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午前三時のルースター
著者 垣根涼介 (著)
旅行代理店で働く長瀬は、得意先の社長に「孫の慎一郎のベトナム旅行に添乗してくれ」と頼まれる。少年の本当の目的は、失踪した父親の消息を尋ねることだった。4年前、商用先のサイ...
午前三時のルースター
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午前三時のルースター (文春文庫)
商品説明
旅行代理店で働く長瀬は、得意先の社長に「孫の慎一郎のベトナム旅行に添乗してくれ」と頼まれる。少年の本当の目的は、失踪した父親の消息を尋ねることだった。4年前、商用先のサイゴンで父は姿を消し、血染めの上着が見つかったという。母が再婚する前に父に会いたい! 無事を信じる少年のため、現地の娼婦やカーマニアのタクシー運転手と共に父親を探す一行を、何者かが妨害し続け……そして辿りついた真実とは。サントリーミステリー大賞・読者賞ダブル受賞作!
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紙の本
泡沫のベトナムという非現実
2003/07/09 22:07
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:かいらぎ - この投稿者のレビュー一覧を見る
黎明に響くルースター(一番鳥)の鳴き声。それは闇夜が永遠ではないことの証左でもある。
旅行代理店勤務の長瀬は、得意先の孫の少年とともに、失踪した彼の父親を探しにベトナムを訪れる。そこで叩きつけられた真実とは…。
込み入った伏線が張られているわけでもなく、ストーリーとしては比較的単純だ。水戸黄門を観るように、安心して読めるストーリーである。それでも、というかそれだからこそ好感の持てる物語だ。複雑さではなく、ベトナムだからこそ成り立つ巧みなストーリー展開で読者をひきつけていくのだ。これがパリやLAだったらまったくもって興ざめであろう。ベトナムという発展途上の国は、逆に将来は確実に明るいと信じられる現在がある。とともに、過去と現在がごちゃ混ぜの混沌にある。
そこでの現実は、日本を基準とするならば非現実といえよう。ベトナムという非現実を選ぶのか、日本という現実を選ぶのか、そこには本人の意思を差し挟む余地がある。真実を知った上で帰国した彼らにとって、日本という現実に戻ってしまえば、それは泡沫の出来事だったのだ。しかし、最後は実に後味のいい結末となっている。
紙の本
デビュー作の初々しさと物足りなさ
2011/12/25 09:38
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ががんぼ - この投稿者のレビュー一覧を見る
『ヒートアイランド』や『ワイルド・ソウル』で名を馳せた垣根涼介のデビュー作。
デビュー作と思えば悪くはない。もと旅行エージェントという経歴をそのまま使って、失踪した父親を少年が語り手のエージェント他の力を借りて探しに行く話。何やら誠実さのようなものがあって、ある種のてらいはあるものの、それでもそこに美学があっていい。
だがインパクトとなるといささか疑問。設定上それほど激しいアクションというわけにもいかないだろう。実際その通りで、さほどの展開もなしに終わる。ベトナムの魅力ある人物たちとの交情も淡いレベルを超えるわけではないし、父親が生きた人生を主人公自身も選ぶ、というのも必然性として弱い。弱い上に、いささかマンガなどでも使い古されたモチーフだから、ドラマ性も足りない。というわけでどことなる尻すぼみ。文章も、一流どころだと、ただ読むだけで生理的に満足するような感覚があるが、それに比べると、大半はただ描写しているだけ、説明しているだけで、まだまだ道半ばという感じ。
というわけで前述の2作よりもだいぶ落ちるのは確かだろうが、この作家のファンなら、初期の初々しい感じを味わうのは、それはそれで楽しいことだろうと思う。
紙の本
書きたいことと書ききれないことの実質をしっかりと掴み得た者だけがただ処女作においてのみ達成できること
2004/07/18 22:06
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
失踪した父を尋ねてベトナムへ赴く少年。祖父の依頼を受けて少年に付き添う「おれ」と友人。現地で雇ったタクシー運転手やガイド役の娼婦。つきまとう不穏な男たちと謎の女。そして、四日間の危険な探索のはてにたどり着いた真実。──それぞれに濃い陰翳を帯びた人物がつかのま交錯し、痛々しいまでの情感を湛えた物語を織りあげていくのだが、一つの作品としてみると、構成上の危うさが壊れ物のような緊張をもたらす。第一章「少年の街」での少年と「おれ」の寡黙な友情が物語の後半で十全に展開されることはない。第二章「父のサイゴン」で語られるその後の父の物語はまるで白日夢のようにリアリティが希薄だし、祖父の行動にも疑問が残る。何よりも「おれ」が抱える底知れない冷酷と憂鬱の背景が明かされることはない。しかし作品に込められた著者の凍った熱気のようなものがそれらの疵を繕い、あまつさえ作品に忘れ難い印象を刻印する“過剰”を生み出している。それは、書きたいことと書ききれないことの実質をしっかりと掴み得た者だけが、ただ処女作においてのみ達成できることだ。