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rindajonesさんのレビュー一覧

投稿者:rindajones

56 件中 16 件~ 30 件を表示

儲けるために真に必要なものは何だろう?

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投資で金持ちになる方法は
誰にでも教えることが出来るのか?

言い換えると

投資で儲けるには特別な才能が必要なのか?

これを証明する実験が1980年代、当時既に莫大な富を稼いでいた投資家(トレーダー)二人により企画・実施された。これは賭けでもあった。片や「教えることができる、特別な才能なんて必要ない」、片や「教えることなど出来ない、全ては才能だ」という賭け。

その結果は、実験期間中の被験者(トレードの仕方を教えられて実際にトレードする所謂「生徒」)の運用成績、つまりどれだけ儲かったかで判断するならば、明らかに

教えることができる、特別な才能は必要ない

ということになる。

教えられた内容はトレンドフォローイング(順張り)手法であり、昨今の有料のテクニカル分析講座で教えるものと大差はない(という私が、そんな講座に参加したことも内容を調べたこともないので間違っているかも... スミマセン)。あるいは、この講義内容は想像以上に薄いものだったとも想像できる。

このトレード方法と実験のポイントは

この単純な売買ルールに従って、売買を続けられるか否か

つまり

ルールを信じてトレードを続ける精神を維持できるか

にある。

「猿の投げたダーツにより売買を決定」した運用成績が、一般のファンドマネージャーに勝っていたという実験は有名。しかし、これは「必ず猿が勝つ」ということを意味してはいない。また「全ては運で決まる」ということでもない。「運」は大切な要素だが、それで誰もが成功するほど世の中は甘くはない、残念ながら。

私は、テクニカル分析派でもファンダメンタル分析派でもない。言うなれば「両方のミックス派」でありたいと思うが、ファンダメンタル分析するには時間と情報が足らないのが正直なところ。思うのは、どちらの派であったとしても、自らの売買ルールを貫ける意志と精神力が試されるのはどちらも同じ、ということ。

本書を読む前に、投資家(トレーダー)に関する本を4、5冊ほど手にしたのだが、最後まで読んだのは本書だけ。その中に、一人のタートル(この実験の生徒)の本もあったが、中盤あたりで読むのを止めた。その著者のことも本書では触れられているが、どちらの主張が正しいか否かよりも、私は一人のトレーダー自らの主張よりも、複数のトレーダーを俯瞰して読める本書の方が興味深かった。

更に本書の面白いのは、実験の内容そのものだけではなく、被験者(生徒)や先生(賭けの張本人の二人)のそのものが面白い。人間性や思想や哲学、それらがぶつかり合った時の挙動などリアルに想像できる。そして実験後の彼らである。それこそが本書のミソだと思うし、実験の重要な成果でもある。

どこまでを天性の才能と呼ぶかは分からないし興味はない。しかし、「成功」するための方法の多くは万人に平等に存在すると信じる(各人の成功の定義は除く)。とはいえ、成功するための世界一優れた方法と、それを使って実際に成功するまでには、超えなければならないハードは少なくないと思う。

Easy Come, Easy Go
簡単に手に入れたものは直ぐに消えて行く

ずっと好きな言葉で、ことあるごとに思い出す。

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紙の本アルジャーノンに花束を

2011/06/28 17:26

読み継がれるべき傑作、チャーリーから多くを学びました

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

生まれながらの知的障害である32歳のチャーリーが、「頭が良くなること」を自らが望み、人間では最初の被験者となる手術を受ける。アルジャーノンは既に同実験を施されて天才となった白ネズミ。術後、チャーリーの学ぶスピードは加速度的に増し、ついには実験を施した博士をも遥かに超す知識を獲得する。

本書は1959年に中編SF小説として発表され、1966年に長編小説として改作されました。読後、今から50年も前に書かれたと知って驚きました。英語版の原書で読んだので、私の英語能力では分からない文体の古めかしさはあるのかもしれませんが、私には古さは全く感じなかった。むしろ現代過ぎるぐらいで、中心となるアイデアやストーリーの展開は、最近のハリウッド版ファンタジー映画を想像さえしました。実際、本原作で映画が二本作られたようですが、どちらも観たことはありません。

本書は傑作です、読み継がれて行く本だと思います。今では、ある分野の傑出した頭脳を持つ人の遺伝子が売買されていると聞きます、その成果も出ているようです。本書が執筆された当時、そんな技術が想像できたのかは分かりませんが、「頭を良くする」がテーマということには変わりありません。本書はチャーリーの Progress Report (経過報告書)という形式で、手術前から「最期」までが綴られています。チャーリーが直面する現実は、どんなに技術が進歩しても変わることはないでしょう。

そして、そのチャーリーの報告書は、頭が良くなる手術を受けていない人、頭が良い人の遺伝子を頂いていない人、つまり多くの我々にとっても有益です。チャーリーは知的障害者の未来の為に、実験の進歩へ役立てる為に、或いは実験そのものの否定の為に、そして普通の人々の為に、彼の思いや出来事を赤裸々に綴っています。

