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  • カテゴリ:一般 研究者
  • 発行年月:1992.11
  • 出版社: 哲学書房
  • サイズ:22cm/292,90,12p
  • 利用対象:一般 研究者
  • ISBN:4-88679-053-4
  • 国内送料無料
専門書

紙の本

普遍論争 近代の源流としての (中世哲学への招待)

著者 山内 志朗 (著)

今なぜ中世哲学なのか、中世哲学はどこが面白いのかを、問題の系譜学を探りながらエッセイ風に記述した、中世スコラ哲学への入門書。【「TRC MARC」の商品解説】

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普遍論争 近代の源流としての (中世哲学への招待)

税込 7,369 66pt

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紙の本

今新しい、我々の忘却の穴である中世哲学への貴重な導き

2001/08/01 04:48

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:あぐりっぱ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 陳腐な言い方ではあるが、今、中世哲学が新しい。しかし、現実には、かなりの哲学好きでも敬遠して遠ざけるのがこの中世哲学である。忘却の穴、暗黒の中世哲学。なんといっても中世哲学といえばイコール「神学」であり、そんなものは現代とはなんの関係もない。だから無視してしまってよいのでは? という声が聞こえてきそうだ。

 中世哲学のテクストを実際読んでみると、なんとも煩瑣きわまりない。おそらくその読解はデリダやドゥルーズのテクストを読むより、つらい作業となるだろう。神をめぐるはてしない議論が延々くりかえされるのだ。神の存在証明など、このご時世になんの役に立とう? しかもデカルトの神の存在証明の数百倍もそれは煩瑣なのだ。とにかくマニアックなまでに厳密さを目指す中世哲学。中世哲学は「天使が針の先に何匹とまることができるか」などという瑣末なことを論議するものでしかない、という後世の批判はなるほど当たっている。結局、誰もがそんな思いでテクストを閉じることになるのは目に見えている。

 しかし、くどいようだが中世哲学は新しいのである。それを明らかにしてくれたのがこの『普遍論争』なのである。普遍論争は中世哲学のいわば背骨になる重要な論争で、哲学史の教科書では、「普遍」は実際に存在するものなのか、それとも言葉だけの存在なのかを争うものだったとされている。だが、「普遍論争」が哲学史のいうような「普遍」があるかないかの論争だったとしたら、実につまらない。「普遍」概念をめぐる論争とは結局、神についての問いなのであるが、神が実際に存在するわけないではないか。現代人ならほとんどそう思い、神は言葉だけの存在にすぎないとするのが自然ではないかというだろう。
 デカルトの神の存在証明もどちらかというとそういう感じのものだった。哲学史はそして、神は言葉上のものであるとした派に近代化への先鞭を見て、神はすべてに先だって存在するという守旧派…つまり中世哲学の代表の葬送を決めるのであった

 ところが、著者は「普遍論争」はそんな単純なものではないと食ってかかる。『普遍論争』の醍醐味はそこにある。詳しくは読んで頂くしかないが、少しだけ明かすと、「普遍論争」は初めから、神が実際にあるかないかなど問題にしてないのだというのである。そう、それは東浩紀氏の 『存在論的、郵便的』で広く知られるようになった、デリダの否定神学批判に通じる議論なのである。デリダが問題にしているのはすでに目に見える神様ではない。目に見えない神についてどう語るか、なのである。インターネットという技術を手に入れた我々は、目に見える神はもう恐れていない。そう、目に見えない神のようなものについてこそ語らなければならないのである。語り得ない神のようなもの(デリダはそれを「幽霊」ともいった)に、それではどうやって迫ってゆけばよいのか? その格闘の先駆けこそ中世哲学であり、普遍論争であったわけだ。なんとも新しいではないか。『普遍論争』はその貴重な導きとなるわけだ。
 断言できるが、「普遍論争」を著者のような新しい視点で紹介した本は日本語では他にない。あのくどいくどい中世哲学のかなめを、この一冊で初学者は手に入れることができる。この本の巻末には、大部にわたる中世哲学人名事典までついていて、なんともお買い得である。

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紙の本

ヨーロッパの精神の深層

2001/02/11 17:02

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 中世哲学が晦渋で暗い論理を駆使しているといったステレオタイプ化したイメージは、スコラ哲学を知りつくしていたルネサンス期のフマニストたち(エラスムスほか)の「戦略的」罵詈雑言が今日まで影響を及ぼしているからであって、中世哲学と近世哲学とは実は連続している、あるいは「ルネサンス=光」「中世=闇」の通俗的図式は信用できない(ブルクハルト的図式「ルネサンス=中世+人間」に対するジルソンの図式「ルネサンス=中世−神」への共感)、そのことを、普遍論争の表層を覆う化粧・仮面(「中世哲学においては、普遍が名称なのか事物なのかをめぐって、数世紀の間激しい論争がなされた」といった記述)を剥がして、その深層にある「見えるもの」(身体的なもの、地上的なもの、有限者、偶有性、現前、…)と「見えざるもの」(精神的なもの、天上的なもの、無限者、実体、非現前、…)という図式をてがかりとして見通してみたい。

 これが著者の目論見で、それは十分達成されていると思う。明快な語り口をもった書物。(九十頁に及ぶ「中世哲学小辞典」が付録についていてとても便利。常備し折にふれ再読したい。)なお、本書は「中世哲学への招待」第一巻で、第二巻では、存在の一義性とアナロギアの対立や個体性の原理、精妙博士(Doctor subtilis)ドウント・スコトゥスとオッカムの対立といった話題が扱われるという。付言すると、著者の最新刊『天使の記号学』(岩波書店)は実にすばらしい。本書と併読するとなおいい。

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