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コラム

丸善ジュンク堂のPR誌 書標(ほんのしるべ) 2020年8月号

今月の特集は
『コロナ禍の中で想像力を鍛える』
『いまから始める』

丸善ジュンク堂のPR誌 書標(ほんのしるべ)。今月の特集ページを一部ご紹介致します。
気になった書籍はネットストアでご注文も可能です。
(※品切れ・絶版の書籍が掲載されている場合もございます。)

すべての内容を、WEB上でお読み頂けます。





今月の特集(一部抜粋)





 『コロナ禍の中で想像力を鍛える』

緊急事態宣言の最中に刊行された『現代思想』五月号(青土社)の「緊急特集 感染/パンデミック」は、その冒頭に著名なヨーロッパの哲学者の論考が掲載されていますが、なかでもジョルジョ・アガンベンとジャン=リュック・ナンシーの意見の相違は興味深いものでした。

 アガンベンは2月26日付の論考の中で、今回の新型コロナウイルス感染拡大を抑制するために行われたイタリア政府の緊急措置を「熱に浮かされた、非合理的な、まったくいわれのないものである」と述べたうえで、「例外状態を通常の統治パラダイムとして用いるという傾向はますます強まっているが、まずは、ここでもまたその傾向が現れている」と指摘しています。そして、「例外措置の原因としてのテロは枯渇してしまったが、その代わりにエピデミックの発明が、例外措置をあらゆる限界を超えて拡大する理想的口実を提供できる」と述べました(引用はすべて高桑和巳訳)。

 これに対しナンシーは、このアガンベンの論考に応答するかたちで、二月二十七日付の論考において、今回の新型コロナウイルスは「通常の」インフルエンザと違い、それに対する「いかなるワクチンも存在しない」ことを指摘し、「高い致死率を備えている可能性」にも言及しています。その上で、「彼(アガンベン:引用者)が気づいていないのは、あらゆる技術的な相互接続(あらゆる種類の移動や移送、物質の浸透や拡散など)がかつてなく高まり、その強度が人口とともに増大する世界においては、実のところ例外が常態になるということ」をふまえ、「問われているのは、明らかに文明全体なのだ。存在しているのは、生物、情報、文化の面でのウイルス性の例外化のようなものであり、これが私たちを巻き込んでパンデミック化しているのである。政府はこの例外化の哀れな執行者にすぎない」と述べました(引用はすべて伊藤潤一郎訳)。

 ヨーロッパにおけるその後の悲惨な展開をみると、ナンシーの指摘のほうが合理的で、パンデミックの要因の一つである「グローバル化」への目配りもきいている気もしますし、アガンベンのほうは自身がこれまでの著作(例えば『例外状態』(上村忠男・中村勝己訳、未來社・2,000円))で展開した視点にこだわりすぎているようにも思えます。しかし三月に入ってからの論考でアガンベンは、「この国はいまパンデミックによって、死者に対する敬意さえもたない倫理的混乱のなかへと投げ込まれている」こと、そしてイタリア人は「通常の生活のありかたや社会的関係や労働、さらには友人関係や情愛や宗教的・政治的信念」を犠牲にしていることを指摘し、「生き延び以外の価値をもたない社会はどのようなものか?」という、とても重要な問いを発しています。

 二人の論考はさらに複数発表されていきますが、ここでは、ナンシーはグローバル化や複雑化する科学技術や経済の展開のもとでの権力の問題とそこでの人間のあり方を問うているのに対し、アガンベンはわたしたちが生きる生の様式ないしは条件により焦点を当てているように思います。ヨーロッパを代表する知性であるこの二人が、危機に際しどのような想像力を働かせて何を問うたのか。ナンシーの『侵入者』(西谷修訳編、以文社・品切)や先に挙げたアガンベン『例外状態』などの著作をふまえて考えてみるのも刺激的なことかもしれません(『侵入者』で詳しく書かれているように、ナンシーはコロナウイルスどころか、心臓移植によって自分の内にまったく違う異物を抱え込んでいるだけに、読者にさまざまなものを喚起してくれると思います)。また、アガンベンの問いは人間の「生と死」の問題を考えることにもつながります。その時、宮﨑裕助さんの力作『ジャック・デリダ 死後の生を与える』(岩波書店・3,600円)が実に有効な視点を提供してくれます。

 ナンシー、アガンベン、デリダ、そしてさらに、ハンナ・アレント『人間の条件』(志水速雄訳、ちくま学芸文庫・1,500円)なども加え、その書物を通じて人間が「良く生きる」とはどういうことなのかを改めて考えてみるのも、刺激的な読書経験になるのではないでしょうか。

 現代日本を代表する哲学者で、ここ最近大きな話題となっている『世界哲学史』(全八巻、ちくま新書)の編集委員のお一人でもある中島隆博先生(東京大学東洋文化研究所教授)は、未来哲学研究所のサイトに、「わたしに触れるな、わたしは触れる」という興味深い論考を書かれています(https://miraitetsugaku.com/page-373を参照)。そこでは、上記でもご紹介したジャン=リュック・ナンシーの著作『私に触れるな ノリ・メ・タンゲレ』(荻野厚志訳、未來社・2,000円)の中の文章を引用しつつ、人との接触が極めて制限されているこのコロナ禍において浮上してきた「身体性」の問題について重要な示唆を与えてくれています。興味のある方はぜひ中島先生の論考を読んでいただければと思いますが、中島先生が想起された「わたしに触れるな」という、ヨハネの福音書20章17節に出てくる、復活したイエスに気づいて近づこうとするマグダラのマリアに対してイエスが発したこの言葉は、この状況下でやはりヨーロッパの知識人の脳裏にもまず浮かんだようです(このナンシーによる書物では、数多くの絵画にもなったこの場面の解釈がさまざまに語られており、キリスト教について学ぶひとつの有益な書物になっています)。

…続く

2020/08/03 掲載

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