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タイトルを目にしたときは中国の少数民族の話かと思った。まさか、イカロスでもあるまいに、人が空を飛ぶ話になるとは思わなかった。イカロスは羽根をつけて飛ぶのだから、それとはちがう。この小説では人が鳥に変身する。空を自由に飛びたいなどという、ロマンチックなものではなく、もっと切羽詰まったやむにやまれぬ事情で、人は衷心から鳥になりたいと希求するときがあるのだ。
周りの海が東シナ海というのだから、五島列島近辺の小島が舞台。語り手のウミ子は六十過ぎの女性だが、その母親で九十二歳のイオからは子ども扱いされている。ウミ子は大分に住んでいるが、故郷の島に暮らす三人の老婆の一人が死んだので、葬儀を兼ねて母を自分の家に引き取ることを考えてやってきたのだ。しかし、母がいなくなれば身寄りのない八十八歳のソメ子さん一人が島に残ることになる。ウミ子はそれが気がかりで話を出し渋っていた。
今では女年寄りばかりが住む島々では、単独で行事を催すのは難しく、互いに参加しあうようになっている。祝島の祭に参加するためウミ子たちは船で島に渡る。女年寄りはそこで鳥踊りを舞う。鳥の頭巾に紙の翼の羽織を着て、ほどけた輪のようにいつまでも舞うのである。男たちは傍らで焼酎を飲みながら世間話に余念がない。老婆たちは知る由もないが、わずかな年寄りが暮らす島のために、電気やガスの供給に莫大な金がかかる。連絡船の油代は年二千万円もかかるというから何と気前のいいこと、と初めは思った。
ウミ子は島に見回りに来た鴫という名の青年と知り合う。鴫は市役所に勤めているが、このあたりは無人島も多く、外国人が棲みつくと面倒なので見回っているのだという。無人島に外国人が住みつくと、そこはその国の領土と認められるらしい。そこで、時々上陸して「君が代」を流し、わが国固有の領土であることを示しているという。島暮らしの年寄りの風変わりな習俗の話かと思ったらきな臭い話になってきた。
このあたりの島は古来より歌にも歌われ、遣唐使も水や食料を求めて立ち寄った。広報課に勤める鴫は、ウミ子にそんな話をして、島の売り込みにかかる。インフラの整備にいくら金がかかっても無人島になるよりはいいらしい。島を離れようとしないイオとの間で話は物別れになったままだ。釣り糸を垂れれば魚はいくらでも釣れるし、今でも海に潜るソメ子さんに教えてもらったシマで、鮑もとり放題だ。ウミ子は少しずつ島の暮らしになじんでいく。
透明度の高い海の水の色や、アジサシやカツオドリが舞う空、また海に潜りはじめたウミ子の視点から描かれる神秘的な海中の景色、とまるでリゾートライフを綴るエッセイのように思えた小説に、ふと翳りが落ちるのは話が海難事故に及ぶ時だ。ソメ子の弟の遺体も見つからなかった。そんなとき酒を飲んで寝ていた亭主がガバッと起きて「姉ちゃ、姉ちゃ」と弟の声で話しだしたのだ。弟は言う。自分は今はイソシギになったので家には帰れないと。
クエ漁に出た船は、漁場で大量のクエを獲るが、台湾坊主と呼ばれる台風につかまって船が壊されそうになる。その時、老漁師が「鳥になって空ば飛べ」といって船縁から飛び立った。それに続いて、皆が飛び立ち、今は鳥になったという。同じ船で遭難したイオの夫も鳥になっている。イオとソメ子は、祭りが終わっても崖の上で、しょっちゅう羽ばたく練習をしている。あれは飛び立つ準備なのだろうか。ウミ子はいぶかしく眺めるばかりだ。
ウミ子はポスターの写真撮影で沖根島を訪れる鴫に同行する。宿泊センターの鯨塚という老人は、全員離島した島を観光地にするという鴫の話が気に入らない。しかし、領土を守ることが真意と気づき、二人に倉庫で見つけたカセット・テープを聞かせる。卒業式で歌う「蛍の光」だ。最終便が出るときに流すのだという。その四番の歌詞を知る人は少ない。
台湾のはても 樺太も
八州(やしま)のうちの 守りなり
いたらん国に いさをしく
つとめよ わがせ つつがなく
