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あまでうすさんのレビュー一覧

投稿者:あまでうす

390 件中 16 件~ 30 件を表示

紙の本小説作法ABC

2009/05/02 17:17

もしかすると本書を読んで作家になる人が出てくるかもしれない

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



島田雅彦著「小説作法ABC」を読んで


法政大学における著者の講義を録音・加筆・編集して誕生したのが本書だそうです。じつは私は、最初こいつは世間によくある中身の薄い即席マニュアル本か、とたかをくくって読みはじめたのですが、最後の「私が小説を書く理由」のところに差し掛かると、珍しくもきちんと正座して「島田よくも書いたり!」と感嘆しながら拝読させていただいた次第です。

読み終えての感想は、これは最近新聞連載が終わった彼の大作「徒然王子」に勝るとも劣らぬ本気の作品ではなかろうか、ということでした。この本は、これまで作家が営々と蓄積してきた豊かな経験と該博な知識と教養、そして知情意のすべてを投入した見事な現代文学論であり、著者は、「風変わりな人生論」という側面をあわせ持つ本格的な小説制作の技術書兼プロ作家養成用の教科書を堂々と完成させたのです。

「小説家は死ぬまでおのが脳と肉体を実験台にして、愚行を重ね、本能や感情や論理の分析を行うアスリートである」と語る著者は、本書を全国の大学、高校、カルチャーセンターなどでテキストにしてほしいと「あとがき」で書いていますが、谷崎潤一郎の「春琴抄」の恐怖の失明シーンをはじめ、随所に続々登場する古今東西の文芸作品の引用文を味読するだけでも十分に私たちの文学趣味を満足させてくれる内容をもっています。

著者はまず第一講でいきなり文学を、神話、叙事詩、ロマンス、小説、百科全書的作品、風刺、告白の七種類に分類し、それらの代表選手としてそれぞれ「スターウオーズ」、「家なき子」、「ドラクエ」、「ドン・キホーテ」、「白鯨」、「ガリヴァ旅行記」「私小説」を挙げて私たちに軽いジャブを浴びせます。

それからおもむろに第二講で「小説の構成法」を論じ、以下「小説でなにを書くのか」「語り手の設定」「対話の技法」「小説におけるトポロジー」「描写/速度/比喩」「小説内を流れる時間」「日本語で書くということ」「創作意欲が由来するところ」までの全一〇講をよどみなく語り来たり、語り去るのです。

私はこれまで文学や小説作法を学校で教えることなど到底不可能だと決めてかかっていたのですが、もしかすると本書を読んで作家になる人が出てくるかもしれない、と思うようになりました。

そして最後の最後に著者が、
「作家は(村上春樹のように)幸福の追及に向かうか、(笙野頼子のように)夢の荒唐無稽と向き合うか、それが問題です。前者は妥協の反復を、後者は戦いの反復を強いられます」と述べ、
「しかし優れた作家たちは果敢に夢の荒唐無稽に向き合い、自分を縛る象徴システムを壊すような作品を書き続けるでしょう。その覚悟ができたら、果敢に自分の無意識の底まで下りていきましょう。そして、おのが欲望、本能を解放するのです」
と、自分自身を激しくアジテーションするとき、私は久しぶりに文学者の真骨頂に接したという熱い充足感を覚え、叶うことなら著者と共に私たちの文学の未来を信じたいと思ったことでした。

余談ながら、かつて私はたった一回だけですが、著者に仕事でインタビューしたことがあります。そのとき彼は、私が最初の質問を発する前にビールを注文し、そいつをいかにもうまそうに喉を鳴らしてごくりと一口飲んでから、「すみません、いつもインタビューを受けるときは必ずビールを飲むことにしているんです」と言いましたので、私はボードレールの「巴里の憂欝」の中に出てくるあの有名な詩を思い出しました。

『君はつねに酔っていなければならぬ。それが君のゆいいつの大事な問題だ。酔い給え。酒に、詩に、美徳に、その他何にでも。時の重さにくたばらないために……。』(拙訳)

島田雅彦は、その人生の重大事をよく心得えつつ、最長不倒距離を目指して疾駆しているあの指揮者ロリン・マゼールを想起させる超クレバーな作家と言えるでしょう。そのクレバーさが彼の芸術のゆいいつの欠点であるとはいえ。


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切れば血の出る生身の人間史

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



これは1930年から55年にいたる4半世紀をひとつのパッケージとしていろいろな角度から観察した日本(およびアジア太平洋)の歴史です。普通の通史ですと1945年8月15日の敗戦を大きな区切りにしてその前後の断絶に強い光を当て、総力戦から帝国崩壊と一億総ざんげ、ファシズムから民主主義、抑圧の解放から自由、旧弊から改革進歩への躍進、軍国主義の蹉跌から経済成長への道行を論ずることが多いのですが、本書は必ずしもそうではありません。

ここに戦前戦後を貫く一本の電線のようなものを思い浮かべてみると、芯の部分には昔から変わらない人々の生活と生存の固有の様式があり、この中核部分を政治経済社会システムが皮膜のように十重二十重にひしと取り巻いています。そして芯と皮膜の間にはたえず激烈な相互運動が激烈に展開されていますが、著者はこの両者のインターフェースに徹底的にこだわって、双方の交渉と角逐の渦中を生きる人間像をできるだけ具体的に記述しようと努力しています。つまり歴史→人間ではなく、歴史→←人間ということですね。

