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    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    中野 ジェームズ修一 (講師),日本放送協会 (編集),NHK出版 (編集)

    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

wildcatさんのレビュー一覧

投稿者:wildcat

731 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

サラとソロモン 少女サラが賢いふくろうソロモンから学んだ幸せの秘訣

私と彼女とこの本を結びつけたのは大切な人の死だった

22人中、18人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

自分の望みにフォーカスして、それだけを考えて、
いい気分でいれば望みはかなうという「引き寄せの法則」。

去年から今年にかけて、この言葉が本のタイトルに踊る本が
たくさん出版された。

みんな幸せになりたくて、お金持ちになりたくて、思い通りに生きたくて、
すべての願いを現実にしたい。だから類似本だらけなんだ。

この本は、その少し前、「引き寄せの法則」を
タイトルに含まないまま出版された。

私自身は、「引き寄せの法則」にそれほど関心があったわけではない。

なんかその法則だけ知っていれば知らない人よりも有利で
なんか自分だけ得したいみたいな雰囲気が
なんとなくこのブームに纏われているようで
なんかいやだったんだ。

私も幸せ、あなたも幸せであれたらどんないいいだろう。
影響しあう相手とともに幸せでいられたらどんなにいいだろう。

でも、実際は、幸せを誓って一緒になった相手とは、
お互いに悪影響を及ぼすようになったから離れなければならなかったし、
その後やっと心から愛せる彼を見つけたと思ったら、
彼はお空の神様のもとへ行ってしまった。

願えばかなうとか、相手は自分の鏡だとか、いろいろな法則がある。

だけど、その手の法則は、相手を変えようとするのではなくて、
変わるのは自分だと、前向きな気持ちでいるときには、
すっと入ってくるし、心に良い作用を与えてくれるけれど、
一番苦しいときにこれらの法則を取り入れるのは難しい。

全部自分のせいなんだ・・・になってしまうから。
苦しい環境にいるのも、病になったのも・・・。
一番苦しいときこそ、心から幸せになりたいのに、である。

そういうスパイラルに落ちたときに、
もう挑戦する気力も立ち上がる力すらも沸いてこないときには
どうしたらいいのだろう。

あるいは、目の前にそういう人がいたときに
その人にもう一度パワーを呼び起こすものは何なのだろう。

一番苦しいときでも、
引き寄せているのは自分だと静かに気づいて
前に進むためには、そこに向かう前に何が必要なんだろう。

さて、こんな私とこの本を結びつけたのは、
私と誕生日が5日違いの友人だった。

彼女とは、直接会った回数は、実は少ない。
就いている職業もまったく違う。
だけど、どこか似ているなと思うところが多い。

彼女と私の最大の共通点は、大切な人を亡くしたこと。

彼女はお母さんを、私の彼が亡くなる1年前の同じ日に亡くしている。

彼女が、この本を私に薦めてくれたのは、
死を描いている本だったからだ。

彼女自身は、ここに書かれている
死の捉え方に必ずしも納得できたわけではないと言いつつも、
そのときの私に必要な一冊だろうと思って紹介してくれたのだった。


少女サラは、周りの人と関わるのをあまり好まない女の子だった。

こっそり心の中で「他人の雑音反対クラブ」を作る。

「他人を好きだというのはかわまないけれど、
 他人と話をしなくてもいい。
 他人を眺めていることは好きでもかまわないけれど、
 何も誰にも説明したりしなくていい。
 時々、自分だけの考えにひたるために、
 ひとりでいることが好きでなければだめ。
 他の人たちを助けてあげたいと思ってもいいけど、
 実際に助けることはあまりしたくないと思わなければだめ。
 だって、それは抜けられない罠にはまってしまうようなものなんだもん。
 あんまり人を助けてあげようとすると、もうおしまいだ。
 みんなが自分の考えでわたしを利用しようとしはじめて、
 ぜんぜん自分の時間がなくなっちゃう。
 目立たないようにして、
 誰にも気づかれないように他の人たちを眺めたいと思わなければだめ」
 (p.8-9)

でも、サラは人と関わるのを完全にあきらめたわけではなかった。

サラはソロモンを探しに行き、出会ったのだ。
唇を動かさず想念で話すふくろうに。

サラは、ソロモンを通して、
「望まないこと」ではなく、「望むこと」にフォーカスすることや、
「自分の喜びは他人にかかっているのではないと分かったら、
 そのときは本当に自由になれる」ということを学んでいく。

そして、ソロモンは、ふくろうの肉体を離れた存在になる。

「サラ、僕たちの友情は永遠だ。それはどういう意味かって言うとね、
 君がソロモンとおしゃべりしたい時はいつでも、
 何を話したいのかをはっきりさせてから、それに意識を集中させて、
 とてもいい気持ちを感じさえすればいいっていう意味なんだ。
 そうすれば、僕は君と一緒にここにいられるんだよ。」
 (p.158, p.160)

こうして、ソロモンが肉体を持たなくなった後も、
サラとソロモンの対話は続く。

ソロモンが生きていた頃とは違った方法で。

「君はただ、ある特定の在り方のソロモンを見ることに
 慣れていただけなんだ。でもね今、君はこれまでより
 ずっと強くそれを求めるようになったから、
 ソロモンをこれまでよりもっと広い見方で見ることが
 できる機会が得られたんだ。
 もっと普遍な見方で見る機会だ。
 ほとんどの人々は物事を肉眼を通してしか見ることはできないんだ。
 でも今、君はもっと広い見方で見る機会が得られたんだよ。
 物理的存在としてのサラの中に生きている
 本当のサラの目を通してみるという機会だ。」
 (p.166)

「君がソロモンとおしゃべりしたい時は、いつでもそれができるんだ。
 君がどこにいるかは関係なく。
 もう雑木林まで歩いていかなくていいんだよ。
 ただソロモンについて考えるだけでいいんだ。
 そしてソロモンとおしゃべりするのがどんな感じがするかを
 思い出すだけで、僕はすぐに君のそばにきて君と話ができるんだ。」
 (p.167)

今私は、彼が旅立った後の8ヶ月で、
このソロモンのこの言葉を実感として感じることができるようになった。

もう手をつなげないし、キスできないし、
体を通してつながることはできないけれど。
彼の思いは、たくさん受け取った。

本も音楽も映画も、「メッセージが入っているもの」にたくさん出会った。

自分に霊感があって、彼が見えたらいいのに、
直接話せたらいいのにと願って、それは叶わなかったけれど、
私がもっとも今まで使ってきた方法で
彼の想念を受け取ることができたのだと感じている。

肉体を失っても、彼がゼロになることはないのだ。

私が知らないところで生きている多くの人たちよりも鮮明に、
彼は私の中で生きているのだから。

「引き寄せの法則」の本は、私にとっては、
この1冊で十分だと思っている。

なぜなら、私がもっとも受け取りやすい、
子供の頃から読み続けてきた、親しんできた翻訳児童書という形式で
ここにあるのだから。

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紙の本

花のかみかざり

紙の本花のかみかざり

2008/11/24 22:35

だきしめるのは 無言の 全面的な 存在肯定の しるし。

18人中、18人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

誰もが多かれ少なかれ傷を抱えている。

ずっとしまいこんだまま誰にも話せないこともある。

その秘密をうさぎがたぬきのおばあちゃんに話せたのは、
おばあちゃんがうさぎを、だきよせたから。

「わたしに はなしておくれ」という言葉より前に
だきよせるという行為があったからこそ、
うさぎは胸にずっとつっかえていたことを話すことができたのだ。

ずっと話せないでいたのは、うさぎはそれを
取り返しのつかないことだと思っていたから。

さいごのねがいをきいてあげられなかったこと。

それはもっとも大きな傷になる。

それがさいごだとわかっていたら、
もっともっとしてあげられたことがあっただろうと・・・。

取り返しがつかないことをずっとずっと考え続けてしまうこともある。

でも、うさぎは、その傷から逃げずに現場に居続けた。

苦しみながらも居続けた。

そのときの学びから逃げずに、
おおかみのおばあちゃんにはしてあげられなかったことを、
他の誰かにしてあげようと決意したのだと思う。

だから癒しのときが訪れた。

おおかみのおばあちゃんにしてあげられなかったことを、
たぬきのおばあちゃんにしてあげることで、
うさぎはおおかみのおばあちゃんに謝ることができた。

たぬきのおばあちゃんはうさぎをだきしめることで
おおかみのおばあちゃんの代わりに許しを与えることで
介助されているという受身の立場だけではない存在になった。

花のかみかざりは、うさぎがたぬきのおばあちゃんに
つけてあげたものだった。

それをたぬきのおばあちゃんからうさぎにつけてあげるのだ。

ふたりが介助する者される者の立場を超えたことを
このかみかざりは象徴しているように思う。

最初の絵と最後のひとつ前の絵は、
うさぎにかみかざりがついていないのといるのと、
一見それしか変わっていないように見える。

だが実はその間に起こった変化はとてつもなく大きいものだったはずだ。

たぬきのおばあちゃんがうさぎをだきよせたとき、
それはうさぎへの無言の全面的な存在肯定として伝わったはずだ。

ここにいていいのよ。今までよくがんばってきたわねと聞こえたはずだ。

問題が自分のキャパシティーを超えていると思ったとき、
相手にかける言葉をなくしたとき、
人は逃げ出してしまいたくなるものだ。

だけど、逃げずに、それでも居続けること、
ここにずっといるよ、応援しているよと
静かに伝えることは、
自分が思っている以上に、意味があることだ。

抱きしめることは、あなたはあなたでいていいのよと伝える
最強の魔法であるに違いない。

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紙の本

脳からわかる発達障害 子どもたちの「生きづらさ」を理解するために

教育的な知識・経験と医学的な知識のバランスがよい良書

18人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は、発達障害を脳機能から理解するための本である。

著者は、長い間、LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥多動性障害)、
高機能広汎性発達障害等の子どもたちと関わってきて、
「なぜ発達障害の子どもはできないのか」を考えるようになり、
同時に「なぜ発達障害でない人はできるのか」を
考えるようになったという。

