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miekoさんのレビュー一覧

投稿者:mieko

30 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本きのう何食べた? 5

2011/10/04 15:02

節約レシピ満載。今日の夕御飯の献立を悩んでいるアナタ、必読!

15人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 働き盛りの弁護士・筧史郎43歳と、人当たりの良い美容師・矢吹賢二41歳という、いささかボーイズというには年をとりすぎているゲイカップルの生活を、食事中心に描いています。モーニングに月一程度で連載されていて、単行本はこの9月に5巻が出ました。

 同居している二人の毎日の食事は史郎が担当。仕事帰りにスーパーに寄り「本日の特売品」をチェックしながら献立を頭の中で組み立てます。どうやら食材の買い物や料理をすることで仕事のストレスを解消しているようです。
 1円でも安く買い物をするのが史郎のモットー。けれど安いものを買ったからといって食卓が貧相になるかといえば決してそんなことはなく、むしろひと手間かけた愛情料理がテーブルに並びます。愛情料理といっても、二人の年齢が年齢ですし、ゲイカップルの将来には我が子に老後の面倒を見てもらうなんていう未来はないわけで、「愛情」=「健康管理」ということで、とってもヘルシーな料理です。その食生活のおかげで、史郎は43歳には到底見えないナルシスティックな外見を保っています。もちろん賢二も同じ食事をとっているうえ、職業が美容師ですから、地味なようでいてなかなかのお洒落さんです。
 一ヶ月の食費の予算が2万5千円という、中学生と高校生の二人の息子がラグビー部員という我が家では考えられないような低予算の中で、とっても美味しそうな料理を作るんですよ、史郎さんは。見習わなければ。

ちなみに1巻第一話の夕ご飯のメニューは次の通り。
・鮭とごぼうの炊き込みごはん (ごぼうとまいたけが安かったので炊き込みご飯にした)
・豚肉とかぶの葉の味噌汁 (豚汁にすると炊き込みご飯とごぼうがかぶるのでかぶの葉を使って味噌汁に)
・小松菜と厚揚げの煮びたし (昨日の残り物で作った)
・大根とホタテのなます (作り置きしていたもの)
・卵・たけのこ・ザーサイの中華風炒め (ちょっと物足りないのでもう一品作った)

 こんなメニューが食卓に並んだら、幸せな気持ちになりますよね。普通の家庭料理なので特段難しくないうえに、史郎が、買い物するときも、料理するときも、ブツブツと独り言のように作り方を確認しながら作ってくれるので、読者にも作り方がよくわかるんです。出汁も麺つゆを代用して時間短縮しているところなんか主婦には嬉しい。そして一話ごとに作り方のポイントが記されているので「ちょっと作ってみよう」っていう気にさせられます。
 1巻が出た時、雑誌かなにかの本の紹介コーナーで「料理初心者や新婚さんにピッタリの料理本」と、この本を紹介していました。私は料理初心者でもないし新婚さんでもないのですが、よしながふみさんの作品が好きだということもあり、1巻からずっと買っていて献立の参考にしています。そしてこの本を参考にして作った料理は、家族にも好評です。

 9月に出た5巻では、「豆ごはん」「鶏肉のトマト煮込み」「コールスロー」「アジのたたき」「キャベツと厚揚げの煮びたし」「トマトと長芋のみそ汁」「ピーマンとじゃこのきんぴら」「夏野菜のカレー」「アボガドとトマトのワサビ醤油あえ」などなど、これまた美味しそうな料理ばかりが登場します。
 
 人の心をつかむには、まず胃袋からと言うけれど、史郎さんの料理にがっつり心をつかまれている私です。ゲイカップルをとりまく人間模様も味わい深いものがありますが、料理本としてもお勧めです。

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どこまでも深い母の愛と苦しみ、そして喜び

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 障害を持つ子どもと生活する、生きていく、ということを、私は特別なことだと他人事ののように漠然と思っていた。しかしこの本を読みながら自分の子育てを振り返ると、その認識は誤りであったと気付かされた。
 私の息子は小さいころから「少し変わった子」だった。身体障害とは違って、知的障害というのは外見だけでは判断できず、周りの人に躾がなっていないと誤解を受けやすい。まだ母親としても未熟だった私は、息子の少し変わった様子が、はじめての子育てによる私の神経質な感覚からきているものなのか、それともある種の障害であるのかを判断できず、ずいぶんと右往左往する子育てであった。しかし私たち親子は幸いにも周りの人々に恵まれ、受け入れられ、今、高校生になった息子の「少し変わった」部分は、しっかりと息子の「個性」となり厚みのある人間に成長しつつあると思う。結局息子は、障害があるという診断にはいたらなかったけれど、私はずっと障害児と健常児の境目にいる子どもと暮らしてきたような気がする。


 点頭てんかんという障害を持つ娘・ひな子ちゃんを、特別支援学校で学ばせるか公立の普通学級で学ばせるかを悩み、そして人々の助けなしでは生きていけない娘の将来のために、あえて広い世界で生きていくための第一歩として公立小学校の普通学級に入学を決めたご両親の決断。その後待ち構えていた、障害を持つ子どもと健常児、そしてその保護者や指導者たちとのあいだで繰り広げられる様々な問題を乗り越えていく様子は、どんなにか心身のすり減るできごとであったかと胸が痛くなった。それでも筆者であるお母さんの、わが子への、そしてわが子をとりまく子どもたちへの愛情に満ちた視線はゆるがず、丁寧に問題と向き合い一歩一歩前に進んでいく。親亡きあと、わが子が生きていけるようにと、すべての人が共に生きる社会を目指して日々努力してきた筆者の25年間の思いを、この本を読んで受け取ることができる。

 私自身の子育てを振り返っても、障害があるかないかという線引きは極めて難しいと思うし、私たちは誰もが病や事故で障害者になる可能性がある。「排除ではなく共に」ということを考えさせられる一冊である。

