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内容はちょいむずめ。
「科学は昔は単なるオカルトだったが、
公共性(再現性や客観性)を獲得して科学になった。
しかし今の科学は専門化(高度化や細分化)されすぎて、
一般人にとってはオカルトと同じみたいな感じになりつつある。 」って感じの考察。
大枠に関してはまったくもって同感。何でパソコンが起動して、何で全世界とつながってるかを
説明出来る人なんてほとんどおらんやろーし。
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mixiから転載。
『なんだろ、科学を通して社会や歴史とか、もう幅広く縦横無尽に語ってる。
最近、本読んでてすごい感動しちゃうことが多くなってそれはそれで困ってるんだけど、この本も読んでる最中から、もう、すごいな、とずっと高揚感に包まれてました。
ほんっと、面白いですよ。
まとめてしまうと、「現代において科学は高い公共性を有する」とかいうことになるのかな、と思うけど、このまとめ方には自分で書いといてかなりの違和感があるし、結局、議論で大事なのは結論じゃなくてその過程だと思うのでぜひぜひ読んでみてください。
ちなみにこの人、養老毅氏の大親友らしく、解説も「バカの壁」で有名な彼が書いています。
それからこれはすごい内輪ネタだけど、彼はたぶん徹みたいなタイプの男だと思う。
気になったらまずは解説を読んでみてほしい。』
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近代生産社会が、オカルト理論に公共性を要請したとき、秘術は近代科学として生まれ変わった。
という説明。錬金術などを例にして。
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科学はオカルトから始まった。ニュートンもケプラーも錬金術師。
オカルトは個人主義、秘密主義で他のだれにもマネができないのが特徴、一方、科学は客観性という公共性をもつことで誰でも再現できるものとして発達していった。
ただし、科学も万能ではない。一回限りに出来事は再現性が得られないので科学にはなりえない。震災などの自然災害は科学になりえない。
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科学について公共性という観点から、科学とオカルトの関係性を述べた本。錬金術の時代は科学とは師匠から弟子へと秘密に伝えられるものだったのが、客観性と再現性を重要視する科学になり、それが高度に発展しすぎてもはや普通の人にはオカルトのように見える。
最後のオカルトについての話も面白かった。
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『構造主義科学論の冒険』(講談社学術文庫)や『科学はどこまでいくのか』(ちくま文庫)につづく、著者の科学論が開陳されている本です。
本書では、著者の「構造主義科学論」にもとづいて、同一性を記述することが科学という営みの本質であるという考えが語られるとともに、そうした科学という営みを歴史的ないし社会的な観点から考察して、オカルトとの関係についての議論が展開されています。
科学はオカルトを起源としながらも、オカルトとは異なり客観性を担保しうることで正統な知として社会に承認されるようになったことや、そうした正統な知としての科学によってすくいとることのできない領域に心霊主義などのオカルトが流行する理由が求められること、さらに現代のカルト宗教が、科学によってあつかうことのできない「かけがえのない私」についての問いかけにこたえを求める人びとを引き寄せているけれども、その教義が正統な知である科学のグロテスクな反復になっていることなどが、比較的自由なスタイルで論じられています。
現代社会における科学のありかたについてわかりやすく解説している本ですが、ややテーマが拡散している印象もあります。
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高校生のとき、現代文の参考書で読んだことをなぜかずっと覚えていた本。会社の研修で、これからは量子(目に見えないものの時代)という話をきいて思い出して読んでみた〜
身分制が崩壊することで技術についてマニュアルが求められるようになり、客観性を謳う科学が登場したこと。科学は再現性のある事物しか扱えず、繰り返さないこと(例えば『私』についてなど)は説明できないこと。そこに物足りなさや不安を覚えた人が、ニーズを満たすためにオカルトやカルト宗教を使うようになった〜みたいなストーリーはとても分かりやすかった。
第4章の前半で、科学は繰り返ししか扱えない、という記述を読みながら、そうか私の人生なんて全くもって再現性のないことだよな〜と思っていたら、まさしくそのような議論に進んで嬉しかった。たとえば、花を育てるとして「この花は無事に育つだろうか、花びらは何枚ついてるだろうか...」なんて考えないけど、私が自分の人生について思い悩むのはこれと大して変わらないことなのかもな〜なんて。
自分を自分たらしめているのは、数々の幸福な、愛しい、悲しい、悔しい、辛いなどの個人的な経験たちだけれども、それらは本文に書かれていた「きわめて特別な体験」ということなのかもなあなんて思った
第6章以降の議論は(いい意味で)発散しているように感じたというか、こんな方向にもってくのか!と驚いた。養老さんの解説もおもしろい。お二人の著書をもっと読んでみたくなった。