発達障害の子ども達と関わることが、
「普段何気なくやっていること」を支えている
「実はとても複雑で高度な脳の働き(高次脳機能)」への興味関心、
そして、その情報を一番必要としていることに
わかりやすく伝えることへとつながっていく。

大脳生理学や認知神経心理学といった脳科学の進歩は、
高次脳機能や発達障害についても多くのことを明らかにしてきたのだが、

その情報は一部の専門家が理解しているだけで、
一番情報を必要としている、発達障害の子ども本人、
子どもたちに関わる保護者や教育者には伝わっていないことに
著者は問題意識を持つ。

著者の略歴は、オンライン上では、
「千葉大学医学薬学府博士課程修了。医学博士。」からはじまっているので、
最初から医学薬学系だった方という印象を持っていた。

ところが、本書には、その前の略歴がさらに書かれていた。

著者は、もともとは社会福祉学の専攻だったのである。

通常学級の担任、知的障害特別支援学級担任、
情緒障害通級指導担任、養護学級教諭のご経験がある。

その後、総合教育センター、子どもと親のサポートセンター指導主事として、
不登校、非行の子どもの教育相談や生徒指導に関わっている。

社会人大学院生として千葉大学教育学研究科修士課程修了(教育学修士)後退職し、
それから、千葉大学医学薬学府博士課程修了(医学博士)だったのである。

ここに刻まれた略歴が表す著者の歩みは、
本書に確かに織り込まれており、
発達障害を脳機能から理解するための本なのだが、
教育関係の本を読んでいるような印象を受ける。

第1章の最初で、発達障害の典型的なタイプの子どもたちが登場するのだが、
こういった冒頭の書き方は、教育系のルポ本に多いのではないだろうか。

また、「全部ひらがなにして書かれた英文」のように、
障害がない人でも実際に理解が困難である状態を
疑似体験できるような工夫をしている。

脳機能ばかりを語って人を語っていないのではなく、
まずは人を語りそれから脳機能を語っている。

こういうと御幣があるかもしれないが、
医学系の本にありがちが無機質な感じではないので、
人文社会系に読みやすいのである。

脳機能について知りたいのだけれども、
医学系の本を読むのはちょっと・・・
と敬遠してしまっていた関係者にとって、
非常に読みやすい1冊ではないかと思う。

章構成は次の通りである。

第1章 発達障害って何だろう?

第2章 脳機能から理解するLD(学習障害)の子どもたち

第3章 脳機能から理解するADHDの子どもたち

第4章 脳機能から理解する高機能広汎性発達障害の子どもたち

第5章 子どもの育ちを支える

第6章 脳についての基礎知識

ここには、章題のみを挙げたが、
節まで降りると「メカニズム」という言葉が多い。

LDの章には、「見ること」「聞くこと」のメカニズム、「記憶」のメカニズム、
ADHDの章には、「コントロール」のメカニズム、「注意」のメカニズム、
高機能広汎性発達障害の章では、「社会性」と「対人認知」のメカニズム、「感情」のメカニズム
について説明している。

発達障害と日々向き合っている人がなじみやすいものを先に持ってきて、
「脳についての基礎知識」のように脳の図がたくさん出てくるようなものを
あとに持ってきていることも工夫のひとつであると思う。

各節が短く簡潔にまとめられていて、総ページ数が索引を入れても186ページである。

それでいて、発達障害関係ならば必要な概念、理論、基本的な用語は押さえられている。

医学的診断一辺倒ではなく、
著者の教育的な経験と知識と医学的な知識のバランスがよい。

  多動性や衝動性の症状を併せ持っている場合は、
  幼児期にADHDという診断がついていることがあります。

  しかし、ADHDという診断がついていたとしても、
  PDDの特徴ももっていると考えられる場合、
  教育的にはPDDとして支援を行っていった方がうまくいくことが多いです。

  それは、高機能PDDへの支援が、最もていねいで手厚いからです。

といった記述が見られるのである。

第5章は、遊びを通した認知支援(CIP:Cognitive Intervention in Play)、
五感を育てる、ソーシャルスキルトレーニング、
指導法としてTEACCH、SPELL、応用行動分析、ソーシャルストーリーなどが紹介されている。

あとがきにこんな言葉がある。

  障害のある子どもたちを支援していると、
  さまざまなことを「ポジティブに」考えるようになります。

  「うまくできたところはほめ、うまくできなかったところは修正する」・・・・。

私自身も、このような考え方をするようになったのだが、
それは、北海道浦河町にある精神障害等をかかえた当事者の
地域活動拠点である「浦河べてるの家」の活動を知ること、
そして、近い立場の人が精神疾患を得たことを通してであった。

本書でも紹介されているSSTを、
べてるの家で行っているところを見たことは今でも自分の支えである。

著者が得た学びを私は精神障害分野から学んだ。

本書を読むことを通して、専門とは何かについて考えた。

著者は、障害のある子どもの教育に携わり続け、
それがやがて、「脳科学の成果を教育に生かしたい」という思いとなり、
学問の垣根を越えて新しい分野に挑戦した方だ。

真に実践を突き詰めようとしたら、ひとつの専門では立ち行かず、
自分でそれを超えるか、他分野の人と協力をしていくことが必要なのだろう。

また、本書に語られていることに限らず、専門知識といわれているものは、
ちょっと目線を離してみると、その分野だけでのものではないのだとわかった。

例えば、発達障害の子どもは、
「視覚情報処理」と「聴覚情報処理」のバランスが取れていないことが多いので、
使いやすい感覚について、「視覚優位」、「聴覚優位」という言い方をする。

これは、何も発達障害分野だけのことではない。

NLPでも、視覚・聴覚・体感覚のように
ベースとして使っている感覚によってタイプ分けするそうだ。

自身の専門分野と考える知識を深めるのも大切だが、
そこだけにこだわらずに広い視野も大切だ。

そんなことも考えさせてくれた1冊だった。

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紙の本

いのちをいつくしむ新家庭料理 さ、めしあがれ

料理本という名の哲学書

17人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著者の辰巳芳子氏を知ったのは、ある朝の情報番組だった。スープ作りのカリスマ的存在の彼女の料理教室は2年待ちだという。ただの料理教室の紹介なら、私にとってその情報は全く意味のないものになるはずだった。なぜなら、私は、家族に本の中と頭の中しか見ていないと言われるほど地に足のついていない主婦で、主婦歴7年を超えたというのに家事全般がさっぱりうまくならない女だったのだから。

ところがなぜかその日は彼女の言葉がまっすぐ入ってきたのである。実際に、お父様を8年介助したという彼女の言葉は、介護職よりも介護職だった。「良い道具を持つと体に負担がかからない」とか、「ちょこまか混ぜるのではなく、的確に混ぜる」とか、そういう言葉の1つ1つが介護や人との接し方につながっていた。「的確な混ぜ方を知っていると、言葉を発することができない人の体を拭いてあげるときに、拭いてほしいと思っているところを拭いてあげられるのよ」。「思っているだけじゃダメなのよ。思っているだけじゃ何もしていないことになるんだから」。悩むと止まってしまい、次の行動が取れなくなる自分の背中を押すには十分すぎる言葉だった。

私がそういう背景で入手した本は、本書が2冊目である。1冊目は、『あなたのために−いのちを支えるスープ』であった。最初のページから「料理は図式化できると考えていた。特にスープはすでにぴったり図式化できていた」という印象的な言葉で始まる。すべてスープのことを書いた本だが、ただのレシピ集ではない。文章を読み味わってふせんが貼れる料理本である。読みやすさでは本書だが、こちらもぜひ合わせてオススメである。

本書は、料理本という体裁をとった著者の人生哲学書である。開いてすぐ赤い文字でこの言葉が飛び込んでくる。「優しい心となって、火の前、水の前に立つには…」。その問いの答えが、生命と食のつながりを語っているまえがきなのである。本書は、基本をスープに置く著者の考えに基づき、スープから始まり、野菜、魚、肉、基本の味と続く。他の料理本に比べ、スープにページを割いているのが特徴である。目次にもスープへの思いが表れている。他の食材は、食材に対して下に料理名が書いてあるのだが、スープは1つ1つのスープの名の下にそのポイントが書かれているのである。

本文は、1つ1つの料理が見開きで収まっている。左のページに写真と材料の分量、作り方があるというのは、どの料理本でも同じだが、右のページには1つ1つの食材と料理に対するの著者の考えがまとめられていて、なぜそのように調理するのかの根底の理由がわかるようになっている。特に、「レシピで言わないコツ」にまとめられた数行が深い。おっくうがらずにひと手間かけることの意味を考えさせられる。

料理本は、料理名で引き、辞書のように使うものだと思っていた。本書ももちろんそのように使えるのであるが、一度じっくり座って最初から読んでみても味わえる。また、手順を調べるだけでなく、その料理を作るたびに見開きを深く深く読んでみるとよい。

2冊の料理本、そして、辰巳氏の料理理論に貫かれているのは、料理は、「1にも2にも、練習、稽古」であり、「1回こっきりではなく、何度も繰り返し作り、自分のものに」するということではないだろうか。それは料理に限らず、何かを身につける基本なのだと思う。私はまだ何も極めてはおらず、その意味で、この本にしても人生にしてもほんの数ページを開いただけのような気がする。急にすべてを変えるのは難しいが、1つ1つできることから大切にしていきたいものである。

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紙の本

働く幸せ 仕事でいちばん大切なこと

人間の究極の幸せは

16人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

まずは、帯のこの言葉に惹かれた。

  人間の究極の幸せは、
  人に愛されること、
  人にほめられること、
  人の役に立つこと、
  人から必要とされること。
  働くことによって
  この4つの幸せを
  得ることができる―。

