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商品説明
「純粋な手段」とは何か。行為と罪過、そして身振りのあいだに存在すると目される緊密な関係について、ヘブライ語、ギリシア語、ラテン語に加えて、サンスクリットについての知見も踏まえながら、文献学的な分析を行う。【「TRC MARC」の商品解説】
「カルマン」というサンスクリットは漢訳仏典では「業(ごう)」と訳される。この「カルマン」と「制裁しうる人間の行為」を指すラテン語の「クリーメン」とは近接した関係にある。
さらに、人間の行為が制裁可能な行為であるためにはそれが意志による行為でなければならないというのが、キリスト教神学以来の西洋文化における共通了解であり、同様の見解がインドの仏教学者たちによっても表明されている。
ただ、トマス主義的な主流においては、善の学説を究極目的の理論に組みこんだアリストテレスの戦略が幅を利かせてきたため、あまたのアポリアに逢着することになった。アガンベンはそこから脱出する道を求めて、主体と行為の関係を「目的」のパラダイムとは別の仕方で考えようとする。
プラトンは『法律』で目的と手段の関係が中立化される領域として「遊び」を呼び起こした。タントラ仏教の『シヴァ・スートラ』では、幻惑に打ち克った覚者のなかで起きる変容が「踊り」というメタファーで記述されている。
目的との関係から解き放たれた「純粋な手段」としての政治(ベンヤミン)を「身振り」の空間に置き戻したとき、行為を超えたところで「新しい可能な使用」の道が開かれるのではないか。こう期待して、本書は閉じられる。【商品解説】
目次
- 1 カウサとクルパ
- 2 クリーメンとカルマン
- 3 意志のアポリア
- 4 行為を超えて
- 訳者あとがき
- 人名索引
- 参考文献
著者紹介
ジョルジョ・アガンベン
- 略歴
- 〈ジョルジョ・アガンベン〉1942年ローマ生まれ。ヴェネツィア建築大学教授を務めたのち、ズヴィッツェラ・イタリアーナ大学メンドリジオ建築アカデミーで教えている。著書に「到来する共同体」「哲学とはなにか」等。
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