紙の本
ミノタウロス
2011/03/29 22:50
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:hiro - この投稿者のレビュー一覧を見る
処女作「バルタザールの遍歴」ですでに、豊富な知識と作家としての才能をまざまざと見せつけてくれた作家であると思う。その著者の7作目の長編がこの「ミノタウロス」だ。小説の舞台は帝政ロシア崩壊直後のウクライナ地方。絶対だった権力が崩壊し、法も秩序も消え去り混沌とする中、中央での政変の余波が漸く影響し始めた辺境の地で育った、地主の息子が主人公となる。日本人の作家によるこの時代を舞台とした小説も珍しいと思うが、ペテルブルグやモスクワではなく、ウクライナという革命の主舞台とは隔たった片田舎が舞台というのも、全くこの作家らしいと感じる。
内容を一言でいえば、古い秩序が崩壊した混沌とした社会で、弱者となり生きる意味を見失った少年達の無軌道な生き方を、諧謔とユーモアを交えてテンポよく描いたピカレスクロマン、と言えるだろう。「ピカレスクロマン」というジャンルは、犯罪や非道徳の肯定、無秩序と放蕩の賛美という側面もあり、どうもしっくりこないけれど、それも確かに人間の一側面ではあるのだろう。
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人間の中に潜む怪物が混乱期のロシアの荒れ地を駆け巡る。暴力と狂気は哀しみを孕む。救いのない破滅へと突き進む主人公ヴァシリ・ペトローヴィチの無目的な生の衝動が淡々と描かれる。
二月革命の後、成金農場主の次男であるぼくは盗賊のグラバクの恨みを買って、自分を裏切った実の父親シチェルパートフを射殺し逃亡する。
逃亡生活を始めるとすぐドイツ兵のウルリヒ、馬を操るのが上手いフェディコという仲間を得る。クラフチェンコという頭目に懸かる五百ルーブリの賞金を狙うが、クラフチェンコ一味の列車強盗に遭い、仲間に紛れ込む。しかしそこから機関銃付きの馬車(タチャンカ)を奪い三人は逃亡。殺戮と略奪の日々が始まる。
ぼくはいつの間にか微笑んでいたらしい。
妙な奴だな、とウルリヒは言った。何がそんなに嬉しいんだ。こっちの取り分を想像しているのだとぼくは答えたが、そうではなかった。ぼくは美しいものを目にしていたのだーー人間と人間がお互いを獣のように追い回し、躊躇いもなく撃ち殺し、蹴り付けても動かない死体に変えるのは、川から霧が漂い上がるキエフの夕暮れと同じくらい、日が昇っても虫の声が聞こえるだけで全てが死に絶えたように静かなミハイロフカの夜明けと同じくらい美しい。半狂乱の男たちが半狂乱の男たちに襲い掛かり、馬の蹄に掛け、弾が尽きると段平を振り回し、勝ち誇って負傷者の頭をぶち抜きながら略奪に興じるのは、狼の群れが鹿を襲って食い殺すのと同じくらい美しい。殺戮が?それも少しはある。それ以上に美しいのは、単純な力が単純に行使されることであり、それが何の制約もなしに行われることだ。こんなに単純な、こんなに簡単な、こんなに自然なことが、何だって今まで起らずに来たのだろう。誰だって銃さえあれば誰かの頭をぶち抜けるのに、徒党を組めば別の徒党をぶちのめし、血祭りに上げることが出来るのに、これほど自然で単純で簡単なことが、何故起こらずに来たのだろう。(p.182)
赤軍から複葉機を奪うがクラフチェンコの手下になったグラバクに捕まり、盗賊の仲間入りをする。ある村を襲ったときウルリヒが一人の娘に恋をするが、グラバクの手下が彼女を撃ち殺してしまう。ぼくはグラバクに反旗を翻す。ウルリヒの操る飛行機から馬上のグラバクを射撃して殺す。屋敷に帰るとフェディコは馬車で逃げたあとだった。しかし間もなくクラフチェンコに捕らわれ、ぼくとウルリヒは生き残りを賭けて殺し合わされる。ぼくはウルリヒを刺し殺す。
人間を人間の格好にさせておくものが何か、ぼくは時々考えることがあった。それがなくなれば定かな形もなくなり、器に流し込まれるままに流し込まれた形になり、更にそこから流れ出して別の形になるのをーーごろつきどもからさえ唾を吐き掛けられ、最低の奴だと罵られてもへらへら笑って後を付いて行き、殺せと言われれば老人でも子供でも殺し、やれと言われれば衆人環視の前でも平気でやり、重宝がられせせら笑われ忌み嫌われる存在になるのを辛うじて食い止めているのは何か。サヴァが死んだ時、ぼくはその一線を跨ぎ越しながら、それでもまだ辛うじて二本の脚で立っていた。屋敷とミハイロフカがー���兄やオトレーシコフ大尉がーー誰よりシチェルパートフが、ぼくを全面的な溶解から救っていたのだ。ぼくはまだ人間であるかのように扱われ、だから人間であるかのように振る舞った。それを一つずつ剥ぎ取られ、最後の一つを自分で引き剥がした後も、ぼくは人間のふりをして立っていた。数え切れないくらいの略奪と数を数えることさえしなくなった人殺しの後も、人を殺して身ぐるみを剥ぎ、機銃と手投弾で襲って報酬を得ることを覚えても、ぼくはまだ人間のような顔をしていることができた。ぼくだけではない。ウルリヒが飛行機を奪うために飛行士を躊躇なく撃ち殺したことを、ぼくは覚えている。フェディコは生き延びるためならぼくたちを売るのを躊躇ったことがない。ぶち壊れた殺人狂と、最低限の信義さえないどん百姓だ。それでも、ぼくたちはまるで人間のような顔をして生きてきた。
