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惠。さんのレビュー一覧

投稿者:惠。

348 件中 1 件~ 15 件を表示

至って「ふつう」のことが書かれています。

62人中、54人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

発売以来、常にレシピ本ランキングの上位をマークしている本書。テレビでも度々取り上げられ、ご存知の方も多いだろう。本書に掲載されているレシピを実践して痩せた、との報告も多く寄せられているようである。

そんな素敵な噂満載の本書。実は知人からの頂き物である。

「やっぱりね。いい本だものね。プレゼントに最適よね。」
そう思ったそこのあなた!甘い!!その知人はわたしにこう言って寄こしたのだ。


「さっぱり役に立たなかった」


役立たない本を人に譲る方も譲る方だが、貰う方も貰う方である。といってもわたしの場合、本の蒐集が趣味であるので、1200円もする本をタダで手に入れられる!という点で断る理由はない。それに…これだけ話題の本である。好奇心というか興味を抱かずにいられるわけがない。

とタダで仕入れた本に目を通してみた。


「ほんとだ。役に立たないかも」


良い噂ばかりを耳にしていたので、読む前に随分ハードルをあげていたせいもある。しかし一通り目を通して、がっくりしてしまった。だって、目新しいことが何もないのだもの。

本書で薦められているレシピの大きな要素は――薄味。歯ごたえ。たっぷりの野菜。トースターでの揚げ物。

これ、残念ながら全て実践中である(トースターでの揚げ物はカロリーオフというよりも油の処理が面倒臭いという無精者的理由からという違いはあるけれど)。加えて、これもまた非常に残念なことに「一食分」として載せられているボリュームが、わたしとっては「多すぎ」る。

つまり、もしもわたしが本書に掲載されているレシピを31日間実践したら、1か月で確実に増量してしまう。そして、わたしに本書をくれた知人も然り。

誤解してほしくないので敢えて文字を強調して書くが、本書の記載レシピがよろしくないと言っているわけではない。「500キロカロリーに抑えられたボリュームたっぷりの定食」というコンセプトは素晴らしいと思うし、空腹に苦しむことなく痩せられるレシピであることも間違いない。

しかし、ここまで取りざたされることなのだろうか。だって、なにひとつ特別なことを言っているようには思えないもの。

と、このままでは反感を買いそうなので(基本、長いものには進んで巻かれる小心者です)ちょっと補足説明を。

まず目の前にある要素の確認から。
1タニタの献立を食すると痩せるという事実。
2タニタの献立は特別なものではないという事実。
31と2の要素から導き出される解――普通の食事をすれば痩せられる。

今度は今出た3の解の反対解釈をしてみる――普通の食事で痩せられるということは――4人びとは普通ではない食事をしている。

そして4でだした解釈に、本書が薦めているレシピの要素――――薄味。歯ごたえ。たっぷりの野菜。トースターでの揚げ物。――をいちいち当てはめてみる。

するとこうなる。
濃い味付け。
歯ごたえのない食べ物。
少なすぎる野菜。
油の過剰摂取。

まぁ、「普通」という言葉の定義を定めていないので根底が危うい式ではあるのだけれど、本書が売れる背景には、現代人の「食」に関する問題が浮かび上がってくるとは言えないだろうか。

要するに、多くの人の食生活はバランスが悪いのだ。色んなものを摂りすぎ、そして色んなものを摂らなさすぎる。アスリートや重大な持病を抱えているわけではないのだから、毎日毎日細かい食事コントロールをしろとは言わない。ドカ食いに自棄食いする日だってあっていい。飲み会で飲みすぎる日もあるだろう。ジャンクフードが食べたくなる日も、濃ゆ~い味付けのこってりラーメンを夜中に食べたくなることだってある。それはそれでいいのだとわたしは思う。でもそれが毎日じゃ、駄目なのだ。

毎日の食事において、心のどこかで少しでも「身体のこと」を考える習慣が身につけておけば、やれカロリーだと騒ぐ必要なんてないのでは…と、そんなことをふと感じた一冊だった。

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紙の本謎解きはディナーのあとで 1

2010/10/21 21:09

S執事とツンツンお嬢様の会話を楽しむミステリ。

25人中、20人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「失礼ながら、お嬢様の目は節穴でございますか?」


新刊コーナーを眺めていたら、本書の帯に書かれた上の一文が目に飛び込んできた。なんちゅうインパクト。慇懃なのに無礼。執事のくせに、なんなのこの上から目線っ?! と、とっても楽しそうな匂いがしたので、単行本購入してしまった。

世界的に有名な宝生グループの令嬢・宝生麗子の職業は刑事。ご自慢のジャガーで事件現場に登場する上司の風祭警部とは違い、桁違いの富豪である麗子は警察署では「普通」で通している。
そんな超ド級のお嬢様の話し相手を務めるのは執事の影山。執事という職業柄口は堅いはず…と麗子は担当する事件を話して聞かせるのだが、プロの探偵か野球選手になりたかったという影山は麗子から話を聞いただけで真相を見抜いてしまう。

まず何よりも、麗子と影山の会話が楽しい。安楽椅子探偵として謎解きを披露する影山だけれど、その
際には必ず麗子に向かって慇懃丁寧に暴言を吐く。この暴言が面白いのなんのって!しかもその暴言にムキになる麗子がまた楽しい。

ふたりの会話をちょっと引用する(地の文は省略します)。
「どう、影山? なにか思いつくことがある? どんな些細なことでもいいのよ」
「はあ」「よろしいのですか、お嬢様、思ったことを申し上げて」
「もちろんよ」「遠慮することはないわ。なんでもどうぞ」
「本当になんでもよろしいのでございますね」「では、率直に思うところを述べさせていただきます」「失礼ながらお嬢様――この程度の真相がお判りにならないとは、お嬢様はアホでいらっしゃいますか」