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紙の本女子の古本屋

2011/10/03 11:58

古本屋という道で生きる覚悟

10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 まったく、恐ろしい本に出会ってしまいました。単行本は2008年に出版されていたにもかかわらず全然目に留まっていなかったのに、なぜ今、出会ってしまったのか。
 『女子の古本屋』ってタイトルを見て、怪しい予感はしていました。著者が岡崎武志さんというのもまた恐ろしい。この本、読みたいけど、読みたくない。どうしようかと一瞬悩んで、次の瞬間にはやっぱり買っていました。「一瞬」しか悩めないというところが、すでに恐ろしい未来に足を突っ込んでしまっているという感じなんですけれど。

 四大工業地帯の一つである地方の街に生まれ育った私は、古本屋というのはあまり馴染みがありませんでした。私は1960年代の高度経済成長期まっただ中、行け行けドンドンという風潮の中で育ちました。子どもの本もその頃から多くの良書が出版されるようになったような気がします。そして、たとえばディズニーアニメの本のような、子どもにとって夢のように楽しい本もまた、シリーズで出版されていました。世の中は高度経済成長期でお給料は右肩上がり。私の親世代は自分たちが戦中・戦後の貧しかった時に与えてもらえなかった教育を自分の子どもには与えたいという気持ちが強く、塾に通わせてくれたり、本も買ってくれていました。ですから買う本は古本ではなく新刊だったのです。

 そんな私が古本屋というのに興味を持ったのは、結婚後、夫の転勤で幼い子どもも一緒に家族で東京に住むことになってからです。夫の会社の社宅が三鷹にあり、ただでさえ魅力的な本屋の多い中央線沿線なのに、子どもの通う幼稚園の近くに凄く素敵な古本屋がオープンしたんです。文芸書・美術書などの他に、絵本や児童書も扱っていたので子どもを幼稚園に迎えに行くときにいつも立ち寄るようになりました。その古本屋のレジカウンターのすぐ脇に「岡崎武志さんが選んだ本のコーナー」のような棚があって、当時の私は岡崎武志って誰?と思いつつ、なんとなくその棚の本をパラパラと見ていたのです。
 その後、また夫の転勤で故郷に戻ったのですが、ある本屋で『古本道場』というタイトルの本を見つけました。その本は作家の角田光代さんと、ライターの岡崎武志さんの共著なんです。その本を読んで、岡崎さんってこんな人だったのかっていうことが解ったのですが、まあ解っただけで、子育てに追われる私は、だからどうしたということもありませんでした。地方に戻った私の生活圏には児童書を扱う洒落た古本屋はないし、全国チェーンの古書店を時折利用する程度になっていたので。

 それが、子どもが中学の2年生になり、そろそろ子育ても一段落しそうな今、岡崎武志・著の『女子の古本屋』を読んでしまったものだから、子育て期間中に心の奥底でふつふつとしていた古本屋への興味が一気に噴き出してきています。

 以前読んだ『古本道場』は、古本の素人である角田光代さんが、岡崎さんの古本道場に入門して、古本屋めぐりの醍醐味を知っていくというもので、いわば古本屋を楽しむお客さん側の視点を書いた本であるのに対して、この『女子の古本屋』は、紆余曲折を経て古本屋を営むようになった女性店主13人の、開業までのエピソードを綴ったもので、経営者側からの視点を書いています。そして最後の章「女性が古書店主になるには」の中に「店を始めるにあたっての心構え」やら「開業すると決心してから」まず何をしたらよいのかという基礎的なことがチラッと書かれていて、それを手がかりに調べて手続きを踏めば私のようなド素人にも「やれるかも」と思わせてしまうところが恐ろしい。

 子どもが高校を卒業するまであと5年。まずは年に一度のイベント的に「一箱古本市」への出店から始めてみようかな、それから、7、8年前から書いている読書記録のブログを広げてインターネットの古本屋を開業できるんじゃないか、そして子どもが大学へ進学して家を出たら……なんてことが頭をよぎってしまいます。

 本書の最後は、「古本屋というのは資金がいくらあったらやれるとか、古本屋で儲けようとか、そんな考えでやるもんじゃない。古本屋とは、つまり生き方の問題なのだから」なんていうふうに締めくくられているのですが、こんなこと書かれると、もう心がグラグラしてしまいます。本書に紹介された13人の女性たちのような強烈な人生を持っていない私でも、5年後、ささやかに、けれど自分自身の生き方として、古本屋をやっているかもしれない。この気持ちが「はしか」のような一過性のものなのか、それとも覚悟といえるものなのか……。

 本書がキッカケで独立した女子もいる、ということですが、ホントにその気にさせられる、恐ろしい、いや、背中を押してもらえる一冊です。

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紙の本真昼の星空

2012/01/19 17:49

小さな時間の小さな読書の幸せ

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この本は1998年6月から2001年3月の間に読売新聞の日曜版に連載されていたエッセイ142編のうち80編に加筆訂正して2003年に単行本として出版され、2005年に文庫化されたものです。

 著者の米原万里さんは東京生まれながら子供時代の数年をプラハのソビエト学校で過ごしたそうで、のちにロシア語通訳・翻訳者になりました。彼女のことを私はよく知らなくて、コメンテーターとして時折テレビ番組に出ていたときの印象しかありません。ですからこのエッセイ集もつい最近になるまで知らなかったのですが、bk1の書評コーナーでこの本を知り、エッセイ好きの私はタイトルに惹かれて読んでみました。

 一番初めの話「昼行灯の面目」は、この本のタイトルになっている「真昼の星空」についてのエピソードです。昼間も空に星はあるのだけれど目には見えない。現実には存在するのに人々の目には見えないものがあり、逆に圧倒的な現実と思っているものが実はそうではなかったりする。つまり目に見える現実の裏に控える、まぎれもないもう一つの現実。「昼の星」はそういったもの全ての比喩なのだ、と書いています。そして彼女は、ものを書くときはこうありたいと念じてしまう、と書いています。このエピソードが私は特に気に入って、まだ一話しか読んでいないうちから、この本に出会えてよかったと思ったのでした。

