投稿元:
レビューを見る
ケータイ小説、地下鉄サリン事件、ベルリンの壁崩壊、沖縄基地問題・・・etc.様々な事例を挙げ、またNHK教育で放送され話題となった(と云っても観てはいないのだが^^;)サンデル教授のハーバード白熱教室の講義をもとにカントやアリストテレスなどの正義論を考察。正義とは何かを探っていく。
NHKでドラマ化された角田光代さんの『八日目の蝉』が取り上げられ社会学の観点から読み解かれている。実に興味深い!
投稿元:
レビューを見る
講義録のためか、かなり読みやすい。
特に、「普遍性」や「歴史の必然性」についての解説は、たいへんに興味深かった。
ただし、第4章は全体の中での位置付けがあまりはっきりしない感じがした。
『癒す人』も読んでみたくなった。
投稿元:
レビューを見る
(2011/2/11読了)サンデルの「Justice」の理解の補助になれば、という興味から読み始めた。実際「Justice」の副読本としてもとても有効だったが、単独の書としてもなかなか読み応えあり、特に第一章が個人的にガツンと来た。サンデルせんせーの言うコミュニタリアンとは「物語化できる人生」。対して、今は「物語化できない人生」。ふむ。
投稿元:
レビューを見る
201103/
ウォルター・リップマンの『世論』/
世論の形成においてエリートの存在がいかに重要か/
個々の市民は群集の中におぼれている。だから、彼らにはローカルなものしか見えていない/
エリート知識人があたかもすべてを見通しているかのように人に思われることは、世論が形成され、民主主義がうまく機能するための絶対条件/
つまり、個々の市民は自分のことしか分からない。ローカルな視野しか持っていない。でも誰かが普遍的な知を持っているという幻想が成り立つことが重要なんです。このとき初めて市民は、エリートによって自分たちが代表されていると思うことができる/
ここで重要なのは、エリートが自分の代わりに見通してくれていると判断すると、そのとき個々人は自らが選んだような気分になるということです。人は、自分のために、自分に代わって何かをやってくれる他者を選ぶことができれば、自分がやっているに等しいという気分になる。これこそが民主主義の重要なトリックです。このような、誤ってはいても、しかし政治的に有意味な幻想を持つことが可能になるのが民主主義のポイント/
人々はローカルな判断しかできないし、情報が正しいか間違っているかを判断できなくとも「わかっている人」というポジションを想定できるときに、代表制民主主義というのはうまく機能する。だから、民主主義の危機はどこに生ずるかというと、実はエリートのところに来る/
民主主義が危機的状態になるのは、エリートを信頼できなくなったときです。つまり、民主主義とエリート主義は、持ちつ持たれつの相互依存の関係にある/
ジャン=ピエール・デュピュイ/
未来において現に破局が起きてしまったと仮定してみなさい/
その未来の位置に立っている人には、その破局までの過程は「必然だった」と見えているはず/
裏返しの終末論/
われわれは、どこに向かうべきかについての展望はないとしても、何を回避すべきか、どこに向かってはならないかということについての、消極的・否定的な目的ならば持っています。例えば地球生態系の全体的な破局は避けるべきことです。どこに向かっていくべきかはわからなくても、どこを避けるべきかは分かる。
投稿元:
レビューを見る
最後はやや尻切れトンボな「ほのめかし」で終わってしまった感じ。できればもう一章ほしかった。でも途中の議論は、自分にはサンデルより頷けるところが多かった。
投稿元:
レビューを見る
既存の説を現代社会に当てはめ、それが成立しないということを証明する中で、現代社会がどのような物かということを考察した本。民主主義が孕む矛盾の話というのが印象的。
投稿元:
レビューを見る
正義とは何かを考える。サンデル氏をはじめとするコミュニタリアンの限界に対して資本主義への無理解という観点から論じる。自分という物語の文脈に収まりきらない部分に否定性の経験を伴うことこそが正義の<普遍性>につながり、異なる文化への連帯の土台となるという発想が魅力的。いつか原理だけでなくその具体的な方法論まで示してもらいたい。政治哲学を新たな視点で眺めることができた一冊でした。
投稿元:
レビューを見る
正義についての、大澤流考察。
最初の方はわかりやすかったが、後半は哲学的すぎてよくわからなかった。
もう少し基本的な内容を抑えてから読むべきだった。
投稿元:
レビューを見る
サンデルの「これからの「正義」の話をしよう」を意識して書いたと思われる、大澤版「正義についての話」だと思う。
サンデルは、コミュタリアンとしての正義を書籍で語っていたが、大澤氏は、サンデルと同じように功利主義、リベラリズム、コミュタリアン、アリストテレスと展開しながら、コミュタリアンの限界も指摘している。
その上で、資本主義や普遍的な正義も絡めながら、冒頭の1章で引用した「八日目の蝉」の物語のように人は感動することから、「癒し」というキーワードで現代社会ををまとめている。
サンデルが講義から始まったように、この本も講義から文章を起こしたようでわかりやすいが、前半が非常にまとまっているのに比べて、後半はほのめかす、ぼかす形で終わってしまったのがもったいない。そのあたりはまだ筆者も十分にまとめきれていないのか。
ともかくサンデル氏の著作を読むのであれば、この本で相対化することができることがあるので、一緒に読んでみて損はないと思う。
