K・Iさんのレビュー一覧
投稿者:K・I

1Q84 a novel BOOK3 10月−12月
2010/04/22 17:15
『BOOK3』が書かれたことによって……
12人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
村上春樹は賛否の分かれる作家だ。
好きな人は、「ハルキスト」と呼ばれるほど熱狂的だし、
嫌いな人は、大嫌いだ、という人もいる。
あるいは、その中間くらいで、彼の小説を読んでいる人もいるだろう。
しかし、本来的に作家というのは、賛否が分かれるものだと思う。
ヘミングウェイもカーヴァーもジョイスも。
たとえ、ある時代においては、ほとんどすべての読者あるいは批評家が、
賛辞を送っていたとしても、それから数十年、百年後にはすっかり忘れられているかもしれない。
あるいはその逆もある。
戦前、ジョイスはたんなる「前衛作家」の一人としかみなされていなかったという。
それが、戦後、たんに「前衛」にとどまらず、現代において小説を書く人間にとっての、一つの「参照軸」のようになった。
まあ、そんな遠い時代のことを考えるのはやめるとしても、
僕は基本的に村上春樹という作家が好きだし、その小説を評価している。
僕が生きている間に村上春樹ほど「成功」する日本「語」作家はでてこない、と思う。
だから、僕が死ぬまで、村上春樹は僕の中で一つの「里程標」であり続けるだろう。
『1Q84 BOOK3』を読み終わった。
「ネタばれ」になるといけないから、極力ストーリーには触れないが、
この小説は僕が読んできた村上春樹の小説の中でもっとも好きになった小説だ。
今までは、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が一番好きだった。
『ねじまき鳥クロニクル』よりも『海辺のカフカ』よりも『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が好きだった。
もし、『1Q84』が『BOOK2』で終わっていたとしたら、僕の一番好きな村上春樹作品は、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』のままだっただろう。
しかし、『BOOK3』が出たことによって、それは塗り替えられた。
『1Q84 BOOK1』と『BOOK2』では、「天吾」と「青豆」の章がそれぞれ交互に繰り返されていた。しかし、『BOOK3』では、ある第三の人物の章が増えている。つまり、三つの章が交互に繰り返されていくのだ。
それは、小説を書く技量としてはかなりのものを要求される作業だったと想像できる。
まるで『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の「私」が「右脳」と「左脳」を別々に働かせるように、村上春樹は、章ごとに脳を切り替えて執筆したのだろう。
今までの「二つ」から「三つ」へ。
それは、かなりヘヴィーな仕事だったと想像される。
それは、テクニカルな点だが、それを村上春樹は自身に課して、そしてそれを見事に成し遂げたのだ。
はたして、『BOOK4』はあるのか?
あるかもしれないし、ないかもしれない。
僕は『BOOK3』があったことで、『1Q84』という作品が『BOOK2』で終わった場合よりも、「よくなった」と思うが、さらに『BOOK4』が書かれる必要があるかどうかは分からない。
たぶん、今、村上春樹は、作家として一番「脂が乗っている」時期なのだろう、と思う。
60代で「脂が乗っている」というのは「ふつうの」作家よりも時期的に「遅い」気がするが、
それは、彼が肉体を鍛えていることと、あるいは関係があるのかもしれない。
『1Q84 BOOK3』を読んで、僕は『1Q84』という「深い森」に足を踏み入れた。
ただ、アマチュアとはいえ、一応、小説を書いている人間としては、
その影響の大きさを、ある意味では恐れている。
つまり、自分も『1Q84』のような小説を書いてしまうのではないか?ということ。
もしかしたら、今年締め切りの小説の新人賞には、
『1Q84』の影響が色濃く反映された小説が多数、投稿されるかもしれない。
それは避けたい、と僕は思う。
もちろん、『1Q84』はすばらしい「成果」だと思うし、すばらしい日本語小説だ、と思う。
でもそれの「まね」をしては、自分の小説とはいえない。
『1Q84 BOOK3』を読み終わって、三日ほど経っているのだが、
そろそろ、僕は『1Q84』という「深い森」の中から出てこなくてはならないのだ。
個人的に。