この後の麗子の反応がまた面白い。
「クビよ、クビ! 絶対クビ! クビクビッ、クビクビクビクッ、ビクビクビクビクッ」

結局影山はクビにはならず、その後も宝生家に居座ることになるのだけれど。


影山の暴言は毎日のように繰り返される。
他にも…
「お嬢様がわたくしに毒を盛ることがあっても、わたくしがお嬢様に毒を盛ることなど絶対にあり得ません。どうかご安心を」

「こんな簡単なこともお判りにならないなんて、それでもお嬢様はプロの刑事でございますか。正直、ズブの素人よりレベルが低くていらっしゃいます」

しかもこう続ける。
「あの……お怒りになられたのなら申し訳ございません、お嬢様」
「あの、わたくしなにしろ正直ものでして……」

この発言にもちろん麗子はキレる。
「正直にいっていいことと、悪いことがあるっつーの!」


ジャンルとしては本格ミステリ。しかしわたしはトリック云々を重視しないのでミステリ部分に関してそれほど思うことはない。

だけどっ!!!
とにかく、大好きっ!!!!
素敵な作品に出会えました。


『謎解きはディナーのあとで』収録作品
・殺人現場では靴をお脱ぎください
・殺しのワインはいかがでしょう
・綺麗な薔薇には殺意がございます
・花嫁は密室の中でございます
・二股にはお気をつけください
・死者からの伝言をどうぞ

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付録がメインかレシピがメインか?――買って正解☆だった一冊!

18人中、18人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

最近、この手の雑誌が多いと聞く。

付録がメインか雑誌がメインか――その判断が非常に難しい。もともと雑誌は滅多に読まないのでこれまでその手の雑誌に魅かれることはなかったんだけれど、これはインパクトがありsすぎて、ついつい購入してしまった。

50ページほどのレシピ本にくっついてくるのは、真っ赤なシリコン鍋(表紙にあるもの)。

最近何かを話題のシリコンスチーマーのお鍋バージョン。容量1200mlのお鍋が雑誌コーナーにポンとあるのだから、そのインパクトといったら半端ない。

もともとシリコン鍋を買おうと思っていたのだけれど、狙っていたお鍋は1890円。対してこのレシピ本はお鍋付きで1680円。レシピが付いているほうがお得だなぁ…と頭の中で瞬時に算盤を弾いて購入と相成った。

早速レシピ本通りに大学芋を作ってみたら、ものの20分ほどで完成した。

油をほとんど使わずヘルシーで、お芋もほくほく。しかも驚くことに、出た洗い物は包丁とまな板、ボウル、菜箸、そしてこのお鍋だけというお手軽さ。

水気をあまり加えないからか、このスチーマーで調理するとどの野菜も味が濃いように思う。レンジにかける前とかける後では、鍋内の水分量が違うので、レンジで加熱中に野菜内部から水分が排出され、その分野菜の味の濃度が高くなったのかもしれない(勝手な推測)。


実はこのお鍋の前にルクエをひとつ購入していて、このルクエとお鍋を活用すればものの1時間で煮物を5品を作ることができた。すごいぞ、スチームケース。


やはり近い将来、史郎(よしながふみ著『きのう何たべた?』の主人公)のレシピにスチームケースが登場することは間違いないと確信した一冊だった。

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子どものころに出会いたかった――『僕とおじいちゃんと魔法の塔』

14人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

あ、ツボに入った…。

ハジメマシテの作家さん。『妖怪アパート』シリーズのレビューを見かけるたびに気になっていた。でも、わたしの苦手なモチーフが登場すると聞いて『妖怪アパート』シリーズには手を出せずにいた。そんな折にたまたま書店で見かけた本書。薄いしちょっと読んでみようかなぁ、と軽い気持ちで手を伸ばしてみた。


物語の主人公は小学校六年生の龍神(たつみ)という男の子。龍神の家はまじめなお父さんと優しいお母さん、そしてよく出来た弟と妹の5人家族。家族はとっても仲良しで、もしも「理想の家族標本」があったら検体にしたいと一番に声がかかりそうな「すばらしい」一家だ。だけど龍神はこの家族の中でなんともいえないもどかしさを感じている。自分の居場所がなく、自分が自分でいられない感じ。


そんな龍神の心の葛藤は最初の一ページに挙げられる。―――
「いい子」ってなんだ? どういう子?
よく勉強する子? 友達と仲良くする子? 嘘をつかない子?

お父さんやお母さんにとっては、「自分たちの言うことをよくきくこ」が「いい子」だ。

じぁあ、言うことをきかない子は―――「悪い子」なのだろうか……?




ある日龍神は偶然見つけた塔に足を踏み入れる。そこは昔、龍神のお祖父ちゃんが住んでいた建物で、恐る恐る足を踏み入れた龍神の前に、死んだはずのお祖父ちゃんが現れるところから龍神は自分を見つけ成長していくことになる。

はっきりいってこのお祖父ちゃんはいわゆる「幽霊」で、内容としてはファンタジーになるのかなぁ。ファンタジーなんて、わたしがもっとも苦手とするジャンルなのだけれど…これがもう、不思議や不思議なんでもかんでもすーっと入ってくる。

だってこのお祖父さん、とっても素敵なんだもの。何が素敵かというと…言葉で説明するのはちょっと自信がないので替わりに彼の台詞を少し引用する。

―――「大人の世界もガキの世界も、人は人であるということだ。そのあり方、その関わり方も同じなのだ。大人の、ガキどもに対する最大の間違いは、この点を理解していないことにある。大人どもの中に『子どもは天使』とほざく連中がいる限り、大人とどもの間の溝は、永遠に埋まらんだろうよ」


―――「この世で最も性質の悪い人種とは『善人』なのよ」


こんなお祖父ちゃんと接しているうちに、父親と母親の理想とする子どもを無意識のうちに演じていた龍神の心に変化が生じ始める。彼は「理想の家族」像の中では収まりきらなくなった自己を見つけ、そこからまた彼の心のは大きくうごめく。

この物語は読む人の立場によって与える印象が大きく異なるように思う。わたしは親になったことはないので、子どもの立場でしか読めないけれど、こういう作品にはもっと小さなころに出会いたかったと強く感じた。