シンプルに、まっすぐに、飛び込んでくる言葉だった。

日本理化学工業株式会社は、チョークづくりに取り組んできた
社員74人の小さな会社で、社員の7割は知的障害者である。

1958年に、2人の15歳の知的障害者を雇用したのがはじまりだった。

『日本でいちばん大切にしたい会社』で紹介されて以来、
マスコミで取り上げられるようになったので、ご存知の方もいらっしゃることだろう。

創業者である父のあとを継いだ大山泰弘氏は、知的障害者の雇用をした頃は、
知的障害者に対する理解や障害者雇用に対する理念は持っていなかったという。

ところが、彼らから「働く」ことの意味を教わることになった。

近年のニュースを見聞きするなかで、社会全体が
「働く」ということの意味を見失ってしまったのではないかと感じた大山氏は、
「働く幸せ」、働くことの原点を見つめなおす必要が
あるのではないかと考え、本書を記したのである。

  私は、会社とは社員に「働く幸せ」をもたらす場所だと考えています。

  もちろん、会社を存続させるためには利益を出すことが絶対条件です。

  しかし、利益第一主義で「働く幸せ」を度外視してしまうと、
  会社が永続的に発展する力が失われてしまうでしょう。

  その意味で、私は仕事でいちばん大切なのは「働く幸せ」だと考えているのです。

本書は、プロローグと6章の本文から成っている。

プロローグ 知的障害者に導かれたわが人生
第1章 「逆境」を最大限に活かす
第2章 働いてこそ幸せになれる
第3章 地域に支えられて
第4章 幸せを感じてこそ成長する
第5章 「働く幸せ」を広げるために
第6章 会社は、人に幸せをもたらす場所

各章のキーワードを切り口として、日本理化学工業株式会社の歴史を語っている。

第1章では、東京都立青鳥(せいちょう)養護学校の先生が
生徒の就職をお願いにやってきたときに語る言葉が印象的である。

それは無理な相談だと断った大山氏のところに再び訪ねてきた先生はこう言ったのだという。

  もう、就職をとは申しません。

  でも、せめて働く体験だけでもさせていただけませんか。

  あの子たちはこの先、施設に入ることになります。

  そうなれば一生、働くということを知らずに、この世を終わってしまう人となるのです。

なんという重い言葉だろうか。

そして、この事実は、当時に限らず、今も知的障害者の現実である。

第1章では、創業時代や大山氏自身の東大受験の挫折のエピソードまで遡る。

東大受験を失敗し、中央大学に入ったときに
「これからは逆境を甘んじて受け入れ、その境遇を最大限に活かす人生でいこう」
と決意したことが、その後の選択に影響したのだと、著者は振り返っている。

帯で紹介されていた言葉は、ある人の法要に出席したときに禅寺の住職が語った言葉だという。

  人間の幸せは、ものやお金ではありません。

  人間の究極の幸せは、次の4つです。

  その1つは、人に愛されること。

  2つは、人にほめられること。

  3つは、人の役に立つこと。

  そして最後に、人から必要とされること。

  障害者の方たちが、施設で保護されるより、企業で働きたいと願うのは、
  社会で必要とされて、本当を幸せを求める人間の証しなのです。

その言葉で、大山氏は、施設にいれば楽にすごすことができるはずなのに、
つらい思いをしてまで工場で働こうとする知的障害者たちの気持ちがわかったのである。

必要なときに必要なタイミングで人からのアドバイスをもらっていて、
しかも、著者はそれを素直に受け入れている。

それが、著者の、そして、この会社の成功だったのではないかと感じた。

第2章では、会社の中の障害者と知的障害者の軋轢が起きたときの対処方法、
障害者と健常者のどちらに軸足を置くのかの決断、
ビジネスと思いの両立、知的障害者だけで稼動する生産ラインの考案などが語られていく。

  その人の理解力にあったやり方を考えれば、
  知的障害者も健常者と同じ仕事をすることができます。

  彼らが「できない」のではありません。私たちの工夫が足りなかったのです。

これはひとつの会社の歴史であるだけではなく、
障害者雇用を考える上でも前向きな参考となる事例である。

第3章では地域との関係や新しい商品の開発などに触れている。

チョークといえば、学校で使われているものしかイメージができていなかったのだが、
子供用のお絵かきチョークもあったのかと新鮮な気持ちになった。

そして、第4章では、実際に働いていく中で、
知的障害者や健常者の社員がともにどのように成長してきたのかが書かれている。

  知的障害者たちは、たとえ上司の言うことであっても、
  納得できないことには従おうとはしないのです。

  「権力」は通用しないと言ってもいいかもしれません。

  そのかわり、指示の意味をきちんと理解して、納得したときには、
  健常者よりも生真面目にその仕事に取り組んでくれます。

  仕事がうまくいかないときや、障害者が言うことを聞いてくれないときには、
  自分の態度や指示の仕方を見直すようになります。

  そして、相手の立場にたって、相手に伝わるコミュニケーションをする力をつけていきます。
  
  「人のせいにできない」からこそ、自分を磨くようになるのです。

第5章は、障害者雇用制度への提言、
第6章ではそもそも経済とは企業とは働くこととは何なのかを問うている。

著者の語源へ鋭く迫る言葉が印象的である。

  「福祉」を広辞苑でひくと、「幸福」とあります。

  そもそも「福祉」の「福」も「祉」も、両方とも「幸せ」という意味なんだそうです。

  そして、「福」は主に物質的(お金も含めて)な豊かさを表し、
  「祉」は主に心の豊かさを表すといいます。

  ですから、福祉とは、ものと心、両方の豊かさをあわせもった「幸せ」ということになります。

この幸せそのものの意味を持つテーマに自分は関わっているのだ。

そのことの意味を考えさせられた。

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紙の本

西の魔女が死んだ

紙の本西の魔女が死んだ

2010/07/21 23:33

「魔女は自分で決めるんですよ。分かっていますね」/「だって、この道きり、ほかにないんだもの……」

15人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書には、「西の魔女が死んだ」と「渡りの一日」の
ふたつの物語が収録されている。

「西の魔女が死んだ」では、
「西の魔女」(おばあちゃん)が倒れたと知らされて、
ママの車でおばあちゃんのお家に向かうまでの約6時間、
2年前のおばあちゃんと過ごした1か月の日々を
主人公・まいが思い出している。

おばあちゃんは英国人で、
しかも、ママが「あの人は本物の魔女よ」と言ったことから、
まいとママふたりだけのときは、
おばあちゃんを「西の魔女」と呼ぶようになった。

当時中学1年生だったまいは、
「わたしはもう学校へは行かない。
あそこは私に苦痛を与える場でしかないの」
と宣言し、学校に行かなかった。

ママは理由を聞かず、
おばあちゃんのところでゆっくりさせるという選択をする。

まいは、おばあちゃんとの生活で、植物の名前を覚えたり、
野イチゴを摘んでジャムにしたり、鶏の卵を取ってきたり、
自然になじんだ生活をしていくようになる。

まいは、おばあちゃんから自分の祖母が
予知能力や透視の力を持っていたと聞かされる。

それをきいたまいは、
もし、そういった能力が出てきたら
ちょっと怖いような気がするけれど、
もう学校のことでこんなつらい思いをしなくても
すむんじゃないだろうかと思い、
自分もがんばったら、
その超能力が持てるようになるかしらとおばあちゃんに訊く。

まいには生まれつきそういう力があるわけではないので
相当の努力が必要といわれるが、
魔女になるための基礎トレーニングをすることになるのだ。

それは、精神力を付けること。

正しい方向をきちんとキャッチするアンテナをしっかりと立てて、
身体と心がそれをしっかり受け止めるようになること。

こうやってあらためてあらすじを書き出しながら、
そうかと気づいた。

これは、すでに起こるとわかっていた来るべきことに耐えうる心を
まいがもつための訓練でもあったのだ。

おばあちゃんは、
「一つ、いつ起きると分かっていることがあります」
と言っていた。

そう、彼女は知っていたのだ。

だからこそ、魔女のレッスンがあったのではないか。

人は死んだらどうなるのかという問いに対する、魂についての説明。

魂は身体を持つことによってしか物事を体験できない。

体験によってしか魂は成長できない。

成長を求めて生まれてくるのが魂の本質だ。

こういった、スピリチュアル系の本に書かれていそうなことが
どんどん出てくるが、
これを押し通そうというものでもない。

おばあちゃんは、このように考えているし、
まいの両親はまた違う物事のとらえ方をする人である。

まい自身は、どちらもバランス良く
無理せず受け入れているようなところがある。

そういった異なる考えをどれも包み込むように
共存させているような穏やかな力が
この作品世界全体を支えている。

直観の扱いやネガティブな感情に対する処し方など、
1か月で様々な経験をして、学ぶことになる。

パパの単身赴任先で、ママと一緒に住むことを選択する、
つまりは、新しい学校に転校することを選択したまいは、
おばあちゃんのところを去ることになるのだが、
おばあちゃんとあることでぶつかってしまい、
少しわだかまりを残してわかれることになってしまった。

そしてその後、2年間、「魔女が―倒れた。もうだめみたい」
と言われ、会いに行くまで、
両親も彼女も一度もおばあちゃんのところを訪ねていなかったのだ。

あんなに好きだったあの場所を思い出さなかった2年間。

最後だと分からずに別れた相手に対して、
やり残したこと、言い残したことがあったとき、
なんともやりきれない気持ちになる。

本書ではほとんど語られることのない、
おばあちゃんとママ、つまりは、母と娘は、
おばあちゃんとまい、よりも
もっと葛藤や思いがあったのかもしれない。

ママの悲しみ方に、描かれなかった物語の存在を感じた。

旅立った魂は、残された者に、
その人だけに分かる方法でメッセージを残すことがある。

それは、残された者が旅立った者を思う気持ちと受け取る心が
そのギフトに気付かせ、受け取らせるのだろうと思う。

本書にもそのようなメッセージが少なくとも3度現れる。

そのギフトは、残された者の後悔の気持ちや葛藤を和らげるのだ。

残るのは、愛されていたこと、愛していたこと。

「渡りの一日」は、新しい中学校での友人ショウコとまいの一日の物語。

予定通りに事が運ばないことを望まない、
というよりも、なぜか思った通りに事を運んでしまう、まいのことを
不思議に思ったショウコが、あえて予定を覆すような行動に出るのだが・・・。

