投稿元:
レビューを見る
第1章 心理学におけるモーツァルト
第2章 新しい心理学方法論の探究
第3章 話しことば・書きことば・内言の発達
第4章 生活的概念と科学的概念の発達
第5章 思春期の心理
第6章 芸術教育論
第7章 障害児の発達と教育
第8章 教育における環境と教師の役割
投稿元:
レビューを見る
ヴィゴーツキーの理論「文化的―歴史的発達理論」とは何なのか。
それは大まかに言えば「心理学の危機」を克服しようとした目的から構築された理論である。
心理学の危機とは、心理学の諸流派が心理学の理論を別の学問にまで広げ
新しい世界観を作っていることで、それは説明的なもの(意識を研究対象から外す)と
記述的なもの(非科学的)に2分される。
これの克服に努めた彼の理論は、自然で直接的な心理機能は
言葉の媒介によって間接的なものになり、人との関わりから学ぶことで
内部に高次の心理機能が生まれるという考えが根底にある。
その考えをもとに発した彼の理論について、ピアジェの理論と比較しつつ説明した本だった。
ヴィゴーツキーの面白さが、特に前半でひしひしと伝わってくる本だった。
思春期の心理や障碍児教育にまで章が割かれている点も良かった。
ただ、思春期の真理に関する理論は、ヴィゴーツキーもフロイトの
リビドーの理論から抜け出せていない気もした。
投稿元:
レビューを見る
ヴィゴツキー理論の入門書。ヴィゴツキー心理学の基本的な内容、言葉の定義や解説がなされており、ヴィゴツキーを学んでいく上で、必読の書である。
投稿元:
レビューを見る
[ 内容 ]
「心理学のおけるモーツァルト」と称され、「繊細な心理学者、博識な芸術学者、有能な教育学者、たいへんな文学通、華麗な文筆家、鋭い観察力をもった障害学者、工夫に富む実験家、考え深い理論家、そして何よりも思想家」と評される、ロシアの天才的心理学者ヴィゴツキー。
近年、アメリカをはじめ西欧などで再評価が高まり、脚光を浴びるなか、日本でも再び、心理学・教育学の両面でヴィゴツキーの学説への注目が集まってきた。
本書は、そのヴィゴツキー理論の全体像をわかりやすくまとめたはじめての入門書である。
[ 目次 ]
第1章 心理学におけるモーツァルト
第2章 新しい心理学方法論の探究
第3章 話しことば・書きことば・内言の発達
第4章 生活的概念と科学的概念の発達
第5章 思春期の心理
第6章 芸術教育論
第7章 障害児の発達と教育
第8章 教育における環境と教師の役割
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
投稿元:
レビューを見る
心理学のモーツァルトと呼ばれているヴィゴツキーの思想について、その概要を平易に綴っています。
特に児童における言語の発達―話し言葉から書き言葉、自己中心性から内言、生活的概念と科学的概念、それらと人格形成との相互作用―についてのいくつかの章がとても興味深かったです。読んでいるうちに、児童の発達だけに話がとどまらず、人にとっての概念とは、言語とは、思考とは、と想像が膨らんでいきます。
200Pくらいの本ですが、平易で内容は濃いです。
投稿元:
レビューを見る
限りなく★5つに近い4。
その理由は、自分の理解力不足な部分があったため。
ヴィゴツキーはホント最近知った心理学者であるが、
この本を読んでいるさなか、職場の2年目の後輩が、
初任研の継続研修で、ヴィゴツキーを研究している方の講演を聴いてきたとのこと。
これは心強いなと。
教員としておすすめの章は、
第1章の2 〈発達の最近接領域〉の理論
第3章 話しことば・書きことば・内言の発達
第4章の3 ことばの自覚性と随意性の発達
第7章 障害児の発達と教育
第8章 教育における環境と教師の役割
この本をきっかけに読みたい本
『教育心理学講義』→『「発達の最近接領域」の理論』
投稿元:
レビューを見る
きちんと理解できたかといえば答えはNoですが、ですます調の文体もあいまって読みやすかったです。ヴィゴツキーの著書そのものへの挑戦はまだ置いておきたい所。翻訳のある本は原著を……と申しますが、ロシア語だとなかなかそうはいかず、日本語の入門書があること事態がありがたいです。ロシア語を翻訳できる心理学者、教育学者は多分今の日本にあまりいらっしゃらないと思うので、その意味でも原著の翻訳も(訳のこなれてなさでは評判悪いようですが)貴重だと思います。
