紙の本
『君主論』以前のマキャベリズム
2011/07/31 21:40
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:拾得 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書の紹介文を見てびっくり。あのモームが、『君主論』のマキャベリを主人公にした小説を書いている。しかも扱っているのが、あのチェーザレ・ボルジアとの出会いの場面という。どのように描いているのか、気になって仕方がない。まさしく『君主論』誕生の瞬間を描いたものと容易に想像がつくし、実際にそうである。しかし、そこはモーム、素直にそんな場面を描くであろうか?
フィレンツェの外交官であるニッコロ・マキャベリは、共和国使節としてローマ法王軍司令官であるチェーザレ・ボルジアのもとに赴く。何かの取り決めをするというより、何か取り決めることを引き延ばすことによって、状況を見極める時間を稼ぐというのがマキャベリに課せられた課題であった。それは、ボルジアも承知のうえである。
本書の核は、そこで行なわれる両者の虚々実々の緊張感あふれるやりとりである。そこから君主論のエッセンスが・・・、と紹介したくなるが、そう簡単にはいかない。本書は、陽気でおしゃべりがうまく、女好きのマキャベリを丁寧に描くことからはじまる。そんな彼が派遣先の街で、仕事だけをしているわけにはいかない。地元で世話になっている商人の若き妻に、なんとか手を出そうと策略を繰り出す。そう、彼の「マキャベリズム」は、実はここで発揮されているのである。他愛もない話と言えばそれまでだが、後者こそ読ませる部分になっている。『君主論』などというと、なんだか敬遠したくなるようなテーマであるが、それを軽快さとユーモアとで、最後まで面白く読ませてくれるのである。
大学の学部学生くらいであれば、まずは『君主論』を読んで議論をしたくなるだろう。かくいう私も。何の学問的ヒントを与えてくれそうにない本書など、見向きもしなかったろう。しかし、『君主論』について議論したところで、そう大したものは生まれてこない。大した人間が読むのでもない限りは。むしろ人生のユーモアの中にこそ、さまざまなヒントがある、とでも言いたげな作家の声が聞こえてきそうだ。大作家モーム、72歳の歴史小説、あなどれません。
紙の本
軽妙洒脱、一種の喜劇
2011/08/28 18:20
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:萬寿生 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ニッコロ・マキュアヴェリとチェーザレ・ボルジアとの対決、書くのは世界の文豪サマセット・モーム。ウーム、唸るしかない。イタリアが小国家に分裂していた時代、西暦1502年の都市国家の政治的対立をめぐる権謀術数の対決と人妻をものにしようとする色恋の駆け引きとの組み合わせ。塩野七生の時代小説と比較すれば、作者の創作になる虚構の部分がより多いだろうが、史実にそって物語を構成展開し、対話の場面と対話の内容とを作り上げる。対話のやり取りが面白い。後に権謀術数の代名詞となったマキュアヴェリとイタリア統一を目指す冷酷非情なチェーザレ・ボルジアとの対話だけではない。その対話は、丁々発止のやり取りだが、他の人々との会話は軽妙洒脱である。最もこの小説全体が軽妙洒脱なのだが。色恋の結末は、術策を弄するものは溺れ、鳶に油揚げを攫われる、ということになる。最後はそれぞれ各自が落ち着くべきところに落ちついて、一応ハッピーエンドか。一種の喜劇である。とにかく気楽に面白く楽しめる。
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マキアヴェッリが君主論でモデルとしたチェーザレ・ボルジアが滞在していたイーモラと言う街に派遣されたときを舞台にした作品です。外交交渉の様子もあれば,フィレンツェの外交官として活躍していたマキアヴェッリの滞在先での日常の様子の描写に,女好きだったマキアヴェッリが現地の女性をものにしようとする描写など,いくつかの描写が絡み合う作品で,楽しく読むことができました。あまり固く考えずに,気楽な娯楽作品と読むことがいいのかなと,個人的には考えます。
なお,舞台となっているイタリアのルネサンス後期の政治事情に関する知識がある方がスムーズに読めると思います。マキアヴェッリやチェーザレ・ボルジアなどの登場人物の知識や,当時のフィレンツェや教皇庁を含めたイタリアの諸国家とフランス,スペインとの関係など政治背景の知識があると,より楽しめると思います。
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これはマキャベリがチェーザレ・ボルジアの許へ政府の特命で使いに行く話です。これを読んだらマキャベリの『君主論』など読む必要がない。チェーザレ・ボルジアのやったこと、策略、ものの言い方などがモーム流に書いてあります。(谷沢永一)
ある意味で塩野七生を読むよりもおもしろい。(渡部昇一)
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マキアヴェッリが主人公の小説。大学の書庫の奥で発見した当時は絶版だった。文庫で読めるようになって嬉しい限り(早速購入しなくては)。マキアヴェッリ本人が書いたちょっと色っぽいコメディよろしく、どこぞの人妻に策を弄して言い寄るものの、最後は手痛く失敗するところがいい感じ。マキアヴェッリの肖像を見ると、いつも「ルパン三世のテーマ」が脳内に流れてしまうのは、この本(と「わが友マキアヴェッリ」)の影響かもしれない。