ユーモラスにして、結局、人は望む場所に向かってしまうんだなぁというお話。

まいは、おばあちゃんに、
「魔女は自分で決めるんですよ。分かっていますね」
と言われていた。

まいは、本当に求めていたものに最終的に出会えたという経験を通して、
その出会えたものが発するメッセージを、一つの方向を目指す強力なエネルギーを
「だって、この道きり、ほかにないんだもの……」という思いで受け止める。

本書を私に薦めてくれたのは、私の妹だった。

私自身が大きな喪失経験をしてから少し後のことだったと思う。

「私はどうしてこうなんだ…」的なことは、
彼女に言ってしまうことがあった。

どこか魔女なところがある彼女は、
「結局は自分で選んでいるんだよ」と言い切る。

その通り。わかっているんだけどね…。

「結構流行っている本だよ。
お姉ちゃんは読まないかもしれないけど…」
という無理には薦めないというスタンスでの紹介だったので、
そのときは手にしなかった。

今落ち着いてから本書を読んで良かったと思うし、
おかげで、妹が本書を薦めてくれた意味を
心から味わうことができたと思っている。

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紙の本

12星座

紙の本12星座

2008/12/08 23:50

「なぜ私は占いをするのか」と問いながら書かれた本

14人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著者の石井ゆかりさんは、「星占い等テキストコンテンツサイト 筋トレ」 の主宰です。

筋トレの2000年3月21日からのアクセス数は、2008年12月8日21時30分時点で13,913,502という驚異的な数値を記録しています。この本が出版されたのはちょうど1年前で、カバーには、800万アクセスと書かれているわけですから、1年でほぼ1.5倍になっています。毎週更新される週報は、いったい何人の人が見に訪れていることか。

私自身は、週報は見たり見なかったりですが、「今週の空模様。」と「○○座の空模様。」の週に13種類しかストーリーがないはずが、今週の空模様や自分の星座の空模様に、「これは私のことですか?」と思う記述に出会うことがあります。毎回というわけではないけれど、重なったときは、心臓をすっとつかまれたような不思議な気持ちになります。

彼女のコンテンツは、星占いのようで星占いではありません。彼女自身が使っている「星占い等テキストコンテンツ」という言葉がとってもぴったりきます。

星占いという手法を用いてはいるけれど、星の動きから読み取ったことを大量のテキストで書いてあるので、「占いを読んでいる」というよりも、「彼女が星を通して見たことを彼女が表現して書いた言葉を通して読んでいる」、それが時として「私のことを描き出している」と思って読んできました。

いつだったか、どこだったか、ここにリンクを出せないのですが、石井ゆかりさんが本当は占いをやりたかったわけではないと書いていたことがありました。自分のテキストは占いの要素が入っているから読んでもらえているけれど、本当は、自分は占いなしの自分の言葉で勝負したかった・・・といったような、普段のテキストから感じられる彼女の穏やかなイメージとは違うかなり激しいものであったと記憶しています。

彼女がそういう葛藤の中にあることを、私はそれを読むまで想像もしていませんでした。

この本が書かれた頃と葛藤が強かった時期は重なるのではないかと記憶しています。

『「星占い」のこと。』の章では、「星占いが「当たる」ことはなんの裏づけもなく、未来を正確に予知できることも証明されていない」、「自分が星占いを信じているかと聞かれれば、信じていませんと、お答えします」といった事が書かれています。「現実に起こる事象との相関関係を証明できない「占い」を、単に昔から存在するというだけで、「信じる」のは、理性的であるべき人間として、間違った態度だと思います」とまで書いています。ではなぜ占いをするのかということについては、まだハッキリした答えが持てないでいます」とも。

この章の中で4回出てくる表現があります。それは、人間は弱い存在だということ。

「占いなどなくてもまったく困らない、という生き方、考え方が、絶対に正しい」と思いながら、「人間のもうひとつの真実である「弱さ」の側で、なんの理性的根拠もない「占い」に携わっている」。これが、この章の彼女の締めの言葉でした。

著者は占いをすることについて、悩みながら、迷いながら、でも、持っているすべてを出し切った本であったのだと思います。

次に、「○○座というのは自分が生まれたときに太陽が○○座にあったということ」とか「12星座を10個の天体が時計の針のように動く」とか「スタートラインは牡羊座の0度」といったような「星占いの基本的な考え方」を「しくみ」として説明していきます。

ある惑星がある星座にあれば、その惑星が扱う世界においてその星座的なしくみが組み込まれているという見方です。

このあたりは、星座占いの基本的な情報なのですが、そこに「彼女の言葉」での説明があるのですね。

どんな基本事項でも、説明する人によってなんとなく色が出るものだなと思います。

この本を貫くのは、牡羊座から魚座までを一人の人間の一生になぞらえて語るやり方を踏襲して描かれたひとつのフェアリーテイルです。

12星座は、バラバラに独立した分類ではなく、星座と星座は鎖輪のようにつながっていて、12星座全体でひとつの流れを持つ物語になっているという捉え方です。

「フェアリーテイル」を通読すると、12星座を循環する人生として読むことができます。

各12星座の章は、「フェアリーテイル」、「しくみ」、「各星座を象徴とすることば(たとえば、牡羊座では「過去との関係」、牡牛座では「快美の感覚」のような。)」、「神話」、「スケッチ」、「メッセージ」という互いに独立した同じ構成を持った章になっています。

各星座の「しくみ」は、「フェアリーテイル」の種明かしのような位置づけで、そこを読むと、「フェアリーテイル」が暗示していたことの意味がわかり、同時に、自分の人生に起こった象徴的な出来事を思い出します。

自分の星座やよく知っている人の星座のページを読んでにやりとしつつ、自分の星座の「スケッチ」や「メッセージ」で、石井ゆかりさんは、やはり私に話しかけてくれているような気がしたり・・・。最も落ち込んでいるときに本質を思い出させてもらって励まされたり、自分が自分の星座でよかったなぁと深く深く思ったのでした。やはり私も「弱い人間」ということなのですね。

その弱さのある自分も人も、強さも弱さも喜びも悲しみも清濁併せ呑み、愛し、いつくしめる人になりたいものだと、自分の星座へのメッセージを読むといつも思うのです。

通読一度で終わるのではなく、なんとなく、読み返してみることがあったり、ひとつぶで何通りもの味わいが可能です。

そして、私は、彼女がつむぎだす占いの物語だけでなく、彼女の長い味わいのあるテキストそのものがやはり好きだなと思うのです。

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紙の本

大好きな人が振り向いてくれる本 ムリめの彼・気のない彼・愛が冷めた彼

アファメーションに使えそうな魔法の言葉

15人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

赤やピンクのパステルカラーの表紙たち。

もうお年頃は過ぎたでしょと自分に突っ込みを入れながらも、
女子本の前で立ち止まってしまうことがある。

平積みになっていた他の本の上にたった1冊だけ置いてあったこの本。

タイトルが、あまりにストレートだった。

副題も、ちょっと、ささった、かな。

でも、この本を手に取らせた決定的なひと言は、見返しにあったのだ。

  あなたの恋がうまくいく
  "魔法の言葉"があります。それは・・・・・・

  「私はあなたが好き。
   私は一人でいても楽しくて幸せ」

もともとノウハウ本は、そのテクニックのために読むというよりも、
一本筋が通ったものが好きだった。

ノウハウのすべてをまねするつもりはないけれど、
その哲学をどうやって表現しているのかに
興味をもてたものは手にしてみる。

たいていは、誰かを好きになると、自分はまるで病気みたいになる。
早く日常に戻らなければと思うくらいにコワレル。

追いかけすぎて、自分の価値を下げすぎて、
失敗に終わった恋の残骸が心の片隅に棲んでいてため息が出る。

それでも、まだ私は、おひとりさまシリーズを読む勇気はないし、
さりとて、婚活というモードでもない。

愛し愛され、幸せになりたいものだと、傷を癒しながらも、
そういう思いがようやっと芽生えだしたというところだろうか。


著者には、4年間思いつづけた人がいた。

  彼は私の生きる希望で、どんなことをしても彼の彼女になりたかった。
  彼と仲よくなって、好きになってもらって、
  彼女にしてもらうためなら、なんでもする! と思っていました。

  彼には私の愛の大きさ、真剣さをいつも伝えていて、
  彼のためにはかならず予定をあけましたし、
  モーニングコールも留守番もし、いつでも喜んで家に泊め、
  料理もつくりました。

  だけど彼にはつねに彼女がいました。

  別れてもすぐに次の彼女ができました。

  いくら待っても私は、彼女候補にさえなることができませんでした。

  どうしたら、彼は私を愛してくれるのだろう。

  どうしたら彼女になれるのだろう。

  なんと4年間。4年間も、毎日毎日そう思いつづけていました。

  (はじめに より)

著者は、彼のことをいろいろな友達に相談し、
毎日思いつめ、初対面の人にまで相談したのだが、
誰も彼女の問いに答えられなかったのだという。

人の魅力に興味があった著者は、キャバクラやクラブで働きながら、
ママや人気ホステスに男性のあしらいかたを、
お客や男性の友だちに男性の感覚や発想を、リサーチをした。