そしてこの通り、ウルリヒは死に、マリーナにせせら笑われて放り出されたぼくは、人間の格好をしていない。(pp.269-270)
クラフチェンコを川岸の倉庫で待ち伏せし、フェディコが隠し持っていた機関銃で狙撃する。岸壁を死体だらけにしたが、クラフチェンコの手下が倉庫に乗り込み、ぼくに二発の銃弾を撃ち込む。ぼくの作った血溜まりを踏みつけた男は、犬の糞でも踏んだように、靴の裏を床に擦り付ける。
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「シチェルパートフを殺してせいせいしたのと同じように、ミハイロフスカがこの世から消え失せたのはせいせいすることだった。おかげでぼくは、好きな時に好きな場所へ行って、好きなように野垂れ死ぬことができる。」
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狼狽した。
久しくこの手の本を読んでいなかった。
物語の中盤まではひどくとっつきにくく、覚えにくい登場人物と硬い文体をうらめしく思ったものだった。
だがしかし。
中盤以降、主人公が外の世界へ飛び出してからは、その展開と世界の描写に息を飲んだ。どうすればこんな世界が想像できるのだろう?なぜこんな描写ができるのだろう?この作者はいったい何者なのだ。この物語に結末はつけられるのか?
文庫版の裏表紙に「ピカレスクロマン」とあった。それがどういうものか知識も経験もなかったが、なるほどこれがそれなのか。と、妙に納得する物語であった。
ごく時折の主人公のモノローグは胸に迫る。今でもなお、この主人公は世界のそこらじゅうにいるに違いない。
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第1次世界大戦(とロシア革命)前後のウクライナで、少年たちが半獣のように生きる話。
「バルタザールの遍歴」の主人公たちは成熟を拒否していたが、本作の主人公たちに成熟を選択する余地はない。
殺し強姦し略奪する主人公たちは「けだもの」と言われるし、最初っから乏しかった人間性をどんどん失っていってしまったことは本人も気づいているのだが、でも半獣であって何の憂いもない獣ではないところが切なく、でも余計な感傷や安っぽいヒューマニズムに流れていないところがよかった。
時代背景についても余計な説明をあまりしていないのがすっきりしていていい。本当に欲しい説明はちゃんとあるし。
すごく面白かったのだが、なんだかこう、心底☆5つと思えないのはなぜなのか。
シビアな題材で、時代考証もきちんとされている感があり、人物像も練りこんであると思うのだが、なぜか中途半端に(シリアスな)マンガっぽい感じが付きまとう。
前作までは登場人物が無駄に美形ばっかりなのがよくないんだろうと思っていたのだけれど…、そういうわけでもないみたい。
マンガが悪いってわけではないのだが…。
佐藤氏にはコアなファンが結構いるようで、amazonとかでも熱狂的なレビューが目につくので、ついつい読む前からハードルを上げすぎたのかもしれない。
関係ないが、著者が「バルタザールの遍歴」を書くにあたり”Brideshead Revisited”を意識していた、といったことを書いていたのを最近になって読んで「ああ!本当だね!」と思った。
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起伏はほとんどない淡々としたどちらかというと冷たい文章。会話文に「」とかがないので、判断に少し困ります。全体の印象としては、ある少年の転落人生。
ほとんど主人公の主観に近い形で物語が進んでいくので、暗いお話ではあるけれど、貪欲なまでの生が生々しく伝わってきて息を呑んだ。
勃発した戦争が、ありとあらゆる行為の善悪を奪っていく過程がなんとも言えない切なさや哀しさを感じさせられた。
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悪いヤツが悪いことを散々やるお話です 笑。
舞台は帝政ロシアが崩壊した自分の、ウクライナ。
ピカレスクロマンの傑作、と言われるだけ合って、
この小説には人を殺してもなんとも思わない糞野郎ばかり出てくるだけ有り、話の筋はそれなりに凄惨で残酷です。
そういうのが苦手な人は読まないほうがいいかも。
加えて、かなり重めの文体なので、腰をすえて読むことをオススメします。