神の子どもたちはみな踊る
2011/05/26 07:54
作家の役割
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
『神の子どもたちはみな踊る』には6つの短編が収められていて、
それらはすべて1995年2月に舞台が設定されている。
これは1995年1月の阪神・淡路大震災と3月の「オウム真理教」による地下鉄サリン事件の2つが戦後日本の大きな転換点だと村上が考えるからである。
田中康夫は阪神・淡路大震災後、印税を寄付しなかった(少なくともそう表明しなかった)村上春樹を激しく批判したが、はたして、大きな災害があったときに作家にできることは、お金を送ることだけなのだろうか?
2011年3月の東日本大震災に直接の影響を受けた小説というものは主だったところではまだ見られていない。
しかし、村上のように作家として大災害にフィクションで答えること、それも作家の一つのあり方なのではないか?と思う。
1.地震のニュースばかり見ていた妻が突然家を出て行く話。
2.流木で焚き火をする初老の男と若くない女の心の交流。
3.新興宗教の信者の母をもつ若者の「父親探し」。
4.タイで休暇を取っている女医の体験。
5.かえるくんが東京に大地震をおこそうとしているみみずくんとたたかう話。
6.淳平という短編作家の日常を描く村上春樹唯一の「家族小説」。
読み直して、ここにはたしかに「フィクションの力」があることが分かる。
作家の役割は一義的ではない。
それぞれがそれぞれできることを、
やればいいのだ。

光の指で触れよ
2011/02/04 08:10
旅する文学
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
池澤夏樹『光の指で触れよ』を読んだ。
ある家族の物語。
夫が恋人を作り、それが発覚して、
妻は下の子供をつれて、ヨーロッパに旅立った。
上の子供は高校生で全寮制の学校にいる。
『すばらしい新世界』で語られた家族の数年後が語られる。
僕は『すばらしい新世界』は未読だが、それでも十分に楽しめた。
解説で角田光代さんも言っているが、
たしかに、池澤夏樹の小説を読むということは、
たんに小説を読んでいるというよりも、
池澤夏樹という作家の思索、思想を読んでいるということだと思う。
でもだからといって、物語が平板なわけではなく、
小説としてもおもしろくて。
僕は去年の年末ごろから、
かなり人生の転機を迎えていて、
そんなときにこの小説に出会って、
タイミングとしてピッタリだった。
妻であるアユミがヨーロッパで出会う、
自給自足を目指す共同体的コミュニティー。
そこでの精神性の位置付け。
そういったものが、危機的な状況にある僕自身に、
なんらかの示唆を与えてくれるもののように思えた。
「僕自身が書かれている」と思ったわけではない。
ただ、僕自身に向けても書かれているとは思った。
今まで池澤夏樹作品を読んできたが、一番好きな作品だ。
これからも池澤さんの小説やエッセーを読むのが楽しみ。

チェーホフ集結末のない話
2010/12/16 12:55
すばらしい短編集!
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
『チェーホフ集 結末のない話』を読み終わりました。
この短編集にはチェーホフの初期作品50編がおさめられています。
編訳は、松下裕さん。
僕はチェーホフを松下さんの訳で親しんでいるので、
今回も楽しむことができました。
本の紹介文には、「ブラックユーモア溢れる」とありますが、
俗なブラックユーモアというものがあるわけではなく、
例外的に今の人権感覚からすれば問題にされるような、
女性に対する小説もありますが、
それ以外は、人間の哀切に対するあたたかい目のようなものが、あると思います。
まあ、「あたたかい目」といっても、
すべての人間の行為を肯定するとか、そう単純なことではないんですけどね。
たとえば、表題作になっている、
「結末のない話」なんか、かなり不条理な作品で、
この短編集の中で一番「深い」短編だと思います。
でもそれでも全体として見た感じで、
人間に対する「信頼」のようなものがうかがえる。
もちろん人間の滑稽な場面などは容赦なく風刺しているのですが。
とにかく、僕はチェーホフの小説作法が好きだ、と改めて感じ、
チェーホフの短編を新訳で読めたことに感謝しました。
また、この本の巻末には、松下裕さん訳のチェーホフ本の一覧も載っていて、
親切ですよ。
この本を手にとって、チェーホフにさらに親しんで、
「中期~後期」の作品も読み進んでいくと、
そこにはさらに豊かな小説世界が広がっていることは僕が保証します。
おすすめ。