退化していく頭脳で、チャーリーの叫びは「本を読みたい、書き続けたい」という希望。それは体験した出来事を「忘れさせない」方法だから。私はそこに「考える」こともあると思います。退化する頭脳でチャーリーはだらだらと長時間TVを観始めます。TVを全否定する訳ではありませんが、TVを観る行為は多分に「受け身」的で「本を読む、文章を書く」ことはその反対。「受け身」な頭は「考えなくてよい」、それは楽で幸せなことかもしれませんが、そこに進歩は期待できません。チャーリーもそのことに気づいたのか、懸命に本を読み、報告書を書き続ける、手術前のチャーリーに戻ったような誤字、脱字だらけの文章だっとしても...。

チャーリーの頭脳は、それが知識を吸収する速さと同じように退化します。知識の吸収の速さと同じようにチャーリーは友達を無くします。頭が良くなるにしたがって、過去の記憶が鮮明になり、手術前の自分自身と向き合うことになるチャーリー。良い頭だけでは解決できないことだらけ...。

「頭が良い」てどういうことだろう?それは人によって様々な解釈があるでしょう。難関校の大学を卒業した人、研究職の人、お医者さん、弁護士さん... などなど。では、そんな「頭が良い人は幸せ」なのだろうか?「頭が良くない人よりは、幸せなのでは?」という反応がありそうですが、果たしてそうでしょうか?「幸せになるには頭が良くならなければならないのか?」こうすると少し怪しくなります(「頭が良い」の定義が無いので本考察は不完全です)。

今回読んだのは原書ですが「ルビ訳」という、一部日本語訳が英文の真下に付いたもの。正直「ルビ訳」が良いとは思えません。というのは、ルビを意識すると読むリズムが狂うからです。ルビを意識しなければ良いのでしょうが、どうしても目がいってしまう時があります。英文より先にルビを読んだ時は、もっとそのリズムは狂います。これは完全に好みの問題で、英文をどういう目的で読んでいるかによっても異なるでしょう。ルビ訳の善し悪しは一概には言うことはできませんが、私は選択しません。

そんな私ですが、本書を買ったのは5, 6年前(1999年第3刷、今と表紙は違ってる)、福岡にいた頃。職と住む場所が変わったのと同時に、英文からすっかり離れていました。なので、英語頭のリハビリということで、このルビ訳を選んだのでしょう。しかし結果、10数ページで読むのを諦めたようです。今回読んで覚えていたのは、若干の冒頭シーンだけ。当時もルビ訳は私には役に立たなかったようです。そもそも当時は、小説、ましてや英文に没頭できる気分でも状況でも無かったのですが...。頭脳が考えることを拒絶、正確には考えることから逃げていました。

ここまでダラダラと書いておきながらも、本書の魅力を書き切れた自信はありません。読んでいる時はもっと深く感銘して、別の考えや気づきもあったように思いますが、それらを上手く表現することができません。これが私の今の能力です、決して満足していませんが、5年前の自分よりは「頭が良くなって」いるのかもしれません。そして、この気分を「幸せ」と表現したいです。

そして、アルジャーノンのお墓に花束を添えて、チャーリーの偉業(著者の作品)を賞賛したい。

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紙の本半島を出よ 上

2011/03/06 00:27

誰かの助けを期待する姿勢では「サバイブ」はできない

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2011年春の出来事、高々484人の北朝鮮の特殊部隊から福岡、そして実質九州を占拠されるというストーリー。

この本の発売頃、私は福岡にいた。そして第一刷から間もなくして購入した、仕事帰りに職場の目の前にあった福岡天神の書店。福岡に住んでいて、福岡が占拠されるストーリーに惹かれた訳ではない。「愛と幻想のファシズム」「5分後の世界」「ヒュウガウィルス」のテイストを求めていた。当時の精神状態で求めていたのは「村上龍的硬派な世界」であったのかもしれない。

没頭して読んだ。先遣隊の北朝鮮コマンド9人の行動や内面にはシンパシーすら感じた、彼らのシンプルな考えに惹かれたのかもしれない。しかし残念ながら、後半にかけては読むのが苦痛になり、珍しく流し読みしてしまい結末の記憶が薄かった。考えてみれば、当時はこんな長編など読める精神状態ではなかったので無理もないかもしれない。

ということで、読むのは今回で二回目。福岡時代のことを笑えるぐらいの状態になった今読む本書は、当時とかなり違った印象を持った。数段面白く、そして興味深く読んだ。練られた構想と多彩な視点が交錯しながらダイナミックに展開するストーリーには脱帽する。「愛と幻想のファシズム」「5分後の世界」「ヒュウガウィルス」という作品群の頂点といえるかもしれない。あとがきを読んで、「昭和歌謡大全集」のテイストもあるのを知って、更に喜んだ。

何故に喜んだかといえば、今回シンパシーを感じたのは前回のように北朝鮮コマンドではなく、イシハラをはじめとする社会に馴染めない、尚且つ社会から排除された連中だったから。彼らは「昭和歌謡大全集」に登場する連中よりはもっと凄い連中。結果的に北朝鮮遠征軍(福岡占領軍)を倒壊させたのは彼らだったが、そのヒーロー的な行為に惹かれた訳ではない。「やれることを迷い(の心)無くやっている」彼らは美しい。シーホークホテルの爆破作業をする「美しい時間」の章は涙すら出そうになる。本来は涙する内容ではないのだが、強烈に彼らに同調していた。