ただ、厳しい冬・農奴の生活の様子の描写は見事。
妙に生々しいです。
ただ、主人公の、どこか爽やかさすら感じるくらいの無法っぷりは一読の価値アリ、だと思います。
・・・しかし、ロシア系の名前はなんでこんなに分かりづらいのか 笑
なんとかコフとかなんとかヴィチとかばっかで、
「コイツ誰だっけ!?」
って良く読み返しました、、。
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--- 購入理由-----
佐藤亜紀さんの軽くなく現実味のある小説が好きで「戦争の法」「バルタザールの遍歴」を読んでます。この小説もこれらと同じような雰囲気がしたので。
--- 読後感 ---
面白い。やっぱりこの語り口好きです。ずっと読み続けたくなる。
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http://shiibar.blogspot.com/2011/04/blog-post.html
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「嵐のような賞賛を巻き起こしたピカレスクロマンの傑作」と文庫裏に書かれてました。この人は、『バルタザールの遍歴』でファンタジーノベル大賞をとった人で、その受賞作を読んで私は結構な衝撃を受けたのですが、何故かそれ以降の作品を読む機会がありませんでした。
それにしても、この人のこの緻密さと豊富な知識、(正しい意味での)確信犯めいた思い切った筆致は何だろう。デビュー作を読んで感じたものが、時を経てそのままグレードアップしているみたいだ。
さらりと読めるたった数行にどれだけのものが込められているのかを思うとどきどきする。けれど私はこの作家がこの作品を書いているところを見たわけでもないし、直接彼にインタビューしたわけでもないので、ひょっとしたらその数行は本当にさらりと書いているのかもしれないけれど。それはそれでどきどきする。違う意味で。いや、同じ意味かもしれない。骨太だと感じる作品だった。
ロシア革命とかウクライナ内戦についてもっと知識があればもっと楽しめたのかもしれない。
この本は解説(文芸批評家・岡和田晃氏)も秀逸。というか、本当に「解説」たる解説だった。時代背景や、神話、寓意性、本作の登場人物たちの分析などなど。文芸批評家という肩書きをもって、おそろしく面白くない、そして作品を台無しにする解説を読んだこともあるので、コノヒトスゴイと素直に感じた。
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冗長な文章ですっきりしない。これがピカレスクロマンですかね?
まあ、そういう惹句を使ったのは出版社であって著者ではないのですが、私には合わない文体です。
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この作品を「冗長」と書いている人がいたが全く逆だろう。
「天使」のあまりの速度に狼狽した反省から、この作は意識してゆっくり読むようにしている。
何せたった1行の紹介文で初出演した人物が、ほんの数ページ油断した後に、その舞台の主役になっているんだから。
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追う者は追われる者。表題があらわすものはグロテスクだ。
小百姓から地主に成り上がった父を持つ主人公は、その教養に反して、不義不道徳を重ねて敵をつくり、逃げ隠れをくりかえす。
自分の命を狙う人間が確かにいるのに、自分をとらえようとするものがなんなのかわからない。自分がなにに突き動かされているのか、わからない。不気味で狂暴な男だと思った。
主人公は銃を何度盗まれても奪い返す。銃は力の象徴だ。目的のない疾走が、なにに向かうものなのかわかった気がした。
いつか暴発するのだろうと知っていても面白い。
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読後に残る後味の悪さと奇妙な清々しさと達成感がなんとも言えない。ロシア革命に翻弄されたウクライナを舞台にしながら、歴史的背景を親切に解説する気なぞ微塵も感じられない、暴走機関車のようなピカレスクロマン。
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あんまりふだん読んでないタイプの本なので、いまひとつ読み方が分からない、てのが本音のとこ。何のために読むんだろ?とか、そんな疑いがちょろっと起こったりする。(てことで、私はふだん目的らしきものがあって本読んでんだなー、てことを自覚したりするわけですが)
前半はやっぱり私も冗長だなあ、て気分で読んでたんだけど、後半、特にラストに向かっての疾走感みたいなものに引き付けられてった。
しかし、ヒトってなんだろね。