投稿元:
レビューを見る
より良い社会を作るにはどうしたら考え、行動したら良いか。そういうことを論じて、提示してくれる本だと思って読んだのですが、そうではなくて、あくまで「正義」を「考える」という体裁です。つまりは、より良い社会を作るための土台としての知識、勉強をこの本を通してしようじゃないかというもの。一つの答えをドンと提示してくれていたら、星5つでした。喩えるならば、ゴール前までドリブルで切り込んでいって、シュートを打てるようなところなのに、誰かにパスするFWでしょうか。
投稿元:
レビューを見る
功利主義の最大の問題は「普遍性」を放棄すること。
功利主義は。犠牲を正当化するケースからもよくわかるように、公平性に二義的な関心しか向けない。Cf. トローリー・ケース by イギリスの哲学者フィリッパ・フット p73
【修正功利主義】p74
「最大多数の最大幸福」のような目標を、数学ではダブルオプティマム(二重最適化)という:ダブルオプティマムは、一般には解けないことが数学的にはわかっている。つまり、二つの変数を同時に極大化するような理想的状態は一般にはない。
修正功利主義は最大多数をカッコにくくって、一定の規準になる集団を決める。cf. 国益→国際政治のゼロサムゲームへ cf. ベーシックインカム
【カントの定言命法への批判―コンスタンの「殺人鬼」の例】p91
【「われわれ」の再有限化】p103
①(修正)功利主義―規準となる「われわれ」の限定
②リベラリズム―「われわれ」の無限の普遍化
③コミュニタリアン―「われわれ」の再有限化
【アリストテレス倫理学のアクラシア(Akrasia)―わかっているけどうやめられない】p122
「無抑制」:意志が弱い:わかっているけど、ついやってしまったという状態。
アリストテレスの目的因(テロス)における最高善=「不動の動者」p139
【ジャン=クロード・ミルネールは1950-60年代のフランスの左翼知識人と共産党との関係を「アキレスと亀」の喩えで描いた】p152
亀=共産党、左翼知識人=アキレス
共産党に漸近していくけども、決してそこに入ってしまったりしない。そういう構造。
Cf. プロテスタントにとっての「最後の審判」
人格的(非限定的)関係=友情、恋人、家族
物象的(限定的)関係=eg. 貨幣による取引(特定のアスペクト・機能)
Cf. タルコット・パーソンズ「型の変数(パターン変数)pattern variables」「限定/非限定」
ウェーバー、テンニエス「ゲマインシャフト/ゲゼルシャフト」p211
【二重の意味での自由】p217
①労働者が、自由な契約主体にならなくてはいけない。
②「生産手段からの自由」ということ。
「商品の物象化」(マルクス、ルカーチ)≒「抑圧されたものの回帰」(フロイト)p221
【労働者内の二極化】p236
旧来型:ブルジョアとプロレタリアートの二極化
現在:労働者階級内の二極化 Cf. アメリカの経済学者ロバート・ライシュ『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』
①シンボリック・アナリスト:情報の直接の生産や操作に関わる。(思想:多文化主義でリベラル)
②肉体労働者:膨大な数の周辺的な労働者。(思想:ポピュリズムや原理主義)
b/c 「一般的知性」の囲い込み
「ライプニッツ的態度」→ヘーゲル「理性の狡知」:歴史の大枠の中で、偶有的な出来事が、事後的には必然のようにしか見えない。
「裏返しの終末論」Cf. フランス政治哲学者ジャン=ピエール・デュピュイ「破局について」p276
投稿元:
レビューを見る
授業で著者のことが紹介されていたので読んだ。
正義論の変遷について学ぶことができた。
<功利主義>(ベンサム)
最大多数の最大幸福
<リベラリズム>(カント)
定言命法(汝の~行為せよ)
<コミュニタリアニズム>(サンデル等)
多文化相対主義(共同体の慣習の指向する共通善を重視)
投稿元:
レビューを見る
大学時代にこの本で出てくる人物を聞いたので、すごく懐かしく読めました。
今の時代ストーリー化されない、かなり難しい時代。
投稿元:
レビューを見る
最近の「正義」ブームに便乗した形のタイトルになっているような気がします。どこに「正義」について書かれているのかよく分からないまま読み通しました。そもそも「正義」ということばの定義自体が、私が考えているのとはちょっと違うのかもしれませんが。さて、一つ一つの話はおもしろいし、よく分かる部分もあるのだけれど、全体としての流れがよく読み取れないまま、結局何が言いたかったのかうまくつかめませんでした。この話の続きは後に・・・と言っておいて、後でどこに出てくるのか分からない。前に議論していた話の続きを語り始めるときには、すでに前の話は忘れてしまっている。そんな感じでした。著者の本はほとんど読んだことがなかったのだけれど、『THINKING「O」』で、中村哲さんとの対談に感動していて、本書も手に取りました。アリストテレスのアクラシアとか、聖書の放蕩息子の話とか興味深い話題がいくつも出てきたのですが、その中でも一番は、最初に出てきた角田光代著「八日目の蝉」です。早速読んでみようと図書館で注文していますが、映画化もあってか人気があり、まだ手元に届いていません。まさか、大澤さんの本を読んで、角田さんの本を読もうと思った人はそんなに多くないと思いますが。