 少しでも海外で生活したことのある人なら誰でも経験があると思うのですが、自分たちが至極当然と思っていることが、世界的基準からして全く当然のことではないのだということに、しばしば気付かされます。このエッセイは、そういった日本人が当たり前だと思っている生活の癖とでもいうようなものをあぶり出して、軽妙な語り口の文章にしています。それがまた小気味良いんですね。彼女が子供のころに生活したのが西側の国ではなく、東側の国であったことで、それぞれのエピソードも、すっかりアメリカナイズされている私にとってはエキゾチックなものとして新鮮に感じました。

 ひとつのエッセイが3ページ程度と短いし、どこから読んでも話が前後することが無いので、いつもこの本を持ち歩いて、たとえば病院の診察の待ち時間に、買い物の途中のコーヒーショップで、そしてぐつぐつと煮物をしている台所で、といった小さな時間に少しずつ少しずつ3ヶ月以上もかけて読みました。さっさと読んでしまうのがもったいないくらいで、箱の中の色とりどりの小さな一口サイズのチョコレートを一つずつ食べるように、一話一話味わいました。特に気に入っているのは、「日本人の暖房」「グルジアの居酒屋」「美術館の老婦人」「夏休みの宿題」などです。

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私たちはもう少し謙虚に、生活を、人生を、じっくり考えた方がいいのではないか

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 主人公はコペル君という十四歳の少年です。「コペル君」ってどこかで聞いた名前だなと考えながら、もしかしてアレかなと、本棚から『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎・著)という岩波の文庫本を取り出して開いてみました。そしたらやっぱり、こちらの主人公の名前も「コペル君」でした。どちらも「コペルニクス」からとったニックネームです。
 『君たちはどう生きるか』という本は、一度読んでみるといいよと勧められたので、長男が中学二年生のころに、私が先に読んでみて良かったら息子にも読ませよう、などと下心丸出しで購入したものですが、最初の50ページくらいを読んだだけで、そのまま本棚のこやしとなっていました。けれど今回、タイトルは似ているものの、梨木香歩さんの『僕は、僕たちはどう生きるか』は、あっという間に読んでしまいました。

 植物や動物に興味がある、というか環境に興味がある14歳のコペル少年は、両親の事情で一人暮らしです。そして以前は仲良しだったユージンという少年もまた家庭の事情で一人暮らしです。しかも彼は明確な意志を持って不登校を続けています。
 ユージンの住んでいる家は、乱開発の波にのまれていった郊外の町の中に残された、かなり大きな敷地の中に建っています。原生林のような森の匂いがする広い庭には、かつて町の開発の折に、「取り返しのつかないことになる前にそこにある植物を自分の家の庭に移そう」といって保護してきた植物たちがひっそりと息づいており、今となってはユージンの家の庭は「奇跡」のような状態になっています。
 そして、主であるユージンも知らぬ間に、その庭に住んでいる女の子がいました。ユージンのいとこ・ショウコの友達で、抜き差しならない状況に置かれているため、ショウコが母親と相談してその少女をこの庭でこっそり生活させているのでした。

 不思議な縁でこの庭に集まった4人の子どもたちは、彼らにかかわるコペルの叔父・ノボちゃんや、ショウコの母親の友人の息子でマークというオーストラリア人とのふれあいの中で、さまざまなことを語り合います。300ページにも満たないこの物語の中には、環境保護の問題、不登校の問題、命のこと、インターネットの危うさ、垣根が低くなった風俗産業の罠、戦争のこと、ヒトラー・ユーゲントのこと、徴兵制度のことなどが語られています。そんなに沢山のことを盛り込んでしまったら消化不良を起こしてしまうのではないかと心配になるほど沢山の問題を詰め込んでいるのに、それらの問題がバラバラにならず「僕は、僕たちはどう生きるか」というところに集約されていくのが凄い。
 中学生で、この物語のような行動ができるというのは、いささか出来すぎではあるけれど、親の立場で読むと、この子どもたちの生き方はある意味、理想的です。

 しかし、子どもに「どう生きるかを考えよ」と言う前に、様々なことが氾濫している今の世の中で、大人こそがまず価値観を見直してどう生きるかを考えるべきでしょう。

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紙の本舟を編む

2011/11/14 20:43

この本の帯につられて軽い感じで読み始めた若い人に、仕事の何たるかを、それぞれの心で感じてほしい

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 私が高校生の頃、流行りの心理テストか何か忘れましたが「無人島に何か一つ持っていけるとしたら何を持っていく?」なんていう話で盛り上がったことがあります。私は本を1冊持っていきたいと思い、何の本にしようかと思案したあげく「私、国語の辞書を1冊持って行く~」と言ったのでした。漫画の本はあっという間に読み終わってしまうし、小説だってどんなに長編だとしても1度読んだら終わりだし。辞書ならあの薄っぺらな紙のおかげでページ数が多い上に、どこから読んでも何度読んでも飽きないだろうと思ったんですね。
 最近の学生のほとんどは電子辞書を使っているようですが、手に持った時のずしっとした存在感や、ぺらっとしているわりにシャリっとしていて手に馴染むあの紙の感触を味わうことなく人生過ごすのはホントにもったいないと思ってしまいます。

 そんな私ですが、今まで辞書を作るということがどんなことなのか、まったく想像したことがありませんでした。ですからこの本を読んで、辞書一冊を世に送り出すということは、こんなにも大変で凄い仕事なんだと、頭が下がる思いです。

