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  3. Tuckerさんのレビュー一覧

Tuckerさんのレビュー一覧

投稿者:Tucker

252 件中 31 件~ 45 件を表示

紙の本思考の整理学

2011/10/08 22:54

考察魔になる方法

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

以前、「東大・京大で1番読まれた本」という帯で話題になった本。

よく売れただけに、いつも行く何軒かの古本屋には大抵、何冊が揃っている。
本自体とは関係ないが、古本屋の楽しみの一つに「過去の流行に思いを馳せる」というものがある。
売れた本ほど分かりやすいが、この本は、まさにこの遊びができる類の本だった。

前半は「考える」ことについてのエッセー。後半は「論文を書く」という前提のハウツー物という感じになっている。

なるほどと思ったのは、名案が思い浮かびやすい「3上」
・馬上(今なら通勤電車内)
・枕上(特に朝)
・厠上(厠=トイレ)

振り返ってみると、煮詰まっている時に解決案が思いつくのは、職場の自分の席ではなく、全く関係ない事をしている時だったりする。

じっとして考え込んでいるよりも、半自動で何かしている時の方が名案が思いつきやすいらしい。
ダーウィンは「進化論」の研究の際、よく庭を散歩して、考えを巡らせていたそうだ。


そして、名案を思いついても、すぐには使わないで、一旦、寝かせる。

テレビで見たが読書感想文も読んだ後、すぐには書かない方がいいらしい。忘れても構わない枝葉末節は切り捨てて、印象に残った部分だけが残るだからだそうだ。
仕事でも大事な資料を作った後、見直し作業は、すぐには入らず、少し間を置いて(できれば次の日に)から入るようにしている。
また、この感想自体も読んでから少し時間がたってから書いているがうまくいっているだろうか。


さらにまとまった考えはとりあえず書き、読んでみる。(声に出さなくてもよい)
読んで、つっかえた所が考えがまとまりきってない部分だ、というもの。

少し前に5分間スピーチをする事になったが、ちょうどその少し前にこの本を読んでいたので、この手法を使ってみた。
発表するつもりで(声は出さずに)読んでみたが、確かにつっかえた部分は、ちゃんと整理ができていないとうすうす感じていた部分だった。


ちなみに実際のスピーチは、緊張してボロボロ。こういうものは回数をこなさないと・・・。

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紙の本世界は分けてもわからない

2011/06/11 23:37

全体と部分

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

人は大きく「マップラバー」と「マップヘイター」に分類できるらしい。

「マップラバー」というのは「地図大好き人間」
自分の位置と目的の場所の位置を定めないと動けない、というタイプの人。鳥瞰的に世界を知る事が好きな人である。


「マップヘイター」というのは、その逆。
全体像には興味がなく、自分の前後左右などの関係性だけ分かっていれば十分、という人。


一見、「マップラバー」の方が良さそうに見えるが、実は道に迷いやすいのはこちら。自分の位置が特定できないと動くこともできなくなってしまうものらしい。

時と場合によるかもしれないが、自分は「マップラバー」の方であると思う。


「これについて調べなさい」と言われたら、まず全体の概要を把握して、その上で調査対象が、いくつかに分割できるなら分割し、それぞれの部分ごとに分解して機能を調べるだろう。
おそらくは、多くのひとがこのような方法でやるだろうと思う。


何かについて調べる時、それを細かく分けていかないと、どんな性質を持つものか分からない。
だが、分けたものを単純に合計したものが全体か、というとそうでもない。(特に生き物の場合)

そのような意味で「世界は分けてもわからない」のである。ただし、「分けないと理解できない」が・・・

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紙の本レナードの朝

2011/05/29 17:30

目覚めはある朝突然に

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

1920年代に流行した病気、嗜眠性脳炎。
体の痙攣が徐々に進行し、次第に体を動かすことができなくなってしまい、やがて脳の機能も停止してしまう、と考えられていた。

そして、30数年後、嗜眠性脳炎患者が入院している病院に勤めるようになった著者は、パーキンソン氏病の治療薬として開発されたLドーパが有効であるかもしれない、と考え、患者に投与しはじめる・・・


オリヴァー・サックスの本は割りとよく読んでいる。
映画の「レナードの朝」を見たのがきっかけで、その原作である本書を読み、その後「火星の人類学者」「妻と帽子を間違えた男」と読み進めていった。

