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紙の本
溶ける流れる固まる
2002/09/05 15:11
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投稿者:penerope - この投稿者のレビュー一覧を見る
この人の本を読むときいつも僕は、小説を読んでいるという感じがしない。事実ストーリーらしきものがあったとしてもその筋を僕の頭は追わず、そして考えることもしない。この人の本は、その散文の集合というスタイルも含めて思うのだが一編の長編詩であるのではないか。僕は少なくともそういう捉え方をしている。
今回は連作という形をとっている。そして言葉そのものがいつもより派手に飛び回り方向感覚を失って違う言葉にぶつかる。その力加減ではそのまま言葉同士は理不尽な結びつきを強制され偶然にも、奇跡的なフレーズを作り上げたりする。偶然の産物的なフレーズのオンパレードである。そしてそのフレーズを携えた走者(それぞれの登場人物)はタイミングをはずしながらしかバトンを渡せない。だから突然話が終わり物語は次のステージに知らぬ間に移ったりしている。
その突然と偶然の違和感と心地よさとある意味陶酔とでも呼べそうな感覚と最終的な悦楽はもともとこの人の武器でありさらされた肉体である。今回はそれが爆発してすごいことになっている。半径数メートル内での距離感をかたっているかと思えば、突然世界の入り口を見つけたりする。22人の女性全てが高速で覚醒状態に突入しながら散歩をしているようだ。個人的には最初に登場するレダのエピソードにしびれた。いくらなんでも飛ばしすぎである。
紙の本
ギリシア神話に登場する女性を現代に蘇らせて
2001/10/29 18:48
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投稿者:ササミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
この作品を美しい秋の日に読むことができたのは、とても幸運だった。なぜならこの作品に登場するのは、秋の女たちだからだ。何人かの登場人物(例えばクリメネ)に舞台で見た黒い服を着た多和田さんが重なる。
作品の構造はメタフィクションかメタメタフィクションになっている。「わたし」は登場人物に語りかけるが、それは作家であったり、作中の作家であったり、霊魂のように空中を彷徨っている存在であったりする。体内に作られる麻薬のような物質の作用で陶酔状態にある精神が、女たちの人生をのぞいていくという設定らしい。
登場人物の名前はギリシア神話からとられているようだが、何を暗示しているのだろう。レダは白鳥のように入浴するが、白鳥に化けてレダに近づいたのはゼウスだ。自分自身が白鳥になってしまうレダには、男は(神は)もういらないということか。ゼメレの別れた夫はゼウスといい、息子はディオニソス(バッカス)である。ゼメレが靴を見つめるシーンでは、多和田さんのWEBにある詩の一節を思い出した。ギリシア神話に登場する女性を現代に蘇らせて語り直したのかもしれないし、女性の生き方みたいなものを模索しているのかも知れない(多和田さんは子供を産みたいのかも知れない)。本当は題材は何でもよくって、詩とも散文ともいえないテキストによる女性の生活を幻想的に描写する言語空間を作りたかったのかも。テーマは何度も読み直しているうちに見えてくるかも知れないし、永遠に判らないかも知れない。
それでも多和田さんの文章を読むのは楽しい。多和田さんの作品を読み込んだせいか、脳の中に対応する回路ができてしまったのかもしれない。
言葉の遊びはいつものように油断できない。例えば
「蜂は空中に8の字を描き、雨傘がその後を追う。はち、はち、気をつけて!」
これは日本語とドイツ語のしゃれである(ドイツ語の8はAcht、気をつけてはAchtung)。
そして、決めゼリフはこれかな
「あなた言葉の力と戦うつもりなの?」
「それは言語学者だから。」
(review-japanに書いた感想より)
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