投稿元:
レビューを見る
タイトルに惹かれて読んだ。リーダーシップが求められている現代だが、果たしてリーダーシップとは何だろうと思っており、解をみつけたかったのだが、読んでみて余計にリーダーシップの意味がわからなくなった。
投稿元:
レビューを見る
この本を書いたバーバラ•ケラーマン講師の描く、これから求められるリーダーシップの変貌、優秀で有能なリーダーは必要なない。
投稿元:
レビューを見る
全くピンと来ない。
要旨が「リーダーシップが弱くなった、無くなった」ということだが、膨大なページを割いて具体例も挙げながら、印象論でしかないという徒労。「処方箋は書かない」と逃げを打つ姿勢。何かを得られたという気がしない。
日本という国が、最も愚かなリーダーと最も優れたフォロワーで構成されている国だ、ということはわかった。
投稿元:
レビューを見る
技術・社会情勢が目まぐるしく変化する中で、リーダーシップの在り方も変化しているという実感から、同じような実感が描かれているのではという期待の下、本書を読んだ。
本書の主張は以下の通り最後にまとめられている。
「リーダーシップは時代遅れとなる危険性がある。リーダーがではない。リーダーはいつの世も存在するが、フォロワーシップより重要な存在としてのリーダーシップ、授業料を払って習得するようなリーダシップ、普通の仕事より優れたものとしてのリーダーシップ、どんな問題であれ、それを解決するものとしてのリーダーシップ、業績を出すのが当たり前だと皆が思っている、そのようなリーダーシップはもう古いのである。このビジネスが衰退する可能性を排除するため、リーダーシップビジネスは少なくとも四つの改革をしなくてはならない。会話を阻害する、リーダー中心主義を終わりにすること。近視眼的な状況の特定から脱却すること。リーダー教育自体を厳しい分析の対象にすること。影響の対象を反映しなければならない、移りゆく時代とともに変わることだ。」
最後のまとめはもっともらしいのだが、中盤書いてあることといえば、フォロワーの力が増大しているということだけで、特筆するようなことが記載されておらず、全くもって期待外れ。残念。