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ジュンク堂 MARUZEN&ジュンク堂書店 渋谷店書店員レビュー一覧

ジュンク堂 MARUZEN&ジュンク堂書店 渋谷店書店員レビューを74件掲載しています。120件目をご紹介します。

検索結果 74 件中 1 件~ 20 件を表示

ジュンク堂 MARUZEN&ジュンク堂書店 渋谷店店員

書店員:「MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店」のレビュー

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ジュンク堂|MARUZEN&ジュンク堂書店 渋谷店

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)輪島 裕介 (著)

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史(光文社新書)

学者としての良心に裏打ちされた、緻密にしてスリリングな歴史叙述の妙

 「借り物の洋楽風ポップスや日本語ロックなどの折衷的な音楽ではなく、演歌こそ日本人の(もしくは東アジア人の)心の源であり、真のルーツミュージックだ」云々といった類の物言いは、今でこそさすがにあまり表立って声高に語られることこそなくなったけれども、かつて昭和の終わり頃くらいまでは、まだけっこうそれなりに根強く流布していて、各種メディア上でちらほらと目にする機会があったように記憶している(例えば晩年の中上健次の都はるみへの執着ぶりや、美空ひばりの突然の〈復活〉とそれにまつわる様々な言説などを思い起こしてみても)。
 10代の前半頃からもっぱら洋楽と、洋楽の影響の色濃い日本語ポップスの圏域でどっぷりと音楽漬けの日々を送ってきた筆者のような者にとっては、そうした言説に触れるたびに、どうにもいぶかしく承服し難いという思いと、それとまた裏腹にどことはなしに後ろめたいような微妙な引っかかりも一方では感じられて、何ともすっきりしないまま、ただもやもやと苛立ちをつのらせるのが常であった。
 本書は、おそらくは筆者と同様、永年そうしたもやもやを抱えて過ごしていたであろう多くの人たち───AMAZONレビューをちらとのぞいてみただけでも、その声の多さは実感できるが───にとっては、まさに溜飲の下がる思いのするあざやかかつ綿密な「神話崩し」の書であり、また戦後の日本社会の精神史の一断面を描いた読み物としてもすこぶる興味深く、色々な意味で示唆に富む労作である。

 今では当り前のように「演歌」として認知されている種類の音楽も、その主だった特徴とされる要素は実は最初からそれほど確固として存在していたわけではなかった。昭和30年代当時、戦後の復興期を経て、新たなメディアの隆盛とともにその基盤を大きくひろげつつあったレコード歌謡業界のプロデューサーや職業作曲家たちが、国の内外・新旧を問わず種々雑多な音楽要素をはなはだ無節操かつ恣意的につぎはぎして作り出していった流行歌の数多くのスタイルのうちの、やや特殊な変種のいくつかが、他と比して似たような傾向や色合いをもつものとして徐々にひとまとめにくくられていった、というのがそもそもの実情のようである。過度に強調される〈日本調〉、〈田舎調〉の雰囲気も、要は当時流行であった「ムード歌謡」や「リズム歌謡」、「ジャズ調」や「GS調」などの〈都会〉志向で〈洋モノ〉っぽい───あくまで「っぽい」というだけのことなのであるが───楽曲イメージへのいわばイメージ戦略上の対抗軸としての意味合いが大きく、多分に作為的な演出意図のうかがえるものであった。
 では、そのように元来がきわめて雑種的・折衷的な出自をもつ戦後流行歌の世界における、ある一部の楽曲の曖昧でおおざっぱな〈くくり〉でしかなかったはずの「演歌」───この呼称じたい実は当時は存在せず、あとの時代に作られて過去の楽曲や歌い手にもさかのぼって適用されるようになったものである。ちなみに明治・大正期の「演歌=演説歌」は名称だけ同じ別物───が、いったいなぜ、どういう因果から、「はるか昔から脈々と歌い継がれてきた日本人の(あるいは東アジア人の)心」、「真正な日本の伝統」などといった、音楽学的にも、歴史的経緯をみても、端的にいってどうみても誤りであるような修辞や文脈とともに語られるようになっていったのか。わずか10数年ほどの間に生じたらしいこうした不可解な状況変化の陰にある、戦後日本の大衆社会の心理的推移とも密接に絡み合った入り組んだ導線のひとつひとつを、著者はその前史から順を追って丁寧に解きほぐし、読みといてゆく。

 結論からいうなら、そこにはまず何よりも最大の要因として、60年代後半に台頭したいわゆる「新左翼」系の対抗知識人・文化人による、〈演歌〉をめぐるいささか荒っぽい言説上の介入と概念構築があった。
彼らは、少なくともその時代には傍流・周縁に位置する泥臭い「下級文化」であり、巷になお残る軍歌や戦前の流行歌・俗謡などの残滓ともども、戦後をリードしてきた進歩的エリート知識人層からはあからさまに侮蔑的な扱いを受けていた〈演歌〉を、むしろそれゆえにこそ日本の下層民衆の真正な(=西洋・アメリカ文化帝国主義に毒されていない)心情や情念を掬い上げ、代弁し得ているはずだ、とする逆転の論理で半ば強引に称揚し、肩入れしていったのである。そのような過剰にバイアスのかかった言論にもとづく作為のうえではじめて、〈演歌〉は他とは違う独自の存在として固有の枠組みを与えられ、アイデンティティーを認められるようになっていく。五木寛之の小説『艶歌』は、まさにこうした「対抗」概念を、物語の構造のなかでわかりやすく図式化=定型化したものといえるであろう。

