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  • カテゴリ:小学生
  • 発行年月:1984.2
  • 出版社: 偕成社
  • サイズ:22cm/190p
  • 利用対象:小学生
  • ISBN:4-03-635190-7

紙の本

おときときつねと栗の花 (偕成社の創作)

著者 松谷 みよ子 (著),西山 三郎 (絵)

おときときつねと栗の花 (偕成社の創作)

税込 1,430 13pt

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評価内訳

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紙の本

「あったこととしてきかねばなんねえ」話が、誰の周りにもあり、語られていた頃

2009/07/28 21:38

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:wildcat - この投稿者のレビュー一覧を見る

山形では、昔話を語りはじめるとき、はじまりはじまりというかわりに、
こういうのだという。

  とんと昔のさる昔、あったことだか、ねえこんだったか、
  とんとわがり申さねども、とんと昔、
  あったこととしてきかねばなんねえ、え。

東京生まれの東京育ちのおときは、
こんな約束ごと、となえごとは、聞いたことがなかったけれど、
いまのあたしの気持ちにぴったしだ、と思う。

かぞえの12、13の頃、田舎の村に子守に出ていた頃におこった出来事は、
こうして、彼女の口から語られる。

おときときつねと栗の花
ほたるもみ
栃の木の洞で
いそどんとオコゲという子ねこ
いたちと菜の花
矢車草の畑にいるよ
みずくも淵
死人水

8つのお話は、どれも、語り口調で語られる。

物語は、まさに、語りだったんだな。

物語の物は、物の怪の物なのだと意識させられる。

これから怖い話をしますよと語り始めるわけではないし、
怖い場所にわざわざ行くわけではない。

8つのお話のタイトルからもわかるように、どれも自然の中なのだ。

田舎の人たちが普通に暮らしている場所なのだ。

そして、死が病院の中ではなくて、普通の暮らしの中にある。

誰かが亡くなれば、人魂が飛んだり、
それどころか歩いているのが見えたり、
からすの泣きが悪かったり、言いたいことがあれば夢に出たりする。

誰か特別な見える人に見えるんじゃなくて、
みんな普通にそういったことを感じている。

語りの中に、彼等の生活の厳しさが見える。

おときは、東京でお店を営んでいるところの娘だったが、
商売がうまく行かなくなり、
両親とも亡くなり、かぞえ12で親戚のいる田舎にやってきて、
子守をして生きている。

子守は、家族の口減らしのために田舎に送られてきた奉公娘も多い。

「死人水」は、そんな子守の悲しい物語だった。

川の向こう岸に、実家が見えるために、
子どもを連れて川まで見に行ってしまった子守が、
子どもを溺れて死なしてしまう。

子守はクビになり家に帰されるが、
親には厳しくしかられ、いたたまれなくなり、
自分も川に身投げをしてしまう。

死んでしまった子どもは3歳だったが、子守もまだ10歳だった。

子守を雇っていた家では、大きな人形と小さな人形を奉納する。

大きな人形は粗末な着物、小さな人形には高価な着物で差がついている。

大きな人形が子守で、小さな人形が自分の子ども。

責任を感じて身投げをしたくらいだから
あちらでも子どもの世話をしてくれるだろうというのだ。

おときは、「死ねばいっしょなのに」と悲しい気持ちになった。

3年に1度、人形のために新しい着物を縫い、着替えさせてやると、
その晩、2つの人形が歩くのだという。

オカラコ、カラコ、オカラコ、カラコ、と。

私は、これらの話が普通に身の回りにある生活をしているわけではない。

なのに、悲しくて、どこかなつかしい話、ばかりだった。

日本人の記憶の奥底に共通にある何かにつながっているような
不思議な気持ちになったのだ。

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