徹底的なインタビュー調査、
そして、答えが公式として天啓のようにわかったとまでくると
これはもう彼女の研究テーマであるかのようだ。

「はじめに」にこめられた、思いや情熱も、
この本を読ませる原動力となった。

彼女の今の成果にあやかりたい、というよりも、
彼女のかつての一途さや不器用な生き方に動かされたような気がした。

「彼を振り向かせるために必要な3つのこと」や「男性の7つの性質」や
「恋愛方程式の解」など、覚えやすいように法則化しているのだが、

無理やり、3つや7つにまとめたという感じではなくて、
経験に裏打ちされ、ひらめきとさらなる熟考で練られた中身には
説得力と納得感があるのだ。

恋愛における力関係を段階で表すなど、
人間関係力学的にもよく研究されている。

しかし、まぁ、こうやって読んでいくと、
過去の私は(今もか?)、とってもとっても痛い女なのだ。

思い当たる節が多すぎて大変困った。

ノウハウが小手先のテクニックではなくて、
人間関係の基本的なところをきちんと押さえているので、
痛い自分を素直に反省できるのである。

「心の命柱」などの命名センスも、ステキなのである。

ちなみにこれは、こういう意味である。

  多かれ少なかれ人はだれかに完全に受け入れられたいと思っていて、
  その部分を出せる、わかってくれる人を、
  無意識でさがしつづけているように思います。

  「命柱」とは、人に分かってもらえないと思っていて、
  だけどすごく大切にしている
  繊細な「感情」のような、心の場所です。

  (p.54)

わが身を振り返り痛くなるばかりではなく、
勇気をくれる言葉もたくさんあった。

最後に、今の自分はまだそうできているというわけではないけれど、
そうありたいと思わせてくれた言葉を4つ引用したいと思う。

  「私を好きになるのも、キライになるのも自由」と、
  相手の意思を尊重できれば、愛されつづけます。

  なぜなら、あなたが空気のように軽やかで、
  彼は自由でいられるから。 (p.161)


  彼がどうあるかは、彼の問題です。

  あなたは「この状態の彼に対して、どうしようか」
  ということだけに、全責任をもってください。

  「あなたがどうあるか」を選ぶ自由は、
  すべてあなたにあるのです。 (p.165)


  結果がどうなってもいい! と本当に思えたら、
  してはいけないことなどなくなります。 (p.217)


  あえて願いをもたず、「今」「できること」
  「したいこと」「すべきこと」をしていれば、
  あとは勝手になるようになっていきます。

  もしあなたが心からの願いを生きていたら、あなたが「今」になり、
  あなたと願いは一つになって、
  あなたが「願いそのもの」になります。 (あとがき)

「私はあなたが好き。私は一人でいても楽しくて幸せ」は、
アファメーションに使えそうな魔法の言葉だと思った。

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紙の本

海炭市叙景

紙の本海炭市叙景

2010/12/18 23:50

変わりゆく海と炭鉱しかなかった街で生き抜いていく市井の人々の物語

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書のタイトルを初めて聞いたのは、昨日のインターネットラジオottava。

最初音で聞いた瞬間は、漢字変換できなかった。

「かいたんしじょけい」は、ただ音として飛び込んできたのだ。

普通の人々の生活を描いた物語で、
舞台となった街は著者の故郷の函館市をモデルとしていて、
映画は函館市の人たちの協力によって作られたという。

ハードカバーは絶版になっていたが、映画化を契機に文庫化されたと。

気になったので、そのままひらがなで検索をかけた。

一番上にヒットしたのは、映画「海炭市叙景」の公式サイト。

東京での封切りは、12月18日(土)渋谷ユーロスペース。

その後の予定はすぐに決まった。

本屋に原作本を買いに行こう。

そして、映画も観に行こう。

原作は、映画を見る前に半分、見終わった後に半分読んだ。

映画のパンフレットもしっかりと読み、
さらに映画をもう一度見たい気持ちになっている。

原作の時代設定は1980年代後半で、
映画は現在を描いているが、違和感はない。

原作は第1章「物語のはじまった崖」9編で冬を、
第2章「物語は何も語らず」9編で春を描いている。

本当は、第3章9編で夏を、第4章9編で秋を描き、
計36編で海炭市の四季を描く構想だったのだが、
著者の佐藤泰志氏は自死してしまい、それは叶わなかった。

海炭市叙景は、未完の作品なのである。

映画は18編の中から5編を選び
他の短編の要素も入れ込んだ形になっており、季節は冬のみだ。

原作の18編の短編の主人公たちは、
お互いに濃密なかかわりがあるわけではないのだが、
同じ街で同じ時代を生きている人々として緩やかにつながっている。

小説と映画で、そのつながりの描き方は異なっているのだが、
どちらもその手法を生かしてつながりを表現している。

映画は本当にはっとする方法で、すべての物語が交錯する。

私たちは普段意識していないけれど、
それぞれの人生の物語を持つ人々と共演しながら
日々を過ごしているのだなと感じた。

最初の物語であり、冬の章の他の主人公たちの意識にものぼる
事件として描かれることになる「まだ若い廃墟」は、
初日の出を見に行った兄と妹の物語。

兄の勤めていた小さな炭鉱は閉山して、
兄は失業し、兄妹は日々の暮らしもやっとの状況。

母親は幼い時に家を出てしまった。

父親も鉱夫で事故で死んでしまった。

兄は父の死後に高校を中退して見習い鉱夫になった。

以来働き続け、兄と妹だけで生活してきた。

兄妹は、初日の出を見に行こうと、
ありったけのお金を持ってアパートを出た。

行きは一緒にロープウェイで山をのぼった。

日の出を黙って見つめていた兄。

帰りのロープウェイに乗る時に兄は
残った小銭で切符を一枚しか買ってこなかった。

自分は遊歩道から歩いて降りるという。

ふもとですぐに会えるからと言って別れる。

この別れのシーンは、映画では兄の表情がとても印象的だった。

妹はロープウェイのふもとのベンチで兄を待っていた。

もう6時間。

このエピソードが冬の章全体を貫く。

  元々、海と炭鉱しかない街だ。それに造船所と国鉄だった。

  そのどれもが、将来性を失っているのは子供でも知っていた。

  今では国鉄はJRになってしまったし、
  造船所はボーナスの大幅カットと合理化をめぐって
  長期のストライキに突入したままだ。

  兄の炭鉱でも、将来の見通しを一番身近に感じていたのは、
  おそらく組合員自身だったろう。

  街は観光客のおこぼれに頼る他ない。

時代設定が異なる映画では、兄は造船所を解雇された設定だ。

だが、この最初のエピソードに出てくる
海炭市のイメージそのままなので、その設定変更も気にならなかった。

全編を通して、大きな事件が起こるわけではないが、
どこか閉塞感がある日々。

最初のエピソードも兄が遭難するところを描いたりしたら、
「事件が起こる物語」のように読めるのだが、
これはそういう描き方ではないのだ。

むしろ何かが起こる前や起こった後を
切りとっていたりするようでもある。

どこかうまくいかなかったり、ぱっとしなかったり。

主役級というよりは通行人のような人々。

それでも、みんなそれぞれの物語を持っている。

人々は自分なりの信念を持って生きている。

どこかずれていたりしても、その人なりに一生懸命だ。

著者のひとりひとりの主人公に対する距離感は、遠すぎず近すぎず。

主人公に対する他の人物の視点も織り込まれたりもするので、
主人公にすら肩入れしすぎていないようにも思う。

でも、どの人物にも愛のあるまなざしを注いで描いていることが感じられる。

まっすぐな前向きな希望が見えるというわけではない。

特別な日が切り取られたのではなくて、
ありふれた日が切り取られたような物語は、
それでも彼らの日常は続いていくことを表しているように思う。

だが、希望が全くないというのも違う。

映画のエンディングに選ばれたシーンは、
原作ではある短編の終わりに当たるのだが、
それを象徴しているように思えた。

それでも生きていこう。自分なりの信念で。

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紙の本

ぼく、アスペルガーかもしれない。

これは、最強の啓発書かもしれない。

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

  僕の体はみんなと少し違います。

  スポーツカーやトラックのようにギアがついています。

  みんなのように、自動で切り替わるオートマティックではありません。

  何かを始めるにも、終わらせるにも、ギアを入れ替えたり、
  スイッチを入れたりしなくてはいけません。

中田大地くんの『僕の取扱説明書』は、こんな言葉で始まる。

自分の体をオートマ車じゃなくてマニュアル車だと見ている。

そして、「僕は時間がかかっても、この体をうまく運転できている」ようだと。

大地くんは、ひらがな、カタカナ、数字は誰も教えなくてもあっという間に覚え、
買い物や散歩の道で、目に入る看板やポスター、車のナンバーを
片っ端から読みながら歩いていた。

けれども、会話のほうはいまひとつで、オウム返しが多く、
問いかけにも不思議な答えしか返ってこなかったという。

むずかしい漢字を使ったお相撲さんの名前もかけるから、
周りには「頭のいい子ね~」と言われていたけれど、
お母さんは、大地くんは他の子とちょっと違うと気づいていたそうである。

そこから大地くんがどういう道を歩いてきたかは、
お母さんがつづった「大地のこれまで」にまとめられている。

本書の特徴であり核となる部分は、大地くんが自らの言葉で書いた
「僕の取扱説明書」、「自分との約束」、「栗林先生との約束」である。

彼は、自閉症という診断をまだもらったわけではない。

ご両親は、彼の診断についてこのように考えている。

  パパもママも先生も、自閉症を育ててるんじゃない。

  アスペルガーを育ててるんじゃない。大地を育てているの。

  お医者さんのところに行って「自閉症です」って言われても、急に困ることは起きない。

  だって生まれたときから自閉症だったんだから。

  これまでの大地のまま。何も変わらないでしょ?

