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ひとはどのくらいまで狭い場所に住むことができるのだろうか。
戦後、住む場所をなくした内田百閒は屋敷の離れに間借りして妻と二人で三畳(一畳は荷物置き場)に住む。炊事は外で七輪を使い、憚りは外へ。
智恵子亡き後、山小屋に暮らす高村光太郎。夏目漱石の小さな下宿。病床の正岡子規に至っては、布団の中だけがマイワールド。
(貸出中)
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■この本を知ったきっかけ
Amazonのおすすめ。
■読もうと思ったわけ
極小住環境に興味があって。
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引越した部屋の狭さに絶望して思わず手に取った一冊。お蔭で大変心強くなりました。うん、彼らに比べたら全然マシ。
二畳。「起きて半畳、寝て一畳」とはいいますが。残り半畳は収納ですか。
たしか森見登美彦の「四畳半神話体系」には、「二畳に住んでいる強者を一人だけ知っていたが、彼は精神に異常をきたして親に実家に連れ戻された」のようなことが書いてあったと思うけれど、普通はそうなると。監獄の方が広そうだもの。そんな部屋に複数人で住む文豪達。彼らの精神はどうなってるのでしょうか。しかも文章を見る限り結構楽しげである。
文豪たる想像力を総動員して現実逃避でもしていたのでしょうか。彼らの才能の原点はそこにあるのかも。文豪になりたくば二畳に住め。
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人間の豊かさは物質的な物でははかりきれないというのは分かっているが、さすがにこんなに小さな家で長年暮らせるものかと思った。しかし実際に暮らしてみない事にはその素晴らしさは実感できないのだろうと思う。現代的な暮らしに慣れている我々には急にやれ、と言われても難しいだろうが、何らかの機会に一度試みてみたい生活様式であることは確かだ。少なくとも僕には魅力的に見える。
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精神論ではなく、過去の人達が二畳程度のところでどんな生活をして、何を産み出してきたか、というドキュメントで、迫力あり。
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狭いと色々工夫をして暮らすようになる。狭いところで楽しく暮らせてる人は、心が豊かなのかもしれない。
(森本毅郎スタンバイで紹介された本)
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夏目漱石や内田百けん、高村光太郎など極小の空間を
楽しみながら住んだ先人たちをみると、
広さのみが豊かさに通じるとは言えないのではないか。
本書は、究極の住居の実例を示し、
住むことの根源を考えてみようとするものである。
狭い住居の工夫を知って身の丈の生活の意味を再検討する。
以上,アマゾンより抜粋。
二畳ほどの住居でも,そこそこ豊かに住むことができる。
そのために,何が必要か。
① 住人の意志――仕方なく住んでいるのではなく,自分の意思でそこに住んでいる。
② 友人,村人等の精神的支援者の存在。
③ 精神的な豊かさ。
これらの要素があれば,たった二畳ほどの住居でも
そこそこ豊かに住むことができる。
広さや物の量で,住みやすを計っている昨今, 今一度,原点に舞い戻って,
住みやすさとは何なのか,本書と共に考え直してみてはいかがでしょうか。
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[ 内容 ]
かつてウサギ小屋などと海外から揶揄されたように、日本の住宅事情は劣悪だとされている。
だが夏目漱石や内田百〓(けん)、高村光太郎など極小の空間を楽しみながら住んだ先人たちをみると、広さのみが豊かさに通じるとは言えないのではないか。
本書は、究極の住居の実例を示し、住むことの根源を考えてみようとするものである。
狭い住居の工夫を知って身の丈の生活の意味を再検討する。
[ 目次 ]
はじめに―狭いながらも豊かな空間
第1章 内田百〓(けん)、二畳に夫婦で住む―作家が語る小屋生活
第2章 高村光太郎の山小屋―雪深い里で詩作にはげむ
第3章 永井隆の二畳の如己堂―原爆の町で平和を求めて
第4章 多摩川渡船場二畳の小屋―氾濫したら持ち運ぶ
第5章 夏目漱石・中村是公、二人の二畳の下宿―予備門時代を語る漱石
第6章 正岡子規の病床六尺―ふとん一枚、これが我が世界
第7章 四国、村はずれのお茶堂―遍路たちの一夜の宿
第8章 建築家提案の最小限住居―極小空間の特色
おわりに―狭いながらも楽しい我が家
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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鴨長明、高村光太郎、内田百閒、立原道造、夏目漱石、正岡子規の小屋または小部屋暮らし。
面白いといえば面白いけど、みんな物故者で、歴史上の人物。現代・現在の人で、選択的に2畳暮らしをしている人の話を入れて欲しかった。
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そのためには
「不便」という概念を超克し、空間の豊かさを追求する
という姿勢が最重要である。
故に、トレーラーハウス、カプセルホテル、ネットカフェの類はそれに叶わない。
これらは単に普通の居住空間を模倣したり、個々の欲求だけを具現化したに過ぎないからである。
どんなに豪華で快適な空間であっても、工夫の凝らされた橋の下のゼロ円ハウス以上に(精神的には)豊かに暮らすことは決してできない。
まぁ、以上のことは一度でもルンペンを経験した人でないと中々判りにくいのかもしれないけれど…
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二畳で豊かに暮らす。そんな挑戦的な、不可能と思われるタイトルに惹かれて一読。
内田百問、漱石、子規らの住まいの考察、遍路を接待していた建物の調査、戦後の建築家によるミニマムな住居の提案など、ためになる論文を読んだ気になれた。
劣悪な住環境は、ひとを荒ませる。
でも、ただ広ければいいというものでもない。広さは快適さに影響するけれど、比例するものでもない。
自分に合った、必要かつ十分な住空間に住まうこと。そして豊かに暮らすこと。この豊か、というのは経済的な意味よりも、測れない内面的な、人間的な豊かさのこと。
それを自身も求めてゆきたい、大切なことだなと改めて思えた。読めてよかった。
子規の布団の狭さと途方もない広さを、読んだ人と分かち合いたい。