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吉田典史著 「震災死」(生き証人たちの真実の告白)を読む
死という厳粛な事実と真正面から、立ち向かい、遺体を、科学的に、検視報告なり、医師・歯科医師・警察・消防団・自衛隊・潜水士・心理学者などの証言を、こまめに、検証・分析して、死因の究明(圧迫死、外圧死、凍死、窒息死、即時死後硬直などの事実)を通じて、そこから、見えてくる「防災」想定を設定すること自体の問題点、防災意識の油断の指摘と、今後の防災対策への提言へと、進んでゆく。PTSD(心的外傷後ストレス障害)に於ける能動的意思の有無の重要性や、心のフィルターのコントロールの説明や、突然の「暴力的死別」により、心の中に生まれた「自責の念や怒り」、「複雑性悲嘆」、「統合された悲嘆」、「悲嘆と受容の表裏一体性」、「開き直りの必要性」に関する科学的な説明と分析は、確かに、「千年に一度」、「未曾有の災害」とか、「想定外」という言葉だけで、「思考停止」を伴ってしまう議論に、対峙していて、貴重である。遺体を、暴力的に破壊されたモノとして、客観的にみることにより(報道、表現の在り方に対する疑問)、防災意識のオオカミ少年的教訓を、改めて、考え直そうとする視点は、全国紙のマス・メディア報道とは、一線を画していて、斬新な視点である。死臭で臭覚を麻痺してしまった災害救助犬(レイラ号)の実話、自衛隊員による「実弾を使わない戦争」、自衛隊の在り方(軍隊と災害救助派遣という便利屋)に関する問題提起、更には、消防団の待遇、組織の在るべき姿、又、犠牲となった団員への不十分な補償の問題、「職責を果たした」という美名の下での客観的な真実へ、迫ろうとする力への無言の圧力と無念さ、等、確かに、そこには、「備えあれば、憂いなし」ではなくて、「憂えないから、危機意識がなく、備えなし」という事実に、改めて、考えさせられる。「絆」とか、「がんばろうニッポン!」等という言葉とは裏腹に、この国には、無責任な風潮や無邪気さが、同居していて、「人と人とが支え合う意識が、すごい速さで、壊れて行きつつある」、そうした国の内部崩壊の危機を、著者は、敗戦や原爆の語り部の必要性と同時に、「記憶の風化」を恐れ、真摯に訴えている。石巻の大川小学校のように、何故、多くの死者が出たのか、未だに、多くの謎が残されており、それらの検証が、不十分であるとも、、、、、。そうした検証無くして、被災者を支えること無くして、今後の防災計画も復興もあり得ないし、国の再生もないと、著者は、犠牲者の遺体や多数の行方不明者に、替わって、訴えているように、感じられる。3月11日を前に、1年前と1年後は、自らの意識の中で、どのような変化が起こっていたのであろうかを、改めて、問われているようである。
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ハンドマイクを握り締めた姿のまま、遺体となって発見された消防団員。
防災無線で避難の呼びかけを続け、津波の犠牲となった自治体職員の
女性。彼ら・彼女らの死を「美談」として取り上げるメディアが多い。
しかし、美談だけで終わらせていいのか。何故、多くの人が犠牲になった
のか。2011年3月11日に、被災地では何が起こっていたのか。それを
検証せずには前に進めない。
三陸沿岸は日本でも有数の津波多発地帯である。津波に対する避難
訓練も日常的に行われ、津波対策としては立派な防潮堤・防波堤も
備えていた。
それが却って、津波に対する考えを甘くしていたのではないかとの
問題提起をしている。「想定外」。この1年、散々聞かされて来た言葉
だ。しかし、いくら想定を見直してもそれはあくまで一定の目途でしか
なく、想定が安全基準ではない。
「(第2次世界タン世以降)66年間、平和であったから、政府や国民が、
”憂いなければ備えなし”の意識になっている。本来、危機管理は
”備えあれば憂いなし”であるべきなのだが、政府も国民も憂えてい
ないから、備えない」
「憂えていないから、備えない。備えていないから、(危機に)気がつか
ない。気がつかないから、(一段と)備えない」
元自衛隊のヒゲの隊長こと、参議院議員・佐藤正久氏の言葉に胸を
突かれる。遺族のひとりも言っていた。「平和ボケだった」と。
あの日、どうしてあれだけの犠牲者が出たのかの検証を怠っては
いけない。そんな問題提起をしている本書なのだが、この人の文章って
読んでいると時々イラッとするのは何故だ?