 竹中労、森秀人あたりに始まり、五木寛之、相倉久人、平岡正明にまでいたる、非・中央論壇的で一癖も二癖もある個性的な言論人による一連の挑発的な発言には、実際それなりの面白みと迫力があり、あの時代の空気のなかでは一定以上の説得力も持ちえたのであるが、連合赤軍事件後の70年代前半の急速な時代潮流の変化のなかで、その政治的先鋭性の部分に関してはもはや幅広い共感を獲得することはできなくなっていく。その一方で、彼らの言説中の「逆転の論理」の文脈に内包されていた俗流民族主義的で土着回帰的な「反近代」志向は、〈演歌〉というカテゴリーが一般社会に認知され、大衆化していく過程で、曖昧で情緒的な「ディスカバー・ジャパン」的な心性との結び付きを強めてゆく。毎年暮れの恒例行事として定着した『紅白歌合戦』や『NHK歌謡ホール』系歌番組における演歌および演歌歌手の重用がそうした傾向に拍車をかけ、いつしか演歌はいわばNHK公認の「国民歌謡」のようなポジションを獲得していくにいたるわけだが、その反面、ジャンルカテゴリー成立時の何よりのアイデンティティーであった「やくざ」的な「アウトロー性」、「反社会性」といった側面は───もともとそれ自体かなりの程度フィクションであったにせよ───きれいに拭い去られてゆくことになる。
 そしてその行き着いた果てが、本書冒頭でも引用されている、「演歌ジャンルの衰退」を枕に「万葉以来つづく叙情の伝統の喪失」を嘆いてみせてしまう某著名宗教学者の事例に象徴されるような、もはや曲解を通り越した倒錯にも近い認識パターンであり、またそれがそれなりの根拠と権威をもった「定言」として受けとめられてしまう、笑うに笑えない事態というわけだろう。

 膨大な資料を駆使し、厳密な実証性を保ちつつ、時に皮肉やウィットも盛り込んだ著者の硬軟おりまぜた小気味いい語りの妙と、ジャンルをまたいだ分厚い音楽知識に裏打ちされた精緻な楽曲分析の数々に膝を打つことうけ合いの「サントリー学芸賞」受賞作。

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歌謡曲が聴こえる (新潮新書)片岡 義男 (著)

歌謡曲が聴こえる(新潮新書)

スマートだがどこか奇妙な味のする、異色の歌謡曲論

 自身の回想によれば、1962年の夏休みのこと、当時東京の私大の四年生であった著者は、千葉舘山での長逗留の旅の帰り、たまたま通りすがりに遭遇した屋外ステージのイベントでのこまどり姉妹の歌とパフォーマンスに、何かしら「横面を張られる」ような強烈なショックを受ける。そしてこの出来事をきっかけに、これまでずっと傍らにありながらただ素通りするばかりであった巷の流行歌の数々に俄かに興味を覚えた著者は、それ以来、『全音歌謡曲全集』という楽譜のアンソロジー本を常に鞄に忍ばせ、その中の目にとまった新旧の楽曲のレコードを探してはせっせと買い集める、律儀で精力的なコレクターとなっていったという。
 本書は、そうした若き日のとりつかれたような探求熱にまつわるエピソードを随所に織り込みつつ、主に昭和20~30年代にヒットした戦後流行歌のいくつかをとりあげて、歌の歌詞やメロディーにこめられた意味や心情、そしてそれを聴いた当時の人々がそこに無意識に重ねあわせ、仮託したであろう思いのありさまを推察する、というプロセスを基本として構成されている。ただ章によっては、歌の内容よりもそれを媒介し体現した歌い手自身の個性や来歴の方にもっぱら重点がおかれたようなところもあり、またこの著者らしいというべきか、固有名詞をふんだんに散りばめた、ときに瑣末ともみえる周辺的細部記述へのこだわりも垣間見られるなど、そのアプローチの仕方は良い意味で気ままな、自由度の高いものとなっている。

 ところで、ここでひとつどうしても気になってしまうことがある。

 すでに様々な形で世に問われ、ある程度評価も定着している他のいわゆる「昭和時代回顧」ものや「戦後回想録」の類──それは例えば、関川夏央でも松山巖でも野見山暁治でもいいのだが、たとえ幾分なりとでも体感的に戦後の同時代を生きたといえる世代の人たちの手によって書かれた回想記的なもの──と比べてみたとき、本書の記述には全体として、何かぬぐい難い奇妙さが漂っているように思えるのだ。それはすなわち、れっきとした戦前(1940年)生まれであるというこの著者の内部における〈戦後的〉な記憶の見事なまでの欠落っぷりである。
 まだ十分に物心ついていない子供であったうえ、地方に移住していたので──とは何度も繰り返される本人の弁だが、果たして本当にそれだけなのだろうか。
 まあともかく、それならそれでもっと歴史史料なり同時代の証言なりに真摯に向き合って、エピソードの厚みや史的記述の精度を増す努力をしてみては、とも思うのだけれども、どうもそういった方向にはあまり深く著者の関心は向わないようで、結果として本書は、まぎれもなく「昭和」、「戦後」を象徴する流行歌の世界を扱っていながら、その叙述からは「昭和」の匂いや肌触りも、「戦後」という時代の光と影、そこに濃淡さまざまなかたちで分かち難く結び付いていた歴史的時間の層や桎梏といったものもほとんど感じられない、全体としてふわりとした印象の漂う読み物となっている。

