紙の本
知の砂漠、思索の惑星
2007/04/12 01:08
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:シノスケ - この投稿者のレビュー一覧を見る
レムによる未知の知生体との接触を書いた3部作の最後の作品。執筆順序は『エデン』 、『ソラリス』そして本書となる。6年前に消息を絶ってしまったコンドル号捜索のため、無敵号が砂漠の惑星へと向かうところから始まる。序盤の惑星探査場面から、調査隊がが隊長の判断により慎重な行動をとるため、「未知の危険」への緊張感はいやでも高まるというもの。それでなくても『ソラリス』のあの圧倒的迫力を思い起こせば、こちらではいったいどんな存在をレムが考え出したのか。
さて、いつまでも惑星の軌道上からの調査というわけにも行かず、現地調査となるわけだが、ロハンはじめとする調査隊の面々が見つけたのは奇怪な建造物のようなものと、真っ黒い雲だ。これらが結果的にどんな存在であったかは省くが、こちらと比較するとエデンに登場する複合生命体はなんとか意思の疎通がとれそうな気がしてくるほどである。
邦題は『砂漠の惑星』だが、現代は『無敵』。ロハンたちの乗る宇宙船も無敵号という名前だ。無敵号はおよそありとあらゆる場面に対応し、まさに無敵を誇る装備を搭載していたはずだったが、選び抜かれた宇宙飛行士たちの頭脳と、その設備をもってしても何故石鹸に歯型がついていたのか、明確な回答は得られない。何故、それが起こったのか。解説で上遠野浩平が語っているとおり、これは重大なものが破壊された結果である。無敵号が搭載している設備では、おそらくえることのできない結果だろう。破壊されてしまったのは人間性と記憶そのものであるからだ。人間性が含まれた記憶そのものと言ったほうが正確かもしれないが、ともかく結果として「破壊」されたしまった。
人間が作り上げた枠組みを超えた概念と存在を持ち込むことで、レムは人間を否定する。そして、否定は悲観ではない。万能戦車が持つ究極の破壊力は、現実世界が持つ武力の無意味さだ。現に戦車の持つ砲撃は黒雲には全く通用しない。砂漠の惑星がにより破壊される人間、そして類似性の欠如から諦めざるをえない相互理解だが、これは現実に人間が必要としていることではないだろうか。人間が持っているものの無意味さを再認識し、それらを手放した上での行動と決断を求めているように思う。
終盤、行方不明者の捜索に単身乗り出すロハンだが、彼に反応する存在たち。知性を持った海よりも、無機質でまさに乾いた砂漠のようなその存在の意図はわからず、理解するすべもない。無敵の名を冠するはずの宇宙船ですら、さじを投げる。『ソラリス』では人間の感情が入り込んでいたが、本書ではそれすらもなく無常観あふれる現実と宇宙への達観がある。しかし、これは決して諦念ではない。ロハンの決断と行動は人間性の証明である。既存概念の破壊、そして再構築。破壊されることも無駄な行動も、決して無意味ではない。
紙の本
さようなら——幾度にもわたる分割や侵犯にさらされた国に生まれ、「圏外」における「認知」を超えたものの存在を書き切った巨人よ。さようなら。
2006/08/17 13:56
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
あっけに取られ、ぽかんとしたまま本当にあんぐりと口を開け、その開いた口がしばらくふさがらなかった。「こんなことって、あり?」と驚かされる小説の場面というものは、それこそ今までに何度もあったけれども、ここまでの水準のものはあっただろうか。
本の半ば過ぎ、第6章であった。老機械工といった風采の生物学者ラウダがこの章の主役である。遭難なのか、7年前に琴座星系の砂に覆われた星で、宇宙船「コンドル号」が消息を絶った。その行方を捜索にやってきた「無敵号」(つくりはコンドル号に同じ)に、ラウダは多くの科学者とともに乗り組んでいたのである。発見されたコンドル号の船内は常軌を逸した混乱状態で、説明不能と思われる、いくつもの奇妙な痕跡が残されていた。そこに起こったことの原因について仮説を立てたラウダがホルパフ隊長の部屋を訪れ、持論を語り始める。
ラウダが語るのは、人間の「認知」を超えたところにある自然現象の1つである。天候や重力や波の動きなどと同様の自然現象であるのだが、それが人間の常識では考えられない「進化」という過程を経たものだという説明をする。このように書くと、ネタは「ソラリスの海」と同じようなものなのかという取られ方をしてしまいそうだが、あちらには知性があるのではないかという可能性があった。しかし、ラウダは、この自然現象に知性はないのだとしている。
