紙の本
タイトルで、介護のお話?と思って迷ったけれど手にした本!
2019/07/29 07:59
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投稿者:るい - この投稿者のレビュー一覧を見る
介護のお話だから、身につまされたり、重い気持ちになりそうですが、さらっと、誰かわかりますか?と言うタイトル、本の装丁のグリーンと介護される方と介護なさる方の絵に心通うものも感じて、手に取り読みました!装丁は、大事です!この装丁でなければ、手にしていなかったです!
迷いましたけど、入院中の母にも他の本と一緒に持って行きました。
介護は大変と思いますが、そこを重く書くのではなく、介護との向き合い方を書いてあり、読み進められました。介護の当事者である方が読んだ時に、現実はもっと厳しいと感じる方もいらっしゃるかもしれないと思いますが、読んで、気持ちを切り替えられる手助けになる本でもあると思います。
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地方に嫁いだ長男の嫁「桃子」はアルツハイマーとなった義理の父の世話に悩まされる。「介護問題」という言葉一言では表現しきれない修羅場の種類は当事者の数だけあり、その苦労も様々。おそらく著者ご自身のご体験も含まれると思われるストーリーはリアルで重い。私を含め高齢者予備軍の方々にも自身の行く末を考える上でおすすめ。
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いやはや長男の嫁
は~
私もです
は~
介護終了しました ケド
リアルなので読んでいてしんどくなった
は~
長男の嫁である友人にあげようと思う
≪ 行く先が 見えぬままです 介護とは ≫
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「私が誰かわかりますか」というタイトルは、高橋源一郎氏の元奥様で、PINKHOUSEの服が大好きで、競馬場で芦毛の馬を応援していた高橋直子さんって今何してるんだろうね、と思ってた私のような昔の読者に向けてのものでもあるのかな、と。
人生は各段階を経て変わっていくものなのですねぇ。
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長男の嫁で介護に直面していると、共感しすぎて読み進めないかもしれません。
特にここに描かれている「村社会」がまだある所だとこの本のように、介護以外に疲れる要素満載なのでしょう。
まだ介護に直面していない人にこそ読んでほしい本ですね。
などと言っていられるのも、まだ直面していないからなのかもしれません。でもこの本でヒントはいっぱいもらえました。
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両親に「私が誰かわかりますか」と聞く日がくるのだろうか?
それは誰にもわからない。そんなことになっても否定せず受け入れることができるのだろうかね?
ましてや義理の両親となると……。自分の親をみるということで取り決めておかないと、とっても負担が大きくなりそう。
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昨年亡くなった父の事を重ね合わせて読ませてもらった。
昼夜逆転、頻繁なトイレ、家に居ても「ウチに帰る」等は認知症アルアルでした。
厳格でしっかりした父であったが、少しずつ壊れていって認知症で皆を困らせたのは、本作品の通りである。
認知症の父を介護している際は、腹立たしい気持ち、寂しい気持ちや父への今迄の感謝の念が交錯していた。
本作品はこれらを上手く表していたし、村社会への反発と底流には深い愛情が描かれていた。
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認知症になった夫の父親を、長男の嫁として看取った桃子の話。
姉妹の長女で、一人息子の長男の嫁である私は、70代後半の両方の両親が幸いとても元気でいてくれているので、この先の4人の介護には、ある意味心づもりはしています。でも、もしかしたらまだ覚悟は出来ていないのかもしれません。
この手の本を読む度に、他人事でない、切実、とあれこれ思いを巡らせますが、いつか来るその時には、人としての尊厳を大切に、尊敬の念を持って接する介護が出来たらと思っています。
最後の5ページ、死と老いと世間への考察が深い。
世間に縛られていた桃子でしたが、介護には世間の目が必要と気づき、義務感が義父への愛情へと変わっていったのは、義務を果たした故なのだと思わされます。
「私が誰かわかりますか」の質問への答えが、最後まで「桃子じゃろ」だったのは、桃子への最高のご褒美だったと思います。
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2018/11/02Mリクエスト
身につまされる。