作中、お祖父ちゃんは龍神に問う。
―――「善とは? 悪とは何ぞや?」


その問いに「善はいいことで…例えば人に親切にするとか、ウソをつかないとか…」と答えていた龍神はお祖父ちゃんの影響を受けて人間として大きく成長し、その答えを見出す。本書は龍神少年の成長物語なのである。

ちなみに「1」となっているのは、シリーズ三部作にする予定だからだそうだ。といっても次巻からは龍神いきなり高校生になっているのだろう。その理由は著者によるあとがき曰く…

―――(三部作にしてほしいと編集者から依頼されて)
「あの…でも、これ“完結”してしまってるんですけど? 主人公、頴娃町しきっちゃったんですけど?」
困った……!
(略)
中学生ではあまり主人公たちの生活に変化がないので、一足飛びに高校生の生活にしとうと思った次第だ。


この著者のキャラクターもなんか好きだなぁ…。『妖怪アパートシリーズ』に手を伸ばしてみたくなったのは言うまでもない。(でもまだちょっと悩んでるんだけど)

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紙の本そして誰もいなくなった

2011/01/28 11:47

不朽の名作を新訳で『そして誰もいなくなった』(青木久惠訳)

13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』を読むのは、ここ半年で二度目。といっても、同じ作品を二度記録しようとしているわけではなく、訳者が違う。前回読んだ『そして誰もいなくなった』の翻訳者は清水俊二氏。そして今回読んだのは新訳で、訳したのは青木久惠氏だ。

クラシックに関する話題でよく、「○○の(例えば)ショパンが好き」なんてのを耳にする。この「○○」部分に入るのは、(この場合、ショパンがピアノ音楽だから)ピアニストの名前だ。例えば「辻行くんのショパンが好き」、「いやいやわたしはショパンならばキーシンの方が好みだ」といった具合に。

同じ作曲家の同じ曲でも、ピアニストによって曲が醸し出す雰囲気は異なる。ピアニスト(だけに限らず演奏家や指揮者)は、作曲家の意図を自分なりに解釈して、演奏するらしいのだけれど、この工程って――読書や絵画鑑賞にも通じるものがあるとは思う――、翻訳作業とすごく似ている(気がする)。

原作者の意図を正確に汲み取って、別の言語に置き換える。だけど、その別の言語で不自然になってはいけない。かと言って原作からかけ離れすぎてもいけない。同じ作品を題材にしても、訳者によって特色が出る。

だから、読み比べが楽しい。

今回の新訳では、わたしが苦手としている会話文(誰が何をしゃべっているのか理解に時間がかかる)の箇所が清水訳よりも断然わかりやすくなっている。

しかし、全体の雰囲気としては青木訳よりも、清水訳の方が好み。なぜだろうなぁ。「ちょっとした差」なんだろうけれど、「塵も積もれば」で全体的にみたら「大きな差」になっている。

今回の訳で特に好きになれなかったのが島の名前。清水訳の「インディアン島」のほうが断然いい。青木訳の「兵隊島」より、断然。これだけは賛同してくれる人、多いのではないかしらん。

内容に関しては――清水訳を読んで日が浅いのに――、やはり面白かった。疑心暗鬼になって恐怖に駆られていく様子がありありと伝わってきて、結末を知っているのにドキドキハラハラしてしまう。

そういえば…清水訳の時は気にならなかったけれど、青木訳では最後のひとりの顛末がご都合主義に感じられた。どうしてかなぁ…。

そういうところも含めて、翻訳ものの読み比べって、面白い。

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紙の本告白

2010/05/13 10:42

「不平等な平等」にどう対峙すべきかを考えさせられる、著者渾身のデビュー作。(2009年度本屋大賞受賞)

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著者デビュー作にして2009年度本屋大賞受賞作である。

まず、本屋大賞とは書店員が「面白かった」、「売りたい」、「読んでもらいたい」と思った作品に投票して決定する賞だと聞いて驚いた。(わたしは文学賞をついての知識は持ち合わせていない。)

だって本作、後味はあまりよろしくないのだもの。

「面白い」か否かの判断は個々人の価値観によるものだからいいとして、「読んでもらいたい」作品として本書が挙げられたことが純粋に面白いな(興味深いな)、と思ったのだ。


物語の舞台は中学校。女性教師は終業式のホームルームで生徒たちに辞職を告げる。その数ヶ月前、シングルマザーである彼女は学校のプールで愛娘の愛美を亡くしていた。自身の監督不行届を認めた上で彼女は、生徒たちに対してこう言う―――
―――「(略)わたしが辞職を決意したのは愛美の死が原因です。しかし、もしも愛美の死が本当に事故であれば、悲しみを紛らわすためにも、そして自分の犯した罪を悔い改めるためにも、教員を続けていたと思います。ではなぜ辞職するのか?
 愛美は事故で死んだのではなく、このクラスの生徒に殺されたからです。」


全6章から成る物語は全て、独白形式で進行する。章ごとに独白者はひとり。各人物の独白に耳を傾けることで、愛美という少女の死の真相が少しずつ浮彫になってくる。

第一章は先にも引用した女性教師の独白だ。ホームルームで彼女は、娘を殺した犯人を暗にほのめかし、彼女なりの罰を与えたことを生徒たちに「告白」する。そしてその「告白」が原因で、クラスは不穏な空気に包まれることとなる。

事故として処理された愛娘に対する殺人。女性教師は裁きを法に委ねず、自ら下すことにした。それは決して許されることではない。それでも彼女はそれを決行した。その最たる理由は、犯人の年齢にある。

この世の中、ことあることごとに「平等」がうたわれるが、不思議なことに「完全なる平等」は時と場合によって疎まれる。平等が素晴らしいことであるならば、全て「完全に」平等にしてしまえばいいはずだ。しかしわたしたちの実社会に「完全なる平等」は馴染まない。

例えば所得税。完全なる平等を求めれば定額制にすべきだろう。しかしそれでは人によっては生存権を脅かされかねない。ならば定額制の税金額を極小にすればよいかというと、それでは国が潰れてしまう。