そこで本書の冒頭に登場するのはこのアジア太平洋戦争と敗戦後の25年間を懸命に生き抜いた15人の日本(およびアジア)人の肉声です。あの戦争と激動の時代を生き抜いた人々の貴重な証言がこの本に精彩を加え、歴史書としての価値を高めているのではないでしょうか。いわばドキュメンタリーの魅力と迫力を兼ね備えた異色の現代史といってもいいでしょう。 

広田弘毅内閣が国策として主導した満州移民に対して現地視察を行った結果、五族協和の実態を知って分村移民に反対した村長がいたこと、その満州事変に反対した「東洋経済新報」の石橋湛山が上海事変では一転して日本軍を支持したこと、「死線を越えて」の著者でありキリスト教の社会活動家として著名な賀川豊彦が甘粕に招待されて満州に行き、武装移民を理想的と賞賛し、ついには「満州基督教開拓村」を提案、実行したこと、日本帝国の植民地では日本人と朝鮮人、現地人の間で2重3重の差別があったこと、南京虐殺など中国の戦争の実態を写した村瀬守保、戦後の日本の真実を写したジョー・オダネルの素晴らしい作品、戦争の悲惨さを鮮烈に詠んだ鶴彬の川柳、東条英機の「戦陣訓」の犯罪性、東京大空襲の先鞭をつけた日本軍の「重慶無差別空爆」、日本軍の大陸からの強制連行、1945年2月14日の「近衛講和上奏文」の重要性と昭和天皇の積極的な戦争参画(同年6月22日の最高戦争指導会議の主導、47年5月6日のマッカーサーとの会談)、戦後日本への歴史の贈り物としての日本国憲法と教育基本法などディテールの記述も興味深いものがあります。

時代を大きくえぐり取ることを義務づけられた通史でありながら、硬直した理論に振舞わされず、切れば血の出る生身の人間史としてなんとか55年体制の確立のくだりまで完走できたのは著者の並々ならぬ意欲と力量の賜物でしょう。

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紙の本持ち重りする薔薇の花

2011/11/25 11:29

おもしろうて、やがて哀しき大人の物語

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



博学才知の文学者がものした最新作を、その思わせぶりな題名に誘われて読んでみましたら、なんのことはない私の好きなクラシック音楽の世界の話で、しかも東京カルテットに似たさる弦楽四重奏団の内幕、四人のメンバーの離合集散や栄光と悲惨を、面白おかしく大人の物語に仕立て上げました。

四人併せて一つの楽器と称されるカルテットを続けていくことは難しい。それは四人で薔薇の花束を上手に持つようなものだ、という苦労話が微に入り細を穿って延々と続きます。

しかしこの物語の語り手は、その名も「ブルー・フジカルテット」という世界的な弦楽四重奏団の名付け親であり後見人でもある財界の超大物で、彼が残り少ない生涯の思い出と抱き合わせに、このカルテットの誕生と栄枯盛衰の裏話を死後発表を条件に包み隠さず知己の編集者に物語る、というスタイルが、この表向きはポップなフィクションに微妙な陰影を与えているのです。

古典音楽に対する著者のうんちくや英仏独羅とりまぜた鼻もちならない弦楽ならぬ衒学趣味や、男と女の色恋沙汰やポルノまがいの下世話な人情噺も遠慮なく飛び出しますが、最後の最後はさすがに老成し達観した文化勲章受章者らしく、おもしろうて、やがて哀しき人世と芸術への感慨がふと漏れ出てくる。かのヴェルデイの最高傑作「ファルスタッフ」を見聞きした後に似た読後感でした。

惜しむらくは小説の中で著者がいくらボッケリーニやハイドンやモーツアルトについて語っても、吉田秀和氏のエッセイとは違って、肝心の音楽がちっとも聞こえても来ないことでしょうか。



音楽について語って音楽が聞こえてこない論者の至らなさ 蝶人

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未来音楽の第一歩を、この天才は半世紀前に実践していた

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



グールドといえばバッハのゴルトベルク変奏曲だが、彼を世界的に有名にした1955年の録音は我が国でも吉田秀和氏のみのすぐれた聴力によって正しく評価されたわけだが、その前年の録音ではグールドはまったく別の解釈で同曲を演奏している。

前者ではご存知のようにスタッカートの鋭い刻みが強調された快速で疾走する即物的な演奏が旧態依然たるバッハ像を刷新したのだが、後者ではもっとテンポを落として自然に旋律を歌い込んでおり、いきなりこれを聞かされてグールドと言い当てる人はいないだろう。そして1981年の彼の最後の録音ではこれがもっと遅くなりほとんどロマンチックな演奏へと変身している。

1957年にカラヤン・ベルリンフィルとライブ演奏したベートーヴェンのピアノ協奏曲3番と、その2年後にバーンスタインとスタジオ録音した同曲とを聴き比べてもずいぶん違うし、1964年に完全にコンサートをドロップアウトする前とその後のグールドの演奏はもちろん全然違う。

ではいったいどの演奏が本当のグールドなのだろうか?

