コラム
丸善ジュンク堂のPR誌 書標(ほんのしるべ) 2025年8月号
今月の特集は
『量子力学100年 ――ある科学の物語』
丸善ジュンク堂のPR誌 書標(ほんのしるべ)。今月の特集ページを一部ご紹介致します。
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今月の特集(一部抜粋)
『量子力学100年 ――ある科学の物語』
花粉症と愛人と
花粉症に苦しむひとりの青年が、療養のため、荒れ果てた岩だらけの小島に行きました。
その島で青年は、やがて世界を変えることになる、ある難問の解答を得ました。
島の名はヘルゴラント島。青年の名はヴェルナー・ハイゼンベルク。二十三歳。いまか100年前、1925年6月のことでした。
2025年は量子力学の誕生100周年を記念する年です。国連は「国際量子科学技術年」と制定しました。
それは、ハイゼンベルクのヘルゴラント島での「解答」を、仲間たちと一緒に練り上げて、同年に精緻化したのが、今日の「量子力学」のプロトタイプだったからです。
量子力学。原子や電子など、ミクロの世界を記述する物理学。ニュートン以来の古典物理学では説明できなかったさまざまな現象を解明し、現代の科学技術の基盤として、半導体、レーザー、MRI、そして量子通信、量子コンピュータなど、多岐にわたる技術革新を可能にした、20世紀最大の科学革命です。
そもそも量子論は1900年のマックス・プランクによる「量子仮説」に始まり、その後一九一三年のニールス・ボーアの原子模型など、重要なステップもありました。
なぜ1925年が「量子力学元年」とされるかというと、従来の古典力学を脱皮した、全く新しい理論の枠組みが生み出されたからです。
古典的な概念を放棄し、完全に新しい原理と数学に基づく理論――ハイゼンベルクの「行列力学」です。それまで物理学では使われていなかった行列(線型代数学)を用いたのです。
おもしろいのは、当時、ハイゼンベルクは行列を知らなかったそうです。ハイゼンベルクの先生のマックス・ボルンが「これは行列で表せる」と見抜き、同僚のパスクアル・ヨルダンも交え、数学的に整理したのが行列力学でした。
同じ1925年の12月。スイスアルプスの保養地アローザに愛人とクリスマス休暇に来た38歳の男が、ひとつの方程式を見出します。
男の名はエルヴィン・シュレーディンガー。方程式はのちに「シュレーディンガーの波動方程式」と呼ばれます。「波動力学」の誕生です。
じつはこの「波動力学」も「量子力学」なのでした。
線型代数を用いる行列力学と微分方程式を用いる波動力学。まるで違うアプローチなのですが、両者は同じことだということがまもなくわかるのです。
光や電子は、粒子のような性質と波動のような性質の「相補性」をもっています。超おおざっぱに言うと、そのうち粒子寄りのアプローチが行列力学、波動寄りのアプローチが波動力学。前者は行列を用いて粒子を記述し、後者は微分方程式を用いて波を記述したのです。
ハイゼンベルクとシュレーディンガーは、同じ峰に別ルートで登ったのでした。
ところで、シュレーディンガーは名うての女たらし。妻以外につねに複数の愛人がいたらしく、彼に波動方程式のインスピレーションを与えたクリスマスの彼女の名はわかっていません。
…続く
2025/08/01 掲載
