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穏やかで、優しい。そして強くて、だからこそ胸が苦しくなるほど切なかった。
現絵の中では幸せであってほしい。
けれど、この世で幸せであるべきで。
すべての人の生き様に、いろんなことを考えさせられた。実物のその絵を、見てみたいなぁ…
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一気に読み終えてしまった。
最初に描かれている童女がもしやあの子では、とはらはらしながら読んでいったら、なるほど、こういう終わり方か…
すごいです。面白かった。
なんとも切ない終わりでしたが、納得のいく終わりだったと思います。
多賀狐かわいい。
ふと、この辺りは3・11で被害を受けた辺りかな、と思うような地名がちらほら。
こうして物語を残し伝えることも、また一つの供養なのだろうか。
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天狗、河童、座敷童。それらの伝承が多く残る遠野とファンタジーは、やはり相性が良い。そして新たに「供養絵額」なるものを知る。亡き者たちは現絵(うつつえ)の中で生き続ける。この作品で強烈に印象付けられる「朱」を実際に見てみたいものだ。遠野へ行く際の楽しみがまた一つ増えた。
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http://denki.txt-nifty.com/mitamond/2016/02/post-be97.html
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供養額絵によって依頼人を癒しながら、絵を描くことで通じ合っている桂香との日常のほっこり感、
時折現れる兄や武士としての立場に対する葛藤と悲しみ、桂香が忌み子として不幸の象徴になっていった過程のモヤモヤ、幸福な日常が奪われる不穏な予感、苦しさ。終始、心が惹きつけられるお話だった。
〇一揆について
・参加者に対する迫害が引き起こした分断と不遇
・一時期は戦略がないままに百姓を焚き付けていた側面があった先導者多助
・為政者の記録から消された外川市五郎
政治劇としての側面を多分に含み、生々しかった。
登場人物の言動に悶々とし、「なら、どう動くのが正解か」と自問させられた。
個人的には、多助のことがあまり好きになれない。
彼はある種のエネルギー源で、外川市五郎が陰でハンドルを握るまで、そのエネルギーを使いこなせていなかったという側面もあるのかもしれない。
〇死すべき人
赤いヤマユリが枯れ始めている。もともと死んでいてもおかしくはない人間だった、というところで、外川市五郎の死に対して溜飲を下げようとする。
でもやっぱりこういう展開になってほしくなかった、という気持ちをなんか捨てきれない。桂香は遺志を継ぎ、前を向いたからよいのかもしれないが。
昔は自己犠牲的な話は好きだったのだけれど...という自分の中の心変わりを感じた話でもあった。
〇読んだきっかけ
・別の小説『座敷童子の代理人8』に供養額絵の話が出てきて、気になって検索したところ、この小説が出てきたので購入。
・『座敷童子の代理人』シリーズによって、モチーフとなった妖怪とその由来、地名などになじんでいたので入っていきやすかった。商業地として栄えていたという話は初めて知った。
〇叙述トリック
序の童女の供養額絵を描くシーンのミスリード感。
どっちがどういう理由でどう死ぬのかと思っていたが、そうなったか、と。
映像化してほしいが、手元で自分自身の供養額絵を描いているのだとバレてしまいそう。
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ちょっと哀しい物語。書店で見つけて、すぐ購入。あっという間に読了したのは4年前か。
岩手県の遠野が舞台。江戸時代末期から明治にかけて描かれた追善供養として「死者を生者のように描いた板絵・額「供養絵額」の物語。実在の絵師外川仕侯をモデルにした歴史ファンタジー。
絵を描くことが好きな変わり者の武士外川市五郎。身寄りのない童女桂香。二人が描く供養絵額は評判になり、依頼が絶えない。しかし、ある男の絵を描くことを依頼されたことから、市五郎は、重大な決断を迫られる。
重い税と貧苦にあえぐ農民たち。絵を描いていくことだけで、人々に幸せをもたらすことはできるのだろうか。もっと他にできることがあるのではないだろうか。市五郎は決断する。
結末は哀しいが、絵と「外川仕侯」(雅号)の名は残る。
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遠野市立博物館は2001年、「供養絵額」の大規模な展覧会を開催した。お寺に奉納されていた絵馬のようなものであるが、普通の絵ではない。全て、死者の絵であり、みんな幸せそうな表情で、ありとあらゆる幸せアイテムに囲まれている。遺族が、死んだ後の幸せを願って描かせた絵である。よって、現実はその反対である場合が多かったろう。遠野が発祥の地らしく、現存401点の半分以上が遠野で確認されている。
本書は、その供養絵始まりの物語を、本場遠野を舞台に、若干空想的設定を混ぜながらも、弘化の三閉伊一揆(1847)や嘉永の三閉伊一揆(1853)の歴史的事実をも取り込んで描かれた小説である。実在の人物、外川仕候を主人公に据えながらも、座敷わらし伝説や、多賀神社の化け狐伝説を物語に取り込むことによって、結果的に苛烈な藩主のもとで重税に苦しんでいた盛岡藩の百姓たちに寄り添った話になった。
webで実際の供養絵を探したが、3-4枚しか見つからなかった。一度見たら忘れられない。普通の様式張った錦絵のようなものなのであるが、過剰なぐらいに物に囲まれて、色も鮮烈、その全てに戒名と没年、行歳、俗名が記されているのが特徴である。私はこの供養絵を見て、小説を読んでみたいと思った。誰にも師事していないアマチュア画家が、やむに止まれない理由で描き始めたのだという事を確信した。本書は文庫書き下ろしではあるが、県立図書館には置いていなくて、県北の真庭市立落合図書館という謂わば辺鄙な所にある図書館から転送してもらった本である。何故、そこの住民か司書か知らないが、おそらく県で唯一この本を注文したのか?私はそこにも〈物語〉があるような気がするのである。