 出版社の営業部にいる若い社員・馬締(まじめ)を、辞書編集部の定年間近の男性・荒木がスカウトします。馬締はちょっとばかり変わり種で、営業部では彼をいささかもてあまし気味の模様。荒木は営業部に出向き、馬締を呼び出して彼と話をするのですが、荒木の質問に対する彼の反応が、普通の感覚からすると若干調子っぱずれなんですね。でもそのはずれ具合こそが辞書編集部には必要なのだと、彼の能力を高く評価し、めでたく荒木は馬締を獲得します。

 若者の仕事に対する能力を見るとき、専門性の高い研究職などは別として、営業部的視点から仕事ぶりを評価することが多いような気がします。気がきくとか、アンテナが高いとか、仕事が早いとか、コミュニケーションが上手い、などなど。
 馬締はなんだかダメダメ感を漂わせた冴えない若者で、営業部的視点では到底評価されそうにないのですが、とにかく言葉に対しての執着というかこだわりが凄い。しかもその言葉を、物理的にきちんと整理整頓できるのです。生活していく中で出会う言葉を、次々と書き留め、調べ、考え、整理整頓していくという、極めて地味で変化の乏しい仕事を、「言葉」好きな彼は黙々とやり続けます。馬締はそんな地味な仕事と真摯に向き合い、一人前の辞書編集者に成長していきます。馬締を含む辞書編集部の人たちは何年も何年もかけて、一冊の辞書を編み上げるのです。

 この本は、帯と、カバーをはずした本体の表紙裏表紙に漫画が描かれてあります。これって若い読者を意識しているのでしょうか。辞書編集なんて堅苦しそうだから若い人は手に取りにくいかもしれないけれど、漫画が描かれていることで「なんか面白そう」と思うかもしれません。特に高校生くらいだと、この装丁は興味をそそるでしょう。読み始めてみれば読みやすくて面白いし、仕事をするということへのメッセージも説教臭くない。同年代同士で一つのことを成し遂げる、たとえば「生徒会活動」や「部活動」と違って、仕事というのは年代の違う人たちと一緒に何かを成し遂げなければなりません。そんなことも若い読者に伝わればいいなと思います。
 辞書編集という仕事を垣間見ることで「言葉」というものにあらためて興味を持ちましたが、「お仕事小説」としても感じ入る部分が沢山ありました。

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紙の本アライバル

2011/10/13 14:16

過去に別れを告げるという選択をした移民たちの幸せとは

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 これは新しい土地へ向かったある家族の物語です。

 慣れ親しんだ土地を離れ、新天地へ移民することになったその家族は、まず夫だけ先に旅立ちます。男は妻と娘と一緒に三人で撮った家族写真を大事に布に包み、旅行鞄に詰めました。旅立つ夫を見送る妻と娘。男は蒸気機関車に乗り、そして蒸気船で海に出ました。男は船室で、家族写真を出し鞄の上に置きました。窓の外を見ると雲が流れ、妻たちがいる土地からどんどん遠ざかっていきます。どれくらいの時間が経ったのでしょうか、ついに新しい土地へ到着しました。入国の際の様々な手続きを終え、男は奇妙な乗り物に乗って行くべき土地へ行きました。
 言葉も通じない、奇妙な生き物があちらこちらにいるような新しい土地に降り立った男は途方にくれます。男はやがて辞書のようなものを片手に、片言の言葉と絵でなんとか寝床を確保しました。宿の部屋には見慣れない物が色々あり、少々心細くなりますが、家族の写真を壁に掛け、写真をじっと見ているうちに落ち着いてきました。
 次の日から始まった新しい土地での生活は、最初の頃はあたふたしましたが、次第に慣れてきて土地の人たちとも打ち解けてきました。知り合った人たちも、やはり自分と同じように過去と決別してきた移民たちでした。
 男は仕事を見つけ、生活が落ち着いてきた頃、ついに妻と娘をその新しい土地に呼び寄せるのです。


 この本には、過去に別れを告げる寂しさや辛さと、新しく生まれ変わるチャンスを手にした戸惑いと喜びが描かれているのですが、文章の無い絵だけの本とは思えないほど雄弁に物語が立ち上がってくるのが素晴らしいです。鉛筆画のような絵はセピア色で、でも濃淡があり、絵に深みが出ています。


 呼び寄せた娘は、案外あっさり新しい土地に馴染みます。子どもは新しいものを受け入れる柔らかい心を持っているのでしょう。その様子がこの家族の未来を明るいものにしていて、読み終わったあと古いヨーロッパ映画を一本観たような、満ち足りた気持ちになりました。
 ぜひ、手にとって開いてみて欲しい一冊です。

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紙の本地を這う祈り

2012/04/16 16:03

生きることに対する私達の意識を根本から覆す写真エッセイ集

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 衝撃的な写真エッセイ集です。
 血を流す少年、少女売春婦の死、病気のドラッグ売り、檻の中の子ども達など、途上国の貧困に喘ぐ人たちの生々しい姿を写真に撮り、その写真についての説明や、背景にあるもの、そしてそれらに対する著者の思いを綴っています。

 世界一恵まれた国の一つである日本に生まれた私たちは、辛いことがあって自暴自棄になったり、リストカットする子どもたちに(もちろん大人にも)「この世の中に無駄な命はない」とか「一人ひとりが大切な存在」とか「この世に生まれたのは、何億分の一の確率で、だからこの世に生まれたことは素晴らしいことなんだ」とか、そんなふうに命の大切さを説いているけれど、この写真に写っている人々の姿は「そんなこと、綺麗事の嘘っぱちだよ」と、甘ったれた私の心に迫ってきます。

 世界の国々を周り、「物乞い」をして生き延びている人々を取材する中で、著者は何度も彼らに手を差し伸べようとし、そして何度も目の前の現実から逃げようとします。しかしそのたびに日本人である自分の常識など、まったくもって通用しないことを痛感させられるのです。その戸惑いが読んでいる私にも伝わって、なんというか、もう、絶望的な気持ちになります。
 途上国の最貧困地域で、戦火を逃れて集まってきた難民キャンプで、ストリートチルドレンの横行するスラム街で、彼らは「命」というものを、そして「生きる」ということを、どんなふうに考えているのでしょうか? いや、「命」とは「そこにあるもの」であり、考えるものではないのかもしれません。今ある命を死ぬまで生きる、ただそれだけなのかもしれません。