「火星の人類学者」「妻と帽子を間違えた男」は、患者のエピソードが主であるが、本書は、患者達の症例以外にも専門的な事も書かれているので、内容は難しい部分もある。

ただ患者の症例の部分だけでも十分、面白い。
映画では、薬に対する患者達の反応は同じように描かれていたが、実際は、まるで異なるものだったらしい。
中には、文字通り「飛び起きた」人もいたそうだ。


薬のおかげで退院することもできた人もいれば、感情の起伏が激しすぎるようになってしまった人もいた。

悲しいのは、現実に対処できない(患者にしてみれば、気が付いたら30年近い年月が経っていた)ので、自ら望んで薬を中断した患者もいたということだ。
薬の効果との折り合いをつけることができたのは、ごくわずかだったらしい。


考えさせられるのは、薬以上に効果があったのは、「人との触れ合い」だった、という点だ。

薬によって症状が改善したため、長年、会っていなかった家族と再会すると症状が安定するが、家庭や職場など、「自分の居場所」が見出せないと、いくら薬の量を増やしても悪い症状ばかり出てしまったそうだ。

映画の方でもラストで、「”人の心”がなによりの薬だった」という旨の台詞が出てくるが、やや唐突なので、意味する所が分かりにくかった。
が、原作のこの部分を読んだことで、ようやく腑に落ちた。

ありふれた言葉だが、人は人なしでは生きていけないのだ、という事がつくづく思い知らされる。

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紙の本ニッポンの書評

2011/05/21 10:53

「縛り」がると「楽しい」

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「ニッポンの書評」の書評、と言いたいところだが、書いている当人は「読書感想文」のつもりなので、この表現は使えない。

この本は「書評の書き方」ではなく、それ以前の「心構え」について述べている。
(最後の方にテクニック的なこともかいてあるが)

ただし、内容はシンプルで、納得できるものである。
曰く
・書評自体、読んで楽しいものにする。
・ネタばらしには注意
・悪意の垂れ流しは厳禁


要するに
・読む人がいる事を意識する
・紹介する本を読みたい
と思わせるという事だろう。

少し耳が痛いのが「援用」の落とし穴。
本を紹介するはずが、本をダシにして自分の主張を展開するようなものであってはならない、というもの。
時々、脱線して違う話を書いていたりするので自戒が必要。

そして、気をつけているのが、「悪意の垂れ流し」
こういうものは読んでいて気持ちのいいものではないので、批判的な事を書く時は、「笑えるがポイントをついている」というものにしたい、と思っている。
ただし、そういう本には、あまり出くわさない上、難しいので一度もやったことはないが・・・。

難しいと思ったのは、「その人にしか書けない書評」というもの。
有名人や知人など他人ならば、何となく「その人しか書けない」というものは分かりそうだが、自分の事となると、サッパリ分からない。
そのうち、分かるようになる、と思いたいが、本の感想をブログにアップするようになってどれだけ経っているか、を考えると「何たるザマ」と思ってしまう。


ところで、この本の中で実践してみようと思った点がある。
それは
・文字制限をつける。
・発表する想定媒体を考える。
というもの。制限があるからこそ、腕の見せどころなのだろう。

これで空白含めず、約800文字。
想定媒体は新聞の読書欄。本好きの大人が読む、という想定。

それにしてもこの文字数で、面白く読ませ、本の魅力を伝える、という事は至難の業だ、ということがよく分かった。
今までダラダラと書いていたが、それがどれほどラクだったことか・・・

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紙の本星守る犬 続

2011/04/30 00:38

対となる物語

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「星守る犬」の続編である。

前作を読んでいなくても楽しめることは楽しめるが、一部分からない件があるのは否めない。
そもそもタイトルに「続」と付いているくらいなので、前作から読んだ方がいいだろう。
この感想も前作を知っている人が読む、という前提で書いている。


「続・星守る犬」は2つのエピソードからなる。

一つは前作で拾われなかった犬を巡るエピソード。
(一応、前作を見直してみたが、冒頭、犬が拾われるシーンで一コマだけ、もう一匹、犬がいるのが描かれている)
もう一つは、前作で「お父さん」が一時的に道中を共にした家出少年と犬のエピソードである。
そして、その2つのエピソードがエピローグで繋がってくる。

前作も続編も1つ目のエピソードは、成り行き上、飼う事になった犬に救われる人の話。
2つ目のエピソードは前作も続編も最初、主人公は犬に対して(大げさに言えば)「贖罪」の気持ちを持っている。
そして、前作は悲しいラストであったが、続編の本作はハッピーエンドとなっている。

意識的に、いろいろな所で前作と対になるようにしているのだろうか。
対比させて読むと、他にも発見があるかもしれない。

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紙の本くらやみの速さはどれくらい

2011/03/06 22:39

アイデンティティとは?