 それでも例えば『リンゴの歌』をとりあげた第三章などでは、著者はこの歌の歌詞の成立にまつわる関係者のあいだでの「伝承」に触れながら、作詞者サトウ・ハチローの戦時下での密かな「抵抗」の物語をそこに読み取りつつ、かなり踏みこんだ解釈を示してもいる。しかしながら、著者の文章としては異例なほどの情緒的な昂ぶりをみせて矢継ぎ早に展開される、共感に満ちあふれた流麗な言葉の連なりに、ではいったいどれほどの歴史的リアリティーが感じ取れるのかというと、それはまた別の問題という気がするのである。
 本書のもとになった雑誌連載とほぼ同じ時期、やはり戦後流行歌を主題としたWEB上の論考(『北のはやり歌』Webちくま。後に書籍として刊行)において、民俗学者の赤坂憲雄氏がこの「伝承」に関して違った角度から興味深い指摘を行っている。敗戦の翌年、旧満州からの引揚げ船の船上で初めてこの歌を耳にした作詞家のなかにし礼氏が、その折に覚えたという何ともいいようのない違和感を話の起点に、論はその作詞者であったサトウ・ハチローの問題にも及んでゆく。そして、敗戦をはさんでわずか七、八ヶ月ほど前にやはりサトウが詞を付けたあられもない戦意高揚調の軍歌『台湾沖の凱歌』の歌詞を引きながら、ふたつの歌の表現内容のあいだに横たわる「眼もくらむほどの途方もない断絶」に驚愕の念を覚えるとともに、そのような「断絶」の深淵を渡ったうえでなお、いかなる躓きや屈託の痕さえもそこに見い出すことのできない『リンゴの歌』のひたすら明るく可憐な感傷性への痛切な疑念が表明されてゆくのである。
 そこに口を開けた、何ともやりきれないと言う他ない「残酷さ」の感覚を前にしたとき、事の真偽はどうあれ、サトウが「すでに戦時下に、この歌の詩想を練っていた」とか、「「いつかは発表できる時が来る」と思いながら、この詩を書いていた」というような「どこか牧歌的にすぎる伝説」を言い募ってみたところで、いったい何ほどの意味があるのか。そう問いかける赤坂氏の幾分か鬱屈した語りの方に、少なくとも個人的には、歴史へのまなざしのよりいっそうの切実さを感じずにはいられないのだが、いかがなものだろうか。

 だが考えてみれば、そもそも本書をそのような基準──戦後史としての視野の奥行きや精度──において語ろうとすることじたいが、あるいは間違いなのかもしれない。

 第六章の後半のある箇所で著者は、冒頭の章でも触れていた例のこまどり姉妹との印象的な出会いの場面に再び立ち戻り、そのエピソードが自身の個人史において持つ特別な意味について、今度は構造的な側面からの解釈を試みている。そして、そこに描きだされた構図からあらためて思い知らされるのは、一応は同じ日本の戦後という時間と風景のもとに育ちながら、幼少期以来のこの著者の生を形作った経験の実質的な中心がいかに全くその外側に位置するものであったかという事実の、わかるようでやはりよくわからない不思議さなのである。
 アメリカと日本のあいだ、あるいは英語歌と日本語歌のあいだで自己の表現のあり方を模索し続けたナンシー梅木やフランク永井といった歌い手をとりあげた章や、またもともとハワイ音楽との深い縁をもち、近年は日系人コミュニティで有名なオレゴン州ポートランド出身のピンク・マルティーニというグループにその曲がカヴァーされて再注目を集めるようになった和田弘とマヒナスターズの音楽をめぐって綴られた一連の文章は、本書のなかでもとりわけ印象に残る箇所ではないかと思うが、繊細なニュアンスにみちたその叙述の裏側には、著者自身のこれまで辿ってきた複雑な道のりもまたうっすらと透けてみえるようでもある。
 その意味では本書もまた、形を変えた一種の自伝のようなものであり、「さまざまな〈歌〉の体験という視点からなされた、「僕」という人をめぐるいくつもの文章の試み」(『白いプラスティックのフォーク』後書きより。〈〉内原文は〈食〉)ということなのであろうか。

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繁栄からこぼれ落ちたもうひとつのアメリカ 果てしない貧困と闘う「ふつう」の人たちの30年の記録 デール・マハリッジ (著)

