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安岡正篤先生のご子息にあたる安岡正泰先生を講師にお招きし、素読形式による勉強会を運営しております。その際に平成21年度に利用している書籍。
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安岡先生による「酔古堂剣掃」の解説集。やはり古典に勝る自己啓発書はない。前半の「風雅の至極」や「人間と花鳥風月」あたりはちょっと「長く」感じられたが、後半の「大丈夫の処する道」、「智者の達観」は一気に読み上げた。安岡先生の座右の銘とされる六然について、「勝海舟がよく揮毫した言葉です(p177)」としか書かれていないのが意外だった。
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本書を手にとるまで、聞いたこともない古典であった。
中国・明末の教養人 陸紹珩の著で、史記や、漢書など50数種の古典の中から名言、嘉言を集めた読書メモである。
酔古堂とは、陸紹珩の雅号であり、剣掃とは、世俗の邪気を掃ういう意味とある。
広く知られた、菜根譚よりも内容が豊富で面白い。明治大正のころまでは普通にあって、昭和初めにはほとんど見かけなくなった。
安岡正篤氏の解説の前半は、風流と花鳥風月であり、後半は、儒・仏・道からの名言、戒めのことば箴言である。
気になったのは以下です。
・仏典「悲華経」の中に、「穢国悪世」。現世が、穢国であり悪世であり、末世、衰世といっている。その穢れた世から、菩薩の救いが生まれることは尊いといっている。大悲は、悲願につながり、菩薩の悲願こそが、大悲の至極なのである
・「独」という文字は、深遠の意味がある。1つは、孤独の独であるが、その他にも、「絶対」という意味がある。相対を超越する。つまり人間も独となる。絶対の独なのである。それは、独立、独参、独行となる。
・教科書みたいな参禅をやらなくても、禅そのものの心、禅意の多い人はいる。かえって、うさんくさい禅僧とか、禅客なんかよりもずっと超脱した妙境にある人もいる。
・淡:ひと言でいうなら、甘いとも渋いともなんとも言えない妙味、これを淡という。
・学問なんていうのは、何も書物をたくさん読んでいることではない。本当に考えて書を読む。書を読んで考える。そこに本当の学問がある。
・「閑に耐える」ということは、なんでもないことのようで案外できない。
・「歓喜の酒を飲む」:苦しい酒を飲むんじゃない。歓喜の酒を飲む。喜びの酒を飲む。
・人間は無知でも非常にいい人物がいる。逆に多知、有知、知識、智恵は非常にあるけれど、かえって嫌な奴がいる。人がよく、しかも知識が豊かであるという者はなかないにいない。
・宰相になって得意になるような人、宰相になって非常に派手にやるというような人は、名宰相の中には入れぬ。東洋古今のこの宰相学というものを学んでみると、そういう宰相はだめだ。落第である。本当の宰相は共通して宰相たることに淡々としている。満足とか得意とか、いわんや誇りとか、名誉とかそういう主観をもっておらぬ。
・「子孫自ら子孫の計あり」:倅は倅でやるがいい、やれんような倅じゃ仕方ない。
・「枕を邸中に高くし」:官途に就かず、民間にあって、枕を高くして眠ること
・君子に三惜あり:ここに生まれ生きていながら勉強しない、またと帰らぬこの日を無駄に過ごす、この身を大切にしないで失敗に持っていく
・政治に四態あり:傲世の法:世におごる、維世の法:世の中を破綻することなく続けていく、出世の法:世の常識から一歩でて先んずる、垂世の法:世俗にとらわれない
・富貴はとかく人間を俗にする
・崔後渠の六然 勝海舟がよく揮毫したことば
自ら処すること超然
人に処すること藹然(あいぜん)
有事に処すること斬然
無事に処するこ���澄然
得意に処すること淡然
失意に処すること泰然
・心を保つには、思いを少なくするにこしたことはなく、過ちを少なくするには、事を省くにこしたことはなく、よく応ずるには、心を修めるに如くはない。
・「刻」が断ち切ること。したがって、深刻とか、惨刻、刻ということは刻むという字であるから、断ち切ることを言う。
・人間ものういときは、さっさと寝てしまうのがいい。
・酒はほんのり酔うのがいい
目次
文庫版のまえがき
第1章 「淡宕」の心境
第2章 風雅の至極
第3章 人間と花鳥風月
第4章 大丈夫の処する道
第5章 智者の達観
ISBN:9784569664118
出版社:PHP研究所
判型:文庫
ページ数:208ページ
定価:571円(本体)
発売日:2005年07月19日第1版第1刷