反対に、前章の「通報者」で登場する主婦には、結果的に連中の大半が死んでしまう結果を作ったのだが、彼女の行動には怒りを覚えた。単なるフィクション小説を読んでいるにも関わらず、イシハラ軍団への悲劇を予感して「そんことすんなよなバカぁ~」と言いそうになった。

彼女は一見普通の市民で懸命に生きている、むしろ模範的にさえ思われる市民なのだが、何かがズレている。シングルマザーで子どもに収入に見合わない値段の有機野菜を食べさせる行為は、ある面からは評価されるだろう。自らのキャリアや地位にプライドを持つのも決してオカシイことではない。でも何かがズレている。それが何かを明らかにするのは容易ではないが、イシハラの元に集まる連中の方が「むしろまともじゃないのか?」という視点から考えるとそのズレは際立つ。

とまぁ、いち善良な市民に対するより怒りよりも、九州を封鎖して実質的に隔離した中央政府にこそ向けるべきなのでしょう。彼らの行動は、怒る気力も無くなるほどの愚行。しかもそれが、現実の日本国政府と思わせるほどに異様なリアルさで描かれている。

時として村上龍は近未来を予言すると評されることがある。今回それを感じたのは、小説中の政府の判断が、まだまだ記憶に新しい先日の尖閣諸島の中国漁船衝突事件と重なったこと。ニセ県警本部長の派遣、九州封鎖、大濠公園の銃撃戦など中央政府は何も判断せず、事が失敗に終わると「現場(地方)の独自判断だった」と表明する。中国人船長の釈放を沖縄検察の判断とした内閣官房長官の弁(姿勢)を即座に思い出した。

ついでにマスメディアの描き方も秀逸。もうバカバカしてくて書く気にもならない。万人に分かりやすくすることしか考えない、娯楽性しか考慮しない姿勢で真実が伝えられるはずは無いのです。

本作品は5年以上も前の執筆、しかも部隊は2011年春、まさに今です。本書のようには日本の経済状況も立場も悪化していないのは幸いで、北朝鮮遠征軍が来るとも思えない(今の北朝鮮に、本書ようなオペレーションができる想像力は無い...、ちょっと残念だけど...。)。だとしても本書のリアルさが損なわれることはない。フィクションだけれども、ある意味真実も語られている。このサイトに「愛と幻想のファシズム」の書評を投稿したとき、「サバイバル読本」と題した。誰かの助けを期待する姿勢では「サバイブ」することなどできない、と今回も教わったのであった。

PS
英文訳の村上龍作品を探して何冊か購入したが、私が考える「村上龍的硬派作品」の英訳はされていないのを知ってガッカリ。同じ村上の春樹の方は大概訳されているのにね。思うに、村上春樹の作品は英訳しやすいのでしょう。著者自身は意識しているか分からないが、彼の作品に日本固有のテイストは薄いと思うし、自分の作品を海外の視点で捉えていると思う。村上龍の作品に海外の視点が無いとは思えないし、ちゃんと訳すれば高い評価を受けると思う。その「ちゃんと訳す」が難しいのかもしれない。将来出版されるのを期待したい。

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金融リテラシーと難しく考える前に本書の金融広告の解説を読んでみよう

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

橘玲の著書を先月から続けて数冊読んで、その中に本書の記述があったのがきっかけで手に取った。多くの種類の金融商品の広告を題材に、具体的に良し悪しを評価するもの。大半が「悪」なのだが...。

本書を読めば、「はじめに」の章にある

銀行、証券会社、保険会社などの金融機関を歓楽街にある”風俗産業”と同じような商売のやり方をしていると思っておけば、おおむね正しいイメージでつきあうことができる

という指摘に納得します。

怪しげな金融機関ははなから容易に除外可能だとしても、大いに名の知れた金融機関が「風俗店」だということに、多くの人は気づいていないかもしれない。いわゆる「金融機関神話」は未だに健全だと思う。私自身もそうだった。「そうだった」と言えることが先ずは進歩だと喜びたい。

本書で取り上げられる金融広告は全て架空のものですが、確かに何処かで見たことがあるような内容で、「これどういう意味だろう」と不思議に思いながらも契約してしまった自分を大いに恥じた。しかも、これらの金融商品を購入しても「風俗産業」ほどには楽しくない、という変なオチに苦笑いしてしまう...。もともと「風俗産業」は楽しめない性質なので、もっと始末におえなかったりする...(泣)。

幸いなのはそれらが大きな痛手ではないここと、まだまだリカバリーできる年齢ということ。つくづく本書を読んで良かったと思う。

著者は決して金融機関を闇雲に非難している訳ではない。悪意のある広告は除いたとしても、むしろビジネスとしてその存在を容認している。そしてこのような広告や金融商品が無くなることも夢見ているが、著者のいうようにそれは夢物語でしょう。その原因は金融機関にない。「風俗店」が決して無くならないのと同じ原因です。

ちなにみ、本書の末尾に「この著者の本を読もう!」には、橘玲の名前がある。更には、私も評価している山崎元氏の名前もある。そう考えると、自分の思想やテイストはどこかで首尾一貫しているのだろうと確信した。そして、そのテイストはそれほど誤りではないことに自信も、ちょっとだけだがついた。