実は四番の歌詞も当初は「千島の奥も 沖縄も」だった。その次も「やしまのそと」であったものが、千島樺太交換条約・琉球処分による領土確定を受けて後「やしまのうち」と変わり、日清戦争による台湾割譲後、「千島の奥も 台湾も」と変わり、日露戦争後、上記の歌詞に変えられたという。なんとも世知辛い話ではある。
目に沁みるようなブルーの海、どこまでも青い空に翩翻とひるがえる、ミサゴやカツオドリを描いた幟。海で死んだ魂は空に上って鳥になるのだろうか。今日も鳥をまねて羽ばたく老婆たちの上に、アジサシが鳥柱を立てている。老婆たちはいつ鳥にまじって飛び立っても不思議ではないような気がしてくる。ファンタジー色の濃い物語に見えながら、その裏には、美しい島に脈々と受け継がれているナショナリズムが衣の下の鎧のように透けて見える。村田喜代子、なかなか食えない作家である。
妻の父は九十六歳でサ高住に入居中。常々、体は何ともないが頭の方がとボヤいている。認知症が進んでからの入居では友だちもできない。住み慣れた島で気心の知れた友と暮らすイオたちが眩しく映る。食べ物は自給自足。必要な物は連絡船で届く。気ままな暮らしのようでいて、その実国防に寄与しているのだから、二千万円くらい安いものだ。ウミ子でなくても島で一生を終えることを考えたくなってくる。
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現実の諸事情は知らないことばかり。
都会に住んでいても住みなれた街は離れられない。
いつか、鳥になれたら。
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朝鮮との国境近くの島でふたりの老女が暮らす。
母親のイオさんは、九十二歳。
海女友達のソメ子さんも、八十八歳。
「わしは生まれて九十年がとこ、この島に住んで、
今が一番悩みもねえで、安気な暮らしじゃ。
おまえは妙な気遣いばせんで、さっさと水曜の朝に船で去んでしまえ」
さあ、娘六十五歳のウミ子はどうするのだろうか?
村田喜代子さんの小説に登場する気丈な先輩女子が織りなす不思議な世界。ふたりの老女が岩壁で鳥柱に交じって踊るシーンは幻想的だった。
細々と野菜を育て釣りをし自給自足の生活を選ぶ2人の暮らしは、プロパンガスや、肉・卵などの生活物資を運ぶ定期船の維持費に年間2000万円かかるというから、我がままにも見える。しかし、島が無人になると中国の密航者に国境を脅かされるので人に住み続けてもらった方が得策らしい。綿密な取材のもとに書いてあるのだろうから、きっと真実なのだろう。2人の老女は国を護っているとも言える。
一筋縄ではいかない女子(おなご)達に、今回も勇気づけられた。
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久しぶりの村田さん。やっぱ、いいわあ。
離島でたった二人で暮らすおばあさんたち。63歳の娘が小娘に見えます。
鳥になる練習をするおばあさん達の姿を見てみたい。台風が来てどうなるかハラハラしましたが、よかったよかった。
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舞台はかつて遣唐使が東シナ海に乗り出す前の最後の寄港地だった郡島の、今は92歳イオさんと88歳のソメ子さんの二人の老女だけで暮らす島。そこにイオさんの娘ウミ子さんが現れて。。。
今は無人島化しつつある国境の島々。不法侵入の脅威にさらされ、苦心する町役場の戦術。その一方で世俗にまみれてしたたかとも、浮世離れして奔放とも見える二人の老女。振り回されているうちに、それも良いかと受け入れ始める主人公・ウミ子。
ブラタモリの「ヘリ」が面白いでは無いですが「境界」の物語。現実と幻想、死者と生者、海と空、人と鳥。老女二人はそうした境を軽々と行き来する。どこか可笑しくて、同時に祭りの後の寂しさのような色んな感情が交差する。
老女たちが唱えるラテン語交じりの不思議な経文の声と、両手を羽根にして飛びたたんとする幻想的な鳥踊りの稽古の姿が刻み込まれる。