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

自閉症が治療可能になった未来。ただし、その治療法は幼児期に施さないと意味がない。
主人公は、その治療方法が開発される前に成人した、自閉症者の最後の世代。

そういう人達を雇用すると、その割合に応じて優遇税率が適用される、という法律があるという事と、他人とのコミュニケーションがある程度まで普通にできるような治療法が確立されている事と、なにより主人公本人が様々な現象の中からパターンを見出すことに特異な才能を持っている事から、それを利用したいと思う企業で働いていた。

自分の仕事に誇りを持ち、趣味のフェンシングを楽しむ日々だったが、ある日、上司から成人した自閉症患者を治療する画期的方法の実験台になることを迫られる・・・

裏表紙には "21世紀版「アルジャーノンに花束を」"と書いてあるが、治療による変化は話の中心ではなく、大半は、主人公が日常の出来事を語っている。
(ちなみに解説によると著者の長男が自閉症であるが、別に彼がモデルという訳ではないらしい)

印象的なのは、治療を受けるか悩む場面だ。
医者は、安心させるために「何も変わらない」と言うが、「自閉症でない自分」になる以上、「何も変わらない」事はありえない。
同じ症状の仲間は自閉症は、自分の一部であり、それが
なくなってしまうことは、自分のアイデンティティの一部が無くなることだ、と悩む。

ちょうど少し前に読んだ神経学者のオリバー・サックスの「妻を帽子と間違えた男」や「火星の人類学者」、マイケル・J・フォックスの「ラッキーマン」や「いつも上を向いて」で「病気は自分のアイデンティティの一部」といった意味のことを言っていたのが重なる。

そして、もう一つ印象的な事。
話の中の設定で、主人公は、一般社会でも他の人と(ある程度まで)一緒に暮らせるように、治療を受けている、という設定になっているが、考える事とか似ている部分があった。
ふと誰がどのようにして、正常とそうでない事に境界線をひいているのだろう、と思ってしまった。

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紙の本23分間の奇跡

2014/09/14 20:47

一見、正しく聞こえる話

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

とある国のとある小学校が舞台。
とある国は、外国と戦争し、降伏した。

降伏後、とある小学校での最初の授業。
これからどうなるのか、分からないので、生徒はもちろん、先生までも浮き足立っている。

そして、やってきた外国の先生は・・・。


子供たちは、子供心ながらに、ヒドイ事になるのでは、と予想していたが、その予想は完全に裏切られる。
それどころか、これまでよりはるかに「いい先生」だったのだ。

学校に来る前にあらかじめクラスの生徒の席の場所と名前を全て暗記していたり、
頭ごなしに「○○をやれ」と言う事はせず、意味を考えさせ、理解させた上でやらせたり、
何より、生徒の意見は、全て受け止め、決して否定しなかった。

生徒達は、だんだんと新しい先生が好きになっていく。
ただ1人ジョニーだけ、最後まで疑い続けたが、ある出来事をきっかけにして、新しい先生を全面的に信用するようになる。

授業は9時に始まった。
新しい先生がジョニーを含めたクラス全員の信用を得た時、ふと時計を見ると、9時23分だった・・・。


非常にコワイ話。

事前に状況設定を知らなければ、「理想的な教師の事例」を紹介したものだと思ってしまう。

新しい先生の言う事は正しいのだ。
「国旗の方が人の生命より大事だなんて、そんな事あるのかしら?」
「たとえ大人の人でも、考え方が間違った時には教えてあげるのが正しい事でしょ?」
「目を閉じて、神様にお願いしても、"あたしたちの指導者"にお願いしても、本当は何も出てこないの。」

が、「正しい」の前には「一見」という言葉が付く。

「国旗の方が人の生命より大事だなんて、そんな事あるのかしら?」
と言う先生に、ジョニーは
「国旗は、僕達のものだ」
と言う。

その言葉を聞いた先生は「そうね」と言い、(教室に置いてある)国旗が欲しい、と言い出す。
そして、みんなも少しずつ持つべきだ、とも。

その結果、生徒達は嬉々として国旗を切り刻んで、各自が持ち、無用になった旗ざおは外に投げ捨てられる。
事情を知らない人が、行動だけを見た時、何を意味する事にみえるか?