ずっと以前の頃、自分の職業選択の時に真っ先に除外した職業が金融機関だった。時はバブル崩壊直後、バブル経済や世の中をずっと嫌悪していた。今ならばその理由は言葉に出来るが、当時は感覚でしかなかった。職業選択に金融機関を除外した理由は、単に「お金のことを考えるのは好きじゃない、ましてや他人のお金などはもってのほかだ」、程度のことだった。むしろ「お金」に関わることから逃げていたのが正確な表現。

今は少し違う。「お金」から逃げられない資本主義経済の世の中を受け入れ、更には世界が以前より見渡せるようになった現在は、「お金」を通して物事を考えるのは色々な意味で有益だと考えられるようになった。「お金が全てではない」という単純過ぎる思想は、実は「後ろ向き」だったと思っている。

No Money No Freedom という言葉は意外と深いのであった。

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紙の本オーディション

2009/11/17 12:54

ラストシーンはリアル

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自分自身が青山と同じ立場になったとき、青山の周囲の人間のように、山崎麻美を拒絶する感覚を持ちえるだろうか分からない。山崎麻美の振る舞いが「理想的過ぎて」怖くなるような気がする。

ラストの主人公の自宅シーンは、さすが村上龍と思わせるリアルで生々しいもの。これを映像化したら単なるホラー映画。個人の想像力で何処までもリアルになり得る、という小説ならではの「味わい方」か?

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紙の本漁港の肉子ちゃん

2011/12/06 17:28

小さいけどキラキラしたコミュニケーションが織りなす物語

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私が涙する物語はこんなテイストです。

特に後半からの展開は、目頭を熱くしながらあっという間に読み終えた。「あとがき」にあるように、漁港の元々のモデルとなったのは宮城県石巻市、本書が書き終わったのは震災の後ということですが、色々な想いがシンクロしながら読むことになりました。

先日読んだ著者の「円卓」より先に、本書がきっかけで著者を知った。「円卓」もムチャクチャ良かったけど、結果的にこの順番で読めて良かったと思う。些細なことだけど、この幸運を喜びました。

「円卓」と同じように、小学生の女の子が語るストーリーは、私の中では完全に「西加奈子節」となっています。大阪弁と東北弁の半々で織りなす台詞で(東北弁のニュアンスは理解できませんが)東北の漁港の情景が活き活きと描かれています。

主人公「キクりん」が女の子から大人へと成長して行く過程が、ストーリーの中心。男の私は体験できない「女の世界」もありながら、しかしそれは普通に「社会の一部」としてどこにでも存在するだろうし、そこでは同学年の女子や男子との関わり、そして大人の男や女、老人との関わりも勿論ある。更には死人も、海やペンギンやヤモリ、等々との関わりもある。小さな漁港といえども、濃厚な「生活」が展開されるのです。

街の「濃厚さ」は、人口の多さでは決して量ることはできません。それは「幸せの尺度」が量れないのと似ているかもしれません。「濃厚さ」の定義も難しいですが、それは「豊かさ」かもしれません。

強烈な個性の「肉子ちゃん」なのですが、その個性はちょっとばかり際立っているだけで、皆(人間以外も)どこか違っていて、皆その違いをぶつかり合いながら生きている。人はそれを「コミュニケーション」と呼ぶのかもしれない。

笑ったり、泣いたり、悔しがったり、羨ましがったり、落ち込んだり、怒ったり、怒鳴ったり、殴り合ったり...。そして、また泣いたり、笑ったり...。そんな「コミュニケーション」の中にあるツブツブしてキラキラした様を本書では堪能できます。

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紙の本円卓

2011/11/25 15:47

ホームドラマ仕立て文学的大衆娯楽

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

あはは、この本オモロイできっと。

と、数ページ読んだだけで直感。予想通り、中盤辺りの数ページは立て続けに大声を出して笑う始末。自宅で読んでいて良かった、これが人ごみだったら脇腹痙攣してもんどりうっていたことでしょう。小説では、村上龍の「69」以来の脇腹痙攣かもしれない。

強引に本書にサブタイトルを付けてみると

ホームドラマ仕立て文学的大衆娯楽

小学3年生の琴子(あだ名「こっこ」)、平凡さに反抗する彼女の望むのは「孤独」だ。「文学」という重厚なエッセンスを「大阪弁」というスパイスを使って、娯楽性の高いアットホーム作品に仕上がっている。涙はないかもしれないけど、笑みで溢れた家族と友情を描いた傑作。

本書は、こんな脚本で「漫画」「(「ちびまる子ちゃん」的な)アニメ」があったような錯覚を抱きながら終止読んだ。けれども、本で味わうこの面白さは、漫画やアニメでは決して味わえない。本書の重要な「空気感」で、軽快に展開する「関西弁(大阪弁か?)」は文字で味わってこその「空気感」が楽しい。アニメ化の際は、是非とも小説のイメージを大きくデフォルメして新脚本で展開して貰いたいものだ。勿論「こっこ」をはじめ、登場人物はそのままに。