曖昧極まるあらすじの説明になってしまうが、まとめると「知性」のない「無生物」が「進化」したものということになり、遭難船はそれの犠牲になった。ここで「そんなのって、ありか」ということになる。
現代を代表する知性だと高い評価を受けつづけたSF作家の、しかも本人が一番気に入っていたらしい代表作に対して全く適切さを欠くけれども、このラウダの説明の概要が分かった瞬間、私が感じたのは「アンパンマンの話みたいな荒唐無稽ぶりじゃないか」ということだ。初めて劇場でアンパンマン映画を見せられたときの、ばかばかしいまでに突き抜けた荒唐無稽ぶりが思い起こされた。あんパンや食パンがマント羽織って空を飛び、根性の悪いバイ菌が操作するロボットと戦っていたのである、それは。
ただ、アンパンマンとの大きな違いは、そちらが大人げない滑稽感と愛らしいまでの素朴さに支えられていたのに対し、こちらは、しなやかで強靭な知性が創出した「概念」「光景」「ガゼット」などの入念な描写に支えられている点である。実際、その第6章に至るまでに提示されていく「概念」「光景」「ガゼット」は、虚構世界を読み手の脳内で現実として構築していくのに豊か過ぎるまでの材料を提供してくれる。知力、想像力、芸術的なまでの表現力が尽くされていることに大いなる満足感を抱きながら、レムの現出する宇宙空間を冒険し探索していくのであるが、そこまでの力が尽くされた先に「これか」と呆れさせられる。
間違ってもらっては困る。それは失望の伴う裏切りでは決してない。意外なところへ飛び出して行くものへの感嘆であり、高揚である。そして、一流の知性というものが人にもたらすものは、どこか息苦しい閉塞感なのではなく、緊張を緩和させ、喜びや楽しみという「幸福」をもたらすものなのだという確信である。
知性なき進化した無生物は、敵として、人間に危害を加えてくるものとして立ちはだかりはしない。しかし、彼らが原因となることで、この物語は「宇宙大戦争」的様相を呈してくる。いかにも男の子たちが好きそうなその戦闘シーン、そして勇者が命を賭けて仲間を救出に向かうシーン。娯楽いっぱいの物語展開のなかで、人間の「認知」を超えた存在というテーマを描き切ったことは、確かに「してやったり」感をこの偉大なる知性にもたらしたのかもしれない。
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こういう身も蓋も無い作品は好き。ありとあらゆる科学的思考とそれに基づく決断と行動がことごとく裏切られていく様は、かえって胸がスカっとする。
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「ソラリスの陽のもとに」に続く三部作の1つ。宇宙には何があるのか、それに対する想像力の豊かさと人間の知性・勇気に対する敬意が感じられます。面白かった。SFの傑作だと思う。
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未知との遭遇に対する思考実験三部作。「ソラリスの陽のもとに」はだいぶ昔に読んだけれど、ようやく2作目に到達。んー、やっぱり、ヘビーだなと思う。とことん作者が思考実験しているのが、主人公の行動を通して描写されるわけで。レムにカタルシスをもとめちゃいけない。香子学んだ。
なんだろ。人間の卑小さや、人間の論理や思考の先を超越した「未知」のありかたは好き。主人公が「未知」に直面するのであって、「未知」を克服するわけじゃないところも。なんだけども、一本の長編小説として読むには、私には重いかな。名作だと思うし、冗長と言う気はないけれど、私個人の性格として、自分で思考実験をする余地が欲しいのだけれど、レムの長編はエネルギーをガッと吸い取られるので、読み終わったあと自分で思考する余裕がなくなる感じ。短編だったりすると嬉しいなと思った。
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砂だらけのとある惑星での、人間と未知の何かとの戦い。
荒唐無稽だけど、そこが面白いのだ。
なんで今までSFを読まなかったんだろうか、こんなに面白いのに。
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謎の惑星。消息を絶ったコンドル号の捜索と惑星の調査の為に降り立った無敵号。謎の都市の発見。コンドル号の発見と死者。襲いかかる「黒雲」の謎。ロハンのグループの闘い。