彼のありとあらゆる演奏、特に未発表のそれを丹念に聴きながらその正体を探り出そうとする著者の追及の手は、同業のピアニストらしく繊細にして苛烈であり、読者の関心を引きつけてやむことがない。

例えば後期ロマン派の音楽、とりわけシュトラウスを好み、若き日にはショパンを鮮やかに弾きこなしたグールドだったが、強大なフォルテを叩きだすべき右手の小指の肉が薄いうえに、彼の恩師ゲレーロが教えた「指先だけで弾く奏法」が仇となって、巨大なコンサートホールでリストやブラームス、チャイコフスキーなどのロマン派の大曲から遠ざかったと著者はいう。

身体の負荷のかからないバッハなどの演奏を、彼の大好きなロマンチックな解釈をあえて禁じて時流に先駆けた超クールでドライな高速ノンレガート奏法を採用したのは彼の音楽家としての戦略であり、この肉を切らせて骨を断つ捨て身の戦法が、「録音音楽家」としてのグールドのユニークな生き方をかろうじて成立させたのだろう。

無数の制約にがんじがらめにされ、その場限りで消えていくコンサート演奏ではなく、スタジオで録音した音楽をハイテクを駆使して独力で自由自在に編集・創造していく未来音楽の第一歩を、この天才は半世紀前に実践していたのだった。

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紙の本車谷長吉全集 第1巻

2010/10/12 14:27

月下美人のような妖しい芸術の花

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



この巻では処女作「なんまんだあ絵」から平成年の「大庄屋のお姫さま」に至るまでの短編と中編をことごとく読むことができ、車谷長吉という不世出の作家の労作を読む楽しさというものを満喫させてくれます。

長編の代表作は「赤目四十八瀧心中未遂」と相場が決まっていて、それ以降の作品が生彩を欠くのに対して、短編と中編は予想に反して、近作ほど文学的価値がいや増していることに驚かされました。

著者が料理屋の下働きをしているときに知り合った青山さんの、恐るべき殺人の秘密を書きつづった「漂流物」や、著者の母親の人生観を赤裸々に描破しつくした「抜髪」における、さながら宮本常一の「土佐源氏」を思わせる一人騙りの名人芸は、2005年の「深川大工町」や、2006年の「大庄屋のお姫さま」において、一層豊かな広がりを見せながら、あらたな果実を収穫しているといえましょう。

「萬蔵の場合」「児玉まで」「神の花嫁」「忌中」「密告」における卓抜なストーリーテリングは、2005年の「阿呆物語」において、まるでシェークスピアの「ウインザーの陽気な女房たち」を思わせる極上の喜劇小説に結晶しています。

1992年の「鹽壺の匙」以来、長く苦しい創造の道を歩んできた車谷長吉は、ここに至って虚実皮膜の薄明の闇に誕生する月下美人のような妖しい芸術の花を、次々に咲かせようとしているようです。

虚心坦懐に本書を通読すれば、著者を指して平成のマンネリ私小説作家であるとする謬見なぞは、木端微塵に粉砕されることでしょう。

しかし作品を評するということのなんと軽薄にして残酷な営意であることか。作家が何十年も魂魄を禊ぎ、生身を削って彫琢した膨大な文字群をたった数日で速読して偉そうに断じるのですから。


       今宵咲く月下美人の彼方かな 茫洋

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光太夫や彦蔵その人になりきって彼らの足跡を舐めるような圧倒的なリアリズムで描破

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。


この巻に収められたのは「大黒屋光太夫」と「アメリカ彦蔵」の2つの作品で、いずれも江戸時代に海難事故で遭難した水夫の波乱万丈の生涯の物語です。

天明2年1782年、伊勢国白子浦を15名の仲間とともに江戸に向かった沖船頭大黒屋光太夫は遠州灘で時化にあいます。刎ね荷を行い帆柱を切り倒して坊主船となった神昌丸はアリューシャン列島のアムチトカ島に漂着し、そこでロシア人ニビジモフに救われた光太夫は極寒さと病気で13名の仲間を失いながらカムチャッカオホーツク、ヤクーツクを経てイルクーツクに到着。ロシア当局者の好意と援助に支えられながらペテルブルグに赴きエカテリナ女帝に拝謁し、女帝の命でラクスマンとともに12年ぶりに故国の土を踏みます。
 
いっぽう「アメリカ彦蔵」の主人公彦太郎は、播磨国加古郡播磨町の水夫でしたが、嘉永年1850年に浦賀沖から大坂に向かう永力丸に13歳の若さで乗って熊野沖で遭難、太平洋を漂流するうちに米船に救助されてサンフランシスコに到着。やはりこの国でも多くの人々の温かい援助を受けて、リンカーンなど3人の大統領と面会するなど、この国の言語習慣文化になじみ、ついに米国籍を得て安政6年に帰国しました。

いずれも身分の低い一介の漁夫にすぎない者が、偶然とはいえロシア、アメリカという先進国の文明の余沢を受けて世界の最新情報に通じ、語学を生かして生計の道を得たのみならず当時のエリート階級に接近してあざやかに一種のコスモポリタンとして成り上がるさまを、著者は例によって膨大な文献を駆使し、光太夫や彦蔵その人になりきって彼らの足跡を舐めるような圧倒的なリアリズムで描破しています。

ギリシア正教の洗礼を受けなかったために帰国できた光太夫と、カトリック受洗者でありアメリカ国籍取得者であったにもかかわらず入国を許されたジョセフ・ヒコ。
まるで一身にして二生を経るような異邦体験を経た日本人でありながら、故里では浦島太郎のような味気ない思いを懐いた二人。

かつて世界の輝かしい頂点を見た二人の晩年には、コスモポリタン特有の三界に身の置き所がない根なし草のどこか虚ろなものがあったようです。



♪エカテリナの抱擁リンカンの分厚い掌漁夫の見し夢のまた夢 茫洋

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川路聖謨の見事な死にざまを見よ!