素晴らしい。
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村田喜代子さんの新刊。
少し難しめの作品を書かれる村田さんだが、この本は分かりやすくていい。
漁師だった旦那や弟を海の事故で亡くし、二人とも鳥になったと信じている二人の老婆とその娘、といっても60を超えている、の物語。
二人だけが暮らす孤島の生活は、時に台風に脅かされることがあるけど、時がのんびりと流れていて、素晴らしい。
「わしは生まれて90年がとこ、この島に住んで、今が一番悩みもねえで、安気な暮らしじゃ。おまえは妙な気遣いばせんで、さっさと水曜の朝に去んでしまえ」
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ひとのいなくなった離島に住む老女ふたり。92歳のイオと88歳のソメ子。イオの60代の娘ウミ子が島に帰ってくる来る所から始まります。かわった儀式のような祭り、キリシタンのような念仏、時々老婆たちがみせる羽を羽ばたかせるような様子、漁で死んだ者の話し、島の美しさと、厳しい現実と、吸い寄せられるような海の中の様子が、なぜか息苦しくて息がつまりそうでした。独特の世界観から出ることを拒む老婆たちのいる島はすでに浄土のようです。そんな島での暮らしがウミ子の視線で描かれ、あの世のようなこの島に住んでみたいという気持ちにもなる不思議な読後感でした。
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石牟礼道子さんの作品を思い出した。
自然の恵みを生きる糧とし、時に優しく、時に荒れ狂う自然に翻弄されながらも、その一部であることをいつも深く感じている人々。
近代農業は機械と農薬、肥料の開発があり、漁業も会社経営的な部分も大きくなり、がっぷりと自然と一体化している感じは薄くなってきた。しかしこの物語の老女たちは素潜りの海女で、亡くなった夫たちも自然とともに生きてきた漁師だった。
仏壇に祀られた海で死んだ者たちに「海の底はこの頃は涼しくてよかじゃろう。」(P42)と話しかけたり、家の近くに飛んできたミサゴに「それそれ、鳥のお客さんは庭の方からはいるがええ」(P48)と声をかけたりするのがごく当たり前の毎日。あるいは老人が亡くなった日にカラスがこう言っていたと語る。「カラスは人間に連れ添うて生きるもので、人間の年寄りにはカラスの一生の内にいろいろ受けた恩がある。それを返せぬ内に死なれて悲しい。おれだちのカラス鳴きは鳥の読経じゃ」(P120)
石牟礼さんの「狐女、狸女」みたいに、動物とも死者とも垣根を感じていない。
日本人だけでなく、自然とともに生きている人々はこのような感覚をもっているのだろう。だから、神話や昔話が生まれた。先進国の都会に住んでると、死んだらそれで終わり、動物は保護するものだと思っているが、そんな風に考え出したのは人間の長い歴史の中でもつい最近のことで、人間はずっとこうだったのだろうと思う。
だから死は悲しくはあるが、完全な別れではなく、魂が虫や動物に移るだけのことだと思える。私の祖母なども法事の時に虫や動物が出てくると、「ほら、〇〇さんが戻ってきた」と言っていたものだ。子ども心に、ただ虫が飛んできただけじゃん、と思っていたが、そう思えないことは不幸なことかもしれない。
ここに出てくる老女のような生き方はできないけれど、時おり思い出したい気持ちになった。
村田さんは、見事な文章を書く人で、読んでいて、本当に楽しい。物語以前に文章に惹き込まれる。
「切り立った岩の断崖が上昇気流を生んで、空に何本もの鳥柱が立っていた。くるくる、くるくると、数百羽の鳥たちが上へ上へと、まるで天空に透き通った螺旋階段でもあるように空中を昇っていく。」(P34)
「一羽のミサゴが急降下して波間を滑ったとみるや、一瞬の内に魚を脚で掠め取った。