このように、わたしたちの世界は「不平等な平等」の上に成り立っている。そしてその「不平等な平等」は刑法においても用いられる。例えば心神喪失者は犯罪不成立となるし、心神耗弱者は刑が必ずに軽減される。そしてもうひとつ、刑法上の責任能力なしと定められる身分がある。それは14歳未満者だ。

辞職した女性教師が担任したクラスは中学一年生。スキップ(飛び級)が認められない日本では、中学一年生のクラスに14歳以上の者はいない。それは、愛娘を殺した生徒を警察に突き出しても科刑されないことを意味する。だからこそ彼女は自ら裁きを加えることを選んだ。しかも間接的な方法で。

なんて平等なひとなのだろう。彼女は刑事不可罰犯罪者に対して、完全なる平等を追究し続けた。しかし彼女がとった行動は許されることではない。とは言いながら、もしもわたし自身が彼女の立場に立たされたと仮定したら、その怒りを、その哀しみを、鎮める方法がわからない。

ネタばれになるから詳しくは書けないが、愛美の死亡事件も女性教師の復讐も、何かひとつ、たったひとつだけ違うことが起こっていたら、避けられたのではないだろうか。全てのことは紙一重―――そんなことを感じた作品だった。



注意:後味ははっきりいって良いものではありません。
   ハッピーエンドが好きな方は読まれないほうがよいかもしれません。

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紙の本龍神の雨

2012/02/19 14:20

道尾作品を見直した一冊。お上手すぎるっ!!! そして解説が秀逸。

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

久々の道尾作品。
読むのはこれが二作目。

道尾作品はどれもテーマが苦手な気がして
なかなか手が出ないでいたのだけれど、
本書を読んで考えが変わった。
もっともっと、読んでみたいっ!!


物語は同じ地域に住む、
二組の兄弟のストーリーで構成される。
一方は連と楓というアルバイト青年と中三の兄妹。
もう一方は辰也と圭介という中学生と小学生の兄弟だ。

どちらの兄弟にも共通しているのは、
血のつながった両親が他界しているということ。
そして、継母または継父と暮らしているということ、だ。

この独立した「兄弟の日常」が重なり合って、
事件が膨らみ解決へと向かうのだけれど、
その展開が非常に巧い。
巧い…というより、「巧妙」。
こう言ったほうがしっくりくるかな。

そしてタイトルにある「雨」や「龍」といったモチーフが
非常にうまい具合に活かされている。

もう端的に言っちゃう、
とってもお上手だっ!!!


『片目の猿』を読んだ時は
それほどお上手だとは思わなかったのだけれど、
本書の文章は「流れるよう」で、
それでいて場面の切り替えもシンプルかつ明瞭。

また圭介という「子ども」の心理描写も繊細で、
揺れ動く微妙な「こころ」模様がひしひしと伝わってくる。

ところどころに挟まれるニュースや天気予報といった
伏線も巧妙で、緻密な計算がなされていることが伺える。

いや、ほんと、お上手。
びっくりしたーーーーーー。

思い込むだけでなく、真正面から確かめること。
それだけでちょっとした行き違いを防ぐことができる。
その「ちょっとした行き違い」は
「取り返しのつかない事件」の元になるかもしれない。

そんな人間としての基本の部分が、
ミステリの中に描かれているように感じられた。


最後に。
著者の飲み友だちだというライターさんの解説が
非常に良かった。

難しいことをさも難しく、
やさしいことも「自分はすごいんです」と言わんばかりに
ややこしい解説を載せる解説者が多い中、
わかりやすく丁寧で、かつご自身の意見も交え、
いち「読者」としての地位も崩さない。
近年稀に見る名解説だろう。

エライひとたちがどうとらえるかなんてわからない。
ただ、読者が求めているのはこういう解説なのだ、
ということを知ってほしいし、わかってもらいたい。

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紙の本重力ピエロ

2010/01/15 20:11

全部まとめてみんな好き

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

全部まとめてみんな好き。


この言葉に尽きる。

もう一度言う。キャラから設定から構成、展開まで全部まとめてみんな好き(好み)な作品だ。

辛いバックグランドを持って育った兄弟、和泉と春。和泉と春はスプリングで、泉はSpringで春もSpring。和泉と春は兄弟で、父と母の子だ。それに和泉も春も父に似て嘘が下手だ。

時を経て遺伝子研究会社に勤める和泉と落書き清掃作業に従事する春。大人になった今も二人の仲はいい。そんな二人が暮らす街で連続放火事件が発生し、二人は犯人の追跡に乗り出す。しかし辿り着いた真実は、和泉の予想を遥かに超えるものだった。そしてそのまた上を行く展開が読者を待っていた。

最後半部分に差し掛かれば先は読めなくもないのだが、61もの構成部分(目次)に分かれ、現代のストーリー展開に無秩序のように絡んでくる回想がこうも巧くまとまるものか、と思わず唸ってしまう。

もう何をどう言っても言葉が足らない。書きたいことがたくさんありすぎてまとまりもしない。例えばキャラクター。例えば構成。例えば展開。そのどれもが好みすぎて、何から書けばいいのやら…。

そういえば、読み終えて冷静になって考えてみると不思議なことがひとつある。物語は兄・和泉による「私」目線で進行するのだが、全体を通して物語を導いているのは弟の春なのだ。和泉だけでなく読者さえも、春によってリードされている。お、恐るべし伊坂幸太郎。

さて、構成や展開とは関係ないお話を少し。以前から何度も書いているが、伊坂作品は読者に考える契機を与えようとしている気がする。(未読の人には何のことだからわからないかもしれないが)批判される可能性があることを覚悟で書くが、わたしの刑罰に対する考えは春のそれに似通ったところがある。人を殺した人間は法に則って裁かれるべきだと思うが、猫や犬や子どもやその他弱者を理由なく殺した人間は万死に値する。