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



岩波書店から刊行されているシリーズの第4巻には「落日の宴」「黒船」「洋船建造」「敵討」の長短4つの作品が収められており、幕末のペリー来日の頃の幕吏の精力的な活動ぶりをつぶさに追体験することができます。


嘉永6年1853年6月、ペルリ提督率いる4隻のアメリカ艦隊が浦賀に来航し、彼らが去って間もなくプチャーチン率いるロシア艦隊が長崎に入港し開港や通商を要求しました。
著者は、前者を題材とした「黒船」では小通詞堀達之助、後者を扱った「落日の宴」では交渉役を務めた川路聖謨(かわじとしあきら)を主人公として、この史上未曽有の国難に当時の幕閣がいかに誠実に、持てる全知全能をあげて対応したかを精細に描破しています。

「黒船」では、アメリカ艦隊の威嚇的な態度と、これに終始振り回される老中阿部伊勢守正弘をはじめ徳川幕府の指導者たちの態度が対照的です。
米国が強行し、日本が追認するというパターンはこの時に確立され、この恨み重なる屈辱をいっきに晴らさんとして企図されたのがかの太平洋戦争でしたが、一擲乾坤の大博打にまたしても屈辱的な敗北を喫した日本は、依然として大きなコンンプレックスをこの大国に対して懐き続けているようです。

ペルリ側の攻勢に対峙する老中阿部伊勢守正弘などの幕閣の裏舞台も興味津津ですが、それ以上に興味深いのは、小通詞堀達之助の波乱に満ち曲折に富んだ生涯です。
長崎でオランダ語をマスターした堀は、同僚の森山の誹謗中傷によって小伝馬町の牢屋敷に収監され、そこで高野長英と同様にはしなくも牢名主となって安政の大獄で斬に処せられた水戸家の家老や頼三樹三郎、橋本左内、吉田松陰などの悲劇を目の当たりにします。

彼の語学の才を知る古賀謹一郎によってようやく娑婆に出た堀は、英語の達人たちに追いあげながらもその習得に努め、日本人の手になる初めての英和辞書「英和対訳袖珍辞書」を完成させるのです。
ようやく函館で維新を迎えたのもつかの間、われらが主人公は今度は榎本武揚率いる幕府軍から命からがら逃げ回りながらも47歳にして愛する女性と巡り会い再婚するのですが、美人薄命の言葉通り彼女に先立たれ、やがて次第に衰えながら齢72歳で没するのです。時に明治26年でした。

「落日の宴」でロシア艦隊を率いたプチャーチンと互角以上にやりあった川路聖謨は、つとに世界情勢を熟知し、開国の必然を見抜いていた当時最高級の政治家でした。
50歳を過ぎながら三島から天城を越えて下田まで160里を1昼夜で走破した強靭な肉体と精神力、高い教養と高貴な人格は世界中で第1級の人材であると敵であるはずのプチャーチンや秘書官のゴンチャロフ(あの名作「オブローモフ」の作家ですよ!)からも激賞されています。

それにしても伊豆で沈没したロシア艦「ディアナ号」をめぐる政治折衝は猛烈無比なもので、このような重大局面をよくも川路や阿部は切り抜けたものだと感嘆せざるを得ません。
現代の歴史家は彼ら幕末の政治家を薩長の田舎者と対比してとかく優柔不断で肝が据わっていないと低く評価しがちですが、西郷、大久保、桂、岩倉などとサシになれば果たしてどちらの人物が上であったでしょうか。

徳川の世に最後まで忠誠を誓った川路聖謨は、慶応4年3月15日、江戸城が討幕軍の手に落ちるのを潔しとせず齢67歳で自決して果てました。
山田風太郎が評したごとく「徳川武士の最後の花」ともいうべきまことに見事な死にざまでありました。


   腹横一文字にかっさばき晒を巻きてのち喉に短銃打ち込みたり 茫洋

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世界をむしばむ邪悪なものたち

11人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

村上春樹がこの小説で描こうとしたのは、リトル・ピープルによって代表される眼には見えない陰険で邪悪な敵意、世界全体を覆う殺意と反感と無関心、冷酷なニヒリズムと問答無用の暴力の氾濫、狂信と原理主義の愚かさではないでしょうか。

そのために作者は、言葉という小さなチップを丁寧に並べて、壮大なドミノのタペストリーを編みました。言葉という砕片をひとつひとつ積み上げて、目のくらむような高さの虚構の大伽藍を構築しました。ほんの一押しで跡形もなく崩壊してしまう幻影の城を……。

これらは作者のおおぼら吹き、嘘八百の口から出まかせ、すなわち文学上のフィクションとは到底思えず、西欧のゴシック大聖堂に匹敵する精緻さと実在性を獲得するに至っており、作者の企画構想力と文章修飾力の膂力のほどをまざまざと示しています。とりわけ素晴らしいのは「王」と青豆との対決シーンで、その息をのむ展開はドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の「大審問官」の残照すら感じさせる白熱に燦然と輝いています。このくだりはかつてこの作者によって書かれた最良の数ページではないでしょうか。

この作家特有の細部の研磨、それからチェホフの「樺太物語」やそこに棲むギリヤーク人などの逸話に垣間見られる卓抜なユーモアとウイットも相変わらず健在で、私たち読者は、モノガタリの骨太のコンテキストから自由に逸脱して、心楽しい文学散歩を楽しむことが許されています。作者の空想と創造の一大所産であるスケルトンが時々念力不足で空中分解する懸念があることを思えば、本書の最大の魅力はむしろリフィルのディテールの充実にこそあるのかもしれません。

