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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2004.7
- 出版社: みすず書房
- サイズ:20cm/259p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-622-07094-4
- 国内送料無料
紙の本
音楽と社会
著者 バレンボイム (著),サイード (著),アラ・グゼリミアン (編),中野 真紀子 (訳)
世界的なピアニスト・指揮者のバレンボイム(イスラエル国籍)と、パレスチナについて真摯に語り続けるサイードとが出会う。パレスチナとイスラエルの音楽家を招いたワークショップの...
音楽と社会
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商品説明
世界的なピアニスト・指揮者のバレンボイム(イスラエル国籍)と、パレスチナについて真摯に語り続けるサイードとが出会う。パレスチナとイスラエルの音楽家を招いたワークショップの話、土地の問題化、音楽と社会を語る。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
バレンボイム
- 略歴
- 〈バレンボイム〉1942年アルゼンチン生まれ。指揮者。ピアニスト。
〈サイード〉1935〜2003年。エルサレム生まれ。コロンビア大学英文学・比較文学教授。
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紙の本
2項対立、逸脱、逃亡
2005/01/03 14:53
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:仙道秀雄 - この投稿者のレビュー一覧を見る
二人がこんなことを言っています。
バレンボイム:僕がat homeな気分になるとすれば、じつはそこに移行(transition)という感覚があるからだろう。すべては動いているのだから。音楽だって移行だろう。流動性という観念としっくりいっているときが、僕はいちばんしあわせだ。
サイード:アイデンティティーというものはひとまとまりの流れつづける潮流であって、固定した場所や安定した対象に結び付けられるものではないという感覚。それはとても実感がある。
言葉を発せしめる世界が「流れつづける潮流」だとしたら、記号や言葉にはズレや遅延化が避けられない。しかし人の観念にはズレを無視して論理的に完成させようとする力が働いている。そこへいくと(異文化間コミュニケーションとして)「音楽が、理想的なのは、説明的な観念を必要としない」(バレンボイム)ということになる。文字の呪縛からの逸脱といえるのではないだろうか。しかしそれは「逃げ」(パレンボイム)にもなるというところに本書の複眼的な深さがある。これもまたtransitionの産物といえる。
最後の最後まで大変面白く、有益で、元気をくれる本でした。自分と響きあう箇所がたくさんありました。エリック・ドルフィーにWhen you hear the music, it's gone in the air. You can never capture it again という言葉がありますが、同じことをバレンボイムも言います。バレンボイムはもっと深くこれを展開していきます。しかもその展開が対立する2項を統合するような仕方で。
例えば、楽譜の読み方では、ベートーベンが自分に降り来たるまでに読み込み同一化すること、それが楽譜を読むということだ、と言います。作品の書き手(作曲家)と作品の読み手(演奏家)という2項を乗り越えて、統合するそのさまは、小林秀雄の「かむかふ」(「考える」の古形。身を交わすことが「考える」という意味だ、という解釈)を想いおこさせます。一昨年大阪でバレンボイムがシカゴフィルで聴かせてくれたマーラーのサウンドの意味がいっそうよく分かったように思いました。ベルリン国立歌劇場管弦楽団と録音したベートーベンをぜひ聞かねばとも。
サイードもまた最高です。「音楽という行為にとても重要な一面は、音楽が、なにか根本的なところで、すべてのものを商品化し、社会的に同化することへのたぶん最後の抵抗なのだ…」と語っていて、それは下手なりに自分の弾くチェロの響きに耳を傾けたりアンサンブルの一員として音楽に浸っているわたしの時間と、ビジネスマンとして動いているわたしの時間との違いを思う時、「チェロは逸脱だ」と思うのを別の言い方をサイードがしてくれている、そう思います。しかし逸脱しすぎてはいけない、とも。