また個人的には「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに対する答えに窮するやりとりなども自分に経験があるだけに重く圧し掛かった。「日本は法治国家だから」という教授には、「法治」の意味を辞書で引け!と思ったし(法治とは、法に則ることを指します。例えその法が悪法でも構いません)、相変わらず本の世界に感情移入してしまう癖は抜けない。


本作で一番心に残った言葉がひとつ。
「本当に深刻なことは、
 陽気に伝えるべきなんだよ」
という春の言葉。


この言葉はほぼ全ての伊坂作品の根幹に根付く著者の思いのような気がした。

最後に、ここまで絶賛しておいて恐縮だが、伊坂作品は好き嫌いが分かれるように思う。また、伊坂作品の中においても好きな作品と嫌いな作品が分かれると思う。というわけで、選書はひとつ自己責任で(と責任は他人に転嫁)。

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紙の本利休にたずねよ

2011/04/11 12:36

美を愛し美を追求し美を恐れ、そして美に支配された男・千利休の美学に迫る一冊。

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

タイトルを見てまず思ったーー利休に何をたずねよというのか。

時代ものは苦手だ。だから本書も手元に届いてから読み始めるまでに随分と時間がかかった。利休という人物には興味がそそられるのだけれども、うーん、時代物かぁ…と、すんごく小さい悩みを抱えつつ、ついに勇気を振り絞って「えいやっ!」と読み始めた。

すると、あの悶々とした日々(注:小さな悩みのことです)は何だったのっというくらい読みやすかった。するりするりと引き込まれ、530ページをほぼ一気読みしてしまった。

まず、構成が巧い。物語は利休の最後の朝から始まる。茶人であるにも拘わらず天下人、秀吉より切腹を賜った利休は、怒りに満ちている。彼は秀吉に対して怒っているのだ。

美を愛し、美を恐れ、敬い、追究し続けた利休は、「無粋」な秀吉に頭を下げることよりも死を選んだ。利休は自身が愛した「美」というものにがんじがらめになっている。美に固執しなければ、自ら腹を割くこともなかったかもしれない。

では、利休がそこまで執着した「美」とは一体、何であろうか。それは、もちろん茶道である。茶道の世界が良しとする、侘び寂び、侘び数寄の精神である。そこに利休は己の美学を見出して確立した。しかしその美学の原点をもたらしたのは、なんと、女であった。利休が肌身離さず身に付けている緑釉の香合は、明らかに女もの。それを持っていた女と利休の間に一体何があったのだろうか。

切腹当日の利休視点で始まった物語は、章を追うごとに時を遡っていく。視点も利休だけでなく、妻である宗恩、家安、秀吉、三成、信長、弟子と各章ごとに入れ替わる。この手法が実に巧みである。この構成はあまり見ないカタチではないだろうか。

物語の最終章は、もう一度、切腹の朝に戻る。しかしここでの語り部は利休ではなく、その妻の宗恩だ。彼女は最初の章で利休にこう尋ねている。
「あなた様には、ずっと想い女がございましたね」

その会話を受けて、彼女には思うところがある。その宗恩の気持ちに妙に共感してしまった。利休が心の中で想い続けているのは、あの緑釉の香合を利休にくれてやった女だ、宗恩はそう確信している。

宗恩が惚れたのは、己の美学を貫く利休に他ならない。美を愛し、美を恐れ、美を追求した男、利休。しかし利休は、美に支配された男でもあった。そしてその美学の原点ともいうべきものを利休にもたらしたのはおそらく、あの緑釉の香合を利休にくれてやった女だ。つまり、利休を支配しているの現実に今利休の側にいる宗恩ではなく、どこかにいる「あの女」なのだ。

しかし利休がその女に出会わなければ、宗恩が利休に惚れることもなかったかもしれない。宗恩が愛したのは、美と、それを利休にもたらした女に支配された利休であるという連鎖は、なんというか、皮肉で哀しい。そしてたぶん、口惜しい。

利休の立場で読むのと、宗恩の立場で読むのと、また違うなぁと感想を書きながら改めて思った。

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紙の本牡牛座

2010/11/25 16:56

星占いは信じない――と断言するひとの星占い本

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

わたくし、けっこうなミーハーです。

巷でそこそこ話題の石井ゆかり氏。自分の星座を買ってみた。1050円という価格の割には軽くて薄いのだけれど、まぁカバーも可愛いしい、ものは試しと、好奇心には勝てなかったのだ。

正直言って、占いはそれほど信じていない。好奇心から気軽に入ってみた20分占いでは占う内容がなくって時間を持て余し、友人についていった「ついで」に占ってもらったタロット占いでは「あなたこういうの(占い)に興味ないでしょ」と言い切られてしまうほど、興味がない。(その点では、あの占い師は「当たって」いた、といえるのだけれど)

特に、一時テレビよく出ていた占い師(?)みたいに、「自分の言ってることは絶対的に正しいのよ」っていうタイプはとてつもなく苦手だ。ここまでくると宗教じみてきて、胡散臭い。

誤解を招かないように言っておきたいのだけれど、わたしは占いを信じているひとのことを否定しているのではない。信じたいひとは信じればいいし、信じられないひとはそれでいい。ただ、個々人がそれぞれの範囲で信じたり信じなかったりすればいい、と思っているだけだ。

さて本書。わたしが持っている「占い」のイメージとはちょっと違った、不思議な一冊だった。

のっけからこんなひとことが登場する。
――あなたに当てはまらないこともたくさんあると思います。

そして締めくくりではこう言ってのける。
――星占いが当たるものかどうか、私にはわかりません。
 当たる、という人もいますし、全然当たらない、という人もいます。
 少なくとも占いには、なんの科学的根拠もありません。
 私は、こうして占いのことを書きますが、「占いを信じていますか」と聞かれたら、「信じていません」と答えます。
 信ずべき理由がないからです。