 そんな過酷な状況下で生きている彼らにも、ささやかな信仰があり、笑顔があり、喜びがあるのだということもまた、著者は読者に伝えてくれます。しかし、だからと言って彼らが幸せだとは到底思えません。なぜなら彼らの貧困度合いは「ホームレス」だとか「清貧」などと言えるレベルではないからです。

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紙の本おべんとうの時間 1

2011/10/12 15:30

作る幸せと、食べる幸せ

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書はANAの機内誌『翼の王国』に2007年4月から連載されたフォト・エッセイを書籍化したものです。

 夫・阿部了(写真家)と妻・阿部直美(ライター)、そして幼い娘の家族3人で日本全国を回り、お弁当の取材をしました。取材を始めた当初は、娘はまだ妻のお腹の中にいたし、妊娠中そして出産後の子育ての中で気晴らしがしたかった妻が、写真家である夫の作品制作についていく、という感じだったそうです。が、ある男性のお弁当を取材中、その男性の話がとても面白くて、「これを書かないでどうする!」という気持ちになり、写真に文章を添えることになったようです。
 取材を始めた当初、『翼の王国』での連載など始まっていませんでしたから、取材の目的を聞かれた時は作品を発表する時期など決まっていなかったにもかかわらず…「写真集と写真展で作品を発表したいと思っています」と答えていたそうです。友人知人に、お弁当を取材させてくれそうな人を紹介してもらって取材を続ける中で、『翼の王国』での連載が決まります。そしてそのフォト・エッセイはANA機内誌『翼の王国』の人気NO.1エッセイとなっていきました。とにかくお弁当が美味しそう!そのお弁当の写真やお弁当を食べている人の写真からは、たっぷりの愛情が伝わってきます。

 一人目は土屋継雄さんという男性。牛舎を回って搾った牛乳を集めて回る集乳の仕事をしています。朝5時半からの仕事に持っていくお弁当はでっかいおにぎりが一つ。仕事のあい間に頬張ります。以前、製糸工場で働いていたときは、奥さんが弁当箱に入ったお弁当を作ってくれていたそうですが、今は自分でおにぎりを作って出かけます。というのも土屋さんは朝4時過ぎには家を出るし、お互い仕事をもってるから、生活時間が違う。奥さんに迷惑かけずに自分のことは自分でやろうということなんですね。不格好なおにぎりは、ある意味、奥さんへの愛情でしょうか。

 ある女性が作ったお弁当には「幸せ」が詰まっています。帯広ばんえい競馬場で看護師兼馬体重測定係として働いている石井晴美さんには、幼稚園の娘がいます。幼稚園でのお昼ご飯は給食なのでしょうか、時折お弁当を作る日があるのだそうです。ある日、わかるかな?と思いながら卵焼きを真ん中で斜めに切って、切り口を互い違いにくっつけハート型にして娘さんのお弁当に入れたそうです。そしたら娘さんが「おかーさん、お弁当に幸せのカタチが入ってたね」って。
 それを読んでなんだかジンとしてしまった私は、高校生の息子(ラグビー部)のお弁当(しかもドカ弁)に、わかるかな?と思いながら幸せのカタチをした卵焼きを入れたんです。夜、お弁当箱を流しに持ってきた息子は何も言わない。私の方から「今日、卵焼きハート型にしてみたんだけど気づいた?」と聞くと、「ああ、なんかやっとるなと思って、スルーしてすぐ食べた」って。息子はいつも卵焼きは最後に食べるんだって言ってたのに。きっとお弁当箱のふたを開けハート型の卵焼きを見てギョッとしたんでしょう。そしてそれを友達に見られる前に慌てて食べたんだろうと、その様子が目に浮かんで可笑しくなりました。今はまた元通りの卵焼きを入れています。

 阿部了さんは「はじめに」の中に、「母や父、妻や夫、子ども、また友人や恋人が作ってくれたおべんとう、そして、そのおべんとうを食べる人を通して、その向こう側にあるものを見たかった」と書いています。
 『おべんとうの時間』を読んだ読者は、手作りのお弁当は、それが手の込んだものでなくても、作る人と食べる人を緩やかに、そして暖かく結び付けていることを感じ取って、幸せな気分になるでしょう。どうぞ39人分の幸せを味わって下さい。

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紙の本ふがいない僕は空を見た

2011/09/09 20:31

世の中の隅っこで足を踏ん張って生きている人たちの目を通して、世の中の理不尽を考えて欲しい。そんなR-18文学。

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

目次
・ミクマリ
・世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸
・2035年のオーガズム
・セイタカアワダチソウの空
・花粉・受粉

「ミクマリ」で第8回「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞。

「ミクマリ」は主人公の高校生・斉藤卓巳の語りで進む。
「世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸」は斉藤卓巳の不倫相手であるあんずの語り。
「2035年のオーガズム」は斉藤卓巳に思いを寄せる同じ高校の松永七菜の語り。
「セイタカアワダチソウの空」は斉藤卓巳の高校の友達・福田の語り。
「花粉・受粉」は斉藤卓巳の母の語り。

こんな感じで短編連載の形になった一冊です。

 「女による女のためのR-18文学賞」っていうのがあるのは知っていましたが、その受賞作っていうのを読んだことがなかったので、受賞作っていったいどんな内容になっているんだろう?どんなところが良くて受賞するんだろう?と全然想像がつきませんでした。