火山の下
2010/04/29 13:59
マルカム・ラウリーの傑作
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
大江健三郎さんがたびたび言及することによって『火山の下』という作品の存在を知った。
そして、今年、新訳で白水社から出版された。今までは図書館で読むか古書として買うしかなかった。しかし古書の値段はとんでもないことになっていた。
一読しての感想は、「20世紀文学の金字塔」の文句に偽りなしだな、ということだ。
メキシコが舞台。イギリスの「領事」、領事の元妻、イヴォンヌ、領事の弟、ヒュー。この3人が主な登場人物である。
章ごとに「視点人物」が切り替わり、その人物の「視点」から物語が描かれる。しかし完全な一人称ではなく、三人称にその「視点人物」の一人称が組み込まれているという感じである。
1938年の11月2日、という1日を舞台に限定している。それは「解説」がいうとおり、ジョイスの『ユリシーズの』影響をうかがわせる。
「解説」によれば、あるいは、それを読まなくても『火山の下』には豊かな「間テクスト性」がある。言及される文学作品は、『神曲』『聖書』『失楽園』だけでなく、ジョセフ・コンラッド、ジャック・ロンドン、『戦争と平和』など多岐に渡る。
作者ラウリーは「領事」と同じようにアルコール依存症だったようだ。そして、生前形になった作品は、『群青』という自伝的小説と本書『火山の下』のみだったようだ。
この本は値段が若干高め(3150円)だが、それだけのお金を払って読む価値は十二分にある、と思う。この水準の文学が日本に紹介されるというのは、5年にあるかないかだろう。そして、読む人にとっては、10年、20年、いやおそらく、死ぬまで心のどこかに残り続ける作品だろう。
もう一度言う、「20世紀文学の金字塔」のオビ文に偽りなしである。

深読みシェイクスピア
2011/03/19 11:50
「中・上級者向け」シェイクスピア読み本
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
『深読みシェイクスピア』を読んだ。
図書館にリクエストして取り寄せてもらった。
松岡和子さんのシェイクスピア個人全訳はちくま文庫から出ているが、この本は新潮選書である。
ちくま文庫から増補版が出た『快読シェイクスピア』もおもしろい本だったが、この本は戯曲の言葉に深くこだわって読みこんでいった本だった、と思う。
小森収という方が松岡和子さんにインタビューするという形でこの本は進んでいく。
取り上げられている戯曲は多くはないが、それだけ深い「読み」がなされている。
この本は中・上級者向けの「シェイクスピア読み本」かな、と思った。
まずこういった読み本を読むとしたら、新潮文庫から出ている阿刀田高さんのものもいいと思う。
ただ、興味がある人は、戯曲そのものにチャレンジするべきだと思う。
シェイクスピアは古典だが、それほど読みにくいわけではない。訳としては、ちくま文庫の松岡訳か白水社Uブックスの小田島訳がいいのではないだろうか?
いったん読み始めると、その言葉の力というものに、惹かれる人も多くいる、と思う。
そうやって戯曲本体とこういったある種の「解説書」を交互に読んでいくと、少しずつシェイクスピア文学に対する理解が深まっていく、と思う。