このスタンス、好きだなぁ。
読む人によっては「無責任な」と感じる場合もあるかもしれないけれど、わたしはこの箇所でこの人は「バランスのいいひとだなぁ」と思った。

オカルト現象について「絶対存在する」派と「絶対存在しない」派が討論するテレビ番組がたまに放送されるけれど、あれを見ていてわたしはいつも「どっちもどっちだなぁ」と思っていた。目に見えないもの、科学的に立証できないものに対して、「絶対」という言葉を使って否定や肯定をする人はどちらにしてもオカルト信者に他ならないもの。

例えばわたしならこう言う―――オカルト現象は信じるけれども、それは科学で証明できる偶然の産物かもしれない。或いは、――オカルト現象は信じないけれども、もしかしたら霊は存在しているのかもしれない。

完全なる否定も肯定もしない。「もし」「かも」を使ってあやふやな言い回しをする。だって、オカルト現象自体がそういうものなのだもの。

そして石井氏もそういう視点を持った方のようである。その点においても、とても興味深い占いの本だった。


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紙の本乙女の日本史

2010/03/25 12:05

乙女目線で読む日本の歴史。興味深い、けれど読者を選ぶ?

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

発売当初から気になっていた本書。「読むべきか読まざるべきか、それが問題だ」と悩んでいたのだけれど、先に読まれた方のレビューに背中を押されて読んでみた。

本書は、これまでわたしたちの周りにあふれるオジサン観点で切られた歴史を今度は乙女視点で切ってみとうという試みらしい。この試みにあたっての著者の想いは「はじめに」に書かれているので、以下、部分抜粋して引用する。

***

さよなら「おじさん史観」。今こそ語ろう、乙女目線の日本史。
ながいあいだ、日本史というジャンルはおじさんのものでした。
そのおかげで、おじさんが新幹線の中で熱心に読んでいる歴史雑学本には「孝謙女帝は銅鏡の巨根にメロメロだった」や「直江謙続は色小姓だった」「川島芳子はレズビアン」といった、おじさんが喜びそうな、根拠のない俗説がホントのことのように書かれているわけです。
ビジネス雑誌によくある「歴史の偉人に学ぶ! デキる男の経営学」みたいな特集で書かれる「主従の絆」にもウソが多いし、そもそも男性が大好きな「デキる男」像も、女性からみたら「???」…だったり。
この本では、そういう通説とされがちな「おじさん史観」に突っ込みを入れつつ、女性の気持ちによりそって、日本史を見直すことを目的としています。 

***


本書に登場する「史実」と呼ばれるものにはこれといって目新しいものはないのだけれど、切り口が乙女視点――女性に肩入れ、とでも表現すべきか――となっていて、斬新といえば斬新かなぁ。でも斬新ではないといえば斬新ではないかも(どっちやねんっ!!!)。記憶がうまく掘り起こせないのだけれど、こういう観点は以前にもどこかで接したような気がしないでもないような…(曖昧ですみません)。

基本的にエッセイが苦手なので(ノンフィクションが好き)、読み進めるのにも苦戦した。が! 大正~昭和時代は面白かったーっ!!! それまでの読みづらさが嘘のようにあっという間に読み終えてしまった。

その違いは何か? それはおそらく…大正~昭和にリアリティ(というか、親近感が近いかな)を感るからだと思う。それは単に時代が近いから、なのかもしれないし、わたしがその時代に興味があるから、なのかもしれないけれどとにかく、大正~昭和の章がとっても楽しかった!ただひとつの難点は、大正~昭和の章のボリュームが少なすぎたことかなぁ。

と、だいたいにおいて本書を楽しみはしたのだけれど、正直なところ、乗り切れはしなかった。これまでの史観がおじさん視点だという指摘はわかった。乙女視点でもって歴史を見つめ直すという試みも理解できる。

乙女視点に偏るのが本書の趣旨なので決して間違ってはいないのだけれど、好みの問題として、乙女への肩入れ具合がわたしに合わなかったようだ。

わたしが歴史を読みたい観点は、おじさんのでも乙女のでもなく、もっと人間としての「真理」というか、「基本」的立場からなのだ。

例えば江戸時代の武士の「義」とか「忠」は、わたしには理解に苦しむことがある。

批判を承知で書くけれど、「新撰組」も簡単にいえば…人殺しの集団だ。恰好いいと言われるのもわからなくもないけれど、斬られた方はどうすればいいんだっ!と憤りを感じでしまう。もしも無実だったら?? 「切り捨て御免」だから仕方ないと? それに…規則が厳しすぎでしょう。そんなことで切腹させるのかっ! それがあなたがたの言う「侍」で「武士」で「真理」で「義」なのかっ!!!と文句をぶーぶーたれたくなってしまう。


そういうわけで…
そういった観点での歴史考察書、待ってます(笑)。

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紙の本春期限定いちごタルト事件

2010/02/15 00:05

小市民を目指す非・小市民

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

表紙のイラストがネックが気になって敬遠していたのだけれど、多くの方が絶賛されているのに負けて(?)読んでみた。

そうしたら!

そうしたらっ!!!(2回言った)


面白いのなんのってーーーー!!!!


物語の主役は小市民を目指す高校一年生になったばかりの小鳩くんと小山内さん。このふたりの関係は、いわゆるカップルのそれではなくて互恵関係という。三省堂の辞書によると「互恵」とは「互いに相手に利益や恩恵を与え合うこと。」とあった。小鳩君は小山内さんに利益をもたらすためだけに小山内さんの側に存在し、小山内さんもまたしかりということだ。

それではここでいう「利益」とは何か――それは単純明快――小市民でありつづけること、ただそれだけである。ふたりが手に手を取り合って目指すのは、慎ましく清く正しい小市民なのだ。なんてちっちゃいスケールなのだっ!!と侮ってはいけない。小市民を「目指す」ということは即ち、彼らは小市民「ではない」ということだからだ。

できるだけ目立たず平平凡凡と、10人いたら11番目の人を目指す小鳩くんと小山内さん。ふたりを小市民へと向かわせるのは、15年という決して長くはない人生における「後悔」だ。