投稿元:
レビューを見る
最近の心理学概説書で目に触れることの多いヴィゴツキー。中でも<発達の最近説領域>の理論が有名だが、他にも偉大な教育心理学者であったことが本書から伺えた。なんと骨太な学者なんだろう。ピアジェの研究との異同も興味深い。また、日本でのヴィゴツキー受容に関する記述も。
・話し言葉の無意識性、書き言葉の意識性と随意性。書き言葉は話し言葉とは違って高度の抽象性を特質としている。二重の抽象性(音声的側面と対話者)。
・相似:生活概念と科学概念の発達、母語と外国語の発達、話し言葉と書き言葉の発達。物から概念。概念から物。
・書き言葉の前史に,身振り手振り、図式的描画、ごっこ遊びがある(象徴的機能の発生)
・低学年への文字学習の強制と児童中心主義のバランスをとるのが教育。書き言葉に対する動機は自然発生的に発達しない。
・概念的・論理的思考は思春期のはじまりに要求される。
・性的興味の現れ方は、社会的・歴史的性格を帯びている。
・芸術作品の受容が多義性を持ちうること。道徳的ドグマに追い込むべきではないこと。
・「美的反応の究極の目的は何らかの現実的反応を繰り返すことではなく、それに打ち勝ち、勝利すること」「美的体験は将来への高度宇へのエネルギーを蓄え、それに新しい方向をあたえ、世界を新しい目で眺めさせる」
・たとえば「悲哀」をうたった詩の究極の目的は、悲しみを伝えるだけではなく、それを乗り越えることが目的。
・「芸術における想像と知覚の活動の同一性は来補netキナ心理学的前提」
・一次的障害と二次的障害の立て分け。
・知的障害児教育における組み合わせの効果。
投稿元:
レビューを見る
骨太なヴィゴツキー、彼の思想家としての理論にとても共感することができました。
以前「思考と言語」の訳本に挑戦しましたが、僕の理解力がついていけませんでした。本書はとても優しく書かれていてそんな僕でも夢中になって読むことができました。
教育に携わる人であれば、第1章2「発達の最近接領域の理論」や第8章「教育における環境と教師の役割」は特に読むべきだと思います。
この興奮が冷めないうちに彼の初期の著書「教育心理学講義」に挑戦してみたいと思います。
投稿元:
レビューを見る
ヴィゴツキーの著作は、もう少し読み進めます。
・古い心理学は、「模倣」を純粋に機械的な活動と見る傾向がありました。これに対して、ヴィゴツキーは、模倣を通じた「協同」による発達、教授―学習による発達は基本的事実であり、子供がきょう共同でできることは、明日には一人でできるようになるとし、「教育学は、子どもの発達の機能にではなく、明日に目を向けていなければならない。そのときにのみ、それは<発達の最近接領域>にいま横たわっている発達過程を教授の過程において現実に呼び起こすことができる」と考えました。
・従来の知能テストは、子どもの知能の「現下の発達水準」を見るものです。そのため、子どもが自分一人で、独力で解いた解答を指標として評価します。そこでは、当然、他人の助けを借りて出した答えは、何の価値もないと見なされていました。
ところが、ヴィゴツキーは、子どもの発達過程を真にダイナミックな姿としてとらえるためには、このような解答をこそ大切にしなければならないと考えたのです。
(知能年齢が8歳の二人の子どもに上の年齢のテストを与える。同じヒントや誘導をしても、12歳までの問題を解ける子と、9歳までの問題しか解けない子がいる)
・ピアジェは自己中心的ことばは、子どもの自己中心性の現れであって、6~7歳ごろに「脱中心化」がはじまり、自己中心的ことばは「社会化」されたことばに置き換えられていくと考えましたが、ヴィゴツキーは、この考えに異論を唱えました。そして、子どもの自己中心的ことばは、<外言>である話しことばが<内言>に移行し、発展していく過渡的段階のことばであることを理論的にも実験的にも明らかにする研究を行いました。
(自己中心的ことば…4歳頃の子どもは、友達と遊んで一緒に話しているように見えても、それぞれ別々にひとり言を話している。コミュニケーションでなく、考える手段として言語を使う状態にある)