 正直、「ミクマリ」を読んだときはかなり引いてしまいました。そして「世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸」も昔話題になったTVドラマの冬彦さんを思い出したりして、これって文学っていうのかな?と首を傾げながら読み進めました。けれど読み進むにつれて、「これは……。スゴイな」って。
 特に心を持っていかれたのが「セイタカアワダチソウの空」です。連鎖する貧困ってどうやったら断ち切れるのか。高校生の福田には荷が重すぎる生活を強いているのは、もちろん福田の母親であるけれど、それだけじゃなくきっと周りの大人全部だと思うんです。なのに読んでいる私はそんな彼らを他人のようにしか見れないという罪悪感に苛まれて自己嫌悪に陥りそうでした。それでも最後には一条の光が差してきたので、私が救われました。

 「ミクマリ」や「世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸」でドン引きした波が、一気に押し寄せるように、そして最後は海が凪いでいくように終わります。でもどの話も解決していなくて、というか、完全な解決ってきっとなくて、その先を想像すると辛くなるばかりです。それでも人は生まれて、死ぬまで生きていくんですね。

「性と生」の極限を描いた作品だと思います。

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紙の本ぐるりのこと

2011/08/21 11:43

思うだけでは言葉にならない。考えることで初めて言葉になる。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 先日、梨木香歩さんの『僕は、そして僕たちはどう生きるか』を読んだのですが、読んでいる途中で『沼地のある森を抜けて』という著書があるのを知ったので、続けて読みました。そして『沼地~』を読んでいる途中で、この『ぐるりのこと』というエッセイ集を知り、読んでみたわけです。
 このエッセイ集は2002年から2004年にかけて雑誌「考える人」に連載していたものを1冊にまとめたものらしいです。このエッセイを読んでいて、これはこれは……、私は図らずも梨木さんの作品を逆向きにたどっているなと不思議なめぐり合わせを感じました。

 国内外を旅してまわり、出会った人、出会った場所、出会ったもの事などについて「考える」。テレビ画面から流れる様々な出来事について「考える」。犬の散歩中に「考える」。それを文章にしたもの。
 梨木さんは、自分の身近なまわりのことから考えたいという。生きていて出会う、様々なことを、一つ一つ丁寧に味わいたい。味わいながら、考えの蔓を伸ばしてゆきたい。もっと深く、ひたひたと考えたい、と。

 私の中にも同じような欲求がいつもあります。けれど毎日の生活の中で、思考はプチプチと強制的に切断され、そして一度切断された思考はなかなか繋がらず、またあとでゆっくり考えよう、と後回しになり、そうこうしているうちにまた次の事象が現れて考え始める。そうやってなかなか考えがまとまらず、「考える」というより「思う」というところで止まっているように感じます。
 頭の中で思ったり、心で感じたりすることは、はっきりと形をとっていなくてぼんやりしているので、きちんと言葉にして自分が何を考えているのかを自分で解りたいと思うのですが、それもままならず。このエッセイを読みながら、一つのことを深く、ひたひたと考えなければ、文章にはならないのだと感じました。

 それにしても梨木さんの「ぐるり」とは、なんと広範囲なことか。地方のデパートで偶然に見かけた親子のことから、イギリスを旅した時のこと、トルコを訪ねた時のこと、さらには長崎の幼児殺害事件、9.11について、映画「ラストサムライ」のこと、そしてまた犬の散歩に出かけたときのことなど、ぐるりぐるりと地球を回っていくようです。
 そして考え続ける中で自分の本当にやりたい仕事は人々に物語を届けることなのだと確信します。
 これからもずっと、梨木香歩という作家は「そこに人が存在する、その大地の由来を」物語っていくのでしょう。

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紙の本沼地のある森を抜けて

2011/07/26 10:36

細胞は意思を持っている

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『からくりからくさ』『家守綺譚』などを書いた梨木香歩さんの作品だから、毎日「ぬか床」を混ぜながら自然と調和した穏やかな人生を送る……世の中の進化を、人間の進化のスピードに合わせたほうが幸せなんじゃないか、というような物語だろうと勝手に想像していたのですが、読み始めて早々に自分の貧相な思い込みを恥じてしまいました。

 主人公の久美は、祖父母が駆け落ちの際に祖父母の故郷の島から持ってきたというぬか床の世話をしているうちに、そのぬか床が普通のぬか床ではないことに気づいていきます。なんと、ぬか床から「人」が湧いて出てくるのですから。その描写が私の苦手なホラー映画のような不気味さで、背筋がゾッと凍りつくようでした。しかしぬか床から湧いて出てきた人たちは色んな想いを抱えていて、そのどうしようもない想いに触れたとき、なんだか泣きたくなってしまいました。
 ぬか床の微生物たちに、何か特別な化学変化が起こっているのではないか……。この奇怪な現象はいつから始まったのか……。不思議で不気味なぬか床の正体を解明すべく、そして自らのルーツを探るべく、久美は祖父母の故郷の島へ行くことにしました。

 途中、三章ごとに「かつて風に靡く白銀の草原があったシマの話」という不思議な物語が装入されています。メインストーリーとその不思議な物語は一見全然違う物語で、「なんで急にこんな話がここに?」という印象を持つのですが、読んでいくうちに「コノ、モノガタリハ、アレダ」と脳のどこかで理解することができる、そんな物語です。


 「生きるということ」「人生というもの」を考えるとき、私はどうしたって「幸せ」だとか「生きがい」といったものについて考えてしまいます。より良く生きるためにはどうしたらいいのか、自分らしく生きるためにはどうしたらいいのか、落ち着いた幸せな日々を送るにはどんな価値観で生活すればいいのか、と。そして、幸せっていったい何だろう? 私の生まれてきた意味ってなんだろう? という答えの出ないループにはまりこんでいき、ついには「結局、今私ができることを一生懸命やるしかないんだ」というところに落ち着くわけです。落ち着くというより、そのあたりでお茶を濁さないと手に負えない、という感じでしょうか。
 ところがこの物語は、私が考えるような「生きる」ということよりも遥かに根源的な、この世に「命が続く」ということはどういうことなのかを、深く掘り下げて突き詰めていく物語でした。読み終わった私は、そのあまりの深さに途方に暮れてしまいました。今後どのようなレベルで人生を考えたらいいのだろうか、と。