自らの性格から招いた過去の過ちに改心し、人畜無害の人間になるべく努力を重ねるふたり。しかし彼らの前には、過去においてきたはずの「性癖」を刺激する日常が広がる。過去との決別、後悔からの学びなどなど人生における大きなテーマ或いは闘いが軽いタッチで描かれていて読みやすい。

ただ読みやすいだけでなくところどころに織り込まれる、はっとさせられる言葉――このバランスがいいんだろうなぁ。

そして何よりも読者の心を奪って話さないのは、小鳩くんと小山内さんが人畜無害の小市民を目指すきっかけとなった「過去」だ。彼らはなぜ小市民を目指すことを決意したのか――その答えは本書では明かされない。彼らのささやかな闘いと、その心の奥に秘められた「過去」を知りたくてたまらない。こうやって焦れるように読書をするのは久しぶりだ。

ちなみに作品タイトルにある「いちごタルト」は、小山内さんが超・甘党でスウィーツに目がないことかとある事件に巻き込まれたことに由来するもの――詳しくはぜひ本書を手にとって確かめてください。



『春期限定いちごタルト事件』収録作品
・プロローグ
・羊の着ぐるみ
・For your eyes only
・おいしいココアの作り方
・はらふくるるわざ
・狐狼の心
・エピローグ

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紙の本殺戮にいたる病

2010/01/12 15:15

残虐さの向こうにある「だまされる快感」

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

物語は蒲生稔、蒲生雅子、樋口武雄の三名による多視点型で進められる。

始まりは東京を騒がせた猟奇殺人鬼、蒲生稔の逮捕のシーン。物語を進めるにあたって重要な役割を担う稔・雅子・樋口の名前を同時に目にする貴重なシーンである。

稔の表の顔は爽やかな笑顔のジェントルマン。甘いマスクでにっこり微笑めば、女性はたちまち心を許してしまうほどだ。彼は永遠の愛をつかみたいと願い、大学内で、あるいは繁華街で、ターゲットとなる女性を物色し、言葉巧みにホテルに誘い、セックスをし、殺す。そして女性が死んでも尚、セックスを繰り返し、女性を連れて帰りたいという欲求から、乳房を、時には性器を切り取り家に持ち帰る。しかし永遠の愛を誓ったはずの女はすぐに朽ち果ててしまう。そして稔は更なる永遠の愛を求めて街に出る。

雅子は世間を騒がせている猟奇殺人鬼の正体は息子ではないかとの疑いが拭えない。事件のあった日はいつも外出している稔。勘ぐれば勘ぐるほど、息子への疑いは強くなり、挙句の果てには息子の部屋のごみ箱から、血のようなものが滴るビニール袋を見つけてしまう。しかしそれでも、あの物体は豚肉か何かだろうと自分を納得させ、雅子は息子の様子を伺い続ける。

樋口は定年退職した元警部。今回の猟奇殺人事件の被害者のひとりと面識があったため、この事件に関わる。その被害者の妹から頼まれた樋口は、殺害された姉に瓜二つの妹を囮に犯人に対する罠をしかけ、犯人を追求する。

そしてラストは再度、稔の逮捕シーンだ。もちろんこの瞬間、稔、雅子、樋口の三人は一同に会している。

物語中の事件の犯人は冒頭で分かっているのだから、犯人を追いつめる類のミステリではない。しかしこの作品は本格探偵小説として書かれたという。たしかに、樋口が犯人の痕跡を辿りついには稔に辿りつく様子は探偵小説といえるだろう。しかしこの作品で最も際立っているのは、読者に仕掛けられたトリックと、惨たらしいまでに詳細に描写された凌辱シーンだ。

まずトリックの方に言及する。そのトリックは実に巧妙。10年前もおそらくそうだったと思うが、そのトリックを知らされたときの反応は、唖然、呆然。頭の中に?マークがいくつも浮かび、冷静に考えることができなかった。そのトリックがあまりにも突飛過ぎて、腑に落ちなかったのだ。だがページを再び繰り、気になる場面を抜粋して読み返していくと、改めて「やられた」ということに気づかされた。そう、まるっとすっきりヤラレテしまった。コロッとまるまる騙されてしまったのだ。

ネタばれになるので詳しく書けないのが残念だが、この類の(読者に対しての)トリックを使った物語は少なくはない。ただ、ここまでまるっきり騙されてしまったのは、おそらく多視点型のストーリー構成のせいだろう。読んだあとだから言えるのだが、そこにはもちろん作者の意図がふんだんに盛り込まれていて、作者はその罠にきれいにハマってしまう。

ただ、その罠というのはスッキリしたものではなく、読者のほとんどを呆然とさせてしまう力を持っている。騙された箇所がすぐにわからないのだ。ページをめくってめくって初めて合点がいく。そんな巧妙な仕掛け。なかなか面白いと思う。

次に凌辱シーンの描写について。稔は殺害した女性の遺体から乳房を切り取り、性器を切り取る。狂っているとしか思えないこのシーンがふんだんに描写されている。それも細部にわたって。読んでいて気持ち悪くなるくらいの描写力。正直、エグイ。何度も目をそむけたくなった。あまりにも気持ち悪くて、ところどころ軽く読み飛ばしてしまったくらいだ。想像力逞しい方には、この作品を読むにあたりこの点をご注意申し上げたい。いや、想像力逞しくなくてもダメージを受ける可能性は高いけれど。

作品のトリックにはあっと言わされ面白い作品だと思えるのだが、どうしても残忍な解体シーンの影響が強く、評価自体は低めになってしまった。それでもやはり、この読者に向けられたトリックは秀逸だと言わずにはいられない。

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紙の本びっくり館の殺人

2010/10/20 20:22

館シリーズ第8弾! …は、雰囲気が違う?!

