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「昭和天皇実録」を昭和天皇と母の貞明皇后との確執・緊張関係を基本に時代の流れと共に丁寧に追っています
2020/09/12 22:11
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投稿者:多摩のおじさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
コロナ禍のホームステイ中に出会った著者の「松本清張の「遺言」 『昭和史発掘』『神々の乱心』を読み解く」を切っ掛けに、
松本清張の「神々の乱心」、「昭和史発掘」を読み進むにつれ、昭和史、特に昭和天皇と軍部との関わりと揺れ動く社会
情勢にすっかり嵌ってしまいました。
同時期に読んだ半藤氏らの共著「昭和天皇実録」の謎を解く」が、題名の如く「昭和天皇実録」への「動的」な迫り方に対し
本書は対照的な「静的」で幼少期から晩年までの各時代に沿ったオーソドックスな迫り方ですが、上記の著書で示していた
昭和天皇と母の貞明皇后との確執・緊張関係という対比する構成が、序論「神」と「人間」の間、明治時代の第1講 幼少
期の家庭環境、大正時代の第2講 「和風」と「洋風」のはざまで、昭和戦前・戦中期の第3講 実母との確執、占領期の第
4講 退位か改宗か、そして最終講 象徴天皇制の定着に続いています。
なお、本書は2014年の4回に亘る「『昭和天皇実録』を読む」と題した講演内容がもとになっており、各テーマの直後には関
連の人名、語句等の解説がつき工夫がされています。
冒頭の序論では上記の半藤氏らの共著でもそこまでの明言が無かった「昭和天皇実録」が後世の回想に依拠した戦争責
任がないというスタンスから退位も考えたこともないという最大の課題が、初めて公開された御告文でその矛盾が露わになった
指摘から始まり、母の貞明皇后、明治天皇の皇后や大正天皇や明治天皇の生母、そして父の大正天皇の四人の妹と実
に多くの女性近親者に囲まれて育った幼少期の沼津御用邸での経験や、天皇の宗教観に影響した幼少期からキリスト教
に深く影響を受けた女性との接触、1921年の訪欧を機に西洋風ライフスタイルの変更を契機とした母の貞明皇后との確執
の指摘と必読の序文となっています。
同じ「昭和天皇実録」が読み手の関心事の違い、アプローチの違いで、こうも違うという面白さもあります。
これらに加え、新たな数々の発見があります。
・1921年9月の訪欧での僅か20分の会談でローマ法王から「日本の国体を変更することなく、将来日本帝国とカトリック教
会の提携して進むことも」の暗示(p.62-64)
・戦争終結にローマ法王庁仲介を開戦時の1941年10月、翌年シンガポール陥落と日本軍が快進の2月にも考えていた
(p.126,131-132)
・1921年11月の大正天皇の引退で摂政となった翌年11月23日の新嘗祭を行わず20日から香川、愛媛、高知等を視
察し23日は松山にてビリヤードに興じ、12月4日に帰京後、麻疹となり1923年1月19日に全快も皇族の死が相次ぐ
不吉なことが連続し、同年4月の台湾行啓の報告後に皇后から11月の新嘗祭を行うことを皇太子の結婚の条件と
皇后の不興を買う(p.62-72)
・1922年3月皇太后の神功皇后を祀る香椎宮への参拝と瀬戸内の軍艦での航海、1924年1月からの法学者・筧克彦
からの「神ながらの道」の受講と「神ながら皇国運動」という奇妙な体操(p.72-73)
・1926年12月の皇位継承後の政治への関心(小選挙区制と無産政党、満州某重大事件で田中義一への叱責)(p.96-98)
・254日ぶりの1945年6月14日の皇太后との再会前は嘔吐するほど緊張し、さらに軽井沢疎開を拒絶され翌日まで
寝込み、その後の6月22日の御前会議では戦争の終結を見失ってはいけないと戦争継続からの転回(p.143-145)
・同年7月25日の木戸内大臣からの皇太后の本土決戦に惑わされぬよう進言で三種の神器の護持の記述が実録にない
(p.148-149)
・皇后とゆかりの宇佐神宮、香椎宮、大宮氷川神社への立続けの敵国撃破の祈りの勅使参向 (p.150-153)
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『昭和天皇実録』の講義録。著者がこれまで研究してきた「巡幸・行幸啓」や宮中祭祀をはじめとする宗教との関係に重きを置いており、政治史・軍事史的な観点は薄い。目新しいところでは、戦後占領期に昭和天皇がカトリックに接近を図り、改宗の可能性すらあったという指摘が興味深い。旧著『昭和天皇』(岩波新書)と同様、昭和天皇と母親の貞明皇后との確執・緊張関係を強調しているが、史料批判の上で異論はありえよう。
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長大な「昭和天皇実録」を読む際のポイントがわかりやすくまとめられており、面白かった。とくに「神」ー天皇ー臣民の関係、天皇の宗教観、家族関係と実母との確執などが興味深い。ほかにも昭和天皇の政治への積極的関与のあり方など論点は尽きないが、この新書だけでもかなりのことがわかる。
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「皇太后」
これが一番の歴史だったんですね。
それと皇太后に仕えた女官。
それに影響された皇后。
とにかく・・・・、歴史の裏に「オンナあり」ということでしょうか。
恐ろしい。
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興味深く読めた一冊。
「神ー天皇ー国民」の図式を上手に説明している。それにしても太平洋戦争末期、天皇が一撃講和論に執着していたのにはちょっと驚いた。東京裁判を受け入れることでサンフランシスコ講和条約が成立したことを理解し、靖国に対する態度を明確にしていた人なのに。やっぱり国よりも天皇家が大切だったのかなぁ。