本書の魅力は笑える面白さだけではない。私には文学的な教養が多くはないが、本書で「こっこ」や「ぽっさん」、そして「石太」じいさんが展開する文学的思考や行動?は非常に楽しいし興味深い。物事の楽しい、そして大切な捉え方の一つだと思う。

続編が待ち遠しい。

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国家は頼るものではなくお得に利用することを少しは考えてみるのも良いかも

7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は半年ほど前に途中で読むのをやめた、理由は忘れた。内容がつまらなかったのか、他に読みたい本があったからか...。でも今回は前のめりに読んだ。

相変わらずイケテナイように思える著者のタイトルなのですが、本書の内容が分かればこのタイトルも「なるほど」と納得する。このタイトルを微妙なものにしている要因の一つに、「貧乏」という言葉が醸し出す「悲惨さ」「惨めさ」があると思う。言葉の定義上では「貧困」よりもましな状況を指すようですが、決してポジティブな言葉ではありません。

さらに「お金持ち」という言葉も曖昧です。数値でおいくら以上の保有者を「お金持ち」と呼ぶのかという定義は存在しません。明らかに相対的な評価でしかない。「イタリアのバイクを持っている」からといってその人が必ずしも「お金持ち」とは限らない、「お金持ち」と見られる確率が少しばかりは上がるかもしれません、所詮その程度です。

本書の主な内容の解説は書きません。ですが、一点だけ。本書はお金の「稼ぎ方」を指南していません、そして「生き方」のアドバイスを決してこの著者はしません。巷にあふれる、少々おせっかいな「こう生きよう!」的な本ではありません、寧ろその反対かも(笑)。言うなれば

日本国をもっと有効(お得)に利用しよう

ということでしょうか。曖昧で恐縮ですが、ご興味があればご覧になって下さい。

さて、相変わらず著者の取り上げる話題や思考は興味深い。今回もっとも「へぇ〜」的に思ったのは、戦後のアメリカ企業の姿から現代へ至るまでの変化。

欧米人から「組織人、会社人間」と評される日本人ですが、実は1950〜60年代のアメリカ人こそが「組織人」だった。会社は家族であり社員はその子ども、だったそうだ。確かにその当時の映画やTVドラマが描くアメリカにはそんな雰囲気があり、現代のとは明らかに異なる。

そんなアメリカの会社というかビジネスを大きく変えた(脅かした)のは、更に強力な家族型企業である日本企業による製品、そうです Made in Japan の台頭です。電化製品はもとより、アメリカのお家芸的でもあった自動車産業をトヨタやホンダは駆逐していった。このあたりから私の記憶もリアルタイムになり、日本車を大勢のアメリカ人がボコボコに叩いて壊す報道は今でも鮮明に覚えている。これが70〜80年代。

そして「明日は我が身」という感じで、日本製品が駆逐される分野も多くなった昨今です。これはいつ頃から始まった変化なのでしょうか?「バブルの崩壊」からでしょうか?個人的にはデジタル製品、デジタルサービスが台頭してきた頃からだと思っています。つまり、日本企業は完全にデジタル時代のスタートダッシュに遅れました。「アナログ技術」があまりにも得意過ぎたので無理も無いとは思いますが、既得権益にシガミツキ過ぎて変われなかった面もあったのではないでしょうか。

「中国製は...」「韓国製は...」「台湾製は...」と嘆くお方がお使いになる日本製品の部品の大半が、これらアジアの国々で作られている事実はもう珍しくはない。寧ろ、全ての部品が日本製品なものを探すのが難しい。「誰が作っても高品質」という、ある意味において日本が推し進めた「モノヅクリ文化」を体得したアジア諸国が、今の日本企業の最大のライバルという皮肉な現在...。

日本製品に駆逐されたその後のアメリカについては各自の見解にお譲りします。日本が全てにおいてアメリカの後を辿っているとは思いません。しかし、その後のアメリカを知ることは、これからの日本を想像するのに大いに参考になるのは間違いありません。

国家より先に個人があるというのが僕の一貫した主張。なので「国に頼る」ことが先にくることはありません。しかし、本書にある「国家を利用しよう」という考えは面白いし、トライしてみようという知的好奇心もくすぐられた。「頼る」ことが先にくる方たちの行く末は「ボケ」ることなのかもしれません(直接的でスミマセン)。何かに頼りっぱなしの人生なんて僕は嫌だな、その反対の「自由」を限りなく楽しみたいものです。

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この国でサバイブする道具としての経済的独立

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胡散臭いタイトルで、この著者ではなかったら今までは無視してきた。先日読んだ「臆病者のための株入門」で著者のことが分かり、前向きに読んだ。

第一部 不動産は人生にとって本当に必要か?
簡単には「持ち家と賃貸はどっちが得か?」ということ。「家を持つ」という満足度やステータスは抜きに、不動産の値段の決まり方や、不思議な不動産市場の実態を明らかにしながら、緻密で明快な説明に納得する。