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想定外という言葉で思考停止しないで、被災地であったこと、被災地の今を直視し、今後どのように行動すべきかを考えさせてくれる。検死した医師、遺族、自衛隊、警察官、学者、ジャーナリスト、消防団、政治家が、どのように被災地での死に向き合ったのかを20の事例を紹介しながら、課題を整理している。本の中でも、遺族の想いがやはり一番重く感じた。復興や支援などを考える際に、被災者や遺族がどう思っているのかを聴いていくことが必要と感じた。また、被災者地震が伝える被災や津波の状況など、学んだり、後世へ伝えていくのが大切と思えた。
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著者が週刊ダイヤモンドに連載していた、「震災死」にまつわる色んな関係者へのインタビューと、それに対する著者の視点でのまとめ(反省や今後への提言等)が書かれた珍しい形式の本。
似た内容に「遺体」があるけど、こちらはもう少し広い観点での取り扱い。
ただ、既読(記事などで)の内容が結構多かったので、新しく何か知るということはなかった。
また、著者の「まとめ」とか「提言」のようなものが、ちょっとくどい気もしてきたが、それは自分がボランティアに通っていたから現地を知ってるせいなのかもしれない。
全く現地を知らない人が読めば、役立つのかもしれない。
が、全体的に、提言内容が少しレベルが低い気がした。
(誰でも思いつくような感じの内容が多いように感じる)
結果として、本自体の印象が薄くなってしまっているのが残念。
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東日本大震災の多角的な証言集として、読む価値はある。ただ後半は「この震災から学ばねばならない」というトーンが前面に出すぎて鼻に付いた。
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(2012.09.03読了)(2012.08.24借入)
【東日本大震災関連・その100】
東日本大震災関連の本をせっせと読んで、100冊目となりました。
東日本大震災から、1年半となり、最近はさすがにそろそろもういいかなという気分になってきました。東日本大震災関連で読む本の割合が少なくはなっても、まだまだ読む本はありそうなので、少しずつは読んでゆくことになるでしょう。
この本は、今後の教訓となるものを探したいという事で書かれたようですが、防災の専門家が書いたものではないので、意欲は立派ですが、多少空回りになっているのではないでしょうか。どんな教訓を読み取れるかは、読む方の問題ではあるのですが、……。
余談ですが、本を読んでいて、時々違和感のある言葉遣いに出会います。方言のため自分の育った地域と違うものだったり、自分の思い違いで、書いてある方が正しかったり、著者だけの独特の使い方だったり、いろいろです。
シーソーのことをギッコンバッタンと言いますが、ある地方では、ギッタンバッコンというようです。ほかの表現もあります。
袖振り合うも多生の縁、という言い方があります。僕は、袖擦り合うも他生の縁、だと思っていました。ほかの表現もあります。
この本で気になったのは、「心のバイオリズム」という表現です。「精神的バランスが崩れている」という事を言いたいようなのですが、皆さんはこういう表現をご存知でしょうか。
【目次】
はじめに
第1章 医師がみた「大震災の爪痕」
検視医が目の当たりにした津波遺体のメッセージ
歯科医が遺体安置所で感じた矛盾と焦り
精神科医が警鐘を鳴らす、出口の見えない悲しみ
第1章の教訓
第2章 遺族は「家族の死」をどうとらえたか
「原発の町」で娘を捜し続けた父親の苦しみ
生きている限り、夫、娘、息子が生きた証を残したい
取り残されたマンションで祈り続けた家族の無事
避難誘導中に家族3人を失った店主の「枯れ果てた涙」
遺族を告訴に踏み切らせた震災被害の迷宮
第2章の教訓
第3章 捜索者が「津波の現場」で感じたこと
消防団員253人の犠牲者を生んだ「社会構造の矛盾」
津波の上空を飛んだ警察官の絶望と絶えぬ執念
嗅覚を失うまで行方不明者を捜し続けた〝小さな勇者〟
危険な海底で潜水士が見た「津波の教訓」とは?