繁栄からこぼれ落ちたもうひとつのアメリカ 果てしない貧困と闘う「ふつう」の人たちの30年の記録

「貧困」という主題を軸に捉えたアメリカの30年

1982年の秋に発売されたブルース・スプリングスティーンのアコースティックギター弾き語りアルバム『ネブラスカ』は、色々な意味で衝撃的な作品であった。70年代の後半から『明日なき暴走』や『ザ・リバー』といったメガヒットアルバムを連発し、またEストリートバンドを率いてのその圧倒的なライブパフォーマンスで、誰もが認めるアメリカロック界の頂点の位置にまで登りつめた彼が、一転、何やら荒涼とした寒々しい音風景に覆い尽くされたあまりにも暗い内容のアルバムを突如として世に問うたのである。今でこそ「オルタナ・フォーク」といった用語もあり、そうした文脈のなかで位置付けることも可能であろうが、あの当時、MTV隆盛期のやたらとカラフルなメリハリばかりが強調された同時代のヒットチャートの楽曲群の中にあって、そのひたすら沈鬱でザラザラした肌触りの音や声は、やはりどうしようもなく異様に響いた。日本のメディアやリスナーの反応も、作品としての評価云々という以前にどちらかといえば当惑気味なものが多かったように記憶しているが、それはそれでもちろん無理からぬことではあっただろう。
 だが今、『繁栄からこぼれ落ちたもうひとつのアメリカ』という極めてスプリングスティーン的な邦題(原題SomeplaceLikeAmerica)を冠された本書をじっくりと読み、また80年代後半以降にアメリカの社会学や政治学の専門家たちが自国の社会構造の根底的な変化について、深刻な危機感とともに提示してみせた自己分析の数々を改めて振り返ってみたとき(例えば、『現代アメリカの自画像~行きづまる中産階級社会』NHKブックス)、あの当時抱いていた漠然とした印象に関して、そもそもの根本からの修正の必要を感じないわけにはいかない。どういうことかといえばつまりは、良くも悪くも、あれだけ時代の相から遊離していると感じられたあの『ネブラスカ』という一見地味な問題作こそ実は、かの国の社会の底辺でじわじわと起こりつつあった巨大な変化の兆しを、その空気感ごと、暗鬱な心情のプリズムを通してありのまま正確に表現し得た、ほとんど唯一といっていいほどの同時代の「リアル」な作品だったのではないかということである。
 さて、すっかり前置きが長くなってしまったが、本書はまさにその80年代前半、まだ駆け出しの地方新聞記者だった著者のデール・マハリッジと同僚のカメラマン、マイケル・ウィリアムソンが、地域周辺でにわかに増え始めていたという「新人ホームレス」の実態を取材することを命ぜられて以来、およそ30年の長きにわたって続けられることになった、アメリカの最下層社会の過酷すぎる生活状況とそこで苦闘する人々の真情を伝えるルポルタージュの集大成である。
 ただ、ホームレスや貧困層とはいっても実は彼らのほとんどは、ついこのあいだまでは大工場や製鉄所やその周辺に集う商店などで働いてごく「ふつうの」暮しを営んでいた、元々は中産階級の労働者やその家族たちなのであって、それゆえにこそ眼の前の現実をなかなかありのままには受け入れることができず、やるかたない怒りや無力感や自責の念に押し潰されそうになりながら、それでも何とか必死に折り合いを付けて前を向こうとする彼らの姿は、ときにあまりにも痛々しく、読んでいてどうにもいたたまれなくなってくるほどである。
 話を聞き出す側にとっても相当に苛烈な経験であったらしいこうした一連の取材のなかで著者は、対象との距離を慎重に推し量りつつ、彼らの様々に入り組んだ思いや人生観や日々の生活における表情を注意深く拾いあげながら、それぞれが抱える苦悩や葛藤を、文章と写真の両面から立体的に描写し浮かび上がらせてゆく。何よりもそこには彼ら一人一人の生の輪郭と相貌とがしっかりと刻みこまれていて、それが本書の叙述全体に単なる事例の寄せ集めとは違った物語のような厚みと、静かで深い余韻を与えているように思う。
 著者のマハリッジはデビュー作となった『あてどのない旅』をはじめとして、80年代を通じ、同様な主題に基いたルポルタージュ作品を同じカメラマンとのコンビで3作刊行し、そのうち2番目の著書で見事ピューリッツァー賞の栄誉にも輝いている。だが、作品へのジャーナリズム内での評価はともかく、そこで取り上げた「貧困」という問題そのものについての世間一般の関心の相も変らぬ低さに、マハリッジは心底からの苦い落胆を覚え、一時はもうこういったテーマについて物を書くのは金輪際やめにしようとまで決意していたという。そんな失意の底にあった著者の背中を押し、再び取材の現場へと立ち戻らせる契機ともなったのが、90年代半ばにあの『ネブラスカ』の続編ともいうべき弾き語りスタイルのアルバム『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』を制作中であったブルース・スプリングスティーンとの思ってもみない形での出会いであり、率直な意見交換を含むささやかな交流のひとときであった。そもそもの発端は、『あてどのない旅』の内容に多大な感銘と衝撃を受けたスプリングスティーンが、その中のエピソードをもとに2曲の楽曲を書き下ろしたうえで、さらに著者のマハリッジにもコンタクトを求めてきたということであったようだが、言われてみればなるほどこの両者のあいだには、同一のテーマへの持続的な関心といったもの以上の深い部分での精神的な近親性さえ見て取れるようにも思うのだ。
 それにしても、こうして連綿と紡ぎだされた、文字通り「繁栄からこぼれ落ちた」人々の30年の物語からつくづく痛感させられるのは、個々の年代ごとの経済の動向や全体としての景気の浮き沈みといった目先の事象とは関係ない次元で、事態がいかに一貫した傾向のもとに着々と悪化の一途をたどってきたかという事実である。この間進行していたのは、ブルーカラー・ホワイトカラーを問わず、かつて長らく「中産階級」と呼ばれてきた分厚い社会階層の全面的な瓦解と崩落という背筋の寒くなるような現実であり、その急速な拡大と常態化であった。そこにはむろん、いわゆる「グローバル経済」の爆発的な伸長を背景とした、旧西側先進国に共通の構造的な問題が横たわっているのは間違いないが、しかしまた、そのリスクと副作用が特にアメリカにおいてこれほどまでに極端な形で顕在化してきたことについては、それをあからさまに助長するような方向にはっきりと舵を切ってきたレーガン政権以降の社会・経済政策が大きく関与していることもやはり疑い得ないであろう。
2000年代の後半以降、さすがに風向きが変ってきたというべきか、近年はこうしたアメリカ社会における「貧困」や「格差」をめぐって、各種の告発本とでもいうものが続々と出版され、日本でも大きな話題と注目を集めているのは周知の通りである。そういったルポルタージュや社会評論の類にみられる論調の容赦ない明快さ、激しさに比べると、本書における著者の表現はむしろ抑制的であり、内省的に過ぎるとさえ感じられるかもしれない。だが、その苦みをはらんだ低声の語りの底を貫いて流れる静かな怒りには、どんな激越な糾弾にもまして、読む者の胸に深く沁み入らずにはおかない重厚な訴求力がみなぎっている。今後とも長く読み継がれるべき、記念碑的な労作。

