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紙の本
堀田善衛独特の語り口による戦時下の青春回想
2010/04/16 23:41
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:風紋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
昭和11年2月、「北陸の小さな港町」の古い廻船問屋の息子がK大学予科受験のため上京する。
これが発端で、昭和18年、応召するまでが描かれる。
戦さ、徴兵、限りある命、という意識が終始つきまとい、ために政治科から文学部へ転科した。楽しからん者は今を楽しめ、明日は定かならねば。いや、むしろ、少年は生のあるうちに人生を洞察したかったのだろう。当時少年や友人が愛唱した詩が随所に幾つも引用される。たとえば田村隆一「一九四○年代夏」、あるいは地中原中也「冬の長門峡」である。
限りある生、という意識が全編をおおっているにもかかわらず、不思議と切迫感はない。特高に挙げられても召集の報が入っても、おお、そんなものか、といった調子だ。茫洋たる、のんびりとさえ言ってよい口調で語り続ける。
この口調は、堀田文学のすべてにおいて見られる。
堀田善衞の文体は、断定してしまわない。割りきらない。こう言うか、なんと言うか、といった調子で、断定せず、割りきらず、漏れがないように目くばりする。詩人は全体性を志向するのだ。
ところで、少年は文学の枠内にとどまらなかった。一方ではレーニンを耽読して社会を腑分けする知的装置を開拓し、他方ではアランに共感する。「人を信ずべき百千の理由があり、信ずべからざる理由も百千とあるのである。/人はその二つの間に生きねばならぬ」
交遊も型にはまっていない。学友はもとより、下宿の隣人から旅の一座(北海道まで興行に同行する)まで。文学の密室にこもってノホホンとしている人物ではなかった。
本書は、自伝的小説である。
堀田善衛は、1918年7月7日、富山県の伏木町という港町に生まれた。生家は廻船問屋「鶴屋」の屋号をもつ旧家だったが、今は残っていない。1931年に金沢第二中学へ進学。ここから慶應義塾大学へ進学。伏木町は、1942年に高岡市と合併した。後に堀田は高岡市名誉市民となる。1998年9月5日没。
自伝(自伝的小説を含む)は、本人みずから定義する自分である。
エリック・ホッファーはいう。「人は、自分自身が顧慮するに価するときだけ、みずからのことを心にかけるもののようである。自分のことが顧慮するに価しないとき、彼は他人のことに気を回して、無意味な自分から心をそらすのである」
他人の本を評する者のはしくれとしては、ちょっと背筋が寒くなる洞察だが、堀田善衛が自分自身を顧慮するに値する者と見ていたのは確かだ。
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