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「レクチオ・ディヴィナ」という言葉は最近知ったのだが、カトリック教会の修道院的伝統の中で実践されてきた、祈りを伴う読者法とのこと。直訳すれば「聖なる読書」ということになる。祈り(オラチオ)を読書(レクチオ)と分離することなく、さらに言葉の意味を味わう瞑想(メディタチオ)や、ただ神の御前にたたずむ観想(コンテンプラチオ)も含め、これら四つの段階を相互に行き来する。ついつい聖書を読む時に参考書などを用いて「勉強」となってしまいがちだが、レクチオ・ディヴィナを実践していく中でまた異なった次元が経験できるのではないか、と期待している。
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宝塚売布で祈りの学校を開いている来住神父の聖書深読法です。一つ一つの言葉を味わって読む方法が簡潔に解決されています。読むというよりは聖書で祈る方法という感じでしょうか。
レクチオ・ディヴィナとは何か◆どう読めば、祈りになるのか◆善きサマリア人◆レクチオ・ディヴィナの神学◆レクチオ・ディヴィナにおける精神の四つの働き◆具体的な手順◆おわりに
著者:来住英俊(1951-、近江八幡市)
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聖書をよむこと自体が祈り(lectio divina)
「聖書を、素手で、非常にゆっくり、行きつ戻りつ、何度も読む」
聖霊は、各人が聖書を読むときにも働く。
出来事にじかに接するように読むと、日常でも聖書が語りかけてくれる。
聖書は「キリストのからだ」、愛し親しむべきもの。
lectio divinaは、自由な心の動きに従う祈り。
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再読。古代の修道院で行われていた聖書の祈り、レクチオ・ディヴィナ。知識ではなく「出来事」としてじかに接すること。「言葉」をさわるように読む。物語の奥行きを味わってこそ、私達の人生を動かすものとなる。聖書から”神の霊”を受ける。
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レクチオ=読む
ディヴィナ=聖なる
聖書を読む行いが祈り
一語の言葉の重みを感じながらゆっくりと読む。
反芻しながら読む。
聖書に限らず、最良、最上の本の読み方だと思う。