コラム
丸善ジュンク堂のPR誌 書標(ほんのしるべ) 2018年2月号
今月の特集は
『漫画になった文学 第9弾』
『偏愛研究家 ~理系の異常な愛情~』
丸善ジュンク堂のPR誌 書標(ほんのしるべ)。今月の特集ページを一部ご紹介致します。
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(※品切れ・絶版の書籍が掲載されている場合もございます。)
すべての内容を、WEB上でお読み頂けます。


今月の特集(一部抜粋)
『偏愛研究家 ~理系の異常な愛情~』
古今東西文理問わず、研究(あるいは探求)という行為は即ち対象への知的好奇心の発露である。好奇心の赴くまま研究を進めるにつれて新たな謎が見出され、それを解明するため更に観察や考察、そしてフィールドワークを重ねる。その絶え間なき反復の中で、対象への興味は徐々に強化され、深化し、研究者との関係性はいよいよ抜き差しならないものとなっていく。
そうした繋がり・姿・振る舞いを一言で的確に表す言葉を、我々はひとつしか持たない。すなわち、「愛」である。
しかし、彼らが研究対象に注ぐ愛は、凡その人々が当たり前に抱いているそれとは、一線を画しているように思われる。熱量にせよ、指向性にせよ、収束率にせよ、ただ単純に愛と呼ぶには、位相を異にするように見えてならない。その違いを端的に示すなら、愛は愛でも「偏愛」である、ということになるだろうか。
偏り、という表現にネガティブな印象を受ける向きもおられるかもしれない。しかし個人的にはむしろ、偏っていれば偏っているだけ、よりひたむきな愛だと感じる。また、研究に貴賎があるとは思わないが、対象がひどくマイナーだったり、一見(あるいはどう見ても)役に立ちそうもなかったりすればするほど、その無償性にある種の尊さすら覚えるのである。
そうした、対象を偏愛する研究者達の溢れ出る情念(のおそらく極一部)は、幸いなことに多くの書籍として形を成し世に出ている。日頃よりそれらをより多くの人々に届けるべくせっせと棚に陳列しているわけだが、この場を借りてその中から一部をセレクトしてご紹介させてもらいたい。自身の担当ジャンルが自然科学書である都合上、理工系に分類されうるもの、かつ、(語弊を恐れず言えば)世のため人のためというカテゴリーではなく、愛ゆえに、損得勘定抜きでそこに自らを捧げざるをえないという「擲ち系」な研究家・探求者を中心にチョイスさせて頂いた。
また、その生き様ゆえか、その著書には流行りの言葉で言うところの「パワーワード」がそこかしこにちりばめられている。せっかくなので、それを引用することで、より彼らの「濃度」を感じる機会として頂ければ幸いである。
【危険生物:平坂 寛】
『喰ったらヤバいいきもの』
(主婦と生活社・一四〇〇円)
物心つく前から生き物好きで、その危険性への恐怖より、
“出会った生き物の隅から隅まで味わい尽くさず死ぬことのほうがよっぽど怖い〟
と言い放つ。そんな体当たり系生物ライターの著者が、シビレエイやデンキウナギにシビれ、バラムツの油を尻からサラサラと垂れ流し、オオマリコケムシのドブ臭に悶絶し、ツムギアリの蟻酸に咳き込む様を余すところなく記した、異色にして異食の大自然系食レポ。あんた、なんちゅうもんを喰うてくれたんや……(『美味しんぼ』京極さんの口調で)。
【野生動物?:チャールズ・フォスター】
『動物になって生きてみた』
(河出書房新社・一九〇〇円)
これは、獣医師であり法廷弁護士でもあり、刊行時点ではオックスフォード大学グリーン・テンプルトン・カレッジのフェローという、博覧強記のナチュラリストである著者が、野生動物、具体的にはアナグマ・カワウソ・キツネ・アカシカ・アマツバメにそれぞれなりきって暮らしてみた、その体験と思索の書である。
……と、盛りすぎなようで、実際のところは事実の羅列でしかない概要を書き出しただけでもその濃さが伝わってくるが、果たしてその本の内容はというと、大方の想像をはるかに超えて「クセがすごい」。
〝「五分だけここで待って」と私は子どもたちに言った。「それから私を見つけて殺すんだ」
「わかった」と、子どもたちは言った。(中略)「お父さんはシカになろうとしているんだ」と、ひとりが言う声が聞こえた。「きっと水のほうに行ったんだよ」〟
発達しすぎたナチュラリストは、変人、もとい、哲学者と見分けがつかない。
2018/02/01 掲載