第二部 6歳の子どもでも分かる生命保険
6歳の子どもに分かるかどうかは疑問、「保険の理屈は宝くじと同じ」というのは理解できる。自身の保険見直しに役立てよう。

第三部 ニッポン国の運命
年金や医療保険などこの国の健康保険制度の悲劇的、ここまでくれば滑稽な状況に怒る気にもならない。

第四部 自立した自由な人生に向けて
「経済的独立 Financial Independence」を考えます。

どのような人生プランであろうとも、経済的独立に必要な資産は
必要額と運用利回りから導きだせます

つまり、どのくらいお金が必要でどうやって稼ぐかを計画しましょう、ということ。例として、子どもの教育費の現状を浮き彫りにして、子どもを持つことの経済的負荷を明らかにしています。更に、ここに不動産を購入した場合とそうでない場合のシュミレーションもあります。

と、こんな内容。

似たような本は巷に溢れているようだが、この著者の記述は好感が持てる。主張を全面的に受け入れるつもりはないが、事実をデータや文献、それらをシュミレートして結論付ける記述は説得力がある。そして崩壊した制度を非難するだけではなく、その背景を浮き彫りにして、解決策も提示している。例えば、何故に子どもの教育費が高くなっているかの現状は、その辺のニュースや報道TV番組を観ても分からないと思う。

ここで、本書とは外れる疑問が浮かぶ。著者が主張するような、シンプルで分かり易い主張が、政治や報道の場面で明らかになっていないのか?

推測してみる。

政治の場合は既得権益の保護が優先され、当たり前のことが当たり前にできなくなっている。報道の場合は、スポンサーとのシガラミ(国家予算がついているNHKは政治的シガラミか?)。例えば、生命保険の非難なんぞしたら、その手のスポンサーが付くことは無い。

でもね、結局のところ政治家を選んでるのは国民であり、(分かり易い、耳に優しい)報道を鵜呑みにするのも国民なんですよね。高齢者医療のレベルを下げるような政党を、いまや一大勢力の老人たちが指示するとも思えなし、(自分の子どもの幸せだけを願う)「お受験」に熱心な主婦の主張は大抵正当化され、その背後にある教育費用や教育現場の実態からは逃避...。

この国でサバイバルするには「経済的独立」は重要な武器なのだと思う。

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大震災の後の「心の持ち方」

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本書のタイトル同様に重いのは、本書の表紙である震災で破壊された景色。あの時の気持ちが鮮明思い出されて胸が詰まります。

911同時多発テロで世界は変わったと思っています、そして自分自身の何かも変わりました。そしてこの3.11の前と後では、自分が日本人であると強く意識した上での何かが大きく変わりました。それを具体的にここで表すことはできないけれども...。

本書の内容には、そんな私が抱く「心の持ち方」や「生き方」において、共感するところが多い。

内容的にはこれ迄に著者が述べて来たことと変わりはありません。敢えて本書にまとめ直すことに疑問を感じる方もおられるかもしれませんが、このタイトルの元で再度読み返すと、違った思いで読むことができました。つまり震災前後で著者の主張の本質は変わることがなく、更により深い意味を持つようになったと思う。

本書は「日本を襲った二羽のブラックスワン」は始まる。「ブラックスワン」についてここでは説明しませんが簡単には「異常なこと」です(「ブラックスワン理論」で調べることができます)。その鳥の一羽はこの震災、そしてもう一羽は1997年に遡る日本の自殺者数が年間3万人を超えた年。その後もこの3万人という異常な数値は継続中なのです。

本書の主張のように、この震災は日本の様々な疲弊した(そしてイビツになった)制度や社会の仕組みを変える最後の機会だと思う。何に対して「最後」なのかは曖昧にしておきますが、人によっては「国家の破綻」かもしれません。私にとっては「自分がアクティブに生きている間にドラスティックに変われる」という意味において「最後」としておきます。

そして「変わる」のは国家というより私たち自身だと思う。この国の破綻ということが確定的だとするならば「あなたは何をしますか?」に各人が答えなければならないと思う。

私は日本という国が破綻するのも滅亡するのも望んではいません。「国家の前に個人がある」という主張を今以上に強く感じることはありません。その先にしか私にとっての希望はあり得ないからです。

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紙の本遠い山なみの光

2011/05/17 19:53

小津安二郎の映画を観るようです

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本書は翻訳「遠い山なみの光」の原書です。著者は長崎に生まれて5歳から一家でイギリスに渡っています。日本人ですが今はイギリスに帰化しています。

ストーリーは戦後まもない頃の長崎での出来事を中心に、主人公 Etsuko エツコ の視点で描かれています。話としてはとくに浮き沈みもないもので、多分10年前に読んだとしたら今のようには楽しめなかったでしょう。私も色々な経験をして、年齢を重ねてきたということでしょう。

本作は彼が28歳の頃の処女作ですが、登場人物、特に女性の描き方が凄い。女性が多く描かれているのですが、彼女たちの台詞もそうですが、その心情がリアルに描かれています。私はオトコなので多分に誤解しているかもしれませんが、当時(今も大差はないでしょう)の女性が見事に描かれています。

著者が28歳にしてこれを書いたということに驚きます。しかも異国の地にいながら、日本(長崎市内)の情景が見事に描かれています。著者曰く「全くの想像で日本を描いた」そうです。小津安二郎映画のファンだということは、かなり納得するところです。「引いた」「控えめな」「しみ入るような」という小津映画に通じるような魅力があります。