ところで、リトル・ピープルはジョージ・オウエルによって描かれたビッグブラザーを思わせるいわば「悪い存在」ですが、しかし彼らは本当に最後の最後まで悪役を務め、世界市民に害悪を及ぼし続けるのでしょうか。

その答えはイエスでもあればノーでもあるでしょう。なぜならリトル・ピープルとは、実は私たちの魂の奥底に潜む悪魔そのものだからなのです。私たちの内面ではリトル・ピープルとその反対勢力が絶えることなく食うか食われるかの闘争を繰り広げています。そして私たちの「内なる善」が「内なる悪」との戦いに敗北するとき、悪はますます増長して私たちの外部世界に躍り出て、百鬼夜行の大活躍を開始するでしょう。9・11以降その傾向はまさしくパンデミックなものとなりました。

私たちの内部分裂と内部での孤立無援の戦いは、同時に世界の分裂と戦いをもたらします。古くて新しい「万人の万人に対する闘争」の再開です。わが魂の骨肉の敵を私たち自身が退治しない限り、人間界も世界も、いずれは崩壊するのではないだろうか? 村上春樹はそんな焦燥に駆られてこの絶望と希望のメーセージを綴ったのではないでしょうか。

やがて善悪の相克はかろうじて相対化され、宇宙の彼方から聖なる声が朗々と高鳴る日が来るでしょう。「善から悪へ、悪から善へと御身らの輪廻は転生すべし。」
上下2巻1000頁を超えるこの長編小説を繰る中で、私がもっとも感嘆したのは、作者が引用している「平家物語」の「壇ノ浦の合戦」の朗読シーンでしたが、この小説の深部でひそかに唱えられているのは諸行無常の念仏なのかもしれません。
 

万人の万人に対する戦いとく鎮まれと作家は祈る 茫洋

絶対の善や悪は存在せずわれらの輪廻は転生す 茫洋
 

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紙の本デカメロン

2013/02/01 17:48

ボッカッチョとは俺のことかとボッカチヨいい

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

世界的に有名な大作家による大小説を平川祐弘氏の最新訳で読みました。

 これは世に多く流布する滑稽風流夢譚のたぐい、たとえばバルザック選手のそれとは中身が決定的に違います。1348年にイタリアのフィレンツェで大流行したコレラの惨禍を実際に体験し、父親を喪った作者が、その恐ろしさと向き合いつつ、その猛威と命懸けで対抗するために書いた「生き延びるための物語」なのです。

 冒頭にその黒死病の恐ろしさが縷々描写されているのですが、人間も動物も生き物のすべてが猛烈な勢いで死んでいく。2匹の豚がコレラに感染した人のぼろ布をひっぱっただけでその場でコロリと死んでいく場面などは、総毛立つほどの迫力です。

郊外に逃げても死骸がうようよ。死を覚悟したボッカッチョが考えたのは、心頭を滅却して現実からの逃避をはかることでした。目前の地獄を括弧に入れて、ヴァーチャルな地上の楽園で7人の淑女と3人の貴公子が10日間で懸命に面白おかしい100の物語を語り継ぐ。その空前にして絶後の途方もない観念的な試みが、異常なまでに生命力に満ち満ちた面白おかしいコントの数々を生んだのです。

そこではどんな良く出来た艶笑譚も、どんない不出来な冒険譚も、めざすところはただひとつ。今生の思いを決死でものがたり、語り尽くすことを通じて幻想の世界の最高位まで登り尽くし、現実の悲惨そのものを顛倒しようというのです。

ほぼ同時代のフィレンツェを生きたダンテが描いた「神曲」が、机上の空論的な地獄の恐ろしさを描くことによって現世の快楽を遮断することを目指したとするなら、ボッカッチョは、今そこにある現実の地獄を梃子にして空想の世界に大きくはばたき、現世的快楽の極点を究めようとしたに違いありません。


ボッカッチョとは俺のことかとボッカチヨいい 蝶人

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キーンさん、日本人になってくれてありがとう!

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せんだってキーン翁は、晴れて我らが同胞の一員となられた。これについてわたくしは北区西ヶ原の区役所が小さな花束を贈ったことは知っているが、その他からあまり歓迎の声が掛からないのはいかなる仕儀であろうか。

わが国はアメリカなどと違って二重国籍を許さない偏狭な国家なので、すでに老境に達した異国の人が、いかに日本および日本人を愛しているとはいえ、大震災で来日に二の足を踏む外国人や原発被害で南西日本や海外に逃げ出す日本人も多い中、愛する母国アメリカを捨ててまで東洋の島国に骨を埋める決意を固められたことについて少しは思いを致し、江湖の声をひとつにしてその勇気ある決断を称えてもよいのではなかろうか。

さりながらめでたく帰化して「かけがえのない日本人の宝」のとなられたキーン翁から、改めてわが国の古典文学についての話を聞くことは、さしたる愉しみなき境涯の身のわたくしにとって、またとない悦びであった。

本巻では吉田健一の訳した「日本の文学」を皮切りに、篠田一士訳の「日本文学散歩」、大庭みな子訳の「古典の愉しみ」、そして全国各地で日本語で語りかけられた文芸講演、エンサイクロペディア・ブリタニカに掲載されている「日本文学」の英語解説まで、じつに多種多様、バライェティに富む本邦の文学、小説、詩歌、演劇などの論考や随想が載せられているが、執筆年代が少し古いにもかかわらず、いま読んでもどれも新鮮で面白い。

