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紙の本
定説に埋もれた史実を掘り返す。
2020/04/01 20:28
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投稿者:浦辺 登 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「我が胸の燃ゆる思いに比ぶれば烟はうすし桜島山」と詠んだのは平野國臣だ。頼りの薩摩藩の態度に義憤を覚えた際のもの。嘉永六年(一八五三)、ペリー来航時、幕府の役人の無能ぶりに、倒してしまえ幕府なぞ。そう決意した平野だっただけに、薩摩への大きな期待への裏返しだ。
その熱血漢・平野の思想の根底に何があるのか。それを調べている時、平田篤胤学派の入門願書を平野が取りまとめていた史実があった。意外だった。倒幕維新といえば、従来、陽明学と思われていたからだ。しかし、平野(旧姓小金丸)は筑前における平田学派の取りまとめ役だった。
もともと、維新の原動力となった人々には下級武士が多い。どれほど努力しても、封建的身分制度での出世は不可。反して、上級武士にとっては、何事も起きない事が大事。学問における開眼は、時に、家を飛び出すことになる。そこで、家の禄を守るために上級武士は跡取りをボンクラに育てる。しかし、世も泰平が続くと、商品、金融経済の発展から商人階級において勉学に励む者が出てくる。勢い、それは世の変革へと発展する。次第に、商人が武士の権威を上回ることに。
この商人たちが学んだのが国学だった。その一大勢力が平田篤胤の平田学派である。平野國臣がオーガナイザーとして全国を飛び回ることができた背景には、この平田学派の商人の存在が有ったからだ、同門の人として、商人たちは平野の活動資金を提供した。
本来、この『夜明け前』という名著は、盤石の江戸幕府がペリー来航によって翻弄され、変わりゆく木曽の山中を描いた作品だ。しかし、その読み方によっては、維新の原動力の背景に国学思想があったことを教えてくれる。明治期、廃仏毀釈運動が顕著になった。その基になったのもこの国学があったからだ。封建的身分制度に組み込まれ、腐敗した仏教界を国学派が否定した。それはそのまま、幕藩体制の破壊にあったのだった。
本書は、私小説でありながら、巻末に歴史年表が付されている。それは、この一書が幾重にも読み取りができると示していることに他ならない。冒頭の平野國臣に変革の志を植え付けたのは、薩摩藩から筑前福岡藩に亡命した薩摩藩士たちだが、彼らもまた、平田学派の人々であった。