著者を知ったのは全くの偶然で、英語の雑誌で彼の本を薦める記事を読んだことでした。その後、著者の名前を失念してしまっていたのですが、先日NHKの番組で彼の特集(「カズオ・イシグロをさがして」)をたまたま観て名前を思い出した。彼の知名度が海外並みに国内で高いかどうかは分からないですが、多くの方に読んで欲しいと思う。

偉そうに言わせて頂ければ、日本語翻訳ではなく、是非とも原書の英語でお願いします。私は英文の美しさを語れるほど英語力はありませんが、それでも流れるような読みやすい、惹かれる英文だと思います。

他の著作も読みたくなりました。彼は、英文原書から好きになった最初の作者になりました。

PS
現時点で、bk1さんでは原書の取り扱いがないようです。是非、お願いします。

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原節子という女優、そして小津映画の秀逸な分析

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原節子が主演した映画を小津作品の「晩春」「麦秋」「東京物語」を第二部として、その前の主演作を第一部、後を第三部に論じた本。論じたのは原節子でありながら、必然的に小津安二郎映画も論じている。原節子、小津安二郎のことを冷静に分析するとこうなるべきという素晴らしい内容。

俳優や映画の良さを語るのは簡単じゃない。映画に限らず自分の好きなことを、何故に好きなのか分析的伝えるのは意外と難しい。好きなことを冷静に分析しようとしても、往々にして堂々巡りの思考になり、挙げ句の果てには「好きだからしょうがない」「良いものは良い」となってしまう。しかし、本書は原節子、小津安二郎とその映画への愛情を表しながらも、その冷静な分析には驚かされる。

原節子の魅力は相変わらず表現できない私だが、小津映画の魅了はこの本で少しだけ言えるような気がする。それは本書でも頻繁に挙げられる小津安二郎の癖。彼の映画で大いに観られる表現の癖が小津安二郎作品たらしめているという、気づけば当たり前のような事実。よくよく考えれば現実にはあり得ないような台詞や景色も小津作品の中ではしっかりと溶け込んでしまう。

シリアスで決して明るい物語ではない時でも、小津作品にあるのは暗さではなく、人間のユーモアを感じる。これが私が思う小津作品の最大の魅力なのだが、本書のように分析的に書けないのは残念です。でも、それはもっと大人?になってからで良いと思う。

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ゲームだと思います。

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著者は私が好きな数少ない投資アナリスト(と称して良いか分からないが...)の一人。彼のことを知って間もない頃に読んだ本で(書名は失念)、未だに印象深く残っているのがある。

息子(娘)がバイクに乗りたいと言ったとき親として取るべき行動は?

というもので、これを投資にみたてて、リターンを最大にする有効な回答は

ヘルメットを買い与えること

あれ?ちょっとニュアンスは違うかもしれないが、概ねこんな感じだったと思う...。ちなみに、私がバイク好きということを差し引いたとしても、この主張を支持します。

その本はあらゆるものを投資として考えた時に如何に行動すべきか、を様々な事例で検証したもの。このバイクの例だけでは面白さが伝わらないが(それは全て私の解説下手にあるのだが)、この本を読んだだけで、著者の投資や経済に対する思想だけではなく、もっと普遍的な面に大いに共感したのを覚えている。

本書の今回のテーマは「株式投資論」に絞ったもので、やはり彼の考えや意見には大いに同感する面が多い。「新しい」かどうかは分からないが、大多数が支持する理論ではないような気がする。何故だろうか?

株式投資をゲームと断定した上で

株は情報の勝負ではない
頭脳の勝負ではない
金持ちが勝つゲームではない
努力しても上達しない
必要なのはセンスだけ(あと「運」も)

と主張されたら引く人が多いからかもしれない。少なくとも私には、著者が感覚的にこれらを主張しいるとは思えない。著者なりの経験と分析に基づいたものであると思う。要は、これらを受け入れるか否かだと思う。

恐らく本書を読んで失望する人は、これを読んでも直ぐに利益が得られるノウハウが無い ことを挙げるかもしれない。そもそも株式投資でそんな方法論など本になること無く、すなわち誰もが儲かる方法は存在しない(あったとしても既にその方法は使われて有効では無くなっている)というのも彼の主張です。

本書では色々と同感する点は多いのだが、一つ変わった点で興味深いかったのは「行動ファイナンス」の一種かもしれない「ニューロ・ファイナンス」の話。

複数のカードの山からどれが得か損かのカードの山を判断する実験で、平均的な被験者は80枚ぐらいのカードから「この山はヤバイ」と意識し始めるが、皮膚に電極を付けて調べた反応からは20、30枚で既に「ヤバさ」を感じている

というもの。この事例から色々想像できる。
1. 投資判断の誤りは脳が納得した時点で採用した「遅くて悪い」判断に原因がある
2. 各種のチャート分析は大して役に立たないと思うが、が「この」感覚に従う判断材料として今以上に有効に使えるかもしれない
3. この感覚を鍛える「怪しげな」トレーニンググッズが販売される

3は著者も書いておられるが、1,2は私の勝手な想像。「1」なんて「結局は勝ち負けは能力差じゃんかよ~」とするのか、「誰でも平等にもっている磨けるセンス」なのか分かれるところかも知れない。本書で述べられているセンスとは違うかもしれないが、私は後者の「センスを磨く」という方を断然支持したい。