「たとえ大人の人でも、考え方が間違った時には教えてあげるのが正しい事でしょ?」
間違ったかどうかは、誰が、何を基準に判断するのか?
また、「教えてあげる」場所が、強制収容所と思わしき場所であったら?


「目を閉じて、神様にお願いしても、"あたしたちの指導者"にお願いしても、本当は何も出てこないの。」
この言葉の直前に、先生と生徒達全員が、お祈りで神様にキャンディをお願いする。
が、当然、キャンディは出てこない。

その後、"あたしたちの指導者"にお祈りしている時、新しい先生は、こっそり生徒達の前にキャンディを置く。
(お祈りの最中は、目をつぶっている、と約束させている。)

驚く生徒達。
ただし、目をつぶっていなかったジョニーは、こっそり先生がキャンディを配るのを目撃していた。
その事を指摘された先生は、この言葉を言う。

指摘されなかったら、どのように言うつもりだったのか・・・。


最も恐ろしいのは、これらの事は、先生も「教えられたとおりにやった」事である、という点。
外国の「誰か」が、ある意図をもって、台本を書いたのだ。

これらの事は、最初から「アヤシイ」と分かっていたから、そう思えたにすぎない。
(加えて、"お話"なので、分かりやすくしていた、というのもあるだろう。)

現実にあったら、苦もなくノセられている気がする。
しかも、23分よりも短い時間で・・・。

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「備え」あれば、「憂い」(が少し)無し

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2011年3月11日の東日本大震災から3年。節目の日に各テレビ局が特番を放送していた。
が、内容はともかく、翌日から、何事もなかったかのように通常の番組に戻るあたり、風化も感じたのも事実。

テレビの特番と発想は変わらないが、できるだけ当時の情況を生々しく伝えるものを読んでおこうと思って、手に取ったのが本書。

"「最大被災地」を医療崩壊から救った医師の7ヶ月"というサブタイトルからすると、一人の「ヒーロー」が大活躍したかのような印象を受けるが、正確には"医師"ではなく、"石巻圏合同救護チーム"とすべき。

確かにリーダーは著者で、その働きは顕著だが、一人が全てをやった訳ではない。
チームのメンバーが同じ方向に向かって進むようにはしたが、現場レベルの判断はメンバーが自主的に行っている。
(実際、現場が工夫していた事を後から知って、そのおかげで混乱に陥らずに済んだ、というケースもあった。)

ゾッとするのは、たまたまの幸運に恵まれた、というだけの事があったという点。
しかも重要なポイントで。

一つは直前に最低限のマニュアルが整備されていた事。
同じく、直前に著者が「知事から任命された"災害医療コーディネーター"」という肩書きを得ていた事。
(これにより「○×病院の一人の医師」としてではなく、"災害医療コーディネーター"という肩書きで対外的な折衝がスムーズにできた)
また、なにより著者が勤務する病院が沿岸部から内陸部へ移転していた事。

このマニュアルが整備されていた事で初動の対応は比較的スムーズに完了したらしい。
が、その後、未曾有の災害であることが徐々に判明し、「想定外」だらけの事態に直面する事になる。

即断・即決が求められる中で、現場が混乱に陥らなかったのは、チームが「被災者のためにできることは何でもする」という共通認識を持っていたから。
その「できること」の中には、明らかに医療とは関係ない事も含まれていた。

