書店員レビュー一覧
丸善・ジュンク堂書店・文教堂書店の書店員レビューを100件掲載しています。1~20件目をご紹介します。
書店員:「MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店」のレビュー
- ジュンク堂書店
- MARUZEN&ジュンク堂書店|渋谷店(1月31日閉店)
わたしの名は赤 新訳版 上 オルハン・パムク (著)
中東のイスラーム圏の小説家として
中東のイスラーム圏の小説家として、マフフーズに続いて二人目のノーベル文学賞受賞者となった著者オルハン・パムクの名は、世界を震撼させた2001年の同時多発テロとそれに続く混迷の数年間の記憶もまだ生々しい時期のことであったゆえ、日本の出版界でもかなりの話題性をもって迎えられたように思う。その受賞作『雪』よりもむしろ総じて世評の高い本作は、今回で早くも二度目の邦訳となる。息の長い、ニュアンスゆたかな文体をもつ作品だけに、改めてじっくりと読み比べてみるのも一興だろう。
著者の生まれ育った地であり、ほとんどの作品の舞台ともなっている海港都市イスタンブールといえば、アラブ・中東世界とヨーロッパ、またアジアとをつなぐ文明の交流の地として、ある種のロマンチックな憧憬の念をもって語られることも多い。だが一歩歴史の内部に足を踏み入れれば、たとえば本作に登場する細密画の絵師たちの不安と苦悩に象徴されるように、特にヨーロッパ近代との遭遇を契機として、自らの拠って立つ文化的・宗教的伝統の正統性や純粋性をめぐっての葛藤もまた、当地の知識人において、ときに激越な振幅をともなって繰り返されてきたのである。(以下下巻)井上