紙の本
惜しい人を亡くした!
2014/05/18 18:05
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kwt - この投稿者のレビュー一覧を見る
最後の著書になるのだろうか?広告という時代の先端から,辛辣に世間を俯瞰・分析し,警鐘を鳴らし続けた天野さんの。
戦後から,成長期,バブル,どん底,現在へと,広告を物差しにして,その善し悪しを語り,次世代への期待を記した遺言書のような本だと思う。
同書の中で初めて,「クール」と「ホット」の意味が実感的に理解できた。
本当に,惜しい人を亡くしてしまった。でも,また,続きが読みたいなあ。
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大量消費に疑問を投げかける、このスタンスは最近流行してるのか、本でもよく見かける。
若干内容自体がバブル気味で、似たような事を立場を変えてるだけの本が多い。
この本も著者が広告に携わっていたというバックグラウンドだけがユニークで、内容自体は正直陳腐。はじめて触れるならともかく、タイトルにあるようなテーマに経験があれば改めて読むようなものではないかと。
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先日亡くなった天野祐吉さんの(おそらく)最後の著作。
戦前戦後から高度経済成長、そして大震災までを生きた天野さん自身の人生史でもあり、その中でメディアや広告が果たした役割の変遷が並行して描かれる。
そんな中で、大衆社会の「いま」と切実な関係を保ちながら、人々の暮らしに対する想像力を切り開いてきた広告が、その本来的な意味を失い、大量生産・大量消費を謳う資本主義の道具と変質していく時代に対抗すべく、「広告批評」を創刊するに至ったという背景はとてもリアルだ。30年後に「使命を終えて」廃刊となった同雑誌のコンセプトは、初期も僕が読んでいた末期も変わっていなかったように思う。
翻って、ネットで誰もが批評家となることが可能になった現在、本当の「批評」とは何なのかということは改めて考えてみないといけないだろう。
天野さんに言わせれば、「広告」=「いかがわしさも人間臭さも併せ持った人間の写し絵」であり、それがいつの頃からか「暴力的な力」を持った権力に利用される手段となってしまった。そんななかで、非主流ではあっても、俗流化した資本主義的なモノサシでは測れない「個性」=「別品」の存在価値を認めるために徹底して反権力の立場に立つことこそ、批評の役割なのだと言っているように思う。それは、天野さんがいかがわしさを含めて人間の多様性を愛していたからこそ、だと思う。「本当の批評とは、その対象に対する愛なくしては生まれない」のではないか。
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先日、亡くなった天野祐吉氏が、戦後から311後に至るまでの世の中の変化をCMと言う窓を通じて語っています。
CMと言うのは本当に歴史なんだなと、思いました。戦後の高度成長期やバブルには、物欲を煽るCMが 多く、経済低成長時代には、生活やエコをアピールしたり。そういえば、以前あれだけ世の中を賑わせていた原発推進の広告やCMは3.11を境に何事もないかのようになくなりましたが、推進反対のCMは出てきませんよね。
「ほしいものがほしい」と言う言葉、かって、スティーブジョブズが、消費者は自分たちが欲しいものが何か分からないから、それを示す必要があると言った。それに通じるものを感じました。
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20131201 成長から成熟へ。作者から課題を提示されたような気がする。これからの日本が何処を目指すべきか。決まっているような気がするが人任せでは多分、回り道になってしまいそうだ。
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天野祐吉さんが亡くなられたことを、迂闊にも知らないでいた。
