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創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書) 輪島 裕介 (著)

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史(光文社新書)

MARUZEN&ジュンク堂書店 渋谷店(1月31日閉店)店員

書店員:「MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店」のレビュー

ジュンク堂書店
MARUZEN&ジュンク堂書店|渋谷店(1月31日閉店)
学者としての良心に裏打ちされた、緻密にしてスリリングな歴史叙述の妙

 「借り物の洋楽風ポップスや日本語ロックなどの折衷的な音楽ではなく、演歌こそ日本人の(もしくは東アジア人の)心の源であり、真のルーツミュージックだ」云々といった類の物言いは、今でこそさすがにあまり表立って声高に語られることこそなくなったけれども、かつて昭和の終わり頃くらいまでは、まだけっこうそれなりに根強く流布していて、各種メディア上でちらほらと目にする機会があったように記憶している(例えば晩年の中上健次の都はるみへの執着ぶりや、美空ひばりの突然の〈復活〉とそれにまつわる様々な言説などを思い起こしてみても)。
 10代の前半頃からもっぱら洋楽と、洋楽の影響の色濃い日本語ポップスの圏域でどっぷりと音楽漬けの日々を送ってきた筆者のような者にとっては、そうした言説に触れるたびに、どうにもいぶかしく承服し難いという思いと、それとまた裏腹にどことはなしに後ろめたいような微妙な引っかかりも一方では感じられて、何ともすっきりしないまま、ただもやもやと苛立ちをつのらせるのが常であった。
 本書は、おそらくは筆者と同様、永年そうしたもやもやを抱えて過ごしていたであろう多くの人たち───AMAZONレビューをちらとのぞいてみただけでも、その声の多さは実感できるが───にとっては、まさに溜飲の下がる思いのするあざやかかつ綿密な「神話崩し」の書であり、また戦後の日本社会の精神史の一断面を描いた読み物としてもすこぶる興味深く、色々な意味で示唆に富む労作である。

 今では当り前のように「演歌」として認知されている種類の音楽も、その主だった特徴とされる要素は実は最初からそれほど確固として存在していたわけではなかった。昭和30年代当時、戦後の復興期を経て、新たなメディアの隆盛とともにその基盤を大きくひろげつつあったレコード歌謡業界のプロデューサーや職業作曲家たちが、国の内外・新旧を問わず種々雑多な音楽要素をはなはだ無節操かつ恣意的につぎはぎして作り出していった流行歌の数多くのスタイルのうちの、やや特殊な変種のいくつかが、他と比して似たような傾向や色合いをもつものとして徐々にひとまとめにくくられていった、というのがそもそもの実情のようである。過度に強調される〈日本調〉、〈田舎調〉の雰囲気も、要は当時流行であった「ムード歌謡」や「リズム歌謡」、「ジャズ調」や「GS調」などの〈都会〉志向で〈洋モノ〉っぽい───あくまで「っぽい」というだけのことなのであるが───楽曲イメージへのいわばイメージ戦略上の対抗軸としての意味合いが大きく、多分に作為的な演出意図のうかがえるものであった。
 では、そのように元来がきわめて雑種的・折衷的な出自をもつ戦後流行歌の世界における、ある一部の楽曲の曖昧でおおざっぱな〈くくり〉でしかなかったはずの「演歌」───この呼称じたい実は当時は存在せず、あとの時代に作られて過去の楽曲や歌い手にもさかのぼって適用されるようになったものである。ちなみに明治・大正期の「演歌=演説歌」は名称だけ同じ別物───が、いったいなぜ、どういう因果から、「はるか昔から脈々と歌い継がれてきた日本人の(あるいは東アジア人の)心」、「真正な日本の伝統」などといった、音楽学的にも、歴史的経緯をみても、端的にいってどうみても誤りであるような修辞や文脈とともに語られるようになっていったのか。わずか10数年ほどの間に生じたらしいこうした不可解な状況変化の陰にある、戦後日本の大衆社会の心理的推移とも密接に絡み合った入り組んだ導線のひとつひとつを、著者はその前史から順を追って丁寧に解きほぐし、読みといてゆく。

 結論からいうなら、そこにはまず何よりも最大の要因として、60年代後半に台頭したいわゆる「新左翼」系の対抗知識人・文化人による、〈演歌〉をめぐるいささか荒っぽい言説上の介入と概念構築があった。
彼らは、少なくともその時代には傍流・周縁に位置する泥臭い「下級文化」であり、巷になお残る軍歌や戦前の流行歌・俗謡などの残滓ともども、戦後をリードしてきた進歩的エリート知識人層からはあからさまに侮蔑的な扱いを受けていた〈演歌〉を、むしろそれゆえにこそ日本の下層民衆の真正な(=西洋・アメリカ文化帝国主義に毒されていない)心情や情念を掬い上げ、代弁し得ているはずだ、とする逆転の論理で半ば強引に称揚し、肩入れしていったのである。そのような過剰にバイアスのかかった言論にもとづく作為のうえではじめて、〈演歌〉は他とは違う独自の存在として固有の枠組みを与えられ、アイデンティティーを認められるようになっていく。五木寛之の小説『艶歌』は、まさにこうした「対抗」概念を、物語の構造のなかでわかりやすく図式化=定型化したものといえるであろう。

 竹中労、森秀人あたりに始まり、五木寛之、相倉久人、平岡正明にまでいたる、非・中央論壇的で一癖も二癖もある個性的な言論人による一連の挑発的な発言には、実際それなりの面白みと迫力があり、あの時代の空気のなかでは一定以上の説得力も持ちえたのであるが、連合赤軍事件後の70年代前半の急速な時代潮流の変化のなかで、その政治的先鋭性の部分に関してはもはや幅広い共感を獲得することはできなくなっていく。その一方で、彼らの言説中の「逆転の論理」の文脈に内包されていた俗流民族主義的で土着回帰的な「反近代」志向は、〈演歌〉というカテゴリーが一般社会に認知され、大衆化していく過程で、曖昧で情緒的な「ディスカバー・ジャパン」的な心性との結び付きを強めてゆく。毎年暮れの恒例行事として定着した『紅白歌合戦』や『NHK歌謡ホール』系歌番組における演歌および演歌歌手の重用がそうした傾向に拍車をかけ、いつしか演歌はいわばNHK公認の「国民歌謡」のようなポジションを獲得していくにいたるわけだが、その反面、ジャンルカテゴリー成立時の何よりのアイデンティティーであった「やくざ」的な「アウトロー性」、「反社会性」といった側面は───もともとそれ自体かなりの程度フィクションであったにせよ───きれいに拭い去られてゆくことになる。
 そしてその行き着いた果てが、本書冒頭でも引用されている、「演歌ジャンルの衰退」を枕に「万葉以来つづく叙情の伝統の喪失」を嘆いてみせてしまう某著名宗教学者の事例に象徴されるような、もはや曲解を通り越した倒錯にも近い認識パターンであり、またそれがそれなりの根拠と権威をもった「定言」として受けとめられてしまう、笑うに笑えない事態というわけだろう。

 膨大な資料を駆使し、厳密な実証性を保ちつつ、時に皮肉やウィットも盛り込んだ著者の硬軟おりまぜた小気味いい語りの妙と、ジャンルをまたいだ分厚い音楽知識に裏打ちされた精緻な楽曲分析の数々に膝を打つことうけ合いの「サントリー学芸賞」受賞作。

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