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平氏の隆盛期が過ぎ、凋落の兆しがみえてくる章。
義経や頼朝、義仲、行家等源家の動きが見えてくる。
この作品を読むと、義経も頼朝も清盛と後白河法皇に踊らされていた感がある。
次巻でいよいよ最終巻。
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・「戦法」というのは、文書では教えられない。文書で伝え、百万言を費やしても、応用が利かない。最も適切な教育方法は、実地に臨んでの失敗の経験と、咄嗟の機転である。
・かつて日露戦役で勝利をおさめたのは、戊辰・西南・日清の各戦役の戦場体験を持つ指揮官・参謀が、まだ生き残っていた所為だという。
・その生き残りが絶えたとき、作戦と指揮は拙劣と化した。勝者は戦史を飾る悪弊を持つ。飾りたてた戦史は有害でしかない。
・米軍評言「日本の将は教科書通りに戦い負けた」。
・この地はこの時代の前、摂津・播磨の国境、須磨関を守る兵器庫が存在したことから、「兵庫」と呼ばれていた。
・人はその本質よりも行装で判断する。その第一印象が大事だ。
・「一所懸命」‐賜った一ヵ所の領地を命懸けで守ることを意味する。
・女性の悋気は家を傾けるが、男の妬みは国を滅ぼす。
・「恩を売る」言い得て妙、である。受けた側はその恩に報いたく思うのは人情である。その人情にかまけて・・・。
・そうした人情の機微に乗ずることが、要諦である。
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鹿ケ谷の陰謀から清盛が死去するまでの時期を描いています。
時はまさに平家絶頂ですが、次代を担うに足る人物が一門の中に居らず、子孫繁栄は望むべくもないと清盛は内心諦観しています。同時に、清盛の失敗でもあり、室たる時子の責任であると指弾しており、的を射ていました。
清盛の残した鴻基を託すために、後白河院が目を付けた人物が義経であるという設定。
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予兆憂いあり
白虹日を貫く
時移り事去る
山高ければ谷深し
火牛の計
著者:池宮彰一郎(1923-2007、東京、脚本家)
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第三巻もあっという間に読了。救国の大志を掲げながら粘り強く人道を踏まえて改革を進めてきた清盛の意志を、平家の中から引き継ぐ者が出ないこと、そのために驕り高ぶる平家滅亡もやむを得ないと清盛自身が思っていることが悲しい。