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館シリーズ第8弾。本書は「かつて子どもだったあなたと少年少女のために」と銘打って児童書っぽい体裁をとったミステリーランドのために書き下ろされた作品だ。

これを端的に「子ども向け」と評する読者もいるようだが、著者はこの点を否定している。著者曰く、本書は「正当な」館シリーズ第8弾なのだそうだ。

あやしい噂が囁かれる古屋敷邸。街の者たちはこのお屋敷を「びっくり館」と呼んでいるが、その由来は定かではない。小学6年生の三知也はふとしたきっかけで、びっくり館に住む同い年の少年・俊生と知り合う。生まれつき身体の弱い俊生は学校に通わず、家庭教師に勉強をみてもらっているそうだ。その年のクリスマスの夜、びっくり館の主である俊生の祖父・古屋敷龍平に誘われて三知也は友だちと家庭教師と共にびっくり館を訪れる。が、到着した三知也たちが見つけたのは、変わり果てた龍平の姿だった…。

これまでの館シリーズと異なる点として、まず、挿絵が挙げられる。本書にはいくつかの挿絵が挟まれているのだが、そのどれもが不気味。特に表紙を開けてすぐのところにある二枚の挿し絵(カラー)が特に恐ろしい。表紙を捲ったその瞬間から、作品の異様な雰囲気が漂ってくる。

館シリーズファンの多くは、このシリーズに「トリック」を期待している。ここでいうトリックは主に物理トリック。或いは叙述トリックだ。残念ながら本書にはそのどちらも登場しない。故に館シリーズファンは「期待はずれ」という評価を下すことも多いようだ。

しかしわたしはトリックに重きを置かない邪道ミステリ読み。作品が醸し出す怪しい雰囲気を十二分に楽しめた。しかし欲を言えばラストにおぼろげな点があるので、もう少し明確な結末を用意しておいてくれたほうが嬉しかったかな。ただ、子どもたちの想像力や創造力を刺激する、という点から見れば、これくらあやうげでおぼろげなほうが良いのかもしれない。

「子ども向け」と断言するには及ばないけれど、他のシリーズ作品とは一風違う作品であった。


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紙の本八朔の雪

2010/01/09 00:07

ここちよい時代小説

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時は江戸時代。大坂で起こった大水害で両親を失った幼い澪は、有名料亭「天満一兆庵」のご寮さん(女将さん)に出会い、奉公人となる。しかしあるきっかけから旦那さんにその舌を見込まれ、女ながらに板場に立つことを許される。大坂での名声を手に天満一兆庵は江戸店を構えまさに上り調子。

しかし江戸店を任せた若旦那の吉原に通いにより資金は底をつき、江戸店はおろか大阪本店まで潰れてしまう。そしてその心労がたたったのか、旦那さんも天満一兆庵の再建を願いながらも無念のまま、澪に「託せるのはお前はんだけや」という言葉を残して他界。以来、澪はご寮さんと二人、右も左もわからぬ江戸の長屋で、肩を寄せ合い慎ましく生きている。

江戸での奉公先の蕎麦屋・「つる家」の主人に見込まれ店を任された澪は、大坂と江戸の味の違いに戸惑いながらも江戸の人々に愛される料理を研究していく。徐々に評判は広がり、名料理屋からの妨害もあるが、ご寮さんやつる家の旦那さん、長屋のお隣さんなど人情厚い人々に助けられながら、つる家の発展と天満一兆庵の再建を目指して料理の道を突き進む。


いやー。よかった。それほど期待していなかったし、時代小説だし読みにくいかも…と懸念もしていたのだけれど、想像を遥かに超えて、めちゃくちゃよかった。

不幸な境遇から立ち上がる若き女流天才料理人・澪。女が料理人など…という江戸時代。風当たりは厳しいし、それを乗り越えてお店が上向きになったらなったで有名店からの妨害があったりと、澪の道はお決まりのように一筋縄ではいかない。うん。とってもオーソドックスなストーリー。

枠だけ見れば、同じような構成の作品はありふれていると思う。しかしそこに澪をはじめ魅力的なキャラクターがあって、人情があって、おいしそうな料理があって…とっても魅力的な仕上がりになっている。うーん、何度も書くけど、めちゃくちゃいい。いくところでも目頭が熱くなる、そんな作品だ。

料理の道の奮闘記というのは珍しいストーリーではない。しかし本作のちょっと面白いところは、大坂出身の澪が江戸で料理屋を営むというところにある。先日もブログネタにかこつけて書いたのだけれど(→参照記事)、関西と関東では食文化が違う。出汁の取り方から始まって、味付け、食べ方…現代においても異なる点が多々ある。

初めは江戸の味覚に反発を覚えていた澪も、江戸の人々と関わっていくうちに江戸には江戸の、大坂には大坂の、いいところを見出す。そして江戸の人々に好まれる上方料理をつる家で出していく。それは、初ものを好む江戸では嫌われる戻り鰹を使った料理であったり、大坂では砂糖をかけて食べる心太の酢醤油添えだったり、大坂で愛される昆布だしと江戸で愛される鰹だしの合わせだしを使った茶碗蒸しであったり…。

また、初ものを喜ぶ江戸と、季節の物を安価に仕入れて喜ぶ大坂の違いなど、気風における違いも垣間見られて、もしかしてこれは現代でも人より安く物を買うことに喜びを見出す大阪人の性格に通じるものかも?!などと色々想像を膨らませてしまう。

察するに、どうやらこの作品には続編がある様子。本作では上方料理屋・つる家はまだまだ始まったばかり。これからどうなっていくのかが楽しみで、続編を期待せずにはいられない。また18歳の澪を何かと気にかけてくれる謎の浪人風の男・小松原や、医者の源斉などといった若い男性も登場するので、澪のこれからに恋の予感も期待してしまう。

あぁ。初版が刊行されたばかりだけれど、早く次作が出ないかなぁ…と楽しみなシリーズがまた一つ増えた。時代小説は苦手だなーと思っていたけれど、最近は時代小説に見られる人情がとても心地よい。

最後に、本書のラストにはストーリーに登場する料理のレシピが収められているので、料理好きの方にはとっても嬉しい一冊のはず。


『八朔の雪 みをつくし料理帖』収録作品
・狐のご祝儀――ぷりから鰹田麩
・八朔の雪――ひんやり心太
・初星――とろとろ茶碗蒸し
・夜半の梅――ほっこり酒粕汁


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