 そんな私の個人的な思いとは別に、細胞はこれからも様々な試行錯誤を繰り返し、命を繋ぐことをあきらめないでしょう。生命を存続させるために、細胞が意志を持って、いったいどのように動くのか。そしてその「細胞の意思」の延長線上に私達の人生があるのだとしたら……。私達は生きていく中で何度も岐路に立ち、何かを選び、何かを手放していきます。その選択は自分の意思だと思っていたのですが、もしかしたらそれは「細胞の意思」なのかもしれません。

 ミクロともマクロとも言える、果てのない命の繋がりの物語です。

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紙の本ウエズレーの国

2011/07/19 09:23

想像して、創造して、そして人の心は豊かになる

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 抜けるような空の青、湧き上がる入道雲、麦わら帽子をかぶった裸足の少年……。まさに、夏!という表紙の絵が目に飛び込んできて、思わず手にとってしまう絵本です。

 町の子たちはみんなサッカーが好きで、ピザを食べ、コーラを飲んで……。髪型だって男の子だったら頭の両側をツルツルに剃り上げるのがこの町の常識です。なのにウエズレーは、みんなが同じようにやっていることが、全部嫌いなのです。だからいつも一人だけはみ出していて、ウエズレーの両親はそのことをとても気にしていました。でも当のウエズレーは「みんなの仲間に入りたくてしょげている」というよりも「みんな同じじゃなくてもいいじゃないか、もっと自由に生きていきたい」と、そんな風に考えている少年のようです。
 そんなウエズレーは夏休みの自由研究に「自分だけの作物を育てて、自分だけの文明を作る」という壮大な計画を思いつき、実行に移し始めました。
 ウエズレーは早速庭を耕しました。夜になると、強い西風が吹いてきて、ウエズレーの畑に種が飛んできました。五日後、最初の芽が出ましたが、それは今まで見たこともない不思議な植物でした。その植物はどんどん大きくなってウエズレーの背よりも大きくなりました。ウエズレーはその植物の実を食べ、堅い皮を食器にしました。太く育った根っこは芋のようで、茹でたり焼いたりして食べます。茎からとった繊維で、帽子や服を作りましたが、それはジーンズと違って、暑い夏にはピッタリの涼しい服になりました。ウエズレーは自分の庭を「ウエズランディア」と名付けました。
 こんな風にして、自分の生活環境を整えていき、文字まで作りだしたウエズレーの不思議な生活が、町の子たちの話題にならないわけありません。町の子たちはウエズレーのやっていることが羨ましくてたまりません。ウエズレーはそんな町の子たちを受け入れて、一緒にウエズランディアで遊ぶようになりました。

 「みんな一緒」って、妙な安心感があるけれど、それは「幸せ」とイコールではないですよね。本当の安心というのは自分の好きなことを好きなようにやれる環境があり、みんながそれぞれを認め合うことだと思います。そしてそれが「幸せ」に繋がるんじゃないかと思うのです。
 ウエズレーが自分の知識と経験を総動員しながら、自分の庭に、時空も常識も超えた楽園を作りだしていく様子に、ウエズレーのたくましさを感じます。子どもは学校から解放された夏に、飛躍的に成長するものです。夏休みに親子でこの一冊を楽しんで欲しいと思います。

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紙の本レネット 金色の林檎

2011/09/27 14:56

「愛は世界を救う」っていうのを、ただのお題目にはしたくない

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 思い出し泣きというのを初めてしました。涙なしには読めないこの本、読んだあとも何度も何度も思い出しては涙腺が緩んできます。

 チェルノブイリ原発事故の前日に生まれたミカは、10歳の初夏、突然の事故で2歳年上の兄・海飛(かいと)を亡くしました。父親も母親も、そしてミカも、兄の死(息子の死)を背負い込んでうまくコミュニケーションが取れなくなってしまいます。兄が亡くなって1年ほどたったころ、チェルノブイリで被曝したベラルーシの子どもを1ヶ月間、保養のために預かることになりました。そのベラルーシからきた子どもは、セリョージャという12歳の男の子でした。
 生きている自分よりも死んでしまった兄に心を奪われていた両親が、今度は兄の死で失ったものを埋めていくようにセリョージャに接するのをみて、ミカはやりきれない気持ちになりセリョージャに冷たくあたります。本当は、セリョージャのことが気になって仕方ないのに。
 1ヶ月が過ぎ、セリョージャの帰国が目の前に迫った頃、この家族は崩壊してしまいます。セリョージャが帰国した3日後、母親はミカを連れて家を出ました。その後、セリョージャへの想いと後悔を胸に秘めて生きてきたミカは、20歳になった時、父親に呼ばれて父の住む、かつて自分達家族が過ごした家へと戻って行きました。そしてミカはやっと本当の自分と向き合えたのです。