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これを読んだら、君主論を読み返そう。
君主論の著者であるマキアヴェッリが、そのモデルとしたチェーザレ・ボルジアの元を訪れる話なんて、それをモームが描くなんて、何重構造にも読める。
ああ、ストーリー自体も二重構造なのだなぁ。
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激動の時代に、稀有な君主チェーザレ・ボルジアと渡り合う任務を負ったマキャベリ。故国のために奔走しつつ、人妻を手に入れるためにあの手この手を尽くす姿をコミカルに描く…といったところだと思うが、正直イマイチであった。
話が二つに割れてしまって、とけこんでいない。歴史認識にもこれといって新しいところがない。致命的なのは、この情事のオチがかなり早い段階で分かってしまうこと。読みながら「アイデア倒れ」という言葉がちらついた。
モーム…。短編はあんなに素晴らしいのに。
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今、我が家が空前のチェーザレブームなので読んだ本。
モームにしては、、、という感じだけれど、当時のイタリアの政局が分かるので読んでよかった。
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マキャベリとチェーザレ・ボルジアの心理戦がスリリングな歴史小説であり、すぐれたエンターテインメントに仕上がっている。モームの作品はどれも娯楽性に富んでいるが、かの名高い『君主論』の中でマキャベリがチェーザレを高く評価していたことをおもんぱかれば、15世紀のイタリア半島でこの二人が対峙する舞台設定だけでも胸が躍るというものだ。
マキャベリを主人公に、話の軸はふたつある。一つはもちろんチェーザレとの政治的駆け引き、もう一つは人妻との恋の駆け引きである。ふたつの筋がからみあい飽きさせない作りになっている。
翻訳も非常に自由なものであろうと察せられるが、ストレスなく読み進められる名文である。こういう翻訳は外国語の文学作品を知るにはひとつの理想だと思う。
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小難しいイメージのマキャベリだけど、なんだ、ただのオジさんじゃん。とマキャベリに親近感さえ湧いてくる。
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塩野七生とはまたちがったマキアヴェリとチューザレ・ボルジア。最後、使者の仕事を終えて馬で故郷に帰る際の長ーい負け犬の遠吠え感がすごい。
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事情があって、本を捌くスピードがダウンしていたが、ようやく読み終わった。
モームにしては卑俗な雰囲気で、、、と思われるが、たしかに面白い。マキャベリもチェーザレも眼の前にいるようで、楽しかった。
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チェーザレ・ボルジアとマキアヴェリの頭脳戦が面白い。
作品全体としてコミカルであり、
この時代のイタリアの様子がよく分かる。
塩野七生さんの著作と合わせて読みたい
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「イタリア統一の野望に燃える法王軍総司令官チェーザレ・ボルジアの許へ、フィレンツェ政府は使節として天才的外交官ニッコロ・マキアヴェリを派遣する・・・」
という紹介文から重厚な歴史物と思って読み始めたけど全然違った。単なる軽妙な娯楽小説だった。
軽いながらもまあおもしろかった。モンタネッリの「ルネサンスの歴史」を読んでたから時代背景をわかってたというのもあるけど、モームってよくできている。他の著作も読んでみよう。
タイトルの「昔も今も / Then and Now」の意味がよく解らないのがいまいち。1946年出版だから、第二次世界大戦も英国側に正義があったから勝ったわけじゃないと言いたかったのかなと思った。マキャベリが最後のページでこう言っている。
「チェーザレは犯した罪の当然の報いを受けたと言ったな。だが、やつは悪行を行ったから破滅したんじゃないぞ。~美徳が悪徳に勝利したとしても、それは美徳であったからじゃない、より性能のいい強力な大砲があったから勝利したのさ。~自分の側に正義があると思うのはいいが、それを担保する力がなければ、正義なんぞなんにもならん。それを忘れていい気になっていたら、とんでもない災いに見舞われるだろう。」
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フィレンツェの使者として,飛ぶ鳥を落とす勢いのチェーザレ・ボルジアのもとに派遣されたのは,後に君主論を執筆するマキャベリ.謀略と裏切りを駆使し勢力を拡大してきたボルジアとマキャベリズムとの激突かと思ったのだが,さにあらず,この時点でのマキャベリはまだ中級官吏で,フィレンツェに対する援軍要請を,言質を取られないようにノラリクラリと,ひたすらかわさざるをえない立場にある.並行して進むのが,裕福な商人に若い妻に対するマキャベルの横恋慕で,上に書いたようなマキャベリの書かれ方からして(あるいはモームの小説の主人公として),これもうまく行くわけがない.頭は切れるのだが,ひたすら小市民的なマキャベリの姿が描かれるのだった.