コラム
丸善ジュンク堂のPR誌 書標(ほんのしるべ) 2018年6月号
今月の特集は
『翻訳について語るときに彼らの語ること』
『愛猫家の本棚』
丸善ジュンク堂のPR誌 書標(ほんのしるべ)。今月の特集ページを一部ご紹介致します。
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今月の特集(一部抜粋)
『愛猫家の本棚』
書店に行くと、○○フェアと称して、平台や棚に本が並んでいます。中身はクリスマスや夏休み向けの本だったり、その時々の話題の本だったりと、様々です。書店員の仕事の中でフェアの選書、陳列は楽しい仕事の一つで、選書した本が売れればとても嬉しいです。近頃はペットとして猫を飼う方が増えて本も多数出版され、猫の本のフェアも多くみられます。今回はそんな猫の本をお薦めしたいと思います。
猫を題材にした文学作品といえば、夏目漱石の『吾輩は猫である』が有名ですが、漱石の弟子で、師の作品のパロディ『贋作吾輩は猫である』(ちくま文庫・一〇 〇〇円)も書いた内田百閒の『ノラや』(中公文庫・七二四円)は不朽の名作です。ご存知の方も多いと思いますが、『ノラや』は百閒の飼い猫ノラの失踪とノラの身代わりのように現れたクルツが病死するまでを書いた十四篇からなる作品です。冒頭の一篇は漱石を意識した「彼ハ猫デアル」というタイトルで、百閒の家の物置で生まれ水甕に落ちた野良猫の仔を、その名もノラと名付けて飼うことになる件が書かれています。最初は家の外でご飯をもらっていたノラが勝手口で食べるようになり、物置で寝ていたノラが湯槽の蓋の上で眠るようになり、一歩一歩家の中に近づくとともに、百閒夫妻の心の中にも入り込み、かけがえのない存在となっていきます。そして突然の別れが……ノラは冷たい雨の中へ出て行ったきり行方知れずとなります。さあここからがこの作品の真骨頂。百閒は来る日も来る日もノラのことを思って泣きくれ、ノラを思い出すのが辛くなるからと好きなお風呂にも入れなくなり、ノラのいない寂しさを紛らわすために弟子たちを代わる代わる呼び寄せ、ノラの捜索のため警察に行ったり、新聞のチラシ、さらには英文のチラシまで作ってしまいます。
作品の殆どが可愛がっていた猫のノラ、クルツがいなくなって淋しいと言い続けているだけなのに、なぜ読者の心をこうも引き付けるのでしょうか。この作品では、猫の行動を人に見立てて表現する百閒の言いまわしに何とも言えぬおかしみがあり、百閒を取り巻く人々の温かみが感じられます。そして何といっても飼い猫のいなくなった淋しさに、どうしようもないとわかっていてもジタバタしてしまう百閒の猫に対する愛情の深さが読者の心をとらえるのかもしれません。
沼田まほかるの小説『猫鳴り』(双葉文庫・五二四円)も猫の看取りの場面が感動的です。小説は三部構成になっていて、第一部は流産で子を亡くした中年夫婦と子猫のモンとの出会い、二部は場面が変わって、思春期の少年と猫との関わり、三部は妻に先立たれた夫・藤治とモンとの暮らし、モンを看取るまでが描かれています。作品を通して生と死の問題が扱われており、藤治がモンの死に直面して、その死を命あるものにとって自然なことと受け止め、最期の時を迎える姿に涙が止まりません。
漫画家による作品にも猫が多数登場します。大島弓子の『グーグーだって猫である』(一巻~六巻、角川文庫・各五二〇円)は外すことのできない作品で、TVドラマ化、映画化もされています。この作品では、作者と猫たちとの何気ない日常が瑞々しく描かれており、猫にも人生ならぬ猫生があるのだなあと実感させられます。
吉本隆明の娘で吉本ばななの姉・ハルノ宵子のエッセイ『それでも猫は出かけていく』(幻冬舎文庫・五四〇円)は脊髄を損傷した猫のシロミを中心として、家猫、外猫が入れ代わり立ち代わり登場します。まずその猫の数に驚くだけでなく、その猫たちがケガしたり病気したり、お漏らしして家の中を汚したりと一筋縄ではいきません。その度、東奔西走、猫たちの面倒を見続けるハルノさんは凄いです。猫を少しばかり飼って猫のことをわかったつもりになるのが恥ずかしくなります。ハルノさんの姿勢は、猫をペットとして可愛がるなどという生やさしいものではなく、同じ生き物として敬意を払い、猫それぞれの生き方を尊重するもので、その包容力には頭が下がります。
『それでも猫は出かけていく』がリアルなのに対し、松本大洋の『ルーブルの猫』(上下巻、小学館・各一二九六円)はルーブル美術館を舞台にしたファンタジーです。この作品はコミックの形をとってはいますが、美しい絵本のようでもあります。もしもルーブルに猫が住んでいたら……絵の中を旅することができたら……そんな想像をしながら読むと楽しいと思います。
絵画や写真の中にも猫は登場します。『名画のなかの猫』(エクスナレッジ・一 八〇〇円)は古今東西の猫を題材にした絵画約一〇〇点を集めています。有名な画家から作者不詳のものまで、よくぞここまで集めたなと思うほど年代も作風も様々で、一冊でいろいろなテイストの作品が楽しめます。
猫写真集も数えきれないほど出版されています。可愛い猫だけをクローズアップした写真集も沢山ありますが、岩合光昭は世界各地の風景の中で、猫を自然な姿で写しています。なかでも『ねこといぬ』(クレヴィス・一〇〇〇円)は猫と犬を仲良く並べたことによって、互いの魅力がうまく引き出されています。
同じ風景の中の猫を撮った写真集でも武田花の『猫・陽のあたる場所』(現代書館・二〇〇〇円)は風景がレトロで、写っている猫も個性派揃いです。写っている場所の殆どが、今は残っていないと思われる路地裏や軒先で、その風景に溶け込むように猫がいます。
『ねこといぬ』『猫・陽のあたる場所』がいろいろな場所でいろいろな猫を撮っているのに対し、『みさおとふくまる』とその続編『みさおとふくまる さようなら、こんにちは』(リトルモア・各一 六〇〇円)は伊原美代子が自分のおばあちゃんと猫を年月かけて撮った写真集です。畑のみさおおばあちゃん、お風呂に入るおばあちゃん、その側にはいつも猫のふくまるがいます。その表情から互いがなくてはならない存在であることが見てとれます。『みさおとふくまる』は色鮮やかに、続編はモノクロで、どちらも構図が素晴らしく、特に続編、最期のページ、咲き乱れるあじさいの花をバックにみさおとふくまるが見つめあっている一枚は圧巻です。
・・・つづく
2018/06/05 掲載