  そしてもし自閉症じゃなくても、急にいいことが起きるわけじゃない。

  大人になるためのトレーニングが必要なのは同じ。

  大地は大地に合ったお勉強をしながらゆっくり大人になっていく。

  自閉症でも自閉症じゃなくても、そのことに変わりはないのよ。

診断が出ても出なくても変わらないことについて見事に集約している言葉である。

こういったことを大地くんに分かる言葉でご両親は伝え続けてきたのだと思う。

8歳の大地くんが語る言葉は、シンプルで本質的なことばかりだ。

無理をすると自分の体が動かなくなってしまうときがあるからこそ、
自分がどうしたらスムーズに起動でき、シャットダウンできるかを知っているのだ。

このあたりは、発達系、メンタル系の困難を持ち合わせている人に限らず、
ストレッサーに囲まれている現代社会人はみんなうまくやる必要があることだ。

  寝るときには、僕は全部の機能をシャットダウンしないと、気持ちよく眠れません。

  それまでは、嫌なことや困ったことは、ぜんぶ頭と心の隅に置き、閉じ込めてふたをします。

  すると、すぐに眠れます。

そして、何を頑張るか、どこまで頑張るのかも知っている。

そして、セルフ・エスティームを保った上で努力していくことも彼はきっとわかっている。

  僕は、頑張らないといけません。

  でも、無理はしなくていいのです。

  辛い時は、「ぼくは頑張れない」と、先生に言えるようになります。

  それでも、必要なことは頑張れるように、みんなと一緒に考えればいいのです。

  だから、僕は頑張り過ぎなくていいです。

誰かに相談して助けてもらうことを素直に受け取る。

  みんなが、僕の味方だということを僕は忘れてはいけない。

  僕の「困った」は、みんなで一緒に考えてもらいます。

このあたりは、自己啓発書に書いてある言葉のようにも見えてくる。

  僕を改造し、モデルチェンジをしていくためには、僕ひとりの考えではできないです。


  僕が大切に思う人たちは、僕を大切にしてくれていることを、僕は忘れてはいけない。

  僕が大切な人たちの話をきけなくなった時は、僕が僕をあきらめたときだ。僕はそこで終わることになる。

本や音楽からたくさんインプットしている彼の姿が見えるようで、
名言格言好きなところにも、親近感を覚える。

  「僕が僕らしくあるために、好きなことは好きと言える強さ」

  「我が敵は我にあり! 我、この道を進む!」

8歳・・・だよね、本当に。

そして、やりすぎがいけないこともちゃんと知っている。

  勉強、トレーニングはやりすぎに注意です。

  本の読みすぎに注意です。PCのやりすぎに注意です。

なんだか、見られているみたいだ・・・。

「ママや先生にムカついた時」の対処法には、脱帽である。

  僕は「やりなさい!」といわれるのが嫌です。

  僕の気持ちや都合を考えず、無理にやらせようとしているからです。

  その時は、どうして「やりなさい」と命令されたのかを聞きます。

  そして、僕はよく考えます。そして、納得して作業や勉強をします。

本からの話は聞けるけど、人からの話を聞くのは苦手なんだなぁ、これが。

自分の言葉に下ろしてくると聞けるんだけどね。

そして、彼の「自分との約束」は21個ある。

調子が悪いときとか元気が出ないときにはどうしたらいいか。

彼が8年間自分をやってきて見つけたことが書かれている。

21個目に書かれていることは、
少数派であることと多数派を学ぶ必要があることを見事に集約している。

  いろんな人がいる。いろんな考えの人がいる。いろんなやり方がある。みんな同じじゃない。

  僕が違うのではなくて、僕と同じような考える人が少ないだけ。これを少数派という。

  間違いではないし、普通じゃないわけじゃない。でも、みんなの事を僕は知らないといけない。

セルフエスティームを保ったままで、学び続けることの意味はこういうことだったんだ。

本を読む順番は、私以外の誰かが決めているのかもしれない。

カツマ本、べてる本、そして本書をほぼ同時期にこの順番で読めたことに感謝している。

統計中央値に当てはまらない自分に卑屈にならず、
かといって、違うことに必要以上に誇りも持たず、
自分のこともみんなのことも学び続けていこう。

素直にそう思わせてくれた1冊だ。

本書では、自閉症アスペルガーの本人のこと、子育てのこと、学校での支援のことを
大地くんの経験をもとに知ることができる。

それが一般的な読み方であろうが、私にとっては、最強の自己啓発書となった。

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紙の本

しろいうさぎとくろいうさぎ

紙の本しろいうさぎとくろいうさぎ

2009/06/18 22:52

多くを語らずとも愛を代弁してくれる1冊

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

海外絵本のロングセラーであるこの本は、
どこの本屋の絵本書架でも出会うことができる。

きっと地元の図書館にもずーっとずっとあったはずだ。

どれくらいロングセラーかというと、
原作の"The Rabbits' Wedding"が
ニューヨークで出版されたのが1958年、
この日本語版が出版されたのが1965年、
私が手にしているこの本は2009年4月1日の第141刷である。

このくろいうさぎがしろいうさぎにたんぽぽをかざってあげている絵は、
なんとなく記憶の片隅にあった。

くろいうさぎがしろいうさぎを見つめるまなざしがやさしい。

子どもの頃、学校の図書室か近くの図書館できっと見ていた絵なのだ。

視界には入っていて、目も合わせていて、
だけど当たり前のように地味にここにある本の輝きに
じっくりと読んでみるまでは気づかなかったのだ。

今回、改めてこの本を読んでみようと思ったのは、
結婚記念日にだんな様からこの本をいただいたというお話を
オンライン上で仲良くさせていただいている
お友達の日記で読んだからだった。

結婚記念日に本を贈ってくれるだんな様が
素敵でうらやましいと思ったのもあるけれど、
贈り手がどんな思いをこめてこの本を選んだのか
大いに興味があったのだ。

私は、この本は私にとってこんな本だったのだと
大いに語りたいだけでなく、
その人にとってその本はどんな本だったのかを
聞くのも想像するのも好きなのである。

読みかじって知った付加価値情報によって、
実際にその本を読みにいくのは、
書評で本を読みにいくのに似ていた。

全体的にくすんだ色調の世界である。

だからこそ、色が与えられたところは鮮やかに見える。

ていねいに描かれた絵は、
二匹のうさぎの毛の手ざわりや草の手ざわりが
伝わってくるようなぬくもりがある。

もわもわとした広い森と二匹のうさぎと黄色いたんぽぽの遠景。

カメラはその遠景から急にアップになる。

その二匹の毛の細やかさまで、顔の表情まで見える距離に
一気に近づくのは、それだけではっとさせられる。

たんぽぽも黄色いのと白くなりたての綿毛ともうふわふわの綿毛と。

たんぽぽがうさぎの次に細やかに描かれるのはすでに伏線なのだ。

しろいうさぎは遠くを見るような夢見がちの表情、
くろいうさぎは節目がちで最初からすでに考え込んでいる様子だ。

くすんだ景色の中で、ふたりだけの楽しい世界がそこにあった。

くろいうさぎは、楽しく遊んでいるときに悲しそうな顔で何度も座り込む。

しろいうさぎが「どうかしたの?」と聞いても、
「うん、ぼく、ちょっと、かんがえてたんだ」と
なかなか訳を話さない。

くろいうさぎは耳も寝てしまっていて、本当に悲しそうなんだ。

この悲しい顔で考え込むのは、実に4回も続く。

4回目にして、やっと、くろいうさぎは訳を話すのだが・・・。

それにしても、
くろいうさぎはオスで、しろいうさぎはメスなんだというのが
とてもよくわかるエピソードだ。

相手とずっと一緒にいたいと願ったとき、
オスは、それに伴う責任を思い、とてもとても悩んでしまう。

メスはというと、案外、肝が据わっている。

その言葉を聞いて、くろいうさぎの憂いを含んだ表情が、
一気に目を真ん丸くしたびっくりした表情に変わってしまうくらいの
衝撃の言葉を
しろいうさぎは、あっけらかんと口にする。

だけど、それがきっかけで、願い事は、悩み事から誓いへと変わるのだ。

くろいうさぎが本当にそうしたいと願ったとき、
しろいうさぎは本当にそうすると決める。

プロポーズの原型がここにあった。

二匹の耳に飾られたたんぽぽの黄色は満月の色よりも鮮やかに見える。

「これからさき、いつも、きみといっしょに いられますように!」

考えた末に真心をこめて口にしたこの言葉も、
そしてその前の憂いを含んだ悩みの表情もすべて
くろいうさぎのしろいうさぎへの愛だったのだ。

女性の方がはっきり物をいい、
男性は言葉を選んで選んで悩んでいるなんてことがよくあるけれど、
それでも、早く言いなさいよとかはっきりしなさいよなんて言わないで、
待ってあげるのがいいのかもしれないとも思った。

その意味で、くろいうさぎの誓いの言葉を引き出した
しろいうさぎの言葉は絶妙といえる。

女性はそのときそのときで今に対応すればいいやという
開き直りがあるけれど、
男性はきっとあらゆる可能性を前もって考えて本気で悩むのだと思う。

そして、頭の中の思いの多くは言葉にされない。

だけど、その考えている時間そのものがもう相手に捧げられているのだ。

言葉にされた思いだけではなく、その言葉にされる前の思いも大切なのだ。

ずっと仲良く暮らしていくことは、
お互いにそういうことをわかってあげることなのかもしれない。

本書は、多くを語らない口下手な男性の愛を代弁してくれる1冊である。

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紙の本

発達障害当事者研究 ゆっくりていねいにつながりたい

まずはその人の内面で何が起こっているのかを知るということ。その手がかりとなる一冊。

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は、アスペルガー症候群当事者と自認している綾屋紗月氏と
脳性まひ当事者の熊谷晋一郎氏の共著である。

テキストの中に熊谷氏が登場するのは7章のみで、
大部分の章を執筆しているのは綾屋氏である。
熊谷氏は、綾屋氏に問いかけ、対話をしていくことで
表現を引き出していく役割を果たしている。

綾屋氏と熊谷氏は、大学時代に手話サークルを通して知り合った友人で、
当時は綾屋氏はアスペルガー症候群との診断は受けていなかった。

綾屋氏は、当事者が書いた自伝に書いてあることが
自身の体験と驚くほど似ていたということから、
「アスペルガー症候群という概念を自分で発見」し、
10年ぶりに再会した熊谷氏に尋ねたのだそうだ。
「わたし、アスペルガー症候群だと思う?」と。