最初の孤立無援の状態から、徐々に日本全国からボランティアや、被災者治療のために医師たちが集まってくるが、中には「勘違い」している人も。

「そもそも論」や「べき論」を言い出す人に対しては、次のように言ったらしい。
「評論家はいらない」と。

この言葉が一番、印象に残った。
その時の著者たちが立たされた情況が垣間見えそうだが、自分の想像力の範囲を超えている。

本書は震災当時の情況の記録と共に後から見えてきた今後の反省点も書かれている。
一つの貴重な事例、であると同時に緊急時マニュアル作成の参考書でもある。

緊急事態の時は、何をしていいのか分からなくなるので、やはりマニュアルは必須。
ただ、忘れてはいけないのは、マニュアルには最低限の事しか書かれていないし、マニュアルが想定していない情況は、いくらでも起こる、という点。
実践的な訓練も大切なのだ。

やはり、一番は「備え」。
そして、肝に銘じておかなければならないのは「天災は忘れた頃にやってくる」

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紙の本スターダストメモリーズ

2013/06/16 21:56

Sukosi Fushigi(SF)な物語

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

星野之宣のSF短編集。
宇宙探査の最前線や未知の惑星、生物に向かい合う人々を描いた作品が多い。

今まで読んだ著者の作品はハードSFばかりだったが、この巻では、SFコメディ作品も収録されている。
しかも、完全に遊んでいるような作品からブラックユーモアまでバラエティに富んだ内容。

全体として、どこか藤子・F・不二雄のSF(「少し不思議」の略)短編のテイストを感じさせる作品が多い。

印象に残ったのは次の作品
「セス・アイボリーの21日」
「ウォー・オブ・ザ・ワールド」
「ターゲット」
「大いなる回帰」

「セス・アイボリーの21日」
主人公セス・アイボリーの乗る宇宙船が不時着した惑星は生物時計の進み方が異常に早い惑星。
セスの体は、わずか2日で10年は老化してしまっていた。
救助隊が来るまで21日間かかる。が、この星では、それまでに老衰で死んでしまう。
セスが取った方法とは?

この結果を「救助された」と言っていいものかどうか、と思ってしまった。

「ウォー・オブ・ザ・ワールド」
アメリカの古いB級SF映画への愛にあふれた(?)作品。
星野之宣はハードSFや宗像教授シリーズのような作品ばかり、と思っていたが、短編とは言え、こういった作品があることは知らなかった。
農家のおやじのシニカルなモノローグがたまらない。

「ターゲット」
こちらもコメディ作品だが、ブラックユーモアの色合いが強い。

巨大隕石が地球へ直撃するコースにあることが発見される。
このときばかりは、年中、いがみあっていた大国同士も一致団結して、隕石を破壊する。

だが、地球直撃コースにある隕石は、これ一つだけではなかった。
一つだけでもかなり珍しいのに、なぜ他にも・・・。

最後のページで思わず、ニヤリとしてしまう作品。

「大いなる回帰」
2061年のハレー彗星接近を目前にした世界が舞台。

だが、ここで、さらに次のハレー彗星の接近時、地球に直撃する可能性がある事が判明する。
そこで、今回の接近時、ハレー彗星の近くで、核ミサイルを爆発させ、彗星の軌道をわずかにずらし、太陽に飛び込む軌道に乗せる計画が立ち上がる。

彗星こそが生命の母胎(パンスペルミア仮説)と考えている主人公と、その父は悩む。
「生命の母胎を消滅させてしまってよいのか?
 だが、やらなければ(遠い将来)地球に直撃してしまう」

主人公が決断した方法とは・・・。

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ウロボロス

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

物理学で物質を構成する最小単位と言われている素粒子。

最初は原子が最小単位と思われていたが、その後、原子は原子核と電子でできている事が分かる。
そして、原子核は陽子と中性子から成る事が判明し、その陽子と中性子は3つのクォークから成る事が分かってきた。
他にも、この宇宙を作っている素粒子がいくつも見つかっている。

タイトルからすると一瞬、SFに出てくるような「異次元」とかの話が出てくるのか、それとも哲学的な話が出てきてしまうのかと思ってしまうが、本書では物質を構成する最小単位、素粒子についての解説を行っている。

あえてだと思うが、専門的な式を使わずに説明しているので、とっつきやすいイメージがあるが、そのためにざっくりとした説明になっている部分もある。
むしろ、詳しい説明になっていたら、途中で挫折していただろう。

全部で7章あるうち、1章から5章までを使って、素粒子自体の解説や、発見までの歴史が語られ、6章を丸ごとヒッグス粒子についての説明。
そして、7章になって、初めてタイトルにもある「宇宙になぜ我々が存在するのか」が語られる。

