コラム
丸善ジュンク堂のPR誌 書標(ほんのしるべ) 2021年3月号
今月の特集は
『「生まれてこないほうがよかった」という思想』
『ひとりを愉しむ)
丸善ジュンク堂のPR誌 書標(ほんのしるべ)。今月の特集ページを一部ご紹介致します。
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今月の特集(一部抜粋)
『「生まれてこないほうがよかった」という思想』
「生れて、すみません」。読書好きのみなさんであれば一度は聞いたことがあるフレーズだと思う。太宰治の短篇「二十世紀旗手」(新潮文庫『二十世紀旗手』所収・506円)の副題であるこの有名なフレーズは、厭世的な気分と絶望的な心境、それでいて自虐的なユーモアを含み、いまなお読み手の心を打つフレーズである。と同時に、生きることの否定やその自虐的であるがゆえの誇大な自己愛に辟易する人もいるだろう。私はどちらかと言えば後者なのだが、賛否あるがゆえにそれが出発点となり、議論を生み、名フレーズとしていまなお残っているのだろう。「生まれてこないほうが良かった」という思想がある。反出生主義と呼ばれ、最近また注目を浴びている思想だ。「生まれてこないほうが良かった」という邪悪で不穏な響きから、どんな思想、考え方なのだろうか、と読者の興味をひいているようだ。人類は生まれてこないほうがよかったのだろうか? 私やあなたは生まれないほうがよかったの? なんとも刺激的かつ答えを出すには繊細な問題である。個人的な問題であれば、自分の人生を顧みて自分の考えや思いとして答えはでるかもしれない。先の太宰のフレーズは多くの「私」に自らのこととして訴えるものはあった。しかし、これは人類が生まれてこないほうがよかった、というより「私」が生まれたくなかった、というものであろう。反出生主義の思想は「私」だけでなく、全体の問題として、社会の問題として、他者の問題として、「私」を含む人類が「生まれてこないほうが良かった」とする。はたして本当にそうなのか。その答えを出すのは容易ではない。そもそも反出生主義とはどういう思想なのか、反出生主義を主張する人たちはどういうことを言っているのか、反出生主義的発想を持つ過去の思想家たちについて、また反出生主義的な考えを持つ登場人物たち、あるいはそれに覆われた世界観を持つフィクションを紹介していきたい。
反出生主義とはなにか
反出生主義とは、生まれてくること、そして産むことを否定する思想である。最近では南アフリカの哲学科の教授であるデイヴィッド・ベネターが著書『生まれてこないほうが良かった――存在してしまうことの害悪』(すずさわ書店・3,300円)において「生まれてくることの善悪」を分析し、「存在してしまうことは常に深刻な害悪である」「人類は滅亡するほうがよい」と結論づけている。出産については、いわゆるチャイルド・フリーとも違い、親の都合ではなく今後生まれてくる人の観点に立って産むべきではないとしている。また、人だけではなく、動物に対しても生まれてこないほうがよい、としている。なぜなのだろうか。現在の格差社会や家庭環境などの社会状況と、温暖化などの地球環境の悪化を深刻に受け止め、生まれてきて辛い思いをさせるのは悪である、という考えが通底しているようだ。この著書により、「反出生主義」という言葉に注目が集まりはじめた。
『現代思想』2019年11月号「特集*反出生主義を考える――「生まれてこないほうが良かった」という思想」(青土社・1,540円)は、反出生主義についておそらく初めて日本語で、かつ体系的に、また多角的に論じた特集だ。反出生主義を肯定するでも否定するでもなく、感情的な応酬のみが注目されがちな現状を問い直すべく議論の俎上にのせ、実に多様な論考を掲載している。分析哲学系の議論はやや難解ではあるが、森岡正博と戸谷洋志の討議「生きることの意味を問う哲学」は入門としてわかりやすい。反出生主義を出発点として生きることを問う、すでに生まれてしまっている我々にとって希望を見出すことができる討議になっている。生まれる/死ぬというのは、古代から現在に至るまで人類の普遍的な哲学的問いであり、生まれること、絶滅することの両方をも肯定していかんと思考を続ける二人に私はやや泣いた。森岡正博『生まれてこないほうが良かったのか? ――生命の哲学へ!』(筑摩選書・1,980円)は、反出生主義に応答するべく書かれたものである。反出生主義の歴史を丁寧に辿り、「誕生肯定の哲学」を作り上げようとする試みである。先人の思想を紹介しつつ、それらを吸収し、大きな枠組みを作っていく。私たちはほんとうに「生まれてこないほうが良かったのか?」という問いに対する答えはこれを読んで考えてみてほしい。
反出生主義の歴史
そもそも人生は、三十数年しか生きていないけれど、嫌なことの連続である。苦痛ばかりだ。将来のことを考えれば不安になる。ああ、こんなことであれば生まれてくるのではなかった、とふとしたとき、特に嫌なことがあったときに思いがちだが、そう思うのは特に邪悪で恐ろしいことではなく、自然なことかもしれない。それは現代であるがゆえというわけではなく、古代の昔から人間を悩ます普遍的なテーマといってよいのかもしれない。仏教の開祖である釈迦は「また子を欲するなかれ」と『ブッダのことば――スッタニパータ』(岩波文庫・1,243円)で説いている。人生が苦しみであるならば、子を持たないほうが(悟りをひらくために)よいと説く。十九世紀のドイツの哲学者、ショーペンハウアーも『意志と表象としての世界』(中公クラシックス・全三巻・各1,705円~1,925円)において、「人間のもっとも大きな罪は彼が生まれたということにあるのだから」と説き、ルーマニアの作家で思想家のエミール・シオランも『生誕の災厄』(紀伊國屋書店・3,300円)、『絶望のきわみで』(紀伊國屋書店・3,300円)で生きることの苦痛と、孤独と絶望のうちに生まれてくることの悲痛を叫んでいる。シオランの思想については大谷崇『生まれてきたことが苦しいあなたに――最強のペシミスト・シオランの思想』(星海社新書・1,210円)が入門としてはわかりやすい。言葉の激烈さはあれど、根底にあるシオランの優しさが理解できた。このように古代から現代まで、人生はおおむね苦しく生きづらいと感じている人がいて、それに呼応するかのように、それについて書かれたものが残り、後世にも影響を与えている。
…続く
2021/03/01 掲載
