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紙の本
時が止まっている意味
2009/07/16 23:04
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:wildcat - この投稿者のレビュー一覧を見る
本作・『屋根裏部屋の秘密』は、
「直樹とゆう子の物語」の第4作目に当たる。
この作品は、最初から5部作を意図して書かれたわけではない。
取材して得たものを、思いの命ずるままに
作品としてまとめあげていったら、作品群となったのだ。
最初の3作品の出版年とふたりの年齢を並べてみる。
『ふたりのイーダ』(1969年)
直樹:小学校4年生、ゆう子:もう少しで3歳
『死の国からのバトン』(1976年)
直樹:小学校6年生、ゆう子:5歳
『私のアンネ=フランク』(1979年)
直樹:大学生、ゆう子:中学1年生(13歳)
1958年生まれの直樹と1965年7月21日に生まれのゆう子。
最初の3作品は、出版年とふたりの年齢はほぼ重なっていた。
ところが、1988年に出版された本作では、
ふたりの年齢はほぼ止まっている。
直樹は大学生だし、ゆう子は中学2年生で、
第3作目から10年近く立ったにもかかわらず、
ふたりの時間は止まったままだった。
それで、違和感は少しもない。
本書が題材として捉えるものへの理解が
第3作から第4作までの10年でそれほど進んだわけではない
ということでもあるのだろう。
そして、第4作を支えるのは、
この10年の間に、著者が取材した貴重な重い語りなのである。
この物語は、ゆう子、ゆう子のはとこのエリコ、
エリコの花姫の山荘を管理するみすず、
そして、直樹の4者の視点から語られる。
このシリーズは、結果として5部作になった作品なのだが、
第3作に続けて第4作を読むと、
本当に第3作がターニングポイントだったことがわかる。
『ふたりのイーダ』では、直樹は時間が止まったままの世界に留まり続け、
自分の主を待ち続けるいすの姿を見る。
そして、ゆう子は、いすが待ち続けていた人物そのものに
乗り移られたかのような存在であった。
『死の国からのバトン』では、直樹は自らのコドモセンゾ
(子供のまま亡くなった先祖)に会い、
亡くなった父に会い、
愛する猫が死を通して伝えようとしていたメッセージを知る。
彼らは、母方、父方のルーツを意識し、広島の原爆や公害など、
重いテーマに子供ながらにも相対していく。
『私のアンネ=フランク』では、アウシュビッツがテーマとなるが、
これは、前2作と比べると
主人公との距離感が少し遠い話という印象があったのだ。
だが、第4作に来て、
間に第3作が存在しなければならなかったことがわかる。
第3作でゆう子は、アンネ=フランクを意識している必要があったのだ。
本作では、さらに、彼らが大人になっていることの
象徴的な描写が存在する。
直樹が明確に、自分たちのことを、
「見えるタイプ」と明言するところである。
ホラーや怪談にこれらの作品は分類されないし、
そのように意識して読んだりもしてこなかった。
そう読むには、彼らはあまりにも自然に
肉体を持たない者たちと会っている。
彼らは、子どもの頃は、
見えるタイプと見えないタイプがいるだなんて思っていなかっただろう。
だが、大人になりつつある直樹は、
自分が「見えるタイプ」と意識した上で、
だからこそ、ゆう子が出会ったリィホァの存在をそのまま信じたのである。
屋根裏部屋にエリコの祖父が隠していた秘密を知ったとき、
エリコ、ゆう子、直樹は、それぞれの立場でその事実を受け止め、
行動していくのだが・・・。
重いテーマの作品であるのだが、
後半の展開は、躍動感があり、一気に読ませるのである。
「屋根裏部屋の秘密」を、私が知ったのは、いつだっただろうか。
学ぶ順番としても、原爆、公害、アウシュビッツの次というのは、
適切であると感じた。