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19世紀のアメリカにおいて、資本主義の発展について、原初的であるからこそ本質的な洞察をかいま見ることができる著書。その意味において、現代人にとっても大いに示唆的。しかしこの本の眼目はまだ残されていた広大な自然、その中での生活のありようを感じることができることだろう。
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自然があってこその人類の繁栄である。それを忘れてしまった社会に向けて異議を論じている。ソローが実際に2年間、森で自給自足した足跡を読むことができる。
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理想の生き方を実践するために森に小屋を立てて2年間暮らした中で得たソローの経験と思想。
饒舌ながらも、くだけた流麗な語り口でさらさらと読める。ダジャレも見事な翻訳。
美しい自然描写もあれど、力点はあくまで人はどう生きるべきかという問答。
ウォールデン湖のように青いけど、少しばかりの生きる勇気と知恵を与えてくれる書物。
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やっと読み終わった。田舎に移住してひまだといろいろ考えてしまうということがよくわかった。「禅とオートバイ修理技術」を読んだときと同じ気分。
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静かに自然と共に生活する豊かな日々が語られる。愛情あふれる動物たちの観察がおもしろい。欲のためにあくせく働いて自らを酷使する私達に何のための仕事か立ち止まるきっかけを与えてくれる本。それにしても彼のギリシャ・ラテンや聖書、インド・中国の古典に精通した教養は素晴らしい。
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文教大学広告企画制作サークルの発行誌 『FOGPARTY』Vol.6 において、「本~めくり、ひろがる、せかい」の特集に応じ、学生の皆さんから選ばれ紙面にて取り上げられた図書です。
企画コーナー「成長する本棚」(2Fカウンター前)にて展示中です。どうぞご覧下さい。
展示期間中は貸出利用は本学在学生および教職員に限られます。【展示期間:2012/11/26-12/25まで】
湘南OPAC : http://sopac.lib.bunkyo.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=1255076
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自然の中での生活を描きながら、哲学や思想について語った本当。今の日本にはこのような思想が不足している気がする。生きることの喜びや本当の幸せについて考えさせられる一冊。
作者がなかなか個性的で、共感できない部分も多々あるけど、思想としては好きです。
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私にはほんとうの豊かさが味わえる貧しさを与えてほしいものだ。p48
努力からは叡智と純粋さが生まれ、怠惰からは無知と肉体的欲望が生まれる。学究にとって、肉体的欲望とは、だらけた精神の習慣である。不潔な人間は例外なく怠け者だ。ストーヴにかじりついていたり、日だまりに寝そべってたり、疲れてもいないのにうつらうつらしたり。不潔さとあらゆる罪とを避けたければ、ウマ小屋の掃除でもなんでもいいから、一心に働くことだ。生まれつきの本性を克服することはむつかしいが、それを克服することが肝心なのだ。p93
「汝の視力を内部に向けよ。やがてそこには、いまだ発見されざる、千もの領域が見つかるだろう。その世界を経巡り、身近な宇宙地理学の最高権威者となれ」p270
【解説より】
超越主義(transcendentalism):「実在を認識するにあたって、客観的経験よりも詩的直観的洞察力を重視する態度」p316 Cf. カント
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[配架場所]2F展示 [請求記号]B-934/20/2 [資料番号]2008300483 [請求記号]B-934/20/2A [資料番号]0097102092
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前半に比べお説教が影を潜め、生き生きとした森の動物たちや、冬の湖の美しい描写には心を洗われた。森の中で静かに生活をしていたのかと思っていたけれど、大変活動的で恐れ入った。蟻たちが繰り広げた大戦争についての描写は臨場感満点でお見事でした。
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仕事に打ち込むこと、自分のペースを保つことなど、今に通じるものを感じます。
さすが古典の名著というところでしょうか。
自然に対する細かな描写などは、著者の自然への愛情を感じることができました。
しかし大変なボリュームや膨大な脚注など、やっと読み終えたというのが正直なところで、己の不勉強さを嘆きます。
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米国の作家ヘンリー・ソローが、マサチューセッツ州ボストン郊外のウォールデン湖のほとりで過ごした2年2か月の生活を綴り、1854年に発表した作品の下巻。
著者は、本書に以下のような様々な思いを記している。
「私は、一等船室に閉じこもって旅をするよりも、平水夫としてこの世界のマストの前に立ち、甲板上にとどまりたいと願っていた。そこにいると、山あいを照らす月の光がじつによく見えたからである。いまとなっては、もう船室におりてゆく気にはなれない」
「なぜわれわれは、こうもむきになって成功をいそぎ、事業に狂奔しなくてはならないのだろうか?・・・めいめいが自分の耳に聞こえてくる音楽にあわせて歩を進めようではないか。それがどんな旋律であろうと、またどれほど遠くから聞こえてこようと。リンゴやオークの木のように早く熟成することなど、人間にとっては重要ではない」
「仮に私がクモのように、終日、屋根裏部屋の片隅に閉じこめられていたとしても、自分の思想を失わないでいるかぎり、世界は少しも狭くなりはしない」
そして、「私は、森にはいったときとおなじように、それ相応の理由があって森を去った。おそらく、私にはまだ生きてみなくてはならない人生がいくつもあり、森の生活だけにあれ以上の時間を割くわけにはいかないと感じられたからであろう」と決心する。
「新たな夜明けが訪れようとしている。太陽は明けの明星にすぎない」
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小説やノンフィクションの導入で、風景や場所、年代や背景などを説明する部分があるが、延々とそれが続いているような構成で、私はこの部分をほとんど斜め読みするタチであるため、本著をほとんど斜め読みしてしまう事になった。
恐らくは噛み締め、味わうべきストーリーを、然程噛まずに、飲み込んでしまった。だからだろう、酷く退屈な話だった。森で暮らし始めるに至る主義、思想は、反政府的で理由のあるものであったかも知れないが、上巻の所感としたように、漂流記などのサバイバルと異なり、自ら選択した生活スタイルだ。ふざけて言うなら、こういうのは、古典文学の森ボーイである。
日記だし、古典だから読み難く、退屈なのかも知れない。楽しく読んだ人には申し訳ないが。
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20170503 ようやく上下巻読み終えた。自分のこれからの生き方の参考にと思って読み始めた。比喩には付いていけないが気持ちでわかる部分が多い。本当に理解するにはどこかで一度一冬過ごしてみないとダメなのでは。機会を作ってやってみるか。
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ちょっと説教臭くて面倒臭かったとか言うと怒られるな。。まあ、考えてみれば、本なんて基本、説教だよな。