自衛官が〝実弾を撃たない実戦〟で経験した激務
第3章の教訓
第4章 メディアは「死」をいかに報じたか
毎日新聞が「3月11日」に挑み続ける理由
〝理不尽な死〟と向かい合う「週刊文春」の写真報道
被災者・遺族を包み込む、無邪気で残酷な空気
第4章の教訓
第5章 なぜ、ここまで死者が増えたのか
世界一残酷だった「引き波」と「滝つぼ現象」の破壊力
なぜ、津波の常襲地帯で被害が拡大したのか
「釜石の軌跡」の立役者が語る、安全神話の虚構
死を無駄にしないために、被災地の現実を見て欲しい
第5章の教訓
●津波をなめていた(100頁)
「当初、防災無線は『津波の高さは3メートル』と言っていた。この警報は確かに問題なのかもしれ���いけど、それ以前のところに大きな原因がある。みんなが津波の怖さを知らなかった。亡くなった人も生き残った人も、津波をなめていた」
●大変ですね(104頁)
お客さんからは、「大変ですね」とも言われる。「ああ、大変ですよ。俺と代わってもらえませんか」と言いたくなるようだ。だが、相手がお客さんである以上、何も言わない。
(お客さんとしては、何と言ってあげたらいいんでしょう。)
●消防団(139頁)
被災地の団員を取材すると、〝貧乏くじ〟を引いているような気がして仕方がない。多くの団員は家族を犠牲にしながら防災活動をしても、「特権」が与えられるわけではない。苦しく、理不尽な生活をひっそりと続けていく。
(消防団についてもっと掘り下げが必要なんじゃないのかなあ。)
●命をかけて(164頁)
己より富んだ者に助けられたなら、心から礼を言え。しかし、そうでない者から助けられたなら、己が命をかけてでも礼を尽くせ
●自衛隊の役割(180頁)
本来、自衛隊がするべきは、ご遺体を発見した後は安置所のような集合点まで運ぶこと。そこから先の、たとえば、洗うことは厚生労働省が業者などに依頼し、進めていくべきだった
(非常時にも、いろいろ分担があるんですね。)
●自衛隊は国防(183頁)
自衛隊=災害派遣部隊、自衛隊=災害時に何でもしてくれる、というとらえ方は誤解だ。自衛隊の任務の第一義は国防にある。このことが忘れさられている
(災害時に自衛隊が動くのも国防の一環ではないのでしょうか。東日本大震災に際しての自衛隊は、やり過ぎだった、というのでしょうか)
●死者・行方不明者2万人の原因?(190頁)
私たちは「命は大切」と言う。だが、自分の命はともかく、他人の命は軽く扱っているのかもしれない。さらには、他人の命を守ろうとする消防、警察、海上保安庁、そして自衛隊などには本音のところでは、感謝の念を持っていないのかもしれない。この意識が、死者・行方不明者2万人を生んだ一因ではないのだろうか。
(この文章の意味が読み取れませんでした。)
●噂話(214頁)
あの体育館には霊がいる、と聞く。津波で死んだ人の霊だ。近寄らないほうがいい……
(霊に敏感な人と、そうでない人がいるようです。敏感な人は近寄らないほうがいいでしょう。)
●すぐに避難しなかった(248頁)
「すぐに非難しなかったのはなぜですか」に対し、「地震で散乱したものを片付け」たり、「家族や同僚などの安否を確認していた」と答えた人が多い。
●死者・行方不明者(253頁)
足腰を弱くしたり身体の具合が悪く、一人では迅速に非難ができない「要援護者」。
職責をまっとうした人たち。警察官や消防団員、民生委員、自治体の職員、さらには自宅で治療を続ける親を介護する家族など。
避難意識が徹底されていなかった人や、その犠牲になった人。
☆関連図書(既読)
「がれきの中で本当にあったこと」産経新聞社著、産経新聞出版、2011.06.02
「ふたたび、ここから-東日本大震災・石巻の人たちの50日間-」池上正樹著、ポプラ社、2011.06.06
「TSUNAMI 3・11-東日本大震災記録写真集-」豊田直巳編、第三書館、2011.06.30
「罹災の光景-三陸住民震災日誌-」野里征彦著、本の泉社、2011.06.30