2010年5月30日読了
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題名から想像する映画のエイリアン2のような孤立した惑星で繰り広げられるエイリアン遭遇物語かなと思い読み始めましたが、なかなか予想を裏切られる筋立てでした。最初に遭難した宇宙船を調査しに無人の惑星に宇宙船が来るところまでは、予想通りの展開でどんなエイリアンが相手かと楽しみに読んでいました。ところが、読み進めるうちに相手であるエイリアンが見えないどころか、実は生き物であるエイリアンよりもっと手強く厄介な相手であるということが分かります。説明では数百万年の進化を遂げた異星人のロボット達の子孫という種明かしなのですが、それらを相手に戦う船長や仲間を失いつつも惑星に残り続けることに疑問を抱く主人公の副長などの人物描写が丁寧で、単なるSF小説に終わっていないところが読みごたえがあります。
特に明確な意思を持たず本能で探検隊である人類を攻撃する無機質なロボットは、通常のエイリアンより恐ろしいものがあります。一番印象に残ったのは、このロボットの慣れの果と不毛な戦いを続けることに疑問を持ち始めた主人公が、広大な宇宙の中で人類がまだまだ理解を超えるものがあるという謙虚さを持つべきだという認識に至る過程と、不毛ないち無人惑星の調査(征服)にこだわり続ける人類の固定観念に気付くところでしょうか。現代の地球における人類と自然との対峙に置き換えても十分に通じる警笛です。作者であるスタニスワフ・レムが一番言いたかったところだろうと思います。同じ著者の作品である「ソラリスの陽のもとに」も買ってあるので、今から読むのが楽しみです。
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さすがにソラリスには及ばないが十分楽しめる作品。ただ、50年前のSFにしては、という前置きはせざるを得ないかも。
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これは長い。冗長。
最後の一章のためにそれまでの章がある。本当に。
途中で主人公も言っているが、もはやこの惑星にいる意味が分かっているのか?と思う。探索に行くとほぼ壊滅して、すでに搭乗員の半数もやられている状況で、惑星に居続けるのは相当な理由が必要。
結局最後に探索に行くのは、生きていないと分かっていながらの人命救助のためと書かれるが、これはもはや弱い。
隊長の急に見せる弱気さも相まって、ストーリー的には駄作。
が、ストーリーでも最後の一章は魅せてくれる。疲労感の中で次々と死体を発見していくところはさすがに悲しい。これがレムか。どうしようもない現象に遭遇すると、どうしようもない。そのどうしようもなさを受け入れて、この場合回避するのみ。
主人公が開き直るところは、星新一の処刑を思い出す。
生存競争で生き残る最強の無機生物?とは、について大風呂敷を広げていているようだが、さほど新規性があるとは思えない。
大風呂敷広げるだけあって肝心のアイディア周辺の科学的記述はしっかりしてる印象。便利なバリヤー(なぜか磁場はバリヤーしない)とかは出てくるけれども。
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異色のSF作家スタニスワフ・レムが描く、「未知との遭遇」もののひとつ。
本作では、進化における知性の位置づけもテーマのひとつになっている。
かつてリチャード・ドーキンスが「知性の増大は生物進化に必ず付随するものではない」という旨の発言をしていたが、本作に登場する未知の種族も、まさにそうした進化の道を歩んできていた。そのさまは、ある種の社会性昆虫を想起させる。
だが作中終盤で、主人公は彼らにじかに認識される事態に遭遇する。主人公はこのとき彼らに対して得体の知れない知性と意思とを感じたはずだし、読者である私も鳥肌の立つような思いをした。
予想外の知性と、それに認識されていると実感することによる居心地の悪さ。不意打ちのようにもたらされたこの感覚は、レムの仕掛けたセンスオブワンダーだったのだろう。
このシーンによって本書は私にとって、同作者の傑作『ソラリスの陽のもとに』よりも印象深い作品となった。
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琴座系のはずれにあるレギス第三惑星。そこは砂に覆われた無機物の惑星。宇宙船無敵号は、かつてこの惑星の調査のために訪れるも消息を絶った宇宙船コンドル号の捜索を目的に、不毛の大地に着陸する。主人公ロハンを含む調査隊は、早速捜索を開始。やがてコンドル号とその乗組員の遺体を発見するが…
