主義国家に生まれ変わったと信じている人々は多い。しかしながら、それは、占領支配したアメリカにとって都合の良い民主主義であって、決して日本、日本人の為の民主主義ではない。それが実感できない方は、TPPにおいて、輸入してまで食べる必要のない農産物を押し付けるアメリカに見て取らなければならない。人は、食べなければ生きられない。生きるためには食べなければならない。その人間の生存権に関わる根本である農産物を、金融商品として押し付けているのがアメリカである。この非道徳的な国家に、民主主義などという、庶民の暮らしぶりが安寧にと願う気持ちが皆無であることを見抜かなければならない。
もし、権藤成卿が存命であれば、TPPに対し、断固反対するであろう。それは、日本の主権を侵害し、日本を侵略する行為そのものだからだ。
本書は、藤原氏が権藤成卿の『自治民生理』を基に日本再生を説く一書だが、不明な点は自ら歴史書を紐解いて理解を進めるべきだ。それが、世界でも恵まれた日本人が行う第一歩と考える。長い歴史の中から、自浄努力を重ねてきた日本人の歴史が見えてくることだろう。

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最終的に、誰が真犯人なのだろうか。

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 明治42年(1909)10月26日、伊藤博文は訪問した満洲のハルビンで安重根によって暗殺されたと歴史教科書で教えられた。瀧井一博氏の『伊藤博文』においても「ハルビンの銃声とともに歴史の彼方へと葬られた。」で終わっている。
 しかし、この伊藤博文暗殺事件は全ての真相が解明されたわけではないが、安重根による暗殺事件として処理されている。この事件に興味を持ったのは堀雅昭氏の『杉山茂丸伝』に伊藤が撃たれたときの着衣が山口県立博物館に残っているとあったからだ。そこには銃弾が炸裂し、血に染まったシャツの写真までもが添えられているが、伊藤博文は右後方、それも上方から撃たれたとある。安重根は水平、もしくは下から伊藤を狙ったといわれる。証拠物件と現場の状況とが一致しないのである。このことから、犯人は別にもいて、安重根は事件に関わった複数犯の一人でしかないことがわかる。
 まず、この事件では伊藤博文だけが被害者と思いこんでしまうが、伊藤の随行員としてハルビンを訪れた日本人も負傷している。総計13発の弾痕が物的証拠として確認されているが、安重根が放ったのは5発とも6発であるともいわれている。弾痕の場所、数からして複数犯による犯行ということが素人にも理解できるが、なぜ、安重根による単独犯行として今日まで伝えられてきたのだろうか。
 その事件の疑問点を解明する一冊だが、全体を読み通してみて、読みづらかった。それは、「この点については後述する」や「これは次章で詳述する」という事実の後出しを仄めかす言葉が幾度も幾度も出てくるからだ。さらに、膨大な資料を読んだことから大局的な流れを外し、資料の解説が続くために事件の流れが分からなくなるからである。
 この事件の背景を読み説くには幕末から明治という時代、清国における満洲族と漢民族の対立、朝鮮の身分制度、日清、日露の戦争勃発に至る背景、孫文の辛亥革命、欧米のアジア侵略、特にアメリカのアジア侵略が重要になってくるが、このことをも踏まえておかなければ理解はできない。
 児玉源太郎、後藤新平、玄洋社、黒龍会、明石元二郎、西郷隆盛に批判的な叙述が垣間見えるが、その内容を見ていくと資料を読みこまず、予断でストーリーを展開していったことがわかる。
 この伊藤博文暗殺事件を読みながら、ケネディ大統領が暗殺された事件を思い出した。あの事件も犯人は捕まったものの、真相については諸説が流れた。「死の商人」といわれる軍産複合体による暗殺説が囁かれたが、ふと、伊藤博文暗殺事件も「死の商人」が引き金を引いたのではと想像した。伊藤はロシアを巻き込んでの極東経済ブロック構築を考えていたといわれるが、このことは欧米の経済ブロックと対立することになる。日露の間に再び紛争が起きれば、誰がほくそ笑むのか。
 この事件、多角的に、多面的に見ていくと意外な事実に出くわすので面白いが、真犯人はわからずじまいだろう。

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未来の日韓関係を構築するために。

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 江戸時代、日朝関係の外交を取り仕切った対馬藩の雨森芳洲を中心としての話である。現在、日韓関係においては竹島の領有問題が存在するが、この問題は日本の敗戦後に起きたものではなく江戸時代からのものである。それ以前に豊臣秀吉が朝鮮を通過しての明国への侵攻での問題も横たわっており、対馬の宗氏は捕虜送還を繰り返しながら日朝の国交回復を試み、成功する。以来、日朝間易の外交窓口は対馬の宗氏が独占することになり、それは有る意味、日朝貿易の独占に繋がるのだが、鎖国体制の中、貿易が膨大な利益を対馬藩に与えていたことにもなる。
 その対馬藩に外交官として仕官を求められた雨森芳洲の活躍を描くが、この外交関係については現代に至るも隣国でありながら、大きな溝が横たわっている。それは、韓国側が主張するところの植民地支配であるが、その大きな要因は文化摩擦である。欧米文化や経済面での日本の考え、中華思想における韓国の考えの相違でもある。
 日本人は顔かたちが同じということから韓国とは話せば理解できる、してもらえるという発想をするが、やはり、言語も文化も風習も異なる外国である。相互の理解が深まらなければ、進展はない。
著者はいろいろと書きたいことが多かったようで、雨森芳洲を中心としながらも視点が多方面に向いている。ために物語に一貫性を感じない。
 ただ、未来に向けての日韓関係を構築することを考えるならば、ひとつの入り口として読んでおいても損はないという印象を得た。

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歴史の教科書を読み返しているかのよう。

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

幕末から明治の内閣制度、議会制度の成立までを描いたものだが、暗記主体の歴史教科書のおさらいをしているかの如くで、読みものとしての面白みはない。
せっかく、ペリー来航から幕末史が始まったというのならば、明治時代、左右に揺り動かされた政府の動向と諸外国との関係、影響を加味して説いて欲しかった。多くの資料が用いられているにも関わらず、「なぜ」という疑問に応えうるだけの内容になっていないのが残念。
ロシアの南下政策、欧米諸国の帝国主義のせめぎ合いによってアジア(ここにおいては日本、清国、朝鮮)がいかに翻弄されたかが説かれておらず、日本政府の領土的野心という視点だけで描かれているので、辻妻の合わない内容になっている。
時系列、事象列としての参考資料として使えば良いと思うが、この時代の政治史は日本国内から見るだけではなく、諸外国との影響によってどのように変化していったのかが述べられなければ、理解しにくい。
ペリー来航という外圧から本書の解説は始まったが、その着想が全体に生かしきれていない。

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