 チェルノブイリ原発事故を背景に、兄を亡くした女の子とその両親の揺れ動く心を描いたこの作品は、切ない初恋の物語です。作者があとがきで、「たとえ言葉が通じなくても、えもいわれぬ感情がかよいあうのが“初恋”だと思っています。その初恋が異国の人であったなら、その国をも愛さずにはいられないでしょう」と書いてあります。ホントにそうだと思います。かつて幼かった頃の私にもそんな恋の経験があるのだけれど、あの切羽詰った感じは、同じ日本人同士では味わえない緊張感です。もう二度と会えないだろうという絶望的な気持ちと、その気持ちを上手く伝える語学力を持ち合わせていない焦りで、余計に何も言えなくなってしまう。ほんの一瞬の初恋のようなものであったけれど、それでも彼の国のことは気になってしまうものです。
 もう随分前になりますが、知人の息子さんが高校を卒業してアメリカに留学した時、アメリカでボスニアから留学してきた女の子と仲良くなったらしいのです。日本の高校生だった時はごくごく普通のやんちゃな高校生で、世界情勢なんか全然視野には入っていないような男の子でしたが、ボスニアの女の子と付き合うようになってからは彼なりに色々思うことがあったのでしょう。あるとき母親に国際電話をかけてきて「自分がどれほど幸せに育ったのかということをとても感じる。彼女の境遇を思えば。僕には、僕を大切に想って育ててくれたお母さんたちがいて幸せだ、ありがとう。ただ、こんな僕は彼女に何もしてやれないのがとても辛い」って話したそうです。日本にいたら、こんな気持ちになることもなかっただろうし、その気持ちを素直に親に話すなんて、日本人の10代の男の子にはできないと思います。
 彼は日本に帰国して、今は焼き鳥屋をしているのだけど、そんな毎日の中でも新聞にボスニアのことが載っていると、心を痛めずにはおれないだろうと思うのです。

 人を好きになるって、その人の背後にあるものもすべてが愛しい存在になるっていうことですよね。国境を越えて分かり合うのは本当に難しいことだけれど、それでもそこには愛があって欲しいと思います。そしてそれは恋人たちの間だけでなく、国境をはさむすべての人たちの間にも。

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あっという間に過ぎてゆく子ども時代にぜひ読んであげたい絵本

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 エルサ・ベスコフ(1874~1953)というスウェーデンの作家の作品の中で初めて出会ったのは『ペレのあたらしいふく』という絵本でした。薄いブルーを基調としたやさしい色遣いの表紙と、自分の新しい服を作るために、飼っている羊の毛を刈り、その毛が色々な人たちの手によって新しい服に仕上がっていくという物語は、素朴で味わい深く好きな絵本です。同じ頃、図書館で『ブルーベリーもりでのプッテのぼうけん』に出会ったのですが、その時の感激というかショックは10年たった今でも覚えています。長男が4~5歳のころで、丁度親子して絵本に夢中になり始めていたので、「なんで、今までこの本を知らなかったのだろう!」と悔しい気持ちになったほどでした。

 ぜひ自分の手元に置いて、日々の子どもとの生活の中でこの本を読みたいと思い書店に行ったのですが、どこを探しても見つからない。どうやら絶版になっていたらしいのです。図書館で借りるよりほかに読むことができないので、しょっちゅう借りていました。そんな時、福音館書店から『ブルーベリーもりでのプッテのぼうけん』が再版されることになったので、すぐに買いました。再版にありがちな「以前の絵の色と微妙に違う……」「表紙の手触りが微妙に違う……」という問題はあったものの、それでも手元に置いていつでもこの絵を見ることができるというのは喜びでした。
 この絵本が再版されてからすぐに(2001年~)、過去に出版されていた作品が次々に出版社が変わって再版されたり、未邦訳だったものが出版され、ベスコフブームともいうような現象がおこった記憶があります。


 さて、物語の内容です。
 プッテという男の子が、ブルーベリーとこけももを摘んでお母さんの誕生日プレゼントにしようと、小さな籠を二つ持ち森へ行きました。プッテはあちこち探してまわりましたが、ブルーベリーもこけももも全然見つけることができません。途方に暮れたプッテは、切り株に腰かけて泣き出してしまいました。するとプッテの足元に小人のおじいさんが現れたのです。そのおじいさんは、ブルーベリー森の王さまでした。王様はプッテを自分の国に誘いました。王様が杖でプッテにさわると、プッテも王様と同じくらいに小さくなり、そして二人は手を繋いでブルーベリーの国に行きました。
 ブルーベリーの国で、プッテは青い服を着たブルーベリーの子どもたちと一緒に熟したブルーベリーを籠いっぱい摘むことができました。こけももはどうしよう、と思っているとブルーベリーの子どもたちがこけもも母さんのところに連れて行ってくれました。こけもも母さんのところでは赤い服を着た女の子たちがこけももを磨いていました。そして女の子たちはプッテのために熟したこけももを摘んでくれました。
 ブルーベリーの男の子たちやこけももの女の子たちと一緒にプッテは森の中でそれはそれは楽しく過ごします。木の皮のヨットで水遊びをしたり、きれいなクモの巣を見つけてブランコ遊びをしたり、ネズミに乗って森の中を駆けたり。遊び疲れた頃、こけもも母さんが美味しいはちみつこけももを沢山出してくれたので、みんなで食べました。
 プッテはまだまだここで遊んでいたいと思いましたが、王様は「お母さんが心配するからお帰り」と言って、プッテにブルーベリーとこけももの実がいっぱい入った籠を二つ持たせ、見送りました。
 ふと気付くとプッテは切り株に腰をおろしていました。眠って夢でも見ていたのかと思いましたが、プッテの足元には青い実と赤い実の入った籠が置かれていたのです。


 ストーリーは素朴ながら、ブルーベリー森での様子はそれはもう読み手の心をくすぐります。トカゲや蜘蛛、ナメクジ、あおむし、カタツムリ。そんな小さな森の生き物たちの姿がグロテスクではなく、それでも正確に描かれていて、森の中の湿った心地よさが伝わってきます。絵の色のトーンも優しく、それでいて鮮やかです。本を開いたとき、左側は真っ白のまま、右側のページだけに絵とストーリーが描かれているというのは、なんとも贅沢で、それゆえに読み手は右側の絵に集中することができるのです。そしてそれぞれの絵には枠があるので(それも素敵な枠)一枚一枚バラバラにして額縁に入れ部屋に飾りたくなってしまうほどです。

 テレビ、ゲーム、遊園地、映画、そしてお稽古事や塾通いなど、最近の子どもの生活は忙しくて刺激的です。そんな生活の中で、ベスコフの絵本を読む時間は、親子でほっと一息つける時間ではないでしょうか。

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