大きな魚だ。ミサゴの胴体ほどもある。魚はビシビシとミサゴの脚を打つが、猛禽の太い瘤のような脚は魚の腹をガッシと掴んで放さない。魚は狂ったように尾を打ち振りながら、みるまにミサゴと共に空へ吸い込まれて行った。」(P39)
この簡潔にして鮮やかな描写、頑張って書けるものではない。文章を読む喜びが味わえる数少ない作家の一人だと思う。幸せな時間を過ごせた。
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理想の老後のような気がする。90歳過ぎても、まだ身体は動く。頭もはっきりしている。自分の生活を回していける。親思いの娘がいる。国境を守るという大事な役目を果たしている。役場の担当者は親切で誠実な青年。
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かつて漁業で栄えた南の島・養生島に、たった二人で住むイオ・92歳とソメ子・88歳。
イオの娘・ウミ子は、母親を自分の暮らす大分に連れて行きたいと思うが、イオは頑として動こうとはしない。
たった二人の為にかかる莫大なインフラの費用、次々と現れる中国からの密漁船・・
そして、はるか昔から変わらず続く風習の数々。
日本の片隅で生きている現実
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ニンゲンを生ききったものだけが鳥になれるのかもしれない。このばあちゃんたちはきっと元気な鳥になって飛び回る。
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第55回谷崎潤一郎賞受賞作!
芥川賞作家、村田喜代子さんに新たな栄冠が。92歳と88歳、ふたりの老女の姿を描く。
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Three old woman in a small island. Lonely and silence. They shall be birds near future. But there is a small hope and brightness.
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西の果ての離島に住む92歳のイオさんと海女仲間のソメ子さん88歳、二人の生活を心配してイオさんの娘ウミ子65歳が訪ねて来た。
老婆達の暮らしは、娘から見れば不便で厳しい。けれど、二人はなんと逞しく、おおらかに自由に生きていることだろう。
この世とあの世、人間と鳥、海と空、海と島、仏教とキリスト教、境界がありながらその線は曖昧な不思議な世界を感じる。
この島は日本の端にある。海の国境線を越えて異国からの不法侵入を防ぐため経費をかける。
広がる海に見えない国境線。そんなものどこにあるんだ?
ラスト、アジサシ達と一緒に鳥躍りを舞う二人の老婆の姿は、鳥との境界がなくなり解け合っている。鳥に国境などない。アジサシは国境破りの鳥だという。
老婆とアジサシは、全てが国境を越えて融合しあうことの象徴なのか。まるで神話世界のような美しさを感じた。
島の人々は死んだあと、鳥に生まれ変わるのだという。
「そうや、おれたちは鳥じゃった。ああ長いこと忘れとった」 いいなぁ、しみじみ思う。
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かつて漁業で栄えた養生島に住む鰺坂イオ92歳とその海女友達金谷ソメ子88歳、九州本土から母イオを訪ねたウミ子65歳の物語。30年前は町、10年前は10世帯、5年前は3世帯8人。海に魚、空に鳥。離れ小島での暮らしが淡々と描かれ、一方で、離島の争奪合戦の話も。役所にとり人が住んでることはインフラの整備(港、道路、電気、水道、ガスなど)は必要だけど、島の安全保障的にはとても有難いことと。鳥が水中を泳いで魚を捉えるということも、聞けばそうだなと思いました。不思議な余韻が残る小説でした。