夜 新版
2011/03/08 13:32
『夜』を読んで
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
エリ・ヴィーゼル『夜』(みすず書房)を読んだ。非常に重く、だが、重要な本だった。
エリ・ヴィーゼル氏はユダヤ人で住んでいた町からゲットーに移され、さらに強制収容所に移される。そういう現実に体験したことを書いた小説だ。
当時15才の少年だったヴィーゼル氏は強制収容所についた1日目に自分の中で〈神〉が死ぬのを感じる。
それは幼児が焼却炉に投げ込まれているのを見たからだ。
以前はヴィーゼル少年は敬虔なユダヤ教徒だったのに。
僕の周りにユダヤ人の人はいないが、この体験は想像を絶している。そして、それは現実に起こったことなのだ。決して忘れてはいけないことだと思った。
文章は読みやすく、中学生くらいなら読めると思う。
『夜と霧』と並んで読まれるべき本だと思う。

ざらざら
2011/03/07 09:15
川上さんの短編集
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
『ざらざら』(川上弘美、新潮文庫)を読んだ。
川上さんの短編集。
図書館で単行本版を借りることができたが、少しでも川上さんの本の売り上げに貢献できれば、と思い、文庫版を購入した。
初期のころの突拍子もない展開というのはそれほど多くはないが、この人にしか出せない「味」というものが存分に出ている短編集だと思う。
恋愛を描く作家でファンに女性が多い作家という方が多いのかもしれないが、川上さんの描き方は男の僕にもそれほど違和感がない。それは「男/女」というものを越えた「人間」としての「悲哀」のようなものが描かれているからだと思う。また、ときに登場人物のことをいじらしく思ったり。
たしかに今、日本語でこういう小説を書けるのは川上弘美さんしかいない、と思う。作家は作品において、唯一無二であって、初めて作家だと思う。

快読シェイクスピア 増補版
2011/01/11 11:47
とにかく読んでいるだけで楽しい、シェイクスピア作品をめぐる対談!
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
この本は以前新潮文庫から出ていたそうなのですが、
それの「増補版」です。
臨床心理学の河合隼雄さんとちくま文庫で刊行中の「シェイクスピア全集」の訳者、松岡和子さんの対談集。
僕自身ちくま文庫の「シェイクスピア全集」を少しずつ読んでいるので、発見がたくさんありました。
というよりも、お二人の対談を聞いているだけで楽しかった。
(どうしても、読んでいるというよりも、聞いているという感覚になりました)。
それだけシェイクスピア作品の懐が深いのだろうな、と思いました。
実は、「シェイクスピア全集」を今まで出た分を読破するという計画は少しストップしていて、
でもこのタイミングにとてもいいシェイクスピア読本が出たので、
この本をきっかけにまた、読むのを再開しよう、と思いました。
多少、シェイクスピアの戯曲に親しんでいる方が楽しめると思いますが、
そうでなくても、入門という形でこの本から読んでもいいのではないか。
そんな気もしました。
まあ、とにかく、シェイクスピアの残した作品はまだ、充分に人々を魅了する、ということです。

走ることについて語るときに僕の語ること
2010/09/04 16:46
再読してより理解が深まる
8人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
あいかわらずな日々を送っている。
先日は、ある文学賞に随筆を書いて送ったところ。
随筆やエッセイを送るのはこれで2回目になる。
だんだんと視野が広がっている、と自分でも感じる。
小説における自分の本質的な「才能」というものをわかったうえで、
自分の文章を発表する場を求めている。
当然、いろいろなジャンルに「場」を求めることになる。
僕は「アンファン・テリブル」なんかじゃないんだから。
本を買うのも、bk1で買ったり、別のネット書店で買ったり、
あるいはリアルの本屋で買ったり。
まだまだ暑いが、たまにカフェでアイスティーを飲みながら、本を読むことがある。
そういうとき、読むための本を街の本屋でピックアップする。
この『走ることについて語るときに僕の語ること』もそうやってピックアップした。
この本は単行本のバージョンを買って読んだのだが、本棚の整理の時に売ってしまった。
そのときの僕の気持ちを代弁するなら、
「村上春樹の小説とエッセイ、どちらかを選べと言われれば、小説を選ぶ」ということだったと思う。
僕の部屋は6畳くらいの大きさで、そこに、1メートルくらいの高さの本棚が一つあるだけだ。そこにおさまらない本は基本的に売ってしまう。
クローゼットにもほとんどスペースはない。
でもこの本を文庫版で再読してよかった、と思う。
今回僕は最初からは読まなかった。気になる章からばらばらに読んでいった。それでも内容は頭に入ってくるものだ。
この本では村上春樹が「走る」ということを通して「自分」というものを語っている。
もちろん彼は作家だから、小説を書く上での心構えのようなものも書かれている。
そういう点、とても参考になる。
「ああ、村上春樹はこういう風にあのすばらしい小説を書いているのか」と。
僕は街を歩き回ることはするが、運動はほとんどしない。
まして、フル・マラソンやトライアスロンなんて無理。
でも彼の小説作法にはうなずける部分が多々あるし、
一度くらい、彼のように規則正しい生活をして、
「健全な肉体」に宿る「不健全な精神」で、
小説を書いてみたいものだ、と思う。