今朝の朝刊で読んだこの本の書評で知り、慌てて書店に走った。
本人の意向で葬儀は行わなかったということだが、亡くなられたのが2013年10月20日。出版が2013年11月20日であるからこの一冊は天野さんが私たちに遺した遺言に他ならない。
天野さんは書かれたもの、語った言葉、TVに映った姿のすべてがすっきり筋が通っていて、しかも静かで品のある方だった。
生前何度か話された「贅沢は素敵だ」のエピソードのことを、私はおりに触れ思い出す。
「贅沢は敵だ」というのはあまりに有名な戦時下の国民を戒める標語だが、街に張り出されたそのポスターの「贅沢は」と「敵だ」の間にたった一文字落書きしただけで、国民が一人残らず狂気に取り憑かれてしまっていたあの時代の状況を笑い倒してしまっているかのようだ。
当時、笑いごとではなく命がけだったかもしれないユーモアの主とそれに注目した若き日の天野さんの眼は、まさしく時代の
真の底流を見抜いていたのだと感服する。
受け取る側にとっては、今という時代の底を見抜くための貴重な遺言のように大袈裟に受け取ってしまうのだが、書き手の天野さんは「思いつくままの雑感です」と、いつもどおり飄然としておられる。
その雑感は、初売りの福袋に何千人もが行列を作る昨今の珍現象を「答えは簡単で『買うものがないから』です。『ほしいいものが見つからないから』です。でも『何かが買いたいから』なんですね」と喝破する。
ここ何年間かお正月のニュースをみるたびに自分の感覚では全く理解不能なこの福袋の大行列に「いったいなにが嬉しくてならんでるんだろう」と疑問に思うばかりだった私などは、目から鱗が何枚も剥がれ落ちるような痛快な「雑感」である。
天野さんが創始したと言っていい広告批評がまさしく対象とする広告のことを、「広告なんてすべてまがい物」とも書かれている。だが、同時に「平和憲法も世界に向けての広告」だと言い切ってしまう。実に明快かつ痛快だ。
世の多くの人同様に凡人の私は、どんなに難しい本を一生懸命読んでも、グローバリズムって何なのか、その本当の意味は何なのかちっともわからないでいる。たぶん10年以上気になっているのだが解らないままでいる。
それが、本書のなかでは、80年代までの高度成長を維持するための大量生産と大量消費の行き詰まりを指摘した上で、
「グローバリズムというのは、その行き止まりをこわすために、地球上をぜんぶ一つの市場にしてしまうことのようです。大量生産のはけ口を、途上国に求めているということですが、これもいずれは行きづまるのが目に見えています」
と、腑にオチすぎる明快さで語ってくれています。
この天野さんご自身がいう雑感を、私は今を生きこれから生きて行く自分に遺して下さった貴重な遺言であると勝手に受け止めさせていただきます。生涯それを忘れたくないです。
本当にありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
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「広告批評」を創刊し、広告を通して日本経済を見通してきた筆者が、3.11後の社会をどう見るか。非常に興味深い視点でした。
バブル全盛の頃、その中心にいて経済をドライブしていたのは紛れもなく「広告」でした。しかしその狂熱に浮かされて大事なものを見落として、広告はその輝きを失ってきているように思えます。
もう日本は経済大国ではなくなった。そうしたときにどう生きるのか。
誠実に、身の丈に合った生き方をしたい。そうしたときの思考のヒントになる一冊です。
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受け止める側の大衆の力量が問われるのが広告であろう.そうでなければ,広告は広告主の思惑通りに大衆を誘導し,本質と異なるマジョリティを生成する.広告に面白さを感じない,或いは買え買えというに過ぎない現在のCMなどは大衆をバカにしていると感じるのだが,それを普通に受け取る大衆が居ることを示している.広告は,大衆の力量を測るリトマス紙だ.