・たとえば、校長先生(コーチョーセンセー)という単語を、ひらがなで正しく「こうちょうせんせい」と表記するのは、低学年の子どもにとっては、たいへん難しい作業です。かな遣いの複雑な規則をおぼえ、当てはめていかねばならないからです。さらに、文を作るときの単語の選択や構文法もまったく同様です。
・アルキメデスの法則を説明できる子どもに、「兄弟とは何か?」と尋ねるとよく説明できないことがあると、ヴィゴツキーは書いています。子どもは、兄弟とは何かよりも、アルキメデスの法則とは何かのほうをよりよく定義するのです。子どもは、兄弟が何かはよく知っているはずです。少なくとも、私たちにはそのように見えます。「兄弟」という言葉は大人がよく使う言葉ですし、子ども自身もたいていまちがいなく使っているからです。
ところが、10歳を過ぎた子どもでも、ピアジェがやったように、兄弟の兄弟というような関係を問うような問題、たとえば、「英男には、守、俊也、正利という3人の兄弟がいます。守には何院の兄弟がありますか?」を出すと、まごついてしまうのです。
…言いかえれば、子どもは対象についての概念を持ってはいても、その概念そのものを��あるいはその対象を思い浮かべる時の自分の思考活動を自覚していないのです。このような概念をヴィゴツキーは「生活的概念」と名づけました。「自然発生的概念」と呼ぶこともあります。
投稿元:
レビューを見る
ヴィゴツキーの理論を俯瞰的に把握するために,とても適している本。生活的概念と科学的概念,発達の節目など,改めて他の著書も読み直して考えたい。
投稿元:
レビューを見る
今の大学教育におけるアクティブラーニングや、自律的学習者の育成の基礎になっているもので今後より深く勉強したい。
投稿元:
レビューを見る
ヴィゴツキー心理学の解説
教育学的な部分の解説が多い
・理論のおおまかな紹介はあるけど、理論の元になった実験がどういったものだったかはよくわからない。
・今日的な意義、どの程度発展してきているのか、実証されているのか、もっと詳しいと嬉しい。
・弁証法的理論だから正しい、みたいな主張をそのまま受け取るのはどうなのか。
・現在の学校で導入が進んでいるアクティブ・ラーニングの源流には、欧米経由で紹介されたヴィゴツキーの影響があるのだろうか。
投稿元:
レビューを見る
子どもの発達状態を評価するとき、どのように見ればいいでしょうか。学校の成績も入学試験も、だいたいはペーパーテストでみますよね。これ、教科書を見たり友達に教えてもらったりしたら、怒られてしまいます。ペーパーテストはひとりで解かなきゃいけない。自力で最初から最後までやれてはじめて点数になるのです。
こういう評価の仕方って、実は子どもの一面的な部分しか評価していないのかもしれません。たとえばここに、小学5年生で、ペーパーテストの成績が同じくらいの2人の子がいたとしましょう。その子たちに、小学6年生の問題を解かせてみる。当然、ひとりで解くというのは出来ないのですが、先生とか親が手助けをしながらだったら解けるかもしれません。1人の子のほうは、小学6年生の問題までなら手助けありで解けた。もう1人の子のほうは、中学2年生の問題までなら手助けありで解けた。こういう差は出てくるものです。これを無視して同じ評価をするべきではない、むしろ、ヒントありでどこまで解けるかというほうが重要である。こう解いたのが、ヴィゴツキーの「発達の際近接領域の理論」です。
ヴィゴツキーは、心理学におけるモーツァルトと呼ばれるような早熟の天才(そして短命)であり、心理学の中でも、教育や発達に関する内容について多く研究しています。話しことばと書きことば、生活的概念と科学的概念といった対比を用いながら、どのように思考を獲得していくかについて、興味深い分析がなされています。
投稿元:
レビューを見る
自分にとって「発達の最近接領域」が耳馴染みのいい概念であったため、なんとなく好感をもっているヴィゴツキー。本書によって、その発達の最近接領域のバックグラウンドとして存在している価値観、ヴィゴツキーがNoをつきつけているものがある程度わかったような気がする。
教師そのものではなく環境と、その環境と対峙する個人こそが成長のドリブンである。だから教師は環境を作り上げることこそが責務である。というのはしっくりくる。