紙の本
表紙に羽が生えて、飛んでいってしまいそうな「幸福論」
2010/05/11 14:42
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:きゃべつちょうちょ - この投稿者のレビュー一覧を見る
アランは、自著「幸福論」のなかで
「わるい天気にはいい顔をするものだ」と述べたが
寺山はそれに対して
「幸福は、むしろ、わるい天気そのものを根源的になくするための
日常的な冒険の中にこそ、存する」という。
もちろん天気そのものは変えようがないので、
わるい天気をわるいと感じなくなるようなじぶんのつくりかた、
というような意味であろう。
(私が説明すると)安直な表現になってしまうが。
八つの章立てで、著名人のことばや本、映画、歌など
いくつもの媒体を色んな角度からするどく観察し、
幸福というものについて真剣に考えていく。
たとえば「肉体」の章では、
映画スターに憧れて、ある助監督に
エキストラ役を必死に乞う男の話が
出てくる。(この男は健全な肉体を持ち得ていなかった)
男は好きなスターが映画で死に、べつの作品でまた蘇っては死ぬ、
それらを見て、じぶんもスクリーンで死にたいと願う。
何度も死ぬやつは何度でも生きられるのだ、と。
しかし寺山は、その男を、こう斬る。
「スクリーンの中で生き返るじぶんと、現実のじぶんとのあいだには
なんのコミュニケーションも無い。両者のあいだには
二十億光年にも匹敵する不在(谷川俊太郎もじり?)が
横たわっているのである。映画の中に、逃げ込むな!
映画の中の人物たちを、スクリーンの外へひきずり出せ!
それが、想像力の有効性というものであり、
幸福論の、約束事である」と。
つまりは、なにをするにも(本を読むことでさえ!)
肉体のコンディションは大切であるということなのだが、
こういうことを、説教めいたかんじではなく、
クールな目でしかも熱くカッコよく語る寺山は、
やはりアジテーターなのだ。
名著「書を捨てよ、町へ出よう」で、必須とされる想像力が、
またいちだんと翼をひろげ、自由にふくらんでいく、
きわめて個人的な「幸福論」。
しかし、なんとか論というタイトルがつくような書物の持つ、
つめたさや、硬さは、全くない。
むしろ、手の中の体温であつくなり、やわらかくなっていくような
まるで生きものみたいな本だ。
生きものは、必ず生きている息吹を与えてくれる。手の中に残してくれる。
寺山修司の「幸福論」は、書棚に収まり、つんと澄まし返っているような
「きれいな本」ではない。
何度もページをめくられ、線がひかれ、手垢がつき、
ぼろぼろになったような状態が、とてもよく似合う本なのだ。
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文章表現が難しすぎて筆者の言わんとするところの50%も理解していない気がする…。たまに納得できる大事な部分があるので、それを逃さぬ為に最後まで苦労して読んだ。
そう、苦労して読んだ(笑)
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文章がとっても堅く、語句も非常に難解な物を引用しているため読み辛いと感じるかもしれませんが、内容を理解出来たら嬉しさや気持ちよさを感じますw
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寺山修司に触れる
理解できなくても共感できなくても
ちょっとでも良いなと思うところを探す幸福
そこを繰り返し読む幸福
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この人の文の後ろに見え隠れする あまりにも膨大な知識や思想に、圧倒される。圧倒されて何も言えないし、まして自ら幸福について考えるなんて 思いも及ばない気分にさせられる。幸福について本当に真剣に考えた人は、星の数よりいるだろう。「幸福」という言葉の解釈は、そういった頭の良い人たちに任せればいい。私は、その人たちと同じかそれ以上に存在したはずの、「幸福」を頭で考えたりしなかった人たちと同じに生きたい。 と つい、思ってしまう。こんなに頭脳を酷使してたら 幸福になれるもんもなれなくなっちゃうよ
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ごめん、駄目だった…。
数年後読めば感想変わるのかもしれないけど、今の私にはまるで合わない。引用無しに文を書けないものか、と思ってしまった。
夏休み一日一冊計画、三冊目。
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私の精神の大半を形成している書物です。
寺山修司の幸福論です。この本は他の幸福論と一味もふた味も違う。
マッチ箱の中のロビンソン・クルーソー
肉体
演技
出会い
性
偶然
歴史
おさらばの周辺部
解説(佐藤忠男)
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書物はあくまで、時という名の書斎と、教養という名の椅子、それにいくばくかの金銭的余裕をもちあわせている人生嫌いの人たちに、代理の人生の味わいを教えてくれるだけである。
好かれるに値する人間の条件:いつも朗らか、表裏がない、さっぱりした気性、活発に行動する、はっきりした態度をとる、心が広くこせこせしない、物事に沈着冷静、不平や愚痴をこぼさない、人のことも詮索しないが、自分のこともくどくど話さない。
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奈何せん予備知識が足りないから完全に楽しめたとは言えません。
だけど思考のやり方はこの度も素敵ですね。
「出会い」と「性」の章が好きだな。
取り上げられている題材についてもう少し理解出来たらいいなと感じた。
ので、評価は四つですのよ
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う〜ん、難しい。
僕にはきっと寺山さんの言いたいことの10のうち1も理解できてないのかも。
でも、途中まで投げ出さずに読めたのはどこかに魅力を感じているからなのか。
また時が経って読んだとき、その時は今より理解できるといいな。
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寺山修司の散文は少し読みにくいけれど、
怖くなったり嫌になったり
気持ちまで影響されてしまいます。
同じ言語でニュアンスを理解できることに
彼と同じ日本人でよかったと思うくらい
著者は偉くすごい人だなあと感じます。
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「幸福とは決して一つの状態ではないと知ったとき、『幸福になってしまったあと』などという言葉は失くなるはずである」
ジュール・ルナアルの言葉を思い出させる一文。
寺山修司は出会いを勧める。ときには家出を、変身を、快楽を奨励する。それは常に動的である。
「幸福の相場を下落させているのは、幸福自身ではなく、むしろ幸福ということばを軽蔑している私たち自身にほかならないのである」
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眩しい。
昔を思い返すスタイルを割とよく取るけども、この人の本質はきっと広くて真っ青な空の下にあるんだろう。
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優しさのある分、いつもの修司らしさである毒気に欠けるが、小さな幸せの見つけ方を教えてくれる一冊。数々の著書中、わりと女性向き。アラン、ラッセルなどいくつかの「幸福論」の中、椎名林檎のそれはここからのテイストであろう。
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一番好きな作家。
正直文章自体は理系の自分には中々難しく、かなり読み飛ばしている部分もある。
けど、この人の書く文章には力学がある。秩序を前提とした「当たり前」の矛盾に立ち向かってるパワーがひしひしと感じられる。
私の詩のなかには
いつも汽車が走っている
だが私はその汽車に乗ったことがない
心を撫でてくれるような文章はないけど、だからこそがつんときました。出会えて良かった