「ニューロ・ファイナンス」まだまだ発展段階のテーマで、当時からどれほどの進歩があったのか分からないが、「行動ファイナンス」と併せて「古典的ファイナス理論」のある面を打ち砕く理論で有り得ると思う。

このニューロ・ファイナスの項を読みながら、先日読んだ橘玲の「亜玖夢博士のマインドサイエンス入門」の脊髄反射のことを、(多分私の脊髄が反応して)瞬時に思い出した。そして「金融広告を読め どれが当たりで、どれがハズレか」には薦める著者にこの山崎元と橘玲が挙げられている。

結局は自分の思想や哲学をもって事に当たらないと(株式投資もしかり)ダメなんじゃないかと思う。「必勝チャート分析法」なんてのに活路を探す姿勢では、その時は既に誰もがその方法を採用して、自分が買ったときには「既に高値」... これがこの株式投資というゲームの一面のようです。そんな時はケインズの「不美人投票」を思い出して行動するのが「合理的へそ曲がり」なのです。

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紙の本最悪

2010/08/11 13:55

人生ってこんなものかもしれない、小さな出来事の繰り返し積み重ね、そこから幸福も生まれ悲劇も生まれる、そしてどことなく可笑しい

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著者の作品は、伊良部シリーズの「空中ブランコ」「イン・ザ・プール」「町長選挙」、そして「マドンナ」を読んだ。全くのフィクションでありながら、奇抜な中にもリアリティのあるストーリーが秀逸、笑いも多い。

本作品はこれまで読んだ作品とは違って、笑いは多くはなく、シリアスで社会派の「群像劇」の大作であると思う。「群像劇」という、互いに関係がない複数の登場人物が次第に出会っていき交錯する様を描くもの。本作品はそれが三名という少ない人数にも面白さのポイントがあるようだ。

彼ら三人は、別段特殊な能力や性格の持ち主ではなく、この社会に少なからず存在する人たち。50歳前の従業員二人の鉄工所の社長、大手都銀の若い窓口OL、パチンコとカツアゲで生計を立てている二十歳のオトコ、この三人である。普通に考えても、交流することはあり得ない三人。

この三人が徐々に「最悪」へ向かう事態に直面しながら、そのピークで出会うのである。

本書は600ページ余りある、著者の今までの作品の中ではかなり長編ではあるが、出張の往復で一気に読んでしまわせるストーリーというか、三人の描写は上手い。次第に大きくなる三人の苦悩や逆境には少なからず同情しながらも、興味深く読んでしまう。「最悪」の事態へと、人と人とのちょっとした関係性のもつれが積み重なっていく様は、ワクワクしながら読める。

結末はスカッとするハッピーエンドではないかもしれないが、心に沁みる納得できるもの。現実もそんなもんだし、その意味でも本書はリアリティという面でも極めて高い。

本作品は映画化されたとのことだが、あまり観たいとは思わない。大抵、面白い小説の映画化は期待外れになるもの。それは、小説の世界観を知った者に、それを超える映像や音を提供するのは大抵不可能だから。

だから、僕は本を読むのかもしれない。僕だけの小説の世界を描写しながら。

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紙の本町長選挙

2010/06/15 13:34

ユーモアに隠された真実

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「イン・ザ・プール」「空中ブランコ」に続く神経科医師 伊良部一郎のお話。

三冊の中では一番面白かったかもしれない。全部面白いのだが、今回は長編?もあり、なかなか読み応えもあった。読み応えといっても、一気に読ませるストーリー展開と随所にあるユーモアはこの著者の特徴かもしれない。

他の著書では「マドンナ」を読んだが、社会のありそうな出来事を題材にして、楽しくストーリーを展開するのが著者だと思う。登場人物のキャラクター設定や描写やうまいのも特徴。著者は、ユーモアで現実社会の問題や課題を軽快に描写して読ませる著者のベスト3には入れたい。

今回は4話が収録。「オーナー」は実在する某プロ野球のスポンサー新聞社のオーナーを題材にしたもの。「アンポンマン」は「ネットとテレビの融合」とか言って、選挙に出たりもして、挙句には逮捕されたあの「何とかモン」が題材。「カリスマ家業」は特に誰というのではないが、芸能界やファッション業界をネタにしたもの。最後の「町長選挙」は容易に想像がつく田舎選挙の実態。

すべてが完全にフィクションではあるが、そこに真実も十分に読み取れる。例えば「オーナー」でマスコミの煽り方などリアルに感じる。モデルになった方の思想が実際にそうだとは思わないが、そう考えると彼の行動に納得がいくことも大いにある。

伊良部シリーズはこれで三冊目だが、今回初めて「本当に伊良部から診察されている」という感覚を持った(私自身は決して病んでいる訳ではないですよ~^^)。患者の悩みは可笑しくはあるが、実在する可能性は否定できず、それに対する伊良部の対処は理にかなっているように感じる。

そして何より良いのは、結末がハッピーエンド。最初は嫌らしいと思っていた患者ですら、愛おしく思える。今回はあの無愛想なマユミちゃんまで優しく思えた、ギターまで弾くし... ^^;

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