とりわけ「日本文学散歩」出てくる大村由己、細川幽斎、木下長嘯子、宝井其角、平田篤胤、大沼枕山、仮名垣魯文などの諸氏の文芸事績とその作品評価は、彼らについて暗いわたくしには初めて聞くことばかりで勉強になった。

芭蕉の「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」について、「イ音」が多いことに注目し、芭蕉はこれがセミの鳴き声に似ていることを知って意図的に詠んでいると指摘しているのも興趣深いが、ここからその時に鳴いていた蝉が、アブラゼミでもクマゼミでもヒグラシでもミンミンでもなく、ニイニンゼミであることを改めて認定できよう。

NYのメットで「アイーダ」の終幕のリハーサルをしていたトスカニーニが、主役のソプラノに「そんな悲しそうに歌うんじゃない。これは生涯のうちの喜びの瞬間なんだ。喜びをもって歌いなさい」と指示するのを聞いた瞬間、「これこそは近松の心中する主人公たちが考えたことだ」とつい思ってしまうのが、ドナルド・キーンという人なのである。

キーンさん、日本人になってくれてありがとう! 蝶人

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紙の本競売ナンバー49の叫び

2011/09/21 10:04

この奇妙奇天烈荒唐無稽の阿呆馬鹿小説の野放図さ!

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。


佐藤良明の懇切丁寧な翻訳と注解に導かれて、今回はかろうじて最後まで読みおおせたが、いったいこれは何なんだ。

熟れた人妻がサンフランシスコの黄昏をダシール・ハメットの探偵小説の主人公のようにさまよい始めるが、その彷徨はセリーヌの夜の果ての旅路よりも謎めいて不可解だ。

かつて淡く付き合っただけの大物実業家がヒロインに委託しようとした膨大な南加の土地、株、切手コレクション……。その莫大な遺産は、とうとうアメリカ合衆国全体へとふくれあがる。

他方では12世紀以来北イタリアに居住していたタッソ家が16世紀にブリュッセルで開始した郵便事業が次第に欧州全域に拡大し、フランスでの事業完遂を達成するためにかの仏蘭西大革命まで引き起こした!そうなんだが、野心的な一族はアメリカ大陸へも進出しようとして、ここ桑港一体で数多くの国家権力と人民大衆を巻き込んだ一大陰謀が繰り広げられるのであるんであるんであるう……。

どうだ、驚いたか! この奇妙奇天烈荒唐無稽の阿呆馬鹿小説の野放図さに!

しかしこの古今東西にわたる複雑怪奇な世界を、形而上学的超高層から非形而上学的最深部に至るまで小さな大脳前頭葉一個で大精査想像創造し、ちびたトンボ鉛筆ただ一本で書きに書き殴るピンチョンの旺盛な作家根性には脱帽の他ない。

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紙の本車谷長吉全集 第2巻

2010/09/26 19:33

「魂の料理人」は、今日もおのれの臓物を原稿用紙になすりつける

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車谷長吉は独断と偏見の人である。「女性の存在理由は男に向かって股を開くことにしかない」と言いきってはばからない。

車谷長吉はど阿呆の人である。大概の作家や評論家は自分がそうとうの叡智の人であるとうぬぼれているから、それがおのずと文章や人となりに出てきて嫌みであるが、この人には珍しくそれがないから、あれほど突き抜けた文になるのである。

車谷長吉は厭世の人である。生まれながらの蓄膿症の苦しみに耐えながらこの歳まで生き続けるよりも「死んだ方がはるかにまし」であった違いない。しかし「私は自殺しないで生きてきた」。

車谷長吉は捨て身の人である。学歴を捨て、立身出世を捨て、極貧に甘んじて地べたを這いずり、出刃包丁を投げつけられ、渡世人や世間の鼻つまみ者に愛されながら生き延びてきた。

車谷長吉は恥知らずな文学の鬼である。他人のプライバシーを無遠慮に侵害してその所業を社会にぶちまけただけでなく、喰うためにおのれの性的嗜好や腐れ金玉の所業を恥を忍んで書きまくってきた。

車谷長吉は生まれながらの詩人である。これと眼をつけた美女にはストーカーになることも辞さずに万難を排して酬いられない愛を求め、誰にも描けない珠玉のような「恋文絵」(絵入り葉書)を送りつける。

本巻に収められた長編小説のうちで圧倒的な感銘を与えるのは彼の代表作「赤目四十八瀧心中未遂」であるが、彼の自伝的小説である「贋世捨人」の最後の行の肺腑の言に涙しない読者はいないだろう。

車谷長吉は、魂の料理人である。されば今日もおのれの臓物を原稿用紙になすりつけながら、世界も凍る恐るべき秘め事を書き続けているのだろう。


これでもかこれでもかと君は己の臓物を投げつける 茫洋

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全巻中の白眉ここにあり

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「ニコライ遭難」「ポーツマスの旗」「白い航跡」の3冊の本を1巻におさめた最終巻をやっとこさっとこ読了しました。

帝政ロシア最後の皇帝ニコライ2世の皇太子時代の大津事件を扱った「ニコライ遭難」は、当時この暗殺未遂事件がいかに日ロ両国の政治外交関係に大きな衝撃を与えたかについて、手に汗握るような臨場感と事実の積み重ね(例えば長崎で入れた両腕の龍の刺青!)で描き、たとえば富岡多恵子の「湖の南」の視点の定まらぬ凡庸な記述などとは比べ物にならない歴史小説の力量を見せつけています。