熊谷氏は、小児科医であるが、
児童精神医学についてのトレーニングは受けておらず、
自閉症の専門家でもない。

綾屋氏との共同研究において羅針盤にしているのは、
医師としての知識や経験ではなく、
脳性まひ当事者としての困難だったという。

熊谷氏は、アスペルガー症候群という概念は
どのようなものかを知る必要があると同時に、
アスペルガー症候群という概念では語りつくせない綾屋氏固有の体験を、
なるべくていねいに見分けなくてはならないと考えた。

「綾屋さんのその感覚、苦しさや喜びは、
自分の経験ではどれにちかいだろうか」、
「ほんとうに自分の感覚と同じだろうか」、
「質的には同じでも量的には違うのではないか」・・・。

この問いかけが綾屋氏の言葉を引き出した。

「その経験を等身大で表現しきれている概念はないだろうか」
という思いで、医学に限定せず、情報を検索し、
見つからなかったときは自分たちでことばをつくり共有する
という手法をとった。

こうして、自閉とは何かという問いに、オリジナルな説を与えた。

「意味や行動のまとめあげがゆっくり」であるということ。

綾屋氏は、2006年にアスペルガー症候群と診断されているが、
自身の体験のすべてが
「従来の」自閉症概念に収まるわけではないという可能性を
自覚しているため、
「発達障害」という言葉をタイトルに使っている。

  従来の自閉症概念に合うように私の体験を編集しなおすことなく、
  発達障害という大きい枠の中で自由に語ることから始め、
  その自由な<<私語り>>を起点に、
  従来の自閉症概念をずらしていくのが、
  この本の目的である。 (p.4)

本書は次のように構成されている。

はじめに 「まとめあげが、ゆっくりで、ていねい」という自閉観

1章 体の内側の声を聞く
 1 身体の自己紹介
 2 行動のスタートボタン
 3 具体的な行動のまとめあげ
 4 今日、寒いの?
 5 風邪かな、うつかな、疲れかな
2章 外界の声を聞く
 1 感覚飽和とは何か
 2 「身体外部の刺激」が飽和する
 3 「モノの自己紹介」が飽和する
 4 「アフォーダンス」が飽和する
 5 声があふれる日常
 6 感覚過敏・感覚鈍麻という言説の再検討
3章 夢か現か
 1 夢侵入
 2 夢への入り口
 3 夢の世界
 4 夢のあと
4章 ゆれる他者像、ほどける自己像
 1 所作の侵入
 2 キャラの侵入
 3 「行動のまとめあげパターン」と
   「意味のまとめあげパターン」の関係
 4 他者像の揺らぎ
 5 自己像のほつれ
 6 「普通のフリ=社交」の困難
5章 声の代わりを求めて
 1 私と声との物語
 2 話せない感覚
 3 聞こえない人びとの文化によるアシスト
 4 手話歌でうたえる
6章 夢から現へ
 1 東洋医学との接点
 2 食後の身体変化
 3 音での空間把握
 4 月光の効果
 5 草木の声
7章 「おいてけぼり」同士でつながる
 1 脳性まひ当事者の経験を重ねて
 2 便意の「まとめあがらなさ」
 3 電動車いすと「アフォーダンス」
 4 リハビリ中の「夢侵入」
 5 一人暮らしで「モノとつながる」
 6 「おいてけぼり」当事者同士でつながる
おわりに 同じでもなく違うでもなく

各節の副題まで書くと、さらにおもしろい表現があるのだが割愛した。

独特な表現の意味は、実際に本書を読んで確認していただくとして、
最後に最も印象的だった言葉を紹介したい。

  今でも、私にはときどき猛烈に「人恋しい」気持ちがやってくるし、
  いまだに「いったいあの楽しそうな様子とは、
  中にいるとどういう感じがするものなのだろう」という、
  楽しそうな集団への素朴で強烈な憧れが沸き起こる。

  このようにヒトとつながることへの憧れを抱くのは、
  もしかしたら、私がつながる満足感を知っているからかもしれない。

  私には植物や空や月とならば、つながっている感覚がある。

  心がかよい合い、開かれて満ちていく楽しさや充足感がある。

  それと同じように、もし人びとが集団のなかで、
  「自分が集団の一構成員として、
  主体的に輪の中に存在していることを自覚し、
  やりとりを重ねるうちに楽しいという気持ちが自然に湧き上がり、
  気持ちを他の構成員と共有する」という体験を
  味わえているのだとしたら、
  うらやましくてたまらないのである。

  (p.123-124)

ヒトと本当につながっている感覚は、
なかなか味わえるものではないと思う。

本当に味わったことがあるのかと問われると、
私自身は実はないのかもしれないとさえ思う。

綾屋氏は、本当に体の感覚が繊細な人で、
体中の痛みやそれに対応したときのすっきり感や、
何かを食べたときの体の反応を細かく感じる人である。

それが「あふれるような身体感覚」となり、
意味や行動につながっていきにくくなっている。

植物の声が聞こえることや
出産のときの月の影響のエピソードにあるように、
彼女が自然や空や月とつながっているというのも、
本当につながっているのだと思う。

何かが足りないことも生きにくさを生むが、
何かが多すぎることも生きにくさを生む。

敏感で、繊細で、純粋であることが生きにくさを生む。

「できないわけではない」、「ゆっくりていねいならできる」から、
「できるできない」という質的な二律背反ではなく、
「できるけれどもどれくらいの負担がともなうのか」という
量的な問題で伝える。
「できるけどしません」ということが大事だという。

これは、重度身体障害者の自立生活運動の根底となる考え方である。

発達障害の世界と重度の身体障害者の世界は離れている
と思っていたのだが、
自立生活の考え方が両者をつなぐことも発見だった。

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紙の本

最後だとわかっていたなら

紙の本最後だとわかっていたなら

2008/10/26 10:29

今を生きるということ

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロの後、
チェーンメールとして世界中に配信されたひとつの詩がありました。

この詩は、9.11のときに救出作業の途中に亡くなった
29歳の消防士が生前に書き残したの詩として伝わりましたが、
実際はお子さんを亡くした女性が我が子を偲んで書いた詩でした。

私がこの詩と本のことを知ったのは、今年の5月でした。
友人がSNSの日記で紹介していたからです。

検索してみるとブログでも紹介している人もいました。

ですから、ちょっと詩の内容を知りたいということでしたら、
検索で全文が分かります。

ですが、ちょっと詩を読んでみて、この詩に惹かれた人は
本として手元においておくことをお勧めします。

本のあとがきには、この詩の生まれた背景、
訳者がこの詩を日本語訳しようと思った背景が
書かれているからです。

本では、日本語訳と原文が写真を背景に
1フレーズずつ収められています。

どの写真もまるで言葉を持っているようで、
フレーズのどこかに強く惹かれる部分があれば、
写真の1枚にも強く惹かれる部分もあることでしょう。

この作品は、読んだ人それぞれに、
自分と身近な人とのエピソードを思い起こさせる内容です。

私は、亡くなった彼のことを思いました。

この詩をはじめて全部読んだのは、彼の四十九日の前でしたから、
その時期にこの詩に出会えたことには、
大きな意味があるのだろうと思います。

この詩を書いた著者も訳者も大切な人を亡くた経験を通して、
この言葉を紡ぎました。

そうやって紡がれた言葉が、それをそのとき必要としていた私の手に、
本になっていたからこそ届いたのです。

彼は、詩の中にあるような言葉を
家族や友達みんなに全部伝えて去ったのだなと思いました。

"I'm sorry."
"Please forgive me."
"thank you."
"it's okay."

そして、私には1年半をかけて、この言葉をくれました。

"I love you."

彼は、年数でいうと短い時間で旅立ってしまいました。

でも、この意味では、遣り残したことはなかったのだと思いました。

彼は、周りの大切な人に、愛する人に、
思いを出し惜しみすることなく、
まっすぐに伝えることができる人でした。

この本を読むたびに思うのです。

今を大切に生きようと。

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紙の本

青い城

紙の本青い城

2010/07/11 20:55

死を見つめたことではじめて生きたヴァランシー

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

最近、回想モードである。

思い当たる理由はいろいろとあるのだが、書評が600本を越えたのをきっかけに、
書評仲間のwildflowerさんとmarekuroさんが、
過去の書評から何点か選んで、感想をフィードバックしてくれることがそれに拍車をかけた。

私自身の書評は、2003年11月3日から始まっていて、
本日10周年を迎えたbk1さんの歴史の中では、
意外と初期からお世話になっていたことになるのだが、
投稿数が増えたのは、ここ1、2年のことである。

思い出すのは、書評を書くことをまだ知らなかった時代に読んでいて、
夢中になっていたり、大切だったりする本たちにまで及ぶ。

これは当時夢中になった本の意味をもう一度今の自分で確認する作業のように思う。

そして、やっぱり本質は変わっていないんだと確認する。

そうやって確認しようと思えるのも、このように書きとめる場があるからだろう。

さて、この『青い城』は、高校時代に取りつかれるように読んだ1冊だ。

モンゴメリが大人のために書いた作品という言葉に惹かれてのことだったと思う。

本書については、すでにまざあぐうすさんが素晴らしい書評をお書きになっている。

内容要約、印象的なセリフ、モンゴメリがどんな思いで本書を書いたのかなど、
もう書き尽くしていると言っていい。

それでも、私がこれを書いているのは、こうやって過去を思い出し、
自分の本書に対する思いを書ける場があってよかったとお伝えしたいためである。

ヴァランシー・スターリングは、29歳のオールド・ミス。

彼女は、実家で一族の者たちを顔色を窺うように生きているような女性だった。

具合の悪かった心臓を診てもらいに医者に会いに行ったのだが、
なんとその時は、医者の息子が事故に遭ったと連絡があったところ。

彼はすっかり動転してしまっていて、ヴァランシーはちゃんと診てもらえない。

医者にすらきちんと相手にされないのだと落ち込むヴァランシーだったが、
その後衝撃の手紙が彼女のところに届く。

そこには、狭心症のために余命1年と書かれていたのだ。

だが、彼女は、ここで大きく変わるのだ。

  死を恐れていないといっても、それを無視するわけにはいかない。
  ヴァランシーは、死を恨んでいた。
  生きてきたという実感もないのに、もう死ななくてはならないとは、いかにも不公平だ。
  暗闇の時間がすぎていくにつれ、彼女の心の中には反抗の炎が燃えあがってきた。
  それは、彼女に未来がないからではなく、過去がなかったからだ。
  (中略)
  あたしは、いつも、ぱっとしない、取るに足らない者だった。
  そう言えば、こんなことを何かで読んだことがあるわ。
  女には、それで一生幸福だと感じる一時間がある、
  それは、見つけようと思えば見つけられるものだ。
  でも、あたしには見つけられなかった。
  もう、決して見つけられないんだわ。
  ああ、もしその一時間があたしのものになったら、いつ死んでもいい。