ヒッグス粒子の解説もなかなか面白かった。
著者の推測ではあるが、ヒッグス粒子は異次元で運動している素粒子ではないか、という辺り、SFとしか思えない。

宇宙論の場合、優れたSFと実際の理論は、どちらがより奇抜で正確かを争っているようなところさえある。
(大袈裟に言っているが・・・)

ところで、結局のところ、「宇宙になぜ我々が存在するのか」という問いの答えは「物質」があるから。
一見、あまりに当然な事かもしれないが、よく考えてみると、そうでもない。

「物質」と「反物質」が同じ量だけあるはずが、今は「物質」の方しかない。
(その理由はあるのだが・・・)
重力などをはじめとした物理的な力の強さなどは、人間が誕生するのに絶妙な(というより、出来すぎなくらいの)強さになっている。

少しでも値が違っていたら、宇宙や恒星、人間は誕生していない。
あまりに出来すぎなので、宇宙は他にたくさんあって、その一つが自分たちがいる宇宙ではないか、という事を解説しているのが、著者の別の本「宇宙は本当にひとつなのか」

物質の最小単位について調べていたはずが、宇宙の姿を(別の宇宙の姿さえも)解明する方法にも繋がっていたというのが、不思議、というか面白い。

本書の冒頭で紹介されているが、素粒子の研究は「ウロボロスの輪」のイメージだという。
ウロボロスは自分で自分の尾をくわえて円になっている蛇。
尻尾を「素粒子」と例えるなら、頭は「宇宙」となる。

「ウロボロスの輪」は、ギリシア神話で「宇宙の調和」を表すシンボルらしい。
まぐれ当たりとは言え、意外と、いい線いっていたのか・・・。

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紙の本渡りの足跡

2013/04/06 14:28

WATARIDORI

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

渡り鳥をテーマにしたエッセイ。
北からやってくる冬鳥を訪ねる旅行記でもある。

各章の最後にその章で登場した鳥の説明が載っているが、名前から姿が思い浮かばないと十分に楽しめない部分も一部あるので、図鑑があればそれで、なければネットで鳥の姿を確認しながら読んだ方がいいかもしれない。

例えば、ツメメドリとエトピリカを紹介している部分。
ツノメドリ:
「どうにもこうにも困り果てた、というようなその表情」
「ただひたすら困惑している。まいった、という風によめる」

エトピリカ:
「はっきり迷惑しています、と断言しているようである。だが、積極的に怒っている、というほどではない。」
「こちらでできることがあるなら何かいたしますが、と思わず手を差し伸べたくなるような」

表現だけでも面白いが、写真で姿を確認すると、笑い出してしまいそうになるくらい、この通りだった。

本書は渡り鳥の話が中心であるが、渡り鳥が縁で知り合った人の話もいくつか登場する。
その人との触れ合いを単純に楽しめるものもあるし、重い話も。
このあたり一筋縄ではいかなかった。

話は変わるが、本書を読んでいて、2001年のフランスのドキュメンタリー映画「WATARIDORI」を思い出した。
その中で空を飛んでいる鳥たちは、
「優雅に飛んでいる」
というより
「羽ばたいていないと落ちてしまう」
という感じで飛んでいた。

読んでいる時は、そんな鳥たちの姿が思い浮かんだ。
もう一度、「WATARIDORI」を見てみよう、と思う。

ところで、毎年、渡り鳥を見る度に思うことがある。

白鳥などの大型の鳥ならまだしも、ツグミやツバメのように比較的小さな鳥は、一体、どこに長距離を移動する力を持っているのだろう?
休みなしで一気に飛んでくる訳ではないにせよ、あんな体のどこにそんな力が?
それに、渡りを始める時と、帰る時は何がきっかけになるのだろう?
「ここが目的地」というのは、明確に認識しているのだろうか?