日露戦争にかろうじて勝利したあと、国民の重すぎる期待を背負ってロシア全権ウイッテと凄まじい外交戦争を繰り広げた「短躯の巨人」小村寿太郎を主人公とする「ポーツマスの旗」では、当時イソップ物語に出てくるカエルのようなでパンク状態にあった日本という国を、未曾有の苦難から救済すべく粉骨砕身の努力を続けた孤独な外交官への熱い共感がいつもながらの冷静な筆致から隠しようもなくふつふつと湧き起ってくるのが格別の魅力です。

 そして1882年(明治15年)からの4年間に食物を改善して日本海軍の脚気を根絶し、後年のビタミンB欠乏原因説のさきがけの道を切り開いた医学者高木兼寛の孤軍奮闘の生涯を描き尽くした「白い航跡」では、幕末の薩摩でウイルスに医学を学んだあと、英国に留学して経験主義を大事にする現実的な臨床医学のノウハウを身に付けた高木兼寛と、理論主導医学の本場ドイツに留学してコッホ譲りの脚気細菌説を死ぬまで唱え続けた鴎外森林太郎の科学者としての生き方が、するどく対置されて見事です。

いかに文学者として偉大な業績を遺したにせよ、石黒陸軍軍医総監と結託して(結果的に)誤った非科学的な学説に依拠し、日清日ロの大戦で数多くの脚気死亡者を出した責任は、この謹厳実直かつ頑迷牢固な医学者に帰せられるべきでしょう。

 
文学の巨星なれど医学の巨悪人間森林太郎をいかに位置づけるべき 茫洋

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真っ赤な嘘を恐るべき真実に変えてしまう本当の小説

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はじめに言葉がありました。そして言葉を信じる者は言霊を信じ、言霊の幸ふ精神の王国を言葉の力によって創造することを夢見るのです。

著者はこのようにして1984年に住んでいた青豆と天吾を拉致して「1Q84年」に連れ去り、本巻の最後に元の1984年ならぬもう「ひとつの1984年」、つまり新たな「1Q84年」へといったんは帰還させたのでした。

主人公の青豆と天吾だけでなく、ここで著者がつくりだしたのは、現実と非現実が複雑に入り混じるねじれた時間と空間そのものです。3次元だけではなく4次元、5次元、6次元という数多くの時間と空間が複雑に共存し、相互に微妙な影響を及ぼし合う異数の世界を、そこに生き、死に、また甦る人々(それはもはや普通の意味での人間ではありませんが)の喜びと悲しみを、2人の主人公の運命的な恋を主軸として描くことこそが、著者の狙いなのです。

世紀の大恋愛の周囲には、生い立ちの謎や幼年時代のいじめ、不幸な家族の思い出や秘密結社の暗闘、スパイの張り込みや恐喝、殺人、情事や性交や妊娠、古典音楽や文学者・思想家の名セリフの引用などが過不足なくちりばめられていますが、だからといってそのプロットの斬新さと仕掛けの大きさに比べて物語の本質がさほど新しいわけではなく、むしろいささか古色蒼然たるものであるといえばいえるでしょう。

「彼はその手を記憶していた。20年間一度としてその感触を忘れたことはなかった。」

それはともかく、著者が深夜の書斎で徒手空拳で創造した小説の世界のなんという素晴らしい出来栄えでしょう。
よしんばそれらがことごとく荒唐無稽な「見世物の世界」であったとしても、私たちは著者が手品師のように繰り出す、何から何までまったく真実らしいつくりものあれやこれやを、ついつい「本物」と信じ込まされてしまうのですから。
私たちの目には月はひとつしか見えませんが、きっとある人には2つの月が見えているに違いありません。真っ赤な嘘を恐るべき真実に変えてしまう本当の小説とは、まさにこのような作品をいうのでしょう。

しかしながら、この本の終わりでは、もはや夜空に2つの月は輝いてはいません。
愛すべき愚直な探偵牛河は無惨な死を遂げましたが、怪しい新宗教団体「さきがけ」では相変わらず青豆と天吾の間に誕生するであろう子供を彼らの後継者として追い求めていますし、どこか不気味な6人のリトル・ピープルは、新たな「空気さなぎ」の製造にせっせといそしんでいるに違いありません。

この世の悪に対して正義の鉄槌を振り下ろす深窓の婦人とその忠実なしもべ剛腕タマルも、さきがけの元教組の娘で、小説『空気さなぎ』の原作者である「ふかえり」こと深田絵里子の行方も杳として知れません。

その文章が読む者の心をやわらかくときほごし、無条件に楽しませ、退屈で手あかにまみれたこの世界になにがしかの新しい意味を付け加えることによって、閉塞困憊し切った私たちに「読むことによってもういちど生き直すような類の喜び」を与えてくれる点で、まことに貴重な価値を有するこの作家の「果てしなき物語」は、まだ始まったばかりであり、次なるBOOK4の刊行が、せつにせつに待たれるのです。


♪わが胸の奥の奥にも巣食いたる「空気さなぎ」よ何を孕むや 茫洋

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当たり前のことながら、思想は人を殺すのです。

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この巻には「天狗争乱」、「彰義隊」他1篇が含まれていますが、主要な2つの作品についての感想を述べてみたいと思います。


水戸天狗党が尊王攘夷の実行を求めて筑波山に集結したのは明治維新まだあと5年足らずに迫った元治元年3月のことでした。過激な尊王攘夷論者である藤田小四郎が、水戸藩町奉行田丸稲之衛門を大将に仰ぎ、63名の同志とともに決起したのは、京の天皇を尊崇することによって、幕府の権限を強化し、わが国の官民が一丸となって諸外国を打ち払い(攘夷決行)、井伊大老によって開港された横浜を閉鎖することでした。