この燃え上がるような気持ちに強く強く共感する。

私は、決して、抑えつけられて生きてきたわけではないのだが、
生きたい、生きたいと思ってしまうのだ。

この思いは何なのだろう。

彼女は、家を出て、「がなりやアベル」と呼ばれる老人の家に住み込み、
アベルの娘で、胸の病で余命いくばくもなく、また、過去の心の傷により、
ほぼ人づきあいをしなくなっていたシシィの看病をするのだ。

彼女自身も死を意識しながら、同じく死に臨もうとするシシィを看病する。

ふたりは心を開いていき、そして、ヴァランシーはシシィを看取る。

彼女が幸せそうに死んでいく姿をヴァランシーは「なんと美しい!」と思う。

実家に住んでいる頃から、なぜか気になる存在だったバーニイ・スネイスに、
彼女は病のことを打ち明け、自ら結婚を申し込む。

なぜなら、彼女は気づいてしまったから。

  今や、ヴァランシーは自分がバーニイを愛していることをはっきりと知った。
  きのうまでは、彼女は自分だけのものだった。だが、今はもうこの男のものだ。
  しかし、彼が何をしたわけでもない―何を言ったわけでもない。
  彼女を女と見てくれもしない。だが、それはどうでもいいのだ。
  彼女は無条件に彼を愛しているのだ。彼女の中のものすべてを彼に捧げるのだ。
  もはや、この愛をおさえつけたり、否定したりすまい。
  ヴァランシーは自分があまりにも完全に彼のものだという思いがして、
  彼以外のことを考えること―彼のことを考えずして物事を考えること―すら
  不可能な気がしていた。

もし、自分の命があと1年しかないのだとしたら、いったい自分は何をするだろう。

いや、自分の命が1年しかないとして後悔しない生き方を自分は今しているの?

そう考えずにはいられない。

ヴァランシーに深く共感する点は、さらに2つある。

ひとつは、タイトルにもある「青い城」の存在だ。

現実がどんなに苦しくても、誰しも、自分だけの世界を持っている。
たとえ、呼び名は違っても。

そして、心の支えとして、本があったこと。

彼女は、ジョン・フォスターの本の影響を受け、
その本の言葉が、決断を促したり、
過去のしがらみに戻りそうになってしまったときに気づかせてくれたりする。

「世の中のほとんどすべての悪は、その根源に、
だれかが何かを恐れているという事実がある」や

「もしあなたがある人と、三十分間口をきかずに座っていられて、
その上なんの気まずさもないのなら、あなた方二人は友達になれる」など。

作中作家であるジョン・フォスターは、印象的な言葉を残している。

自分にとってちょっと意外だったのは、
本書の語り口がかなりの毒舌で辛口だったことだろうか。

私は毒の強いものはダメだと思っていたのだがそうでもなかったらしい。

身近なある友人に似ているこの語り口をにやりとしながら読了した次第だ。

その友人とモンゴメリはどこか似ているのかもしれないと思ったのだった。

自分の心の支えとしての自分だけの世界と本と本読み本語りを共にできる友だちの存在。

リアルはいろいろなことがあったし、これからもいろいろなことがある人生だけれども、
本当に必要なものはちゃんと求めてきたし、ここにあるんだと感謝したいと思った。

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紙の本

人を助けるとはどういうことか 本当の「協力関係」をつくる7つの原則

紙の本人を助けるとはどういうことか 本当の「協力関係」をつくる7つの原則

2010/02/09 01:37

心理的葛藤を越えて

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は、Edgar H. Scheinの
『Helping : How to Offer, Give, and Receive Help』の翻訳書である。

邦題は、原題とは若干異なり、
主題を『人を助けるとはどういうことか』、
副題を『本当の「協力関係」をつくる7つの原則 』としている。

『人を助けるとはどういうことか』の部分で、
『Helping : How to Offer, Give, and Receive Help』の部分を表現し、
『本当の「協力関係」をつくる7つの原則 』は、
最後のまとめにあたる章タイトル
「支援関係における7つの原則とコツ」から来ているのであろう。

訳者は、タイトルや主な訳語についてこのように説明している。

  ヘルプは「支援」、
  ヘルピングは「支援行為」と本書では訳しているが、
  いちばんいい日常語は、「相手の役に立つこと」。

  そして相手にそう思ってもらえる行為がヘルピングである。

  相手(クライアント)のイニシアティブや自律性を尊重しつつ、
  相手がうまく問題解決するプロセスを与えることが、
  本書では重視されている。

  そのため、専門書では「援助」と訳されることが多いが、
  「支援」という訳語を選ばせてもらった。

この説明は非常に参考になり、
また、「援助」ではなく「支援」という訳語を選んだのは、
正解であったのと思うのだが、
肝心のタイトルは、実は、元を素直に訳した方が、
本書の意図が伝わったのではないかと、私は思う。

『How to Offer, Give, and Receive Help』の部分を
本文で端的に表しているのは、この部分である。

  支援を効果的に申し出て、提供し、受け取るために、
  ほかの活動から移行する能力や、
  支援したり支援されたりといった態勢を整える能力も
  われわれには必要である。

  (p.231)

『支援学:支援を効果的に申し出て、提供し、受け取る方法』の方が、
支援は、与えるだけではなく、
頼むことも、受け取ることも同じくらい大事で、
それには方法があるんだという
著者の論点がタイトルでわかると思うのだ。

目次、7つの原則、本書が誰に向けて書かれているかに関する監訳者の考察、
監訳者あとがきに著者の経歴がかなり詳しく書かれていることについては
すべてmarekuro氏の書評に詳しい。

本書が妻の介護をしながら書かれていることについても
すでに書かれている。

本書の献辞には、
「今は亡き妻のメアリーへ 
 きみは支援について、私が知るべきことを全て教えてくれた」
とある。

本書に挿入された著者と奥さんとのエピソードは
その通りであることを物語っている。

訳者のあとがきで紹介されているように、
前著にまとめられた「プロセス・コンサルテーションの10原則」が
著者が本書をまとめるにあたって大きく影響している。

10原則の方が、若干、ビジネス書的というのか、
タイトルだけ読んでも中身が分かるようになっていて、
わかりやすいかもしれない。

支援関係における7つの原則は、
marekuro氏が掲載したものを参照してほしい。

さらにこの行間に18のコツがあり、
第9章までに述べられたエッセンスが注ぎ込まれるような構成になっている。

間に挟まれているエピソードは、
すでにここに来るまでに何回か読んでいるものもあるので、
それがこのように原則に結実されているのかと分かる。

原則だけではどういうことだろうということも
中身を読むとたいていは自身の経験に引き寄せて
考えることができる内容である。

実は私は頭から読み通してしまったのだが、
本書は読む順番を変えた方が理解しやすいのではないかと思う。

「監訳者序文」と「まえがき」と「第1章」で
本書の概略をつかんだあとに、

「最後に」と「監訳者解説」で
意図の確認と著者の経歴の詳細を知る。

次に、「プロセス・コンサルテーションの10原則」で
著者の主張をビジネス書的に受けとり、

第9章の「支援関係における7つの原則」を読み、
そして、第2章から第8章まで読む。

そして、最後にもう一度第9章を読む。

そうしておけば、
第2章から第8章までに展開される中身の行き着く先や
どうつながっているかがわかって、
落ち着いて速く読めたのではないかと感じている。

第9章の冒頭は、こんな言葉で始まっている。

これは、おそらくは本書の核であり、
これを言うがために全編が書かれたと思われるような
すべてを貫く言葉である。

  支援とは、ありふれているが、複雑なプロセスだ。

  それは態度であり、行動であり、スキルであり、
  社会生活に不可欠な要素でもある。

  また、われわれがチームワークとして
  考えているものの核であり、
  組織の有効性には欠かせない要素でもある。

  そしてリーダーが行うべき最も重要なものの一つであり、
  変革のプロセスの根幹でもあるのだ。

  しかし、支援は失敗する場合が多い。

  (p.230)

私自身は専門的な援助職ではないが、個人的な関係において、
介助するされるとか、与える受け取るなどを自然と考えてきたように思う。

支援を求める立場はワンダウンで、
支援を与える立場はアンアップというダイナミクスは、
意識したくはなかったが、経験上痛いほどに感じていた。

しかも、その経験が人生の一番つらい時期ともぶつかったため
読んでいること自体が苦しかった。

(こういった意味でも、私は、第9章の後に
第2章を読んだ方がよかったのかもしれない。)

だが、本書は、ダイナミクスを意識した上で、
効果的な支援を生み出す方法が提示されているのだ。

私は自身の過去の経験から「与える」と「受け取る」は
等価であるという理解をしていた。

いや、等価であると信じたかったのである。

上下関係が発生するようなことは
認めたくないような心理が働いていたのだ。

本書を読むことを通して、支援をする人、される人が、
自然と最初から水平的な対等なネットワークをもてるということではなく、
そのままではワンダウン/ワンアップが生じるけれども、
原則を受けて配慮すれば
良い支援関係が作れるということを学ぶことができたのだ。

「与える」と「受け取る」が等価になるのは、
双方の努力により良い支援関係が築けたときなのだ。

心理的葛藤を越えて
本書を読み通すことができてよかったと感じている。

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