本書は単なる未開惑星での冒険活劇ではありません。登場人物は(無駄に)多いのですが、その内面については、主人公のロハンや無敵号の隊長ホルパフでさえ、中途半端な描写があるぐらいで、個々に焦点があたることはありません。いわゆるドラマが見あたらず、時には冗長な説明が続くところもあり、退屈に感じる場面もちらほら。しかし、それでも本書に魅力を感じるのは、レム自身も評するように、本書が「文学作品」であるためです。その片鱗が見え隠れする中盤以降は、思いを巡らせながら読み進めることに。最後の章では、レム自身が込めた思いを超えて、深く考えさせられることになりました。
さて、レムが本書で表現した思想は、訳者あとがきにて、レム自身の言葉で読むことができますが、ここでは割愛。
個人的には、砂漠と機械の世界では人間のいわゆる理性が異質であり、最後の章で表現されたその理性がなぜか滑稽で無駄なものに思えてしまいました。これはレムの考えとは逆行するんだよなぁ…
もうひとつ。終盤、砂漠の惑星の脅威に対抗しようとする無敵号の科学者を横目に、ロハンは思案に耽ります。このロハンの思い(下記にて引用)は、レムの思想を深く反映していますが、それと同時に、執筆当時(1962~1963年)のいわゆる冷戦下、核武装による軍備拡張の世相を痛烈に批判しているように感じて止まないのです。
「われわれの行く手に立ちはだかっているのは、誰かの目論見でも、誰かの敵意でもない。単に生命のない自己組織の動きにすぎないではないか……そんなものを抹殺するために、ありったけの武器やエネルギーを消費する必要がどこにあるのだろう?」
「宇宙には、このように、人間の理解を超えた気味悪い現象が、どれほど多く秘められているのかわかったものではない。しかし、だからといって、われわれは、われわれの知識の尺度では計れないすべてのものを撃破しつくすことを目的にして、どこへいくにも強力な破壊兵器を積んでいかなければならないのだろうか?」
「われわれはわれわれの武器や機械をあまりにも過信していた。だからこそ、取り返しのつかない過ちをおかしてしまって、いまその報いを受けているのだ。悪いのはわれわれだ。悪いのはわれわれだけだ。」
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沼野充義訳の『ソラリス』が文庫化される前に……というこで購入した既刊の中の1冊。
ジャンルとしてはファーストコンタクトものか。
冒険SFのような体裁ではあるが、登場人物が延々と議論しているところは、東欧文化圏の作家らしいと感じた(偏見かもしれないが、ロシア文学を筆頭に、登場人物は大抵が議論やお喋りが好きで、延々と話合うシーンがけっこう多い気がする……)。
『無機物が如何に進化するか?』というテーマが面白かったので、『無敵号』の面々にはもう少し掘り下げて語り合って欲しかったw なんやかんや言ってロシア文学の議論やとりとめのないお喋りが大好きなのだ。
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消息を絶った宇宙船に何が起こったのかを確かめるために、砂漠の惑星へと向かった「無敵号」が、その惑星の無生物圏の脅威に晒され挫折しながらも、生還するという勝利を収める小説。
機械同士の激しい戦闘描写や深い学問知識に基づいたSF描写、宇宙船内の隊員たちの組織の描写が非常に面白かった。砂漠の惑星でサバイバル。
知識のあるレムだからこそ、科学の力を人間が完全に御することができなくなる日がくるという実感を強く持ってこの小説を書いたのかもしれない。その科学の力とは他ならぬ核の力なのだが。この小説が書かれたのは1964年なので、その頃の世界情勢も加味するとそのように考えられる。
人間の力では御しきれない科学の力の前に、人は敬虔であらねばならないし、何としても生き延びるということこそが真の勝利なのだろう。
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未知の存在とのコンタクトを描いてはいるが
多分に観念的で、コンタクトに至る過程や
コンタクトシーンのドラマ性や派手さを
期待すると、肩透かしを食らうと思う。
全体的に会話と思考、行動の記述がメインで
ハラハラドキドキとかはあまりない。
ただ、無駄な記述も少ないので
淡々と読んでいく味わいで
地味さが気にならなければ。