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去年の10月に亡くなったCMコラムニストの天野祐吉さんの最後の著作である。刊行がなくなった日のちょうど一ヶ月後なので、さぞかし悲愴な決意の遺作かと思いきや、闘病のあとは一切見せない、天野さんらしい、わかりやすい言葉で鋭く世相と世界を切り取り、方向性を示した好著になっていました。
ブロローグで「世界は歪んでいる」と言って以下の事を例に出しています。
マスク人間の増殖、原発再稼働、テレビショッピングの横行、福袋のブーム、利点よりも失われるモノが多いリニア新幹線。
この「おかしさはみんな、いまの世の中の入れ物自体の歪みからきているんじゃないか」と著者は言うのです。
その入れ物は、大量消費社会という入れ物です。大量生産・大量消費という巨大なシステムから、次々に吐き出されてくる膨大な種類と量の商品やサービスを、ぼくらは否応なく消費させられる社会に住んでいます。
はじめのころは、それはぼくらの生活を快適にしてくれるいい面がありましたが、いまやそんな物やサービスがあふれかえって、福袋くらいしか買う物が思いつかない世の中になってしまいました。それでも経済成長を持続するためには、大量生産・大量消費の歯車を止めるわけにはいかない。なぜって、国民の消費支出、つまりぼくらがモノやサービスを買うことがそのまま経済成長につながっているからです。が、この仕組みがいまや限界にきて、音を立てて壊れようとしている。
それがいまの世の中のいろいろなところで、さまざまな歪みになって現れてきているというわけですね。
ついでに言うと、十数年前からしきりに言われてきたグローバリズムというのは、その行き止まりをこわすために、地球上をぜんぶ一つの市場にしてしまおうということのようです。大量生産のはけ口を、途上国に求めていこうということですが、これもいずれは行き詰まるのが目に見えています。つまりは、どうやっても限界ということで、そこまでいったときには地球上は、楽園どころか、地域文化も何も押しつぶされた一面の荒野になってしまうんじゃないでしょうか。
それともう一つ、ぼくらが住んでいるこの大量消費社会というのは、都市化社会と表裏一体というか、大量消費社会を一ヶ所に圧縮したのが都市化社会というものじゃないかと思います。(略)
もともと"生活"は再上限を求め、"生存"は最低限を求めます。誰だって、生活の豊かさは再上限を求めたい。が、それを求めつづけると、あちこちで無理が起きてきて、守るべき生存の最低限が危うくなってくる。いまはまさに、生存の最低限がおびやかされている、それも臨界点のところまでおびやかされているときだと、言っていいように思います。(21-24p)
広告の世界から、「そのままいくと危ないぞ」と批判する目をずっと持って来た著者の止むに止まれぬ「警告」が、ここにある。
著者はしかし、広告を発注する会社たちにもずっと寄り添って、どうやったら折り合いがとれるか考えできたのだと思う。その結論が
「成熟社会」ということであり、
「脱成長」ということであり、「老楽国家」ということであり、「再ローカル化」ということであるのだと思うのです。
その詳しいことは、天野さんのお勧めする参考書物を読まねばならない。しかし、大企業と庶民とのパイプ役として「ご意見番」として半世紀を生きた人の「遺言」は傾聴に値すると思うのです。
(BOOKデータベースより)
六〇年にわたり広告の最前線に立ち会った著者が語るその内幕と功罪。そして成長至上主義が限界を迎えたいま、経済力や軍事力のモノサシで測れない成熟した社会のために広告ができることを提言する。
プロローグ 世界は歪んでいる/第1章 計画的廃品化のうらおもて(電球の寿命は一〇〇〇時間?/それはヘンリー・フォードから始まった ほか)/第2章 差異化のいきつく果てに(アメリカ・アメリカ・アメリカ!/人生は広告を模倣する? ほか)/第3章 生活大国ってどこですか(「広告批評」の創刊/広告を広告する ほか)/エピローグ 新しい時代への旅(くたばれ中央集権/広告はどうなる ほか)
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2013年に無くなられた天野祐吉さんの自伝でもあり、今の日本の広告や政治・経済・社会へのささやかな提案の書。自然体で軽やかに、日本の将来のビジョンを説く語り口(文体)が鮮やかで、心に響いた。各章の扉の向かいに掲載されていた写真がちょっと意味不明だったけど。