ねじまき鳥クロニクル 改版 第2部 予言する鳥編
2010/07/14 16:58
「僕」が求めることを決心する「第2部」
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
大江健三郎さんが「再読(リ・リード)」の重要性ということをいっていて、それを本で読んでいて、再読のことはずっと頭にあった。
読む本というのは、買ってきた本、図書館から借りてきた本、そして、読み終わり本棚におさまっている本の三種類がある。
よく考えると、それらを組み合わせながら、ほとんどだいたい毎日、何かしらの本には接している、と自分のここ最近を振り返って思う。
そうしたなかで、ふと、本棚の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が目に入り、「再読してみるか」と思って、再読してみた。
大江さんは再読では「探索」するような読み方ができるといっている。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読んだときは、鮮明に覚えている冒頭の場面。それから、進んでいく「二つの」世界、それらを読みながら、ところどころ覚えているところもあり、あるいは忘れているところもあり、「ここはああなるんだな」「次はこういう展開だな」と思いながら、再読した。
そして、それを読み終わって、次は、『ねじまき鳥クロニクル』を再読することにした。記録を読むと、ちょうど三年前に読んだようだ。
ただ、どちらかといえば僕は『ねじまき鳥クロニクル』の内容を覚えていなかった。だから、「探索」というような意識的な読み方はできなかった。それでもだからこそ逆に初めて読むように新鮮に読めた。
「第2部」は、主人公が井戸に入り、そこから出てきて、加納クレタとの関わり、それから、最終的に、「電話の女」の正体に気づく。笠原メイの「告白」もこの「第2部」だ。
上で僕は「さほど内容を覚えていなかった」と書いたが、部分的には覚えている部分もあった。そして、おそらく、また何年後か、三度読み返すであろう、ということを予感している。
その前に「第3部」を読む。新装版の文庫で読んでいるのだが、文字も大きく、カバーもかっこうよくなり、個人的にはとても気に入っている。

ダブリンの人びと
2012/05/19 09:47
すばらしい短編集
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
ジョイスの短編のお手本のような短編集、
この短編集にはいくつか訳があるが、
このちくま文庫の訳がいちばんおすすめ、
ジョイスというと、
「ユリシーズ」や「フィネガンズウェイク」など
大作に目がいきがちだが、
この短編集は完成度はすばらしい。

