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かつてのエイブのようにアルコールに溺れ転落していく主人公のディック。田舎の貧乏牧師の息子が一流大学を出て、優秀な医師・研究者として身を立てるはずが、ニコルと出会って金持ちになり、アメリカを離れてヨーロッパをさ迷い、道を外れていく様子が怒涛の後半で描かれる。しかしディックが道を誤るきっかけになるスイスも、ローズマリーも、リヴィエラも、パリも、崩壊する妻のニコルでさえも、フィッツジェラルドの目に映ったそのままのように生き生きと描写され、対岸の光や遠くの窓の灯のように眩しく美しい。ディックの結末は胸が締め付けられるような思いで読んだ。
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改訂版とオリジナル版があるが、先にこちらを読んだからかもしれないが、改訂版のほうが話の流れがなじんだ。とにかくストーリと描写のスムーズさに感激する。
また、南仏は個人的に大好きな場所でなんども行っているので、時代は別として、そのイメージで読めるから、ますますのめり込む。何度でも読み返した1冊。
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フィッツジェラルドの儚い願いを託された一作。書くということで彼は浄化を求め、慰めを受けたかったに違いない。ディック博士のようなあっけない幕引きを望んで夢みて、物語に託した。
失われていってしまったものへの哀惜。だけど、それはどこまでも自分だけのもので、誰に知らせることもできない。ただ、笑って波風立てぬよう過ごしていくより他ない。またしてもギャッツビーが現れる。優雅や気品さというものは、そうやって作り上げていくものだ。
彼の文体がどこか断片的でとりとめのないように感じられるのは、思い出を壊したくなくて、バラバラに壊してしまった、そんな彼のやさしさゆえなのだと思う。子どもの大切にしまっておいた花や草・虫が、大切にするあまり色褪せて萎びてしまったのに似ている。そして、そんな残り滓なんていらないと、すべて粉々に砕いてしまいたくなる。
彼にとっての慰めは、酒による酩酊と、書くということによってしか見いだせなかった。そんな彼を受け入れてくれるのは夜の闇のやわらかさだけだった。存在をくっきり浮き立たせる眩しい光より、存在が溶けて広がる闇を愛した、孤独な輝き。だが人生は虚構のようにはできていなかった。
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10年積ん読やったのを思い立って読んでみました。いや、10年置いといて良かった気がする。10年前、もしくは初めてフィッツジェラルドを読んだ20年前やったらハマらんかった。気がつけばオイラもフィッツジェラルドが死んだ年に近い。前半はどうってことないんやけど後半が刺さる。海でダンナが若い頃みたいにムチャしようとして失敗するのを嫁さんが冷ややかに見てるシーン、ツラすぎる。酒で身を持ち崩す展開、身につまされ過ぎる。
あと、解説で狂ったとか発狂したとか書いててすげーなと思ったけど昭和三十五年刊行の復刊か。時代やなぁ。
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人を愛し救おうとすることが、自分を破滅させるなんて哀しき。
さすがフィツジェラルド、20年代のアメリカの大金持ちがいかにヨーロッパでぶんぶん鳴らし、嫌われていたかを実体験から描き出してくれて、ひとときリッチな世界に酔えましたとも。
なんたってタイトルが好きだ。Tender is the night.
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前半の好感度抜群のディックがアルコールで身体も人格も破綻していく様が非常にリアルに描かれていた。ディックとニコル夫妻が行く先々で事件が起こり、それが物語を二転三転させて面白くしている。その辺のもって行き方も上手いなと感心した。