「3・11東日本大震災奇跡の生還」上部一馬著、コスモトゥーワン、2011.07.01
「前へ!-東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録-」麻生幾著、新潮社、2011.08.10
「東日本大震災の教訓-津波から助かった人の話-」村井俊治著、古今書院、2011.08.10
「被災地の本当の話をしよう」戸羽太著、ワニブックスPLUS新書、2011.08.25
「明日へ-東日本大震災命の記録-」NHK東日本大震災プロジェクト著、NHK出版、2011.08.30
「生きる。-東日本大震災-」工藤幸男著、日本文芸社、2011.09.20
「三陸物語-被災地で生きる人びとの記録-」萩尾信也著、毎日新聞社、2011.09.30
「負げねっすよ、釜石」松瀬学著、光文社、2011.10.20
「遺体-震災、津波の果てに-」石井光太著、新潮社、2011.10.25
「河北新報のいちばん長い日」河北新報社著、文藝春秋、2011.10.30
「海に沈んだ故郷(ふるさと)―北上川河口を襲った巨大津波 避難者の心・科学者の目」堀込光子著・堀込智之著、連合出版、2011.11.05
「記者は何を見たのか-3・11東日本大震災-」読売新聞社、中央公論新社、2011.11.10
「あの人にあの歌を-三陸大津波物語-」森哲志著、朝日新聞出版、2011.11.30
「ファインダー越しの3.11」安田菜津紀・佐藤慧・渋谷敦志著、原書房、2011.12.03
「心のおくりびと 東日本大震災復元納棺師」今西乃子著・浜田一男写真、金の星社、2011.12.
「さかな記者が見た大震災石巻讃歌」高成田享著、講談社、2012.01.06
「笑う、避難所」頓所直人著・名越啓介写真、集英社新書、2012.01.22
(2012年9月4日・記)
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報じられなかったことも含め、事実を把握し、未来のためにどう生かすか。
かわいそうな被害者、で思考停止してはいけないということ。
仲介役であるメディアのありかた。
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美談で語られることが多い震災における死に、ご遺体の状況や死に様から美談ではすまされない死の実態に迫っていた。多くの人が決死の覚悟でいたわけではなく、気づいたときに「そんなはずでは…」と突如、死に直面させられたのではないかというのは深くかんがえさせられた。生死の別れ目の 怖さをである。
死ぬのも嫌だし、遺されるのも嫌だ。
「自分の命は自分で守る」命に対する一定の責任は持たなければならない。
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先日読んだ『遺体 震災、津波の果てに』に通じる作品。津波による犠牲者の遺体を中心に置き、検死医、遺族、消防団員、自衛隊関係者、救助犬調教師などを取材している。どちらか?と比較すると、『遺体 震災、津波の果てに』の方が良書ではあるが、こちらも新たに考えさせられる内容ではある。
特に、災害救助犬「レイラ」についての章や、自衛隊の活動についての章は読んでよかったと思うところ。
震災の後、「津波てんでんこ」という言葉があることを知ったけれど、この本を読んでまたこの言葉が頭に浮かんできた。
まずは各々が“憂う”こと。そうして自分の命は自分で守ること。「1000年に一度の災害だからこんなに多くの犠牲が出ても仕方がない」と割り切ってしまうのではなく、また防災を政府や自治体任せにするのではなく、生き抜く努力を各々がすることが大切なのだろうと思う。
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なぜここまでの被害が出たのか、どうすれば被害を少なくする事ができるのか、そこまで突き詰めない限り人災は無くならない。