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私のあだ名は「ホッシー」だけれど、「保坂」ではなく「星野」。
だから私小説ではないのかと言われると、どうもわからない。
猫のチャーちゃんに関しては、間違いなく保坂和志さんの経験したことが(おそらくチャーちゃんに対する敬意のために)一切の脚色なしに語られている。
しかしアキちゃんが延々と喋った、バイクとゴリャートキンの話はどうだろうと考えると、どうも私小説とは思えない。
作者の筆の赴くままに書かれた小説というものは、人間の精神がそうであるように、現実の過去と架空の世界とを行き来するものなのかもしれない。
それらの闘争ということか?
明らかな区別のつかないところで行われるから未明の?
しかしこのこんがらがった小説を書き進めるだけでも、きっとそれは闘争といって差し支えないと思う。何故未明か。なんでも紋切り型に判断してしまう理性の光に照らされ切っていないからか。そんなことを考えるのに意味はないのかもしれないけれど、それだけなら面白く、けれども決めつけるのは面白さを一段落とすことになる気がする。