天才アラーキー写真ノ愛・情
2011/05/21 09:48
『天才アラーキー 写真ノ愛・情』を読んで
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
最近、体がだるい。
微熱が続いている。
吐き気もする。
そういう日が何日か続いている。
もしかしたら、白血病じゃないのかとすら思ってしまった。
ちょうど、住宅顕信についての本などを読んでいたこともあって。
bk1の送料無料キャンペーンが終わってしまって、
再び手数料がかかることになった。
でも、僕は本を買うときは、bk1を使いたい、と思う。
サイトも使いやすいし、書評も充実している。
気分も落ち込みがちだが、
新聞広告で、新書でアラーキーの本が出ると知って、買ってみた。
写真もかなり入っていて、文章は聞き書き。
写真集を見る、ようでもあるし、アラーキーの発言を聞く、という要素もある。
夫人の陽子さんについて。チロについて。町について。女について。
それぞれの写真とそれを見ての発言。
僕もデジカメを持っているが、たぶん僕は写真家には向いてないのだと思う。
でもそんな「素人写真家」の僕にもアラーキーの写真についての考えは、勇気づけられる部分があった。
文章を一通り読み終わったら、写真集として眺める。
そういう長い付き合いができそうないい本だと思う。
チロが死ぬ直前に目に涙をためている写真なんかを見ると、
本当に、写真がもつ「業」と写真があることの「意義」を感じる。

乳と卵
2010/10/04 12:26
すごい小説
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
10月2日に専修大学で行われた川上未映子さんの講演会に行った。
専修大学は母校なので、ひさしぶりに行って懐かしかった。
町の風景はほとんど何も変わっていなかった。
講演会は2部構成になっていて、
第1部が川上さんの基調講演、第2部が専修大学の文学部の先生2人を交えたシンポジウムという形だった。
川上未映子さんが以前神奈川県の書店でサイン会をしたとき、
僕は行き、詩集にサインをしてもらった。
それから、あれよあれよという間に、芥川賞をとり、『ヘヴン』を刊行していろいろな賞を受賞された。
文学界に載った短編は読んだのだが、彼女の小説はこれまで実はきちんと読んでいなかった。
なぜだろう。
今回講演会に行き、シンポジウムでも『乳と卵』が話題になっていたので、さっそく買って読んでみた。
芥川賞受賞作。
いや、でもこれは本当にすごい小説ですよ。
語り手の「わたし」、姉の巻子、巻子の娘の緑子、その3人が出てくるわけですが、
巻子は豊胸手術を受ける、ということに取りつかれていて、
緑子は言葉を発せず、筆談でやりとりをする。
実はサインしてもらった詩集を読んで、
「ちょっと僕が読みたいものと違うかな」と思ったことが、川上未映子さんの小説をちゃんと読んでこなかった理由でもあったりして。
でも『乳と卵』は詩集で描かれていたモチーフが関西弁の語りによって、
ぐいぐいと読ませて、まあ、これはすごい、すごい、と読み終わった後、呆然。
ちなみに、講演会で川上未映子さんが言っていたのは、
作家にとって、大事なのは「独自の視点」だということです。
川上さんのそのままの言葉ではないのですが、僕はそういうことを彼女は言いたかったのだろうと理解しました。
文体について聞かれたときも、文体よりもまず物の見方そのものだ、というようなことをおっしゃっていました。
とても刺激になるいい講演会でした。
で、で、僕は川上さんの小説をこれからちゃんと読んでおこう、とbk1の「あとで買う」にチェックしておいたのですよ。
これから彼女の書いた小説をちゃんと追っていこう、と思っています。

流刑
2012/02/21 06:41
今読むべき小説
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
パヴェーゼは、気になる作家だ。
岩波から、その仕事を集成したものが出ているが、大部で値段も高い。
ぼくが住んでいる市は図書館にすべて所蔵しているので、
借りて読んだこともあったのだが、
なかなか大きくて重い本というのは、読みづらく、
最後まで読めなかったりした。
大江健三郎さんが「定義集」でとりあげていたから、
パヴェーゼを手に取ったひとも多いと思うが、
このたび、文庫ででることになってとてもめでたい。
(いままでも2作品でていたけど)。
この作品はパヴェーゼが反ファシズムの嫌疑で
実際に流刑になった体験をもとにした小説。
解説にあるように、
パヴェーゼは小説を書く以前から詩をかいていたようで、
文章は詩的だ。
ぼくはなかなか現代日本が生み出す散文小説の文章に
興味をひかれなくなっているのだが、
パヴェーゼの文章は水のようにしみこんでくる。
来月は、短編集がまた文庫ででるそうだ。
とても楽しみ。