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大手を蹴った若者が集まる知る人ぞ知る会社 (朝日新聞出版)オバタカズユキ (著)

大手を蹴った若者が集まる知る人ぞ知る会社(朝日新聞出版)

働く全ての人に仕事の楽しさを教えてくれる一冊

本書は、一流大学を出ながら、あえて大企業に背を向け働く若者と、その人材が集まる企業の求心力に迫ったルポタージュです。

著者の「私はキレイ事が嫌いだ」の一文から始まる本書。その穿った姿勢から徐々に取材対象に惹かれていく様子は、やりがいを求めて働く登場人物たちの瞳により一層の彩りを加えている。
取り上げられているのは、「テラモーターズ」「クラウドワークス」など、今まさに成長を速めている企業だが、そこで働く若者たちはベンチャー企業といわれてイメージするようなギラついた様子はなく、あくまで自然体だ。

「もう一度日本からソニーやホンダをつくりたい」「急成長より持続的に成長したい」と、それぞれのビジョンを語る個性豊かな経営者。しかし、これに賛同する若者もそれぞれ個性的である。留学、インターンと常に行動を起こしながら、飛び込んだ環境での経験を成長に変えてしまうマーケター。進学校をアルバイトや芸術活動へ熱中するあまり中退するも、東大進学へと軌道修正したエンジニアなど、各人のエピソードだけでも興味深い。
そして、それぞれの企業と人材が性質を異としながら共通するのは、大企業では収まらない意欲や能力を持つ若者たちと、創業者によるワンマン体制に落ち着かず、優れた人材を受けとめるだけの器を持つ企業という関係性とその魅力である。

就職活動中の学生や、企業の人事担当者も参考になるとは思いますが、働く全ての人に仕事の楽しさを教えてくれる一冊です。


(評者:MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店 社会書担当 中田)

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ほんとうの花を見せにきた 桜庭 一樹 (著)

ほんとうの花を見せにきた

子どものいる方にお勧めしたい一冊

バンブーという植物性の吸血鬼と人間の物語。中篇短編があわせ三つですが、僕はどれも家族の物語だと思う。
最初の中篇が個人的には一番お勧めしたい。
その内容は、掟に背いてまで人間の子どもを育てるバンブー二人とその子どもの話。人間の子どもを深い愛情で育てている姿は親そのもの。
この3人の結末には正直泣けます。
子どものいる方にお勧めしたい一冊。


(評者:MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店 文芸担当 勝間)

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ロバート・ライシュ格差と民主主義 ロバート・B.ライシュ (著)

ロバート・ライシュ格差と民主主義

「格差」は今真剣に向き合わなければならないテーマである

「資本主義」や「格差」をキーワードとする本が絶えず出版され、我々にとって高い関心事の1つとなっています。国民の上位1%が富を独占するアメリカにおいては、格差はより深刻な社会問題です。資本主義によって人々は豊かになりました。しかし同時に、資本主義は富を富裕層に集中させ、格差を拡大させる負の側面を持っています。

日本でも『暴走する資本主義』のベストセラーがあるロバート・ライシュ教授は本書において、より富裕層に有利になっていくアメリカの政治経済を「不公正なゲーム」と指摘し、健全な民主主義を市民に取り戻すことを説いています。今後日本を含め、世界中で格差が広がっていくおそれがあります。ライシュ教授の提言は、「格差」が今真剣に向き合わなければならないテーマであることをつきつけます。


(評者:MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店 社会書担当 松島)

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【期間限定価格】市議会議員に転職しました。 ビジネスマンが地方政治を変える 伊藤大貴(著)

【期間限定価格】市議会議員に転職しました。 ビジネスマンが地方政治を変える

地方政治への可能性を感じられる一冊

国会議員より身近な存在のはずなのに、市議会議員の活動内容はほとんど知らないという人は多いのではないでしょうか。本書では、二人のビジネスマン出身の若手市議会議員が、その職業の実態を語り、議員への転職を細かな戦略をもって指南しています。

様々なかたちで取り上げられ、議論になる衆議院議員。彼らの平均年齢は51.9歳で、40歳未満の議員は全体の約15%。それに対し、市議会議員の平均年齢は58.7歳で、40歳未満の割合は5.6%しかないそうです。この数字を見ただけでも、実際の住民との年齢バランスにかたよりがあることは否めません。若者の政治離れが叫ばれて久しい今日ですが、生活に密着した地方自治により親しみがないことは、どれだけ政治がメディアを騒がしても、その機能不全は解消されません。

こんな状況を変えるのは、ビジネス経験者の視点だと本書は強調しています。確かに市民と行政、双方の隔たりを埋めることは、企業と顧客を橋渡しするノウハウを持った民間出身の議員こそ適任者と言えます。

そして、二人の著者が自らの経験を元にした選挙対策も、マーケティングの視点で語られています。「SWOT分析」「ペルソナ設定」などの用語で解説されると、選挙も単なる政治家の闘争ではなく、候補者と有権者とのコミュニケーションだということがわかります。

本書は、政治家への「転職」に興味がある人もない人も、地方政治への可能性を感じられる一冊です。


(評者:MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店 社会書担当 中田)

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○○○○○○○○殺人事件 (講談社ノベルス)早坂吝

○○○○○○○○殺人事件(講談社ノベルス)

この作品のタイトルとは?