一度でいいから聞いてみたい。

この本の紹介文には
「この鳥たちが話してくれたら、それはきっと人間に負けないくらいの冒険譚になるに違いない」
とあるが、「人間に負けないくらい」どころの話ではないだろう。

今の時期、冬鳥の大半は北へ帰っている。
のんびり組のコガモなら、まだ日本にいるだろう。そして、もう少ししたら、今度はツバメがやってくる。

彼らを見かけたら、肩でも揉んであげようか。

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観察力

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「身の丈ワイルドライフ」を標榜するコミックエッセイ。
今回は著者が台湾に行った時のエピソードも収録されている。

相変わらず著者の周辺の出来事(台湾編を除く)ばかり。
時折、取材などで遠出をする事はあっても、基本は著者の住居周辺のことばかり描かれている。

それだけで14巻も巻を重ねているのは、ひとえに著者の観察力の鋭さによるものだろう。
鳥たちのちょっとした仕種まで、よく観察していると、毎回、感心させられる。

今回は、カルガモのヒナの「かきかきリレー」がツボに入ってしまった。

自分も野鳥や(飼育されている)シマリスの写真を撮るのだが、カメラを構えたからと言っても、彼らは何か「芸」をしたり、ポーズをとってくれるわけではない。
しばらく観察し続けていると、時たま、面白い瞬間に出くわす、という具合だ。

以前、テレビで動物園の飼育係の人が
「その動物の魅力を知りたいなら、しばらく(最低でも15分くらいは)観察し続けて欲しい」
と言っていた。

おそらくマンガになっていない部分(何事も起こらない時)は時間にすると、かなり膨大になるのだと思う。
それでも飽きずにマンガを描き続けるのだから、鳥に対する愛情の深さが察せられる。

だからこそ、鳥たちも著者には、「素の姿」を晒すのかもしれない。
どこか遠くの自然が多く残っている地にいる動物たちを見るのもいいが、普段、自分たちと一緒に暮らしている鳥に目を向けると、いつもと違う光景が見えてくるかもしれない。

ちなみに先日、ムクドリ夫婦同士(?)のタッグマッチを目撃した。
我が家の2階のベランダにせっせと「種まき」をする連中は、こやつらだろうか。

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紙の本変人偏屈列伝

2012/05/20 11:51

栄光なき変人たち

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「ジョジョの奇妙な冒険」の荒木飛呂彦が選んだ変人・偏屈者の6エピソードから成る。

取り上げられたのは次の6人。

タイ・カッブ
      ・・・メジャーリーグ史上、最も偉大かつ最も嫌われた選手
康 芳夫
      ・・・自称「虚業家」
メアリー・マロン
      ・・・「腸チフスのメアリー」と呼ばれた人物
サラ・パーディ・ウィンチェスター
      ・・・館を増築しつづけ、不可思議な間取りの建物を作り上げる
ホーマー&ラングレー・コリヤー
      ・・・元祖ゴミ屋敷&引きこもり兄弟
ニコラ・テスラ
      ・・・エジソンのライバルと呼ばれた男

この人選を見るだけでも荒木飛呂彦らしさが滲み出ている。
それぞれかなりクセのある人物だが、ホーマー&ラングレー・コリヤーにいたっては「何もしていない」のに取り上げているのが面白い。
(ゴミ屋敷、引きこもりの元祖のような兄弟ではある)

荒木飛呂彦自身、変人偏屈列伝にリストアップされてもおかしくない気もする。


この人達の行動の根本にあったものは何だったのだろう。

法を犯したわけではない。
つまるところ、自分の「仕事」に熱心であったにすぎない。
(熱心すぎた、とも言えるが・・・)

周囲の人を困惑させたが、意図的に傷つけようとした事はない。
(自分の「我」を貫き通したために、結果的に傷ついた人はいたが・・・)

誰でも自分を中心に物事を考えてしまうが、多くの人は、その途中で周りとの関係を考え、少しずつ「修正」していく。
それでも「修正」をせずに、そのまま突き進もうとする人はいる。それも少なからずの人が。

そういう人達と本書で取り上げられた人達とは、どこが違うのだろう。

突き進もうとするパワーと方向が、多くの人が許容範囲とする中からはみ出しているだけでしかないような気がする。

彼らの行動の結果は眉をひそめるものが多いが、それでもどこか共感を覚えるのは、程度の差こそあれ、誰にでも同じ事をする要素を持っているからだろうか。
・・・とすると、つい使ってしまう「普通」というのは何だろう?

