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「生きていく」ってことは、「死」から遠く離れた所に居続けること。
それでも「死」は必ずやってくる。自分の「死」に限ったことじゃない。身内の「死」、見知らぬ誰かの「死」、直接的であれ間接的であれ、立ち合う機会が増えて行くのが「生きていく」ということではあるまいか。
そこに浮かぶのは悲しみや憎しみ、あるいは特別な感情が浮かばないことだってあると思う。肉親や親友、あるいは名前だけは知ってる著名人の「死」に対する態度は、それぞれ違う。それでも、そこに立ち合い「生きていく」ことを余儀なくさせられた者は、何がしかの経験を積んでいく。その積み重ねれた重みに耐えていくしかないのが「生きていく」ということではあるまいか。
『未完成の友情』-完成された友情、っていったい何だろう。そんなものがあるのだろうか。
何でもオープンに話し合えたり、いつも仲良しだったり、何かあったときは助け合ったり、会えば楽しい時間が過ごせたりする人間関係……それが完成された友情?そんなものがあるのだろうか。それが完成を意味するのだろうか。
お互いに秘密を抱え、恨み羨み憎しみも抱え、助けの手を差し出す手間も惜しみ、特に楽しくもない時間を過ごす人間関係……そういうものをお互いに引き摺りながら「生きていく」日常が、片方の「死」によって均衡が崩れてしまう状態。その崩れた瓦礫を心のなかに溜めて積み重ねていくのが、真の「生きていく」ということなのかもしれない。
決して完成することのない、バラバラになった人間関係の落ち着き先、収まり先を探し切れずに溢れ出す感情を描いたラストシーンが、読者に「生きていく」という重さを感じさせてくれる。