神道に対する絶望感は哀しい。香椎宮と宇佐神宮に勅使を参向させた直後に原爆投下だもんなぁ。そりゃあ裏切られた気持ちにもなるよね。
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講演禄ということで、著者の語りの雰囲気が伝わってくる。趣味の鉄道にかかわることはほんとうに楽しそうだ。が、1冊の著作としてはまとまりのな雑駁な感じをぬぐえない。実録への関心を高めるための入門書なのだろうけど。
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著者の『皇后考』を読んでいたのが参考になりました。やはり昭和天皇は母貞明皇后(後、皇太后)を恐れていたことが、判然と示されています。それと、私が特に気になるのは、天皇がカトリックに接近する背景には、神道に対する悔悟に加えて、A級戦犯にすべての罪をかぶせることに対する精神的な葛藤があったと思われることと、一九五〇年まではカトリック教徒との密接な関係が続いていたが、サンフランシスコ講和条約と同時に日米安全保障条約締結によって、ローマ法王へと接近して別の枠組みを模索する道が途絶えたことが指摘されていたことです。
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公にされていない事柄が多く驚く。特に実母との確執は最大級の驚きだ。昭和天皇の退位も可能性があったくらいだから。
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昭和天皇の実録が完成し、少しずつ書物になって出てきた。原さんたちは、直接それをすべて読んだ一人だろう。実録と言っても、都合の悪いことは書いてない。だから、本書も実録を読むと言いながら、他の資料と合わせて論じていて、それが逆に実録に書いてないことと書いてないことの違いを際立たせることになっている。もちろん、今回の実録でわかったこともある。原さんは「昭和天皇実録」を序論を含め6回に分けて話している。これはもとはと言えば岩波書店での講演がもとになっているからである。この中でぼくが興味を引いたことの一つは、昭和天皇は母親である貞名皇太后が苦手だったということである。当時の天皇は生まれても母親が育てるわけでなく、お育て係りがいる。親から切り離されるわけだ。昭和天皇は一年の何分の一かを沼津で親族の女性たちと暮らしている。これもかれに大きな影響を与えたであろう。天皇の大きな仕事は祭事であり、これがけっこう大きな負担で、なるべく省略するような動きもあったが、貞名皇太后はそれを許さなかった。この影響は終戦を決意するときにもあったし、戦後に皇太后が亡くなるまで続いた。だから、なくなって以後、大きな改革が皇室で行われていったのである。昭和天皇が生物学に興味があったことは有名だが、これも軍部からはにらまれていたらしい。しかし、裕仁天皇はそこに息抜きの場を見つけていた。そういう意味では、明治天皇のようなばりばりの統治者像ではなかったのである。あと、印象に残ったのは、カトリックへの接近である。これはヨーロッパ訪問の折、バチカンを訪れ、法王からカトリックと天皇制は矛盾しないと言われたこともあるが、裕仁自身神道は宗教ではないと思っていて、心のよりどころをカトリックに求めようとしていたのである。だから、宮中には戦時中もキリスト教関係者が出入りしていたし、戦後も皇太子(今の天皇明仁)のために、アメリカ人の家庭教師を招いたりしている。さらには、カトリックの家に育った正田美智子さん(今の皇后)と皇太子の結婚にも好意的であった。(皇后は民間人からということで反対したそうだ。それが後の美智子いじめになったと聞く)天皇が戦後も政治に関心をもち、当時の吉田首相が内奏をたびたび行い、GKQとも直接交渉していたことは豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』で明らかになっているが、一方で裕仁は共産党や労働者階級の声も聞こうとしていたのも興味深い。もちろん、共産革命は最も恐れていたことではあったが。
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原武史 「 昭和天皇実録 を読む 」
昭和天皇実録のポイント、読み方、背景がわかる本。皇太后との関係、キリスト教改宗など 驚きの内容だった
昭和天皇実録をどう読むか
*天皇に戦争責任はない→天皇は退位を考えたことがない というスタンス
*祭祀に注目→アマテラスと国民の間にいる天皇
*宗教、家族関係
驚きの内容
*後宮=一夫多妻→昭和天皇が後宮廃止へ
*皇太后の敬神の強さ、政治介入に対する警戒
*昭和天皇は太平洋戦争前から ローマ法王を通じた終戦を模索していた
*太平洋戦争の本土決戦は 皇太后の意向
*神道には宗教の資格がない→キリスト教への接近
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一時期キリスト教(カトリック)を熱心に学んでいたとは知らなかった。靖国参拝しなくなった理由は靖国神社がひっそりA級戦犯を合祀したからとも。無理に合祀しなければ天皇陛下も参拝し続けていたということですね。
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昭和史という一見身近な世界にも既に謎がある。
「昭和天皇実録」の圧倒的な分量、通読するものではないか歴史的に貴重な資料。そんな資料の見どころを解説する、元々は公演の内容。
皇太后との確執やローマ法王との交流、終戦後の退位やカトリックへの改宗の可能性など意外な事実が浮かび上がってくる。
昭和史に興味を持つきっかけになる1冊。