全てが伏線であり、最後には大爆笑してしまう。
こんなミステリーは読んだことがない!!
だがしかし、この作品はミステリーの王道をゆく作品だ!!
さあ、あなたはこの作品を読んでタイトルと謎が解けるだろうか?
無論、私は解けませんでした(笑)


(評者:MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店 文芸担当 勝間)

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白菊 伝説の花火師・嘉瀬誠次が捧げた鎮魂の花 山崎 まゆみ (著)

白菊 伝説の花火師・嘉瀬誠次が捧げた鎮魂の花

自らの仕事に誇りを持ちたい人に

夏の夜の、漆黒の空に咲く大輪の花。一瞬で周囲を照らす華やかさと、すぐさま消えゆく儚さをもつ花火は日本人に最も好まれる芸術かもしれない。

花火大会は日本の夏の風物詩であるが、その中でも長岡の花火は有名である。しかし、それを手掛ける花火師達がどんな思いで花火を打ち上げているかを多くの人は知らない。本書はこの長岡の花火に魂を込めた伝説の花火師・嘉瀬誠次氏の半生を追ったノンフィクションです。

現代の日本人の花火へのイメージは、夏祭りを盛り上げるメインイベントといったところであろうか。しかし、もともと長岡花火には戦災殉難者への慰霊と鎮魂の思いが込められているという。

嘉瀬氏は、自身も太平洋戦争中に出征し、その後シベリアでの抑留を経験している。戦火をくぐり抜け、極寒の地での過酷な労働に耐える中で、多くの戦友の死を看取ってきた。本書のタイトルでもある花火「白菊」は、この天国の戦友たちへの手向けの花なのである。

この職人の生み出す芸術を愛した、もうひとりの芸術家・山下清の言葉も紹介されている。
「みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばかりつくっていたら、きっと戦争なんて起きなかったんだな」
平和への想いは職人の仕事を通じて、観る者の心へと確かに届いている。

全ての仕事には、それを担う人間のストーリーが詰まっています。自らの仕事に誇りを持ちたい人に是非読んでもらいたい一冊。


(評者:MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店 社会書担当 中田)

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小林秀雄とその戦争の時 『ドストエフスキイの文学』の空白 山城 むつみ (著)

小林秀雄とその戦争の時 『ドストエフスキイの文学』の空白

まさに「圧巻」の一語に尽きます。

  「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについて今は何の後悔もしていない」、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」─── 良くも悪くも世間的にはすっかり有名になってしまった、敗戦直後の座談会における小林秀雄の「放言」の一節である。ところでこの二つの挑発的な「放言」のあいだには、少しばかりニュアンスを異にする次のような発言がはさまれていたのだが、そちらの内容に関しては、果たしてこれまでどれだけの人が注意を向けたことがあっただろうか。

 「大事変が終わった時には、必ず若しかくかくだったら事変は起らなかったろう、事変はこんな風にはならなかったろうという議論が起る。必然というものに対する人間の復讐だ。はかない復讐だ。この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさえなければ、起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性というものをもっと恐ろしいものと考えている。」 (『近代文学』1946年掲載「コメディ・リテレール」より)

  「歴史の必然」などという危なっかしい表現もあって気をつけなければならないが、ここで小林の口から語られているのが、当時の日本が追い込まれていた諸々の窮状や条件の一つ一つを振りかざしつつなされる、あのよくある──だから仕方なかったのだ、他にどうしようもなかったのだ──という類の免罪論・正戦論の論理とはまるで違った位相からの問題提起であり、けっして悔し紛れなどではない真率な疑義の表明であったことを見落としてはならないだろう。
 では、だとするなら、この一節において小林が頑なにこだわってみせている、「歴史」をめぐるある「恐ろしさ」の感覚とは、いったいいかなるものを指しているのか。
 本書全体を通じて、著者が様々な補助線を用いながら一貫して追究し、明らかにしようとしているのは、まさにその一点であるといえよう。
 従軍記者として、当初はあまり気乗りもせず「たたぶらりと」赴いた中国戦線の現場で小林が遭遇し、「自分でもはつきりしない」まま、深い部分での内的な変化を生じさせる契機となった、当地に流れる「時間」と「空気」にまつわるある不可解な「経験」の内実とはどのようなものか。戦後、その『罪と罰』論のなかで、シベリア流刑後のラスコーリニコフの心情の注釈として書き連ねられた言葉──「何もかも正しかったと彼は考える。何も彼も正しかった事が、どうしてこんなに悩ましく苦しい事なのだろうか」の真意とはどこにあるのか。
  生動する「歴史」の瞬間の内部に分け入り、「ここ」と「そこ」をめぐる「連続」と「断絶」の不可視の臨界点に驚くべき緻密さで肉迫する、前著『連続する問題』につづく圧巻の〈小林秀雄スタディーズ〉第二弾。

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お父さんと伊藤さん 中澤 日菜子 (著)

お父さんと伊藤さん

小説現代長編新人賞受賞作

あたし(34歳)、伊藤さん(54歳)の同棲部屋にお父さん(74歳)が転がり込んできたところから話は始まる。
読んでいて家族ってやっぱり面倒くさいな、と思いつつも家族ってやっぱり良いなって思った。

家族にしか見せない顔、家族にはみせない顔、人は必ずそういう一面を持っている。
そんなことを今更ながら気づかせてくれる一冊であり、家族の大事さ、温かさを感じる一冊だ。

(評者:MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店 文芸担当 勝間)

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猟奇博物館へようこそ 西洋近代知の暗部をめぐる旅 加賀野井 秀一 (著)