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「普通」は普通ではない

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本書は社会学での調査において質的に調べるために基本であり大切だと著者が考えた事を述べたもの。

「質的に」というのは、数字だけでは説明できない現実を調べるために生きた答えを得ること。

「住みやすいですか」という質問に対して、5段階評価でAさんは4点とし、Bさんは2点とした場合、2人のデータを単純に比較することはできない。
なぜなら「住みやすさ」の基準がAさんとBさんで同じかどうか分からないから。

このようなケースの場合、インタビューなどの人との対話が必要になるのだが、その際、著者が大切にしていることを述べている。

社会学そのものに興味を持っていたわけではないが、
「あたりまえを疑う」
「”普通であること”に居直らない」
といった点が気になったので、この本を手に取った。

「普通」という言葉は、ついつい使ってしまうものではあるが、よくよく考えてみると、この「普通」には特に定義があるわけでない。

厳密に言うなら「その他いろいろ」でしかない。
少人数の集団が、世間一般からは「A」というカテゴリーで呼ばれていた、とすると「普通」というのは「A以外」の人々、という事でしかない。
「A」は明確に定義されるが、「A以外」は「A」と線引きをしているだけで、特に定義されているわけではない。
しかも「A」というカテゴリーが適切かどうか、という問題もあったりする。

カテゴリー分けは便利で、強力だが一歩間違えると「先入観」「決め付け」となってしまう。
なんでもかんでも疑うと疲れてしまうが、自分にとって大切な事に関しては、基本的なところから疑ってかかった方がいいかもしれない。

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紙の本海にはワニがいる

2012/02/18 16:18

旅路の果てに

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アフガニスタンの小さな村に住むエナヤットラー・アクバリ

ある日、母に連れられて隣国パキスタンへ行く事になる。

夜の旅立ち。
宿でのいつもと違う母の態度。
いぶかしげに思いながらも数日を宿で過ごす。

そして、ある朝、目覚めると隣にいるはずの母はいなくなっていた・・・。

隣国とは言え、異国で突然、独りぼっちになってしまった10歳の少年。
生きる糧を得るために各地を彷徨う。

パキスタン
イラン
トルコ
ギリシア

命がけの密入国を繰り返し、ついに5年後、イタリアにたどり着く。

タイトルの由来は、ギリシアにボートで渡ろうとした時、夜の海を見た仲間が怯えて、あんな真っ暗な水の中にはワニがいるかもしれない、と言った事から。
人生には、どんなキケンが潜んでいるか分からない、といった意味らしい。


本書は、エナヤットラー・アクバリがイタリア人作家、ファビオ・ジェーダに語った内容を再構成したもの。

そのため、淡々と語っているような印象を受けるが、それだけに悲惨な部分では、その度合いが増して感じられる。
ただ「本人が過去を振り返って語っている」と紹介されているので、つらい状況の場面でも「最終的にはどうにか乗り越えた」という安心感がある、といえばある。

印象に残るのは「市井の偉人」とでも呼ぶべき人々。

エナヤットの母。
エナヤットを置き去りにしたのは、「究極の選択」を迫られ、子供の身を案じたため。
エナヤットと分かれる前夜にエナヤットと3つの約束をする。
「麻薬には手を出さない」
「石ころ一つでも武器は決して手にしない」
「盗み・詐欺は決してしない。皆に優しく、誰にも腹を立てない」
日本でも、この約束、必ず守れる、と胸をはって言える人は少ないだろう。

エナヤットが通っていた学校の先生。
物静かで、大声を出す事もないが、銃で脅されてもタリバーンの学校閉鎖命令に逆らった人。
命令を伝えに来たタリバーンメンバーとの言い合いでは、冷静で筋の通った意見を言い、相手をやり込めてしまう。
そんな先生が、武装した仲間を連れてきたタリバーンメンバーに殺されてしまう場面は読んでいてもつらかった。

その他にもびっくりするくらい親切な人というのは登場する。
が、その一方、信じ難いほど頑迷な人、というのも出てくる。

当然と言えば当然だし、どこの国にもいる、と言えば、その通りではあるのだが、その落差が激しかった。

ところで、エナヤットは最終的に平穏な暮らしを手に入れる事ができたが、これは幸運な例なのだろう。
よかった、と思う反面、エナヤットのようにうまくいかなかった人々の事を思うと心が痛む。
せめて、募金でもしておこうか。

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