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哲学的な内容でした
2016/05/24 20:57
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:lvmi - この投稿者のレビュー一覧を見る
すらすら読めるというわけにはいきませんが、仏教の専門書に比べたら読みやすいのではないかと思います。
著者の親鸞に対する理解はとても深く、仏教に関する知識だけではこのような内容は書けなかったでしょうし、思想家としての親鸞の姿が丁寧に書かれていると思います。
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(2010/9/14読了)仏教学者とか住職じゃない人が、真宗をどう見てるのかっていうのも興味あったので読んでみたのですが。可もなく不可もなく、こき下ろすほどのこともないし、賞賛することもない。まー何にも知らない人が、親鸞を知るとっかかりに読むにはいいかもです。専門用語少なめ、分量も少なめ(笑)でさらっと読めますから。
ただ、善悪とか自然とかの解釈はいいとして、「とにかく一回でも言葉で念仏さえ称えれば、信心はいらない」と取れるようなことを書いてるのはどうなのか。人間の小ざかしい善行や自力が不要だっていうのを強調するあまり、言葉にさえ出せば良いと?いやいや、「ただ信心を要とすとしるべし。」というのが親鸞聖人のおおせでっせ?
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親鸞ってすごい。
だけど、親鸞のいう他力本願って究極すぎて、自力本願の小乗仏教の修行よりもむずかしいのではないだろうか?
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追悼・吉本隆明コーナーからチョイス。
親鸞って女犯とか肉食とかやりたい放題の破戒僧。いや、もはや僧ですらない。たぶん自分でも認識していたのでしょう。
親鸞がスゴいのは、自分が修行しまくって菩薩になって救済するっていう、これまでの僧侶たちの常識を覆したこと。現実現場目線で今必要な教えをシンプルに実践し、仏教界のパラダイム・シフトを牽引してきた。本人はあまり執着ないようだが。
第十八願:煩悩具足のままに絶対の他力によって、阿弥陀にすがるだけだという考え方。これをさらにシンプルに一念義へ昇華させた。「悩んでる自分自身を悩まない」とカンサンジュンも言ってたけど、何か通ずるものがあると感じた今日この頃。タイトルどおり、親鸞は今のこの先の見えない世の中に生きている。
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2周目読了。
未だ「教行信証」も「歎異抄」も読めておらず、親鸞に関する情報は吉本隆明の著作からのみになってしまっている状態です。(あまり良くないですね。もっと読みます。)
吉本隆明の解釈を通じて親鸞の歩んだ道やその思想に触れる中で、親鸞を卓越した思想家たらしめる一番の要素は、自身の学んだ書物や行った修行までをも解体してしまったことではないかと感じました。
学問のトレーニングを受けた人間の多くは、自己の存在証明を学問の中に見いだしたり、学閥の中での自身の立ち位置を意識してしまう傾向があるように思われます。(これは自分の想像ですが、結構納得してもらえるのでは、と思っています。)
これも自分の想像ですが、おそらく当時の仏教界でも似たような状況があって、多くの僧侶は寺に籠って勉強したり、朝廷に出入りするような役職を目指したりしていたのでしょう。(そんなのはまだましな方で勉強もせずに寺で好き勝手してた人もいたかもしれませんが。)
ですから、親鸞のように自分が行ってきたことを否定してしまうことは多分他の人間にはなかなか出来ることではなかったんじゃないかと思います。
でも、彼のように今までの修行を否定し、虚飾を捨て、自己を深く穿つことができたからこそ、現代にも通じる普遍的な境地に達することができたのではないでしょうか。
そんな親鸞の入門書として最適だと思うので、是非ご一読を。
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永遠の巨人の哲学と思想が現代の知の巨人を魅了した!!
仏教界の戒律を破り肉食も妻帯もした親鸞。貴族や武士のものであった仏教を、念仏を称(とな)えるだけで往生できるとし、民衆の心を掴んだ巨大な宗教家の、現代を癒す力!!
ぼくの家の家宗は浄土真宗西本願寺派ということで、子供のときから、法事があると坊さんがきて、親鸞の「正信偈(しょうしんげ)」というお経をあげていました。蓮如には「御文章」というものがありますが、その中の一節にある「白骨の御文章」を一緒に聞かされました。「朝(あした)には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」というようなものです。祖父母や両親の何回忌というときには、坊さんはいつも決まってこの2つをやっていたものです。そのせいかぼくは、親鸞は好きな宗教家で、戦争中からずっと読んでいました。親鸞について書いたのは、戦争が終わって学生時代に書いたのが一番最初です。その後、親鸞についていくつか書いたり、しゃべったりしてきました。今でも親鸞にはとても興味を持っています。――(本書より)
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もうただ唸るしかない。これまで何冊も仏教に関する書物を読んできたが、このわかり易さは別格である。並ぶものなし、まさに無双だ。
一念義も悪人正機もその直接意味するところは知っていたが、どうしてそのような思想に行き着いたのか、これを読んで疑問が氷解した。今までなんと浅い理解しかできていなかったのかと愕然とする。
親鸞が浄土門の最終解だとすれば、この本は彼の思想解釈の最終解であると言える。