猟奇博物館へようこそ 西洋近代知の暗部をめぐる旅

本のタイトル「猟奇博物館」にして・・・

本のタイトル「猟奇博物館」にして、怖・面白・勘を感じた。
この博物館に展示されているのは解剖学ヴィーナス、デカルトの頭蓋骨、カタコンベに奇体標本・・・あっと驚く異形のコレクション・人物が一人ずつ紹介されている。短編集になっているので、自分の興味ある人とも出会うかもしれない。
日本からは「小野小町の九相図」を展示。絶世の美女と謳われた彼女も死したる後の肉体は・・・諸行無常である。まずは好奇心のおもむくままコレクションを見て欲しい。この博物館を出る頃には、あなたの見る目が変わっているかもしれない。


(評者:MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店 人文担当 片岡)

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知と情 宮澤喜一と竹下登の政治観 御厨 貴 (著)

知と情 宮澤喜一と竹下登の政治観

本書は多くの政治家や関係者から・・・

本書は多くの政治家や関係者から聞き取り調査を行い、オーラル・ヒストリーの出版も多い著者が、同時代を生きた二人の人物の語りからその時代背景を探ろうという試みの第二弾。
同じ戦後自民党の本流を生きた二人。多数の内閣でブレーンとして活躍した知の宮澤。語る内容の合理性とともに、その言葉の選び方からは政治へ携わる人間の矜恃と情熱が姿をのぞかせる。許すことを人心収攬の術とした情の竹下。彼は政治家の力量を定量化し、政界を覆うほどのパースペクティブをも持ち合わせていた。
二人のテキストを縦軸と横軸に、そして福本邦雄の回顧録を補助線にしながら著者の解説も加わり、戦後保守政治を鮮やかに描いた一冊。


(評者:MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店 社会担当 中田)

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ソウル・マイニング 音楽的自伝 ダニエル・ラノワ (著)

ソウル・マイニング 音楽的自伝

語り部としての才もなかなかのものです

ダニエル・ラノワのあの特徴的な音世界との邂逅は、個人的にはたぶんネヴィル・ブラザーズの89年作品『イエロー・ムーン』が最初であったように思う。持ち味のアーシーな南部らしさを残しつつ、そこに揺らめくような浮遊感にみちた響きと奥行きのある音像を交錯させた、艶かしくもスピリチュアルな深みをもつこの傑作は、バンドにとっての一大画期となるとともに、プロデューサーであるラノワの名をも改めて強烈に印象付けるものであった。
その後のラノワの八面六臂の活躍ぶりについてはすでによく知られたとおりであるが、なかでもとりわけ、ボブ・ディランやエミルー・ハリスといったベテランの大物ミュージシャンの90年代の意欲作に関わって、過去のレジェンドなどではない同時代の音楽家・表現者としての彼らのポテンシャルと凄みを存分に引き出してみせた一連の素晴らしい仕事から、我々音楽ファンがどれほどの恩恵と刺激を受けたかは、ちょっとひと言では言い尽くせないものがある。
本書はそのダニエル・ラノワが、フランス系カナダ人としての自身の生い立ちや家族との関係から、少年時代における音楽との出会い、そして若くしてこの業界に足を踏み入れてから現在に至るまでの長い道のりを、数々の偉大で個性的なアーティストたちとの共同作業の思い出を軸に書き下ろした、一種の音楽的自伝ともいうべき回想録である。
ちょうど同郷のロビー・ロバートソンがそうであったように、ラノワもまた、少しだけ距離を隔てた外縁の位置からアメリカとその周辺地域の肥沃な音楽的土壌を掘り起こしつつ再解釈するという、ルーツ音楽の革新者としての顔を持つ。〈音響〉をめぐるさまざまな実験的な試みや、個々の作品成立の背景をうかがわせるレコーディングの裏話的なエピソードの数々とともに、本書からはそうしたラノワの独特の立ち位置とそれゆえの豊かで複雑な魅力の一端もまた確かに読み取ることができるであろう。
気のおけない、穏やかでリラックスした語り口のなかにも、音楽に寄せるあふれるような愛情や探究心と、また文化の遺産継承にかかわる者としての矜持や使命感までも感じさせる素晴らしい労作。

井上

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棕櫚の葉を風にそよがせよ 野呂 邦暢 (著)

棕櫚の葉を風にそよがせよ

二巻目以降が待ち遠しい

野呂邦暢にはおそらくすぐれて映像作家的な資質があったのだろう。
線をなぞり、筆を塗り重ねるように〈描写〉するのではなく、広角にひらいた視角を通してわずかな一瞬に事物のあいだから立ち現れたイメージを捉え、それらを人物内部の心理や情感の揺れと微妙に絡めながら全体の情景をつくりあげてゆく。芥川賞受賞以前の初期の短編を集めたこのアンソロジーの中でも、『11月』など幾つかの作品においてそうした特徴をはっきりと見てとることができる。
土地や風土のもつ力を喚起しつつ書くことを常に意識していたというその文章は、光や水の移り変わる色合いを映して陰影深く、ときに匂いやかで、切り詰めた簡潔さのうちにもたしかな密度を感じさせるものである。ただ、それでいながら、いわゆる土着的・血縁世界的な骨がらみの濃密さとはむしろまったく無縁な印象を与える点が、野呂独特の洗練された持ち味ともいえるであろう。
ところで野呂邦暢にはもうひとつ、広い意味での戦争小説の書き手という見過ごしにできない側面がある。現在ではいささか評価の分かれるそれらの作品群についても、次巻以降もぜひ継続して採り上げてほしい。『壁の絵』のどこかいびつで収まりの悪い作品世界がなぜかしら妙に気にかかるがゆえに。

井上

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科学を語るとはどういうことか 科学者、哲学者にモノ申す (河出ブックス)須藤 靖 (著)

科学を語るとはどういうことか 科学者、哲学者にモノ申す(河出ブックス)