徳川斉昭が率い、会沢正志斎や小太郎の父藤田東湖を擁する幕末の水戸藩は、この尊王攘夷という思想の淵源の地でしたが、攘夷激派である水戸天狗党は、藩内の門閥派や同じ攘夷の穏健派である鎮派と対抗しながら、この思想を現実の政策として実行するために長州藩や朝廷との共同戦線を夢見ながら武装蜂起したのでした。

激派の武士のみならず神官、農民らも加わっておよそ千名の大勢力に膨れ上がった天狗勢でしたが、公武合体派が牛耳を握っていた当時の幕府執行部の執拗な追跡と徹底的な弾圧をこうむります。そして水戸の門閥派や追討軍と戦いながら故郷水戸からはるばる厳冬の越前までの逃避行を余儀なくされた彼らは、主君である徳川慶喜から無情にも見捨てられ、幕府の敵として人夫をのぞいたほぼ全員が翌慶応元年2月に雪の敦賀で斬首されます。当たり前のことながら、思想は人を殺すのです。

この天下に名高い天狗党の乱の顛末を、著者は例によって感情を押し殺した冷静無比な筆致で淡々と記述します。

しかし、天狗党の暴れん坊田中源蔵の火つけ強盗の落下狼藉、それとはあまりにも対照的な天狗党本体の見事なまでに清廉潔白な行軍ぶり、西南戦争の西郷軍の可愛岳踏破に酷似した蠅帽子峠の強行突破、千尋の谷底へ落下していく馬の悲鳴、降伏した天狗党総大将武田耕雲斎と加賀藩代表永原甚七郎のまるで歌舞伎の千両役者の舞台を思わせる永訣の場面、水戸藩門閥派の巨魁市川の冷酷非情な仕打ち、そして英傑と謳われた徳川慶喜の武士として、人間としてあるまじき卑怯未練な態度、などを黙々と認める作家の心のなかでは、清濁併せ呑む歴史の奔流に無言でのみこまれていった非命の人々、敗残の民への無限の共感と大いなる悲しみが激しく渦巻いていることが感じられるのです。


次は「彰義隊」を読んでの感想です。


徳川幕府に最後まで忠誠を誓い、上野の森に立てこもって薩長の朝廷軍と戦った彰義隊は新撰組と並んで江戸が最期に咲かせたささやかな玉砕の2輪の華でしょう。

しかし著者がこの本で精細に描いているのは、その彰義隊本体ではなくて、彼らの精神的支柱と仰がれ、後に奥羽列藩同盟の盟主に担ぎあげられた寛永寺門主の輪王寺宮の波乱に満ちた生涯の軌跡です。

輪王寺宮は名は能久、法名を公現と称し、弘化4年1847年伏見宮邦家親王の第9子として生まれ、12歳で勅命により輪王寺宮を襲名し、元治元年1864年には親王の位の第1位をさずけられて天台宗の最高責任者として比叡山、東叡山、日光の3山を管領するようになりました。

輪王寺宮は慶応4年1867年1月の戊辰戦争で敗北した一橋慶喜の一命を救助しようとして箱根を下り、朝廷軍の東征大総督であった有栖川宮の慈悲を乞うたのですが、にべもなく拒否されてしまいます。有栖川宮は自分の婚約者であった和宮を奪った徳川家を憎み、その一族である慶喜に味方する輪王寺宮に冷酷に対応したのです。

同じ皇族のよしみを心頼みとし、交渉に楽観的であった輪王寺宮の自負と矜持はむざんに打ち砕かれ、あまつさえ有栖川宮率いる官軍は彰義隊を討伐すると称してなんの断りもなく輪王寺宮が居住する寛永寺を砲撃します。

この時のトラウマが彼の運命を一変させてしまいました。朝廷を代表する一員であり、明治天皇の伯父でありながら、輪王寺宮は有栖川宮への敵意と対抗意識から官軍に反旗を翻し、賊軍である幕府の側に立つのです。

しかし東北雄藩の奮戦むなしく奥羽列藩同盟はあっという間に崩壊し、輪王寺宮はまたしても一敗地にまみれてしまいます。朝廷軍に降伏して京に呼び戻された輪王寺宮は、東征のみならず佐賀の乱や西南戦争の鎮圧にも勲功をあげた有栖川宮に激しいライバル意識をいだき、兄の小松宮の力を借りてドイツに留学して軍事技術を修得し、勃発したばかりの日清戦争に従軍して国恩に報いようと望んだのですが、その切なる願いを握りつぶしたまま宿敵の有栖川宮は61歳で逝去してしまいます。

けれども明治23年5月、ついに宿願が果たされる日が到来しました。兄の小松宮によって近衛師団長に任じられた輪王寺宮は、清国と通じた台湾の不穏な動きを鎮圧することを命じられたのです。かつての朝敵としての汚名をそそごうと勇躍した輪王寺宮は、兵士の先頭に立って清国軍と激戦を繰り広げたのですが、ちょうどその頃台湾で大流行していたマラリアに感染し、同年10月28日48歳で病没しました。

もしかすると明治天皇に代わって天皇になっていたかもしれない一人の男が高僧となり、反乱軍の長となり、天下の朝敵となり、ついには大日本帝国の軍人として異国の地に斃れる。著者はその波乱万丈の生涯と彼を最後まで突き動かした強烈な心的機制を慈愛の目で丁寧に描きつくしています。

♪天皇になるか天下のお尋ね者になるか紙一重 茫洋


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