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自爆テロリストの正体(新潮新書)
著者 国末憲人 (著)
貧しく純粋なイスラム教徒が、やむにやまれぬ思いに駆られてテロに走る――。自爆テロにはしばしば、こうした「美しい物語」が付いて回る。しかし、これは真実だろうか。現場を歩いて...
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自爆テロリストの正体 (新潮新書)
商品説明
貧しく純粋なイスラム教徒が、やむにやまれぬ思いに駆られてテロに走る――。自爆テロにはしばしば、こうした「美しい物語」が付いて回る。しかし、これは真実だろうか。現場を歩いてみると、自爆テロが「貧困」とも「イスラム教」とも関係がなく、「中途半端な若者たちの自分探し」の結果だった姿が見えてくる。「テロリスト」に対する甘い幻想を全て打ち砕く、画期的ノンフィクション。
著者紹介
国末憲人 (著)
- 略歴
- 1963年岡山県生まれ。朝日新聞記者。著書に「ポピュリズムに蝕まれるフランス」など。
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紙の本
ミもフタもない現実の話
2005/12/23 22:05
8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ほどほどの自由 - この投稿者のレビュー一覧を見る
スキャンダラスなタイトルとは裏腹に、内容はごくあっさり風味である。中身が薄いというのではなく、実験動物の観察記録のように淡々としているのだ。
著者は自爆した(しそこなった)者の足跡をたどり、家族・留学先の指導教授・モスクのイマム(指導者)等にインタビューし、生活にどんな変化がいつ頃現れたかを、そっけないほど淡々と検証していく(このそっけなさが「迷惑そう」にしていた指導教授をして取材に応ぜしめたのかもしれない)。そして、貧しさとも絶望とも縁遠い、はるか極東の島国であればマルチ商法や自己啓発セミナーにはまっていたであろう、「ちんけな若者」像を描き出す。「殉教」の崇高なイメージをぶち壊す、ミもフタもない結論である。
このあたりについては、著者がせっかくテロリストの妻と接触を持ちながら、直接聞き出した話が極めて少ないことを気にかける向きもあろう。しかし、著者の意図は自爆テロリストの「人物像」の描出ではなく、彼らの出現する背景・風土の観察にある。だとすれば、「直当たり」はさほど重要ではないだろう。むしろ、ジャーナリスト・学者・行政官といった大局的な視点を持つ相手こそが、取材対象としてふさわしいとも言える。
では、著者の意図は成功したのか? ちょっと微妙だ。というのは、自爆テロリストたちの生育環境にはたいして共通点がないからだ。強いて言えば挫折体験による「アイデンティティの危機」ぐらいだろうが、それぐらい青春の一時期に誰でも経験することだろう。ただひとつ特徴的と言えるのは、彼らの立ち位置の「辺境性」である。すなわち、「ヨ−ロッパのアラビア人」と「落ちこぼれの白人」だ。挫折による心理的な疎外感だけでなく、現実に周囲の人々から「われわれとは違う」あるいは「素行の悪い不良」として疎外されていた。そして、イスラムに無知であるがゆえに、イスラム過激派のカルトに絡め取られていったという、やっぱり陳腐な話である。「実は陳腐な話」ということを暴いた点では、成功しているとも言える。
それにしても、ヨーロッパからアフガニスタンへやって来たテロリストたちが地元のアフガン人たちを見下していたとは、因業というべきか。西洋資本主義のヒエラルキー社会に挫折した者は、別のヒエラルキ−で上位に立つことでしかアイデンティティを維持できなかったのだろうか。このあたり、新たな価値観を樹立できない精神の貧困さに、哀れさえ感じる。また、彼らの信奉する「イスラム原理主義」が実は教義つぎはぎの怪しいシロモノだというのも、わが日本で既に聞いたことのある話である。
著者は、アルカイダという組織に未来はなく、いずれ消滅すると言う。評者もその通りだと思うが、同時にもうひとつの「ミもフタもない現実」に気づかされる。それは「アルカイダがなくなっても、(自爆)テロはなくならない」ということだ。なぜなら、アルカイダがあろうとなかろうと、挫折からアイデンティティの危機に陥る「ちんけな若者」は相変わらずいるだろうし、そうした若者たちを意のままに操って「ミニ帝国」を築こうという歪んだグル(導師)も、やはり現われるだろうからである。
では、どうすれば予防できるか? 「ちんけな若者」たちにお手軽な「存在の認知」を与えてやるしかあるまい。われらが祖国・日本では、メイドカフェ・イメクラ・ホストクラブ等々、妄想・欲望を充足させるために虚構的な現実を提供するサービスが花盛りである。こうした「欲望産業」の繁栄は、社会の治安と民心の安定に貢献する点で、すこぶる健康的と言うべきなのかもしれない。