なんかかみ合わない話

科学哲学はいったい何をやっておるのか?
憤る宇宙物理学者を相手に科学哲学者が説明を試みる。
そんな本が出た。

科学哲学は「科学ってなんなの」ということを哲学する分野だが、科学者からは評判悪い。
まあ、モノが実際に存在してようがしてなかろうがいいじゃないのなんて言ったりするから結論だけ聞くと何言ってんのアホらしみたいな気がする。

けれども、科学の側は科学哲学をたいがい無視していてツッコミを入れるというのはあんまりなかった。
科学哲学にだれか思いっきり不満をぶちまけてくれないかなぁ、
と思っていたからこの本は嬉しいじゃないですか。

だけど、どこか議論はかみ合わず、両者も(読んでる私も)イライラしてくる。
これは文系と理系の学問の考え方の違いなのか。話のしかたが悪いのか。
こんな対話を300ページの本に仕上げた二人の根気に敬意を表したい。

科学者と科学哲学者との間で理解が深まったかというとそれほどでもないが、
この貴重な対話をもとにしてなぜ科学哲学が科学者から白い目で見られるのか議論を深めたい。

なお、科学哲学にあまり触れたことがない方にとっては、この本だけだと科学哲学がどういう分野なのかわかりにくいと思うので、『科学哲学の冒険』(NHKブックス)などの入門書と合わせてぜひ。

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右利きのヘビ仮説 追うヘビ、逃げるカタツムリの右と左の共進化 細 将貴 (著)

右利きのヘビ仮説 追うヘビ、逃げるカタツムリの右と左の共進化

変なタイトルですね…

変なタイトルですね。ヘビに右も左もあるんかい、と思ってしまいます。だってヘビには手も足もないじゃありませんか。
でもあるようなんです、顎に。

右と左で歯の本数が違うヘビはどのように進化したのか。
今回ご紹介する本は、東海大学出版会の「フィールドの生物学」シリーズの一冊です。このシリーズはさまざまな生き物の生態や分類を専門とし、野外調査に力点を置く若手の学者たちが、研究の成果とそれを得るまでの調査の苦労話をつづったものです。
論文的な学術書ではあまり読めない体験談、森の中をうろつきまわってあんなことやこんなことをしてああ大変、ということがたくさん盛り込まれていて、そこが面白い。

本書では特に一介の学生が研究者へと成長していく姿がよく描かれていて、大変そうだけど楽しそう。私も大学でこういうことがしたかったと思ってしまいました。もう遅いですか、そうですか。いいなぁ。
もちろん研究内容も魅力的。だってヘビが右利きだっていうんですから。


(評者:MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店 理工担当 片野)

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なぜ豊かな国と貧しい国が生まれたのか ロバート・C.アレン (著)

なぜ豊かな国と貧しい国が生まれたのか

ここ数年、世界史自体や…

ここ数年、世界史自体や、それをあるテーマで概観した良書が多い。いちばん有名なものはジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』だろうか。原題が『グローバル・エコノミック・ヒストリー』となっているように、本書は経済の視点から世界史像を描いている。

「豊かな国」と「貧しい国」が存在する今日の世界経済。この要因を、制度や文化、そして地理的条件に加えて、技術革新、グローバル化、経済政策のもつ歪んだ特性とその影響だと著者は強調する。

自分は日本人であるので、日本が西洋にキャッチアップしていく過程を、製鉄所、発電所、自動車工場、都市等を同時に建設していくビッグプッシュ型工業化で説明する章はやはり興味深く読めた。200ページの内容で、問題の解消にまでは踏み込んでないが、現代世界経済の問題について分かりやすく読める1冊。


(評者:MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店 社会担当 中田)

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自殺 末井 昭 (著)

自殺

本の内容は著者…

本の内容は著者の母がダイナマイト心中したこと、樹海の取材、身内に自殺したことある人へのインタビューなど、タイトル通り自殺にまつわる話。
この本を読んでいると「自殺」というのは身近に溢れているのかもしれない。そして、自殺する理由は人それぞれ。そんな中、著者はそんな人達を否定するわけではなく、自分の思いを語っていた。
最後のあとがきでの一言の優しさが印象に残った。


(評者:MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店 文芸担当 勝間)

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耕せど耕せど 久我山農場物語 伊藤 礼 (著)

耕せど耕せど 久我山農場物語

舞台は、東京・久我山…

舞台は、東京・久我山。昭和八年生まれの元英文学教授の「わたくし」の、自宅脇に作った小さな農場での奮闘を綴った随筆。

ホームセンターで小型耕耘機の購入を決意した時のはやる気持ち。
「お正月以外にも大好きなクワイを食べたい」とクワイ栽培を始めてからの騒動。
一日の始まりには、窓の外の農場を眺めながら、たった今収穫してきたばかりの野菜で作った朝食を食べる。

「わたくし」の目を通して綴られる、生きたものと向き合うゆえの予期せぬ驚き、喜び、実りを待つ気持ちは、心地良く、新鮮な空気で満ちている。
自転車も乗りこなす「わたくし」には、以前に出した自転車エッセイのファンも多いはずだが、農場運営者という新しい視点で自転車を走らせ、よその畑を視察して回る姿に、新たな楽しさが広がる。

農場を始めて十年。今後は、父で小説家の伊藤整氏の書斎で発見した「戦時農場の設計」という資料を元に農場づくりに取り組むとのこと。太平洋戦争当時に東京都が発行したこの資料、副題が「一年中野菜を絶やさず作る計画表」という。七十年の時を経て、これからの「わたくし」の毎日にどんな発見と思いを運んでくれるのだろうか。


(評者:MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店 理工担当 木戸)

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