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広告の歴史を不利な帰りながら経済大国に日本を振り返る。よくある手法かもしれないが、個人的にはこの手のものは初めて読んだので非常に楽しめた。
筆者はさすが広告界の重鎮だけあって、経済の話だけでなく、広告表現から地域格差などにまで言及できるところに脱帽。
ぜひ「別品」な国、ニッポンになるようにがんばっていけたらと心引きしまった。
残念ながら筆者は昨年末に亡くなってしまった。合掌。
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1月の読書会の課題本
タイトルから難しい本かなぁぁって、ちょっと読み始めるのが遅くなったけど
読み始めたら面白くてサクサク読めてしまった(笑)
タイトルと内容が合ってない感じがしたけど、まぁいっか(笑)
本の帯に書かれてあるように「ぼくの私的な日記みたいなものです」
ほんと、こんな感じでした
悪く言うとタイトルと中身が違う気がするし、その中身にも一貫性がないような
気もするし・・・
だけど日記なんだと思えば、一つ一つのエピソードは面白いです
私は製造業の営業としては前半のエピソード「計画的廃品化」は胸がチクチクしました
いち消費者としては、壊れた製品は修理して長く使いたいと思うし、実際そうしてきました
だけど、いち営業マンとしてはお客様には新しい製品を買って欲しい・・・
このジレンマ・・・
後半の原発等のエピソードも含め、マスコミや政府が流してる情報に流されない
ちゃんと自分で考えるって事が一番大事なんだなぁって・・・
まぁ当たり前のことなんだけど、○○テレビのニュースで放送してるからそうなんだとか
○○新聞に書いてあったとか、政府が発表してるデータだから本当なんだとか・・・
「それって、本当に?」って疑ってみることも大事だよね
最後にこの本を紹介してくださったTさんから、みんなへの質問
・30年後の日本をどういう国にしたいか?
・30年後の日本に向けて今やるべきことは?
私は約30年前・現在・約30年後の人口ピラミッドの図で説明してみた
ピラミッドから壷型になっている日本の人口構成
少子高齢化がますます進んで、30年後きっと私たちはまだまだ働いているだろう・・・
それを暗いことと捉えるか、働けることを前向きにとらえるか?
私は後者が良いなと思う
だから30年後も働ける体力や知力、人力を作るための30年間かなぁって(笑)
世間で騒がれつつある「40歳定年制」も現実になるかも知れない
その時、落ち込むんじゃなく、新しいチャレンジができると思える、そんな環境を作りたいな!
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長らく日本経済において消費活動を促進する一助となってきた広告を通して、経済システムや社会の動向を回顧録的な形式でまとめた一冊。
アメリカのT型フォードの誕生によりシステム的に機能し始めた大量生産、大量消費社会から現代に至るまで、広告がどのような役割を果たし、また変化してきたのか、天野祐吉らしいユーモアや鋭い視線を以って書かれている。
後半の経済成長が行き詰まった今の日本社会がどのような方向で舵取りをしていくべきなのかという話はとても興味深かったし、天野さんの言う方向で発展した時の社会は楽しそうだと単純に思った。
3.11以降、被災地の復興だけでなく本来であればあの痛ましい災害を契機に新しい日本の在り方を模索する流れが生まれなければならなかったが現状は震災以前を再生するだけになっているのではないかという天野さんの問いかけは重いものがあった。
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広告に長く携わってきた著者が、現在のマスコミについての思いを語っています。
消費社会のゆがみと限界を感じました。
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「そろそろ、本当に変わりませんか?日本よ!」って。
マスクも原発もテレビショッピングも福袋もリニア新幹線も、どれだけ必要なのって。そういうことだよね。同感です。
引用されていた言葉「大きな災害や事故が起きると、すべてを新しく創造的な方法で考え直すことのできるスペースが生まれる。いま日本はまさにその時だが、もたもたしていると、そのスペースはまた閉じてしまう」というのが心に残っています。