書店員レビュー一覧
丸善・ジュンク堂書店・文教堂書店の書店員レビューを100件掲載しています。1~20件目をご紹介します。
書店員:「ジュンク堂書店三宮店」のレビュー
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たった一人の反乱 (講談社文芸文庫)丸谷 才一 (著)
ハンバーガー的小説。
元通産官僚馬淵英介の家庭をめぐるさまざまな混乱とその末。
つるりとしている。なめらかである。クリアな感じがする。一読した際の印象だ。重苦しい事件や大きな社会的題材が扱われているのに、何だか面白いな、と思っているうちにするすると読み終えてしまった。ただ「たった一人の反乱」の「反乱」のイメージからは程遠く、何か読み落としているのでは、とも思われ、再読する。
気付くのは会話文のところ。会話を示すカギかっこの前が「、」(読点)になっていて、会話のところで改行され、また改行一文字アキで、後が「と~した」となっている。つまり会話文を挟む前後がひとつながりの文を構成し、なおかつ前後の章句が会話文を挟みこんでハンバーガーのような形になっている。時には会話が二つ続いて挟まっているもの(ダブルバーガー状態)や二つの会話の間に短い章句が挟まっているもの(ダブルチーズバーガー状態)、さらに三つ以上のものが組み合わさっているもの(ビッグ〇ック状態!)など形はさまざまだが、会話を前後の文章が挟みこむ、という法則は頑なに守られている。最初の、つるりとした、なめらかな印象はここからくるのだろう。
で、何が言いたいのかというと、この会話文を挟みこんだひと続きの文章を含めて全体が、一人の語り手(=ぼく)による独白になっている、ということだ。会話文も、三人称の話者による叙述も、すべては「ぼく」が見たことや、他の人物から聞いたことを元にして組み立てた物語に過ぎないのだ。
ここで物語の輪郭は大きく揺らぎ始める。物語は「ぼく」が都合のいいようにでっち上げた、あるいは単に妄想した、架空の「物語内現実」なのではないか。いったい「ぼく」とは何者なのか。そのように思いながら読んでみると「ぼく」はきわめて特異な性格をしていることが見えてくる。
「ぼく」は冷静である。他者から売られた喧嘩には応酬せず、緻密な状況分析で最も有効な方法を探る。心ない侮辱にも取り乱さず、適当なジョークでかわしながら次善の策を練っている。
「ぼく」は優秀である。元通産省の官僚で現在は天下りして電機会社の取締役。モデル出身で二十も年下の妻を持ち、健康で友人関係も幅広く、社内での出世も約束されている。エリートの肩書をふりかざすこともなく、気さくでユーモアもあり、時にはおっちょこちょいな一面も見せる。
描きうる限りの理想的人間像。近代的市民社会の亀鑑たる人物。まったく人間ばなれしている。
そう、「人間ばなれ」しているのだ。「ぼく」は人間ではないのだ。「ぼく」こそは現実社会にはびこる巨大な魔物であり、御都合主義、事無かれ主義に裏打ちされた、きわめて洗練された形での官僚体制の怪物、あるいはそこから脱出するも行き場を見つけられず彷徨う現代の亡霊に外ならない。そんな「ぼく」に、登場人物たちはそれぞれたった一人の反乱を試みる。おそらくは著者自身も。これはある程度のダメージを与えることに成功する。物語終盤のカメラマン貝塚玄の写真賞授賞パーティーの場面。大物写真家からの授賞拒否やその後の野々宮教授の奇怪で長大な演説、さらにユカリの祖母歌子とその愛人石山の乱入、それを受けての「ぼく」の回想において、「ぼくの物語」は破綻一歩手前まで追いこまれ、黒い傷口を露呈する。それまでの文体とこの章における、どこか壊れかけたコンピューターみたいなそれとは鮮やかな対照をなしている。
しかし結局のところ「ぼく」はその困難をも克服する。「ぼく」は、実際はどんなに傷ついていても、予定調和のハッピーエンディングに向けてせっせと物語を紡ぎ続けるのだ。表面上は和やかで微笑ましい、偽の物語を。