誰が読んでも、一つくらい思い当たるエピソードがあると思う。小説だから最後はうまく収まってるけど、現実には、これがまだまだ続く…という人も多いだろうな、と。
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谷川直子さんの軽妙な文体がその軽妙さとは裏腹に薄っすらと寒気を感じるような怖さが時折迫ってくる、そんな小説でした。地方の村落共同体、義父の介護、長男の嫁という強烈なワードでこの物語は語られる。いまだ機能し続ける地方における『世間』。ここでは個人は個人として振舞うことを決して許されず、共同体の構成員は主に役割に相応しい振る舞いが半ば強制されている。そこに介護が絡むともはや無間地獄かと思われるが、地獄は地獄でも時折ボケ老人のチャーミングな言動や、そこに生きるたくましい女たちのバイタリティと処世術に、ふと学ぶことの多さを感じる。歳をとって失うものはたしかに増え続けるが、そこで削ぎ落とされて露わになっていくかつての体裁の下に眠っていたものの力強さに目を見張る。老いるとは、死への旅路とは決して失われていくだけのものではないということが。あるいは長きに渡って埋没していた個、役割から解き放たれた本来の自己を再発見するために老いというものはあるのかもしれず、そう思うと介護という過酷にすぎる現実にも何かしらの意味というものがあっていいのかもしれない。死にゆく者へ費やされる時間が無駄なわけがない。そして介護される者だけではなく介護する者にとっても、それは自己を再認識する機会ともなり得るのかもしれない。他者に尽くすということが自己再生なり自己救済になるとも読めるこの物語の根底にキリスト教的な下地があるとする読みは流石に深読みだろうけれど、この作品を読み終わったときに訪れる魂の浄化の感覚はたしかな実感の伴うものだった。『私が誰かわかりますか』という言葉が、叫び声だったとしても、あるいは祈りだったとしても、たぶん本当にはその答えは必要ではない。言葉にした時点でもうそこには意味があるのだろうから。
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老いと、介護される者と介護する者の話。
内容は重いものでしたが、字体は読みやすくて、読後感も悪くない本でした。
衰えていく義父、義母が絡められている「世間」、自分を縛る良心、表題になっている質問に最後に返された「桃子じゃろ」と答えた義父の声。
誰しも最後は死んでいく、必ず終わりがくる。それまで懸命に生きていくしかない。義父の死が桃子に知らしめた事実。
超高齢社会、どこでもありうる問題で、物語として読むことと現実は違うと思いますが、想像することはできるので読んでよかったです。
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親の介護は僕ら以上の年齢になってくると、大々的に関わりで出てくる事柄です。しかも僕らもあと20~30年経つと介護される側になる可能性大です。
本来喜ぶべき長寿ですが、自分としては痴呆になってまで生きたくないというのが正直な所だし、ほとんどの人が尊厳を失ってまで生きていたくないと思っているでしょう。
それなのに痴呆になってしまった時、意思表示できないが為に、延命までされてひたすら生かされるなんて本当に悲惨だし誰が望むんだろうか・・・。
読んでいるうちに鬱々とした気分になってくるのは、家庭での介護の出口の無いトンネル感良く書けているからですうしようも無い状況の人ではなくて、自分の家族内であり得る内容だから余計に刺さるんでしょうね。
色々な家族が出てくるので一瞬誰の事か分からなくなる部分はありますが、これくらい頭使った方が将来ぼけにくいかな・・・。
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認知症の舅を看病する長男の嫁たちの心の中つぶやきに納得。舅を看取った後の気持ちの変化も分かる気がする。
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評価は5.
内容(BOOKデーターベース)
文藝賞受賞の実力派作家の体験にもとづく介護・看取り小説。「世間体」と「本音」の間で揺れながら、介護を通して女たちは「老いと死の現実」を教えられる。
ただただ怖い話であった。介護は当然長男の嫁の仕事・・・男尊女卑の最たる話であった。しかし、実親もいつか認知症で介護が必要になるかも知れない。と考えるだけで全く他人事ではない。震えながら読了。
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長男の嫁なので義理親の介護をしなければならない立場になった女性たちのストーリーがリアルに語られています♪ 福岡近郊の田舎町を舞台に方言を駆使して彼女達の踏ん張る姿が面白おかしく進みながら認知症の親とのやりとりが展開して、読者も深刻にならずに介護に関わる知識や情報が解る仕掛けになっていました。実体験のある作者ならではの内容なので経験ある人も未知